【第3話 森の歌と、届かない言葉】
森は深かった。
ルミナスの街から半日ほど歩いた場所。
薬草採取の依頼は簡単なものだった。
「森の入り口付近で、青い花の咲くヒールグラスを10本」。
カイは地図を片手に、木々の間を進む。
木漏れ日が地面にまだら模様を描き、鳥の声が遠くで響く。
人間の言葉で話せる喜びは、まだ胸に残っていた。
リアの笑顔、ガレンの肩叩き。
普通の会話が、こんなに温かいものだったなんて。
でも、同時に、あのエルフの悲しげな瞳も忘れられない。
リリア、という名前だった。
カイは立ち止まり、息を吐いた。
木の幹に背中を預けて、目を閉じる。
──地球の記憶がよみがえる。
高校の廊下。
好きな女の子に話しかけようとした日。
「あ……あの……」
言葉が喉に詰まった。
相手は最初は待ってくれた。
でも、沈黙が長引くにつれ、笑顔が曇る。
やがて、気まずそうに目を逸らされて、
「……ごめん、用事あるから」
そう言われて、去られた。
あのときの、相手の悲しげな瞳と、
リリアの瞳が重なる。
もう、繰り返したくない。
カイは目を開け、歩き出した。
森の奥へ。
もっと奥へ。
すると、聞こえた。
美しい歌。
透き通った、優しい旋律。
カイは足を止め、耳を澄ました。
歌声の方向へ、慎重に進む。
木々の隙間から、開けた場所が見えた。
小さな泉のほとり。
そこに、彼女がいた。
銀色の長い髪を風に揺らし、
弓を背負ったまま、泉に膝をついている。
リリアだ。
彼女は泉の水面を見つめながら、
静かに歌っていた。
悲しいような、
懐かしいような、
優しい旋律。
カイは息を潜め、木の陰から見つめた。
歌が終わると、リリアは小さく息を吐いた。
そして、立ち上がろうとしたとき──
足元が崩れた。
泉の縁の土が、突然くずれる。
「っ!」
リリアがバランスを崩し、泉に落ちそうになる。
カイは反射的に飛び出した。
「危ない!」
腕を伸ばし、リリアの体を抱き止める。
二人は地面に倒れ込んだ。
カイが下になり、リリアが上。
リリアは驚いた顔でカイを見下ろした。
そして、慌てて立ち上がる。
美しい声で、何かを早口で話しかけてきた。
心配している感情が、ぼんやりと伝わってくる。
カイはゆっくり立ち上がり、
両手を振って「大丈夫」とジェスチャーした。
「俺、大丈夫。君こそ、怪我ない?」
もちろん、言葉は通じない。
リリアは首を傾げ、
もう一度、歌のような言葉を繰り返した。
ありがとう、と言っているのだろうか。
カイは胸が痛くなった。
ちゃんと伝えたい。
ありがとう、って。
助けられて嬉しい、って。
でも、言葉が出ない。
カイは地面に膝をつき、
近くに落ちていた小枝を拾った。
土に、絵を描き始めた。
まず、自分が飛び出してきた絵。
次に、リリアを抱き止めた絵。
最後に、笑顔の自分とリリア。
そして、胸に手を当てて、頭を下げた。
ありがとう。
リリアはそれを見て、目を丸くした。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
今度は彼女が地面に膝をつき、
土に絵を描き始めた。
泉の縁が崩れた絵。
カイが助けた絵。
そして、二人で笑っている絵。
リリアは立ち上がり、
胸に手を当てて、優しく頭を下げた。
カイの目が熱くなった。
伝わった。
言葉じゃなくても、
少しだけ、伝わった。
でも、まだ足りない。
カイは薬草の袋を開け、
持っていたヒールグラスを見せた。
依頼で採取したものだ。
リリアはそれを見て、くすっと笑った。
そして、自分のポーチから、同じ薬草を出した。
たくさん。
彼女はカイの袋に、自分の薬草を少し分けてくれた。
そして、また歌で話しかけてきた。
今度は、楽しそうな感情が伝わる。
一緒に街に帰ろう、ということだろうか。
カイは頷いた。
二人は並んで森を抜け始めた。
言葉は通じない。
でも、歩幅を合わせて、
時々視線を交わして、
小さく笑い合う。
夕陽が森を赤く染める頃、
街が見えてきた。
リリアは立ち止まり、
カイに向かって、もう一度歌った。
別れの挨拶だろう。
カイは胸に手を当て、頭を下げた。
リリアは微笑んで、
森の反対側へ歩き去っていった。
カイは街に戻り、依頼を報告した。
リアが驚いた顔で迎える。
「早かったわね! しかも、こんなにたくさん……」
カイは微笑んだ。
「少し、助けてもらった」
リアは首を傾げた。
「誰に?」
「リリアさんに」
リアが目を丸くした。
「え? でも、言葉通じないのに?」
カイは頷いた。
「うん。でも……少し、伝わった気がする」
リアは優しく笑った。
「カイさん、すごいわ」
カイは依頼の報酬を受け取り、
ギルドの外に出た。
夜空を見上げる。
星が、たくさん。
胸の奥が、温かい。
まだ、言葉は通じない。
でも、今日、少しだけ近づけた。
明日も、
もっと近づけるかもしれない。
カイは宿屋に向かって歩き出した。
悔し涙じゃなく、
希望の涙が、頰を伝っていた。
第3話 終わり
(次回、第4話 唸り声の挨拶)




