海鳥高校文芸部の一日
『夏休みの一日』
ジジジジ―――
セミの声がうるさいくらいに耳に響いてきて嫌でも体中に夏を感じさせる。
こんな歩いてるだけでへばりそうなほど暑い日だって言うのに、俺は汗をかきながら長い坂をのぼっていた。
夏休みなんだから昼まで寝ていてよさそうなものだが、俺は朝っぱらからワイシャツ着こんでスラックス履いてネクタイ巻いて学校の制服一式をわざわざ着込んで家を出る。
そして、猛暑にやられそうになりながらも少し歩いて駅前のバス亭から冷房の効いているバスに乗り込み束の間の安らぎを味わうのもすぐに終わり目的地で降りた。
さあ、ここからが大変だ。
目的地までは急な坂があり、そこを歩いて上っていかなければならないのだ。
少なくとも1年以上は毎日この坂と付き合っているからそろそろ慣れても良さそうなもんだが俺は未だにここを上るのが苦に感じている。
俺は休みつつへろへろになりながら坂を登って行く。
なぜこんな事をしているのか。
この先の目的地……俺の通っている学校"県立海鳥高校"に用があるからだ。
海鳥高校……バス停から長い坂の上にある事以外はなんというか普通の学校だ。
学校の広さも生徒数も校風も成績も平均的。
通っている生徒である自分で言うのもなんだがどこにでもある平凡の高校だ。
俺【日向 芽実】はその海鳥高校に通う高校2年生。所属は文芸部。
「めぐみ」なんて女性みたいな名前だがなんてことないただのどこにでもいる普通の男子高校生だ。
昔からこの名前の事でよくからかわれたりしていたがもういい加減慣れた。
そんなエピソードはあるが成績も運動神経も見た目も何もかも平均的な男子生徒、それが俺だ。
この平均的なこの学校に相応しすぎる人間だと思う。
……うん、平均……だよな?間違ってないよな……?そこまで色々悪くないよな俺……?
自分で言っといて少し不安になる。
ま、まぁそれはどうでもよくて。
その俺が用事があるのは海鳥高校というかもっと言うならその学校の部室に用事がある。
今日、水曜日は俺の所属する"文芸部"の活動がある。
だからこんな思いをしてまで学校に向かっているというわけだ。
ようやくついた学校の正門から玄関に向かって歩く。
校庭やテニスコートの方を見ると運動部がランニングしてたり練習をしながら大きな声を出している。
こんな暑い中スポーツなんて坂を上るよりキツいんだろうな。
その中には挨拶するほどでもない知った顔のクラスメイトも何人か見えたりした。
少し歩くと非常階段の下では吹奏楽部が椅子なんか持って来て大きな楽器で練習している風景も見える。
手ぶらのまま歩いて何してるんだか分からないような生徒もほんの数人見かけた。
自分は夏を思いっ切り謳歌して盛り上がるようなタイプの人間では断じてないがこういう夏休みの学校の雰囲気は嫌いじゃないな。
学校がある日からは信じられないほどがらんとした玄関で靴から上履きに履き替える。
教室以外はクーラーが効いていないはずだが風通しが良いし太陽光に直接当たらないし外よりはずっと涼しい。
誰もいないので玄関近くに設置してある長椅子に座って汗をタオルでぬぐって身なりを整える。
壁にある時計を見るとまだ集合時間まで10分ほどあるしほんの少しだけ一息ついて涼む。
冷房があるんだからさっさと部室にいけばいいのはそうなんだが、あんまり暑さにゼェゼェしながら部室に入っていくのもどうかと思うし落ち着いてから行く事にした。
まぁ時間厳守のすごい怖い人が多い部活ならこんな事も言ってられないんだろうけど俺の所属する文芸部の人達はそういう雰囲気じゃないから大丈夫だ。
***
汗も引いてきて体力を回復させた後、階段を登って部室へ向かって行く。
この階の一番端っこにある部屋が我が文芸部の部室だ。
部室の隣は1年の頃に週に1回ある選択授業で使った書道室があるくらいで普段は誰もよりつかない学校のエリアだ。
俺も文芸部じゃなかったら足を踏み入れもしなかったと思う。
そんなこんなで俺はようやく文芸部の前までたどり着く。
部室の電気はついていないが一応扉を2回コンコンとノックする。
今の時期のこの時間は外からの太陽の光がやる気満々で差し込んでくるので昼間は教室の電気をつけなくても十分に明るい。
