【第2話 美しい音楽の意味】
街の名前は「ルミナス」。
中世ヨーロッパ風の石畳の道に、馬車がカタカタと音を立てて行き交う。
屋台から焼きたてのパンの香りが漂い、冒険者らしき人たちが剣や盾を背負って笑いながら通り過ぎていく。
カイは、案内してくれた男性──名前はガレンという──の後ろを歩きながら、
何度も自分の喉を触っていた。
「ここが冒険者ギルドだ。まずは登録しておくと便利だぞ」
ガレンが大きな木製の扉を開ける。
中は賑やかだった。依頼板の前で地図を広げる者、カウンターで酒を飲む者、仲間と大声で笑い合う者。
人間ばかりだ。
カイはカウンターに向かった。
受付に立っていたのは、二十代半ばくらいの女性だった。
茶色の髪をポニーテールにまとめ、優しげな笑顔。
「新規登録ですか?」
カイは息を吸った。
「は、はい。冒険者登録を、お願いします」
……詰まらなかった。
スラスラと、言葉が出た。
女性が目を丸くして、すぐに微笑んだ。
「珍しいわね。空から落ちてきたって聞いたけど、本当? 怪我はない?」
「ええ、大丈夫です。本当に……ありがとうございます」
自然に返事ができた。
相手の言葉がちゃんと耳に入り、自分の言葉がちゃんと相手に届く。
カイはカウンターに手をついて、視線を伏せた。
胸が熱い。
涙が出そうだった。
女性──名前はリアという──は書類を差し出しながら、優しく続けた。
「名前は?」
「カイ……です」
「カイさんね。出身は?」
「……遠いところ、です」
リアはくすっと笑った。
「異邦人さんみたいね。まあ、冒険者ギルドはそういう人が多いから大丈夫よ。
まずは簡単な依頼から始めてみたら?」
カイは頷いた。
声に出して、ちゃんと頷いた。
「はい。お願いします」
リアが書類にペンを走らせる音が、心地よかった。
登録が終わると、ガレンが肩を叩いてきた。
「よし、俺は依頼があるからここまでだ。気をつけろよ、カイ」
「ありがとう、ガレンさん」
別れ際も、詰まらずに言えた。
ギルドの外に出て、カイは空を見上げた。
やっと……やっと、普通に話せた。
誰かと、ちゃんと会話ができた。
でも。
そのときだった。
ギルドの入り口に、もう一人の冒険者が立っていた。
銀色の長い髪。
尖った耳。
緑がかった瞳。
エルフだ。
彼女はカイを見て、微笑んだ。
そして、口を開いた。
美しい声が響いた。
まるで森の風が葉を揺らすような、
小鳥がさえずるような、
優しくて、透き通った旋律。
歌のように。
でも、意味がわからない。
カイは反射的に答えた。
「あ……えっと……」
エルフの女性は、もう一度話しかけてきた。
今度は少し大きな声で、同じ旋律を繰り返す。
でも、やはりわからない。
ただ、ぼんやりと感情だけが伝わってくる。
……心配?
……優しさ?
彼女はカイの服に付いた土を気にして、手を伸ばしかけた。
でも、カイが無反応でいるのを見て、表情が曇った。
美しい瞳に、わずかな悲しみが浮かぶ。
そして、彼女は首を小さく振って、
ギルドの中に入っていった。
カイは立ち尽くした。
リアとは、普通に話せた。
ガレンとも。
でも、あのエルフとは……通じなかった。
女神がくれた「言語理解の欠片」は、
人間の言葉だけを自由にしてくれたわけじゃない。
他の種族の言葉は、まだ壁の向こうだ。
カイは拳を握った。
地球でも、詰まって伝えられなかった。
やっとここで話せるようになったのに、
また新しい壁が立ちはだかる。
悔しい。
でも、逃げない。
あのエルフの悲しげな瞳が、頭から離れない。
彼女は何を言おうとしたんだろう。
心配してくれたのか。
それとも、ただ挨拶しただけ?
わからないまま、傷つけてしまったかもしれない。
カイはギルドに戻った。
リアが驚いた顔で迎える。
「どうしたの、カイさん?」
「さっきの……エルフの人、知ってる?」
リアは少し困ったように笑った。
「ああ、リリアさんね。強い弓使いで、よくソロで依頼受けてるわ。
でも……ほとんど人間とパーティ組まないのよね」
「どうして?」
「言葉が通じないから、じゃないかしら。
エルフの言葉って、人間にはただの美しい音楽にしか聞こえないって言うし……
リリアさんも、最初は話しかけてくるけど、反応がないとすぐに諦めちゃう」
カイは唇を噛んだ。
「……俺にも、話しかけてくれた」
「え? でも通じなかったんでしょ?」
「ああ。でも……悲しそうな顔、してた」
リアは少し驚いた顔をして、それから優しく言った。
「カイさん、優しいのね」
カイは首を振った。
「違う。
ただ……もう、誰かを傷つけたままにしたくないだけだ」
地球で、詰まって伝えられなかった後悔を、
もう繰り返したくない。
カイは依頼板を見上げた。
簡単な薬草採取の依頼。
場所は森の入り口。
きっと、あのエルフも森に縁があるはず。
カイは依頼を引き受けた。
リアが心配そうに声をかける。
「初めてなのに、森は危ないわよ?」
「大丈夫。
少し……話したいことがあるんだ」
リアは微笑んで、頷いた。
「がんばってね、カイさん」
カイはギルドを出て、森に向かった。
美しい音楽の、意味を知りたい。
あのエルフに、ちゃんと返事をしたい。
ただの「ありがとう」を、
ちゃんと届けてやりたい。
第2話 終わり
(次回、第3話 森の歌と、届かない言葉)
どうか……読んでくれた人が、
カイと一緒に悔しがって、
一緒に頑張って、
そして最後に一緒に泣けるように。