なので電気をつけずに中に人がいてもおかしくないのでその確認のためのノックだ。
「どうぞー」
外で鳴くセミの声にかき消されそうな小さくて少し特徴的な声が扉の奥から聞こえてくる。
俺はその声に安心して扉を開ける。
扉を開くとそこは文芸部。
普通の教室の半分くらいしかない広さ。
歴代の文芸部の人達が残して行った部誌やら私物やらが本棚の中だったり周りのダンボールに積み上げられている。
相変わらずあまり片付いていない部室だ。
「芽実先輩。 おはようございます」
「よう≪向日葵≫。 もう書いてんのか」
一人の制服を着た女の子がこちらを一瞥してそっけなく挨拶をしてきたので俺も挨拶を返す。
「はい。 先輩も書きましょう」
「そうだな」
長机に設置してあるパイプ椅子に座ってもう一度、斜め向かいのパイプ椅子に座っている女の子の様子をちらりと見る。
部に設置してあるパソコンを開いてカタカタと軽快にキーボードを打つ。
手元にはブックカバーをした小説が置いてある。
どうやら俺が来る前から一足先に執筆活動を始めていたようだな。
俺も目の前にある先輩達が残してくれたパソコンを開いて今日の執筆活動を始める。
【高篠 向日葵】。
灰の色をした長いくせっ毛をしていて背は女子の中でも小さめ。前髪や後ろ髪などおしゃれなのか髪のいたる所をピンで止めている。
制服は着崩したりはせずしっかり着ていてボソッと喋る海鳥高校1年で文芸部の女子生徒。
2年生である俺の後輩にあたる。
眠たそうな目をしてあまり表情が変わらなく一見クールで真面目そうにも見えるのだが……。
「夏休み終わったら部誌出すんですよね?」
「あぁ、文芸部は毎年文化祭で部誌出す伝統だからな。 まぁそれに加えてなんか他の事一緒にやってもいいけど」
「じゃあ部誌置くのとは別にデスゲームやりましょうよ」
「デスゲーム? 脱出ゲーム的な……? 面白そうだけどああいうのを準備するのこの人数じゃ難しくないか?」
「いや先輩がギロチンか何かでみんなの前で死ぬ催し物をするんです」
「それじゃデスゲームじゃなくてただの処刑だろ! ていうかなんで俺が処刑されるんだよ!」
「ぷくくく……w」
俺が突っ込むと向日葵は上体を丸めてを笑うのを我慢している。
この通り、向日葵とか言う後輩はギャグやふざけた事をめちゃくちゃ言ってくる奴だ。
向日葵がこの部に入って来た当初はお互い初対面の相手にぐいぐい行けないタイプな事もあり気まずくて全く会話が無かったが少しずつ会話も増えて来て今ではこんな感じで普通に会話できるぐらいの関係にはなっている。
……まぁ俺が舐められてるだけの気がしないでもないが。
「部誌もいいんだけどさ……その前に部員なんとかしないとな~」
「部員ですか……」
文芸部は俺とこの向日葵。
見ての通り部員が現在2名しか在籍していない。
入学当初は3年生の先輩が数人居たのだが全員卒業してしまい文芸部は俺一人になって存続の危機に陥っている。
先輩達はみんな良い人で潰れるならしょうがないみたいに笑ってくれたが俺は俺の代で先輩達の部を潰すのも申し訳が立たないと思ったので同じ学年で出来るだけ声かけしたり1年生が入って来た時期に部員勧誘を一人で頑張ったりもしたのだがまぁ結果はこの通り。
後輩の向日葵が一人入って来てくれただけだ。
それでも十分ありがたいのだが、部員の最低規定人数の4人にはいまだに届いていない。
「先輩の数少ないクラスの知り合いに当たってみるという話はどうなったんですか?」
「数少ないは余計じゃ。 まぁそいつももう別の部活入っててさ……」
「使えない先輩ですね」
「うるさい!お前の方はどうなんだよ!誰か連れて来れる人いなかったのか?」
「まったく先輩……ちょっとは考えてくださいよ。 私クラスでも浮いてて友達いないんですよ。 連れて来れる人間なんているわけないじゃないですか?」
「したり顔でそんな悲しい事言うなよ……」
「うぅ……」
そんな他愛もない雑談しながら執筆活動を続けていく。
俺達は規定人数には届いていないが危機感もなくこんな感じでのんびり文芸部としての活動をしている。
部として認められなくても同好会として続けていくのも悪くないかななんて考えているが向日葵はどう思っているだろう。
やっぱりちゃんとした部活の方が良いよな。
コンコン。
なんてやっていると部屋の扉をノックする音が飛び込んで来る。
「どうぞー」
ノックした人物の姿も見えてないのに部長の俺が返事をするより先に向日葵が返答する。
まぁこの部室を訪ねてくるなんて俺と向日葵以外には一人しかいないからいいんだが。
「おはようございます≪小鳥遊先生≫」
「よう。 真面目にやっとるかい諸君」
「先生~今日もお綺麗ですね~えへへ~」
「はいはい向日葵もかわいいぞ。 よっこいしょっと」
部室に入ってきた小鳥遊先生は向日葵の調子の良いおべっかを軽く受け流して卒業生が部室に残していったソファーにどかっと座り込む。
【小鳥遊先生】。
白衣を着た海鳥高校の物理教師で文芸部の顧問だ。
長い黒髪が腰まで伸びていて背が高くて美人な先生だ。
おしとやかというよりはワイルドな所がある感じのカッコイイ女性って感じだな。
ぶっきらぼうに見えるがちゃんと生徒の事を見てくれる良い先生だと俺は思う。
向日葵も小鳥遊先生の事をすごい美人でカッコイイといつも言っていて気に入ってるようだ。
先生の中じゃ若く見えるけどなんか妙に態度や所作に貫禄があって堂々としてるし何歳ぐらいなのか絶妙に分からないんだよな。失礼だと思うから本人には聞けないけど。
裏社会の帝王だの町のヤクザを投げ飛ばしたりだの本当かどうかも分からない変な噂も色々ある謎多き教師だ。
小鳥遊先生はたまに顧問として文芸部の様子をこうやって見に来る。
まぁ様子を見に来ると言ってもソファーでくつろいぎながら文芸部の本棚にある本を適当にとって読んだりしているだけだ。
もしかして丁度良いサボり場所にしてるだけだったりして。
「お前ら、小説は進んでるのかい?」
「はいっ! 私、向日葵は絶賛執筆活動行き詰まり中でございます!」
「なに言ってんだよ。 さっきからキーボードカタカタ叩いて調子良さそうだったろ」
「いやこれなもんで……」
向日葵は目の前にあるパソコンを回転させ画面をこっそりこちらに見せてくる。
そこには文章を書くツールではなくたくさんのマス目に所々旗が立っているゲーム画面だった。
「マ〇ンスイーパーやってんじゃねえよ! 真面目に文字打ってんのかと思ってたわ!」
「ちょっと先輩! 何大声出してるんですか!? 先生にバレるでしょ! 先輩だってたまにえっちなサイト見てる事バラしますよ!」
「は……はああっ!? ば、バカ! あれはワンクリック詐欺に引っかかったんだよ! そ、そ、そんなの俺が見るわけないだろ!」
「君達ィ~……」
「「は、はうあっ!?」」
先生の方を見ると表情は変わらないが顔に影が出来て完全にこれから説教を始める大人のオーラを発していた。
そのオーラに俺達は震え上がる。
「部室は遊び場じゃないからね。 ……真・面・目・に・や・れ・よ・?」
「「は、は、は、はいいいい~……!!」」
先生にギロリと睨まれ飛び上がった俺達は背筋を正しビクビクしながら執筆活動を再開した。
***
カタカタと文章を打つ音と先生が小冊子のページをめくる音だけがしている静かな部屋。
外の野球部の掛け声や吹奏楽の楽器の音やセミの鳴き声が遠くの方にうっすら聞こえてくる。
いつもいる部室に言うのも変な話だが夏の音の中で行なう執筆活動は自分達がその夏の一部になっている気がして幻想的というか少し不思議な気分だった。
「……もうこんな時間か」
1時間ほど経った頃先生が時計を見て呟くと小冊子を閉じる。
「ん……? どうかしました?」
「あぁ、すまん集中切らせて。 この後ちょっと用事で出掛けるんだ」
と、言いながら先生はどっこいしょと立ち上がり小冊子を棚に戻す。
「え? もしかしてデート!? デートですか!?」
「あほ。 今日は5時まではこの教室使っててもいいけどその後鍵返しといてくれよ」
「あ、はい。 事務室じゃなくて職員室ですよね」
「うむ。 じゃあまた明日な」
向日葵が興味津々そうなキラキラ笑顔で尋ねるが先生はその問いを軽く受け流して俺の前に鍵を置くと扉を開けてさっさと出て行ってしまった。
俺と向日葵は取り残されたように先生が出て行った扉を見つめていた。
「まるで風みたいな人だな……」
「お、その表現ナイスです」
「だろ?」
「小鳥遊先生ってカッコイイけどちょっと謎な人ですよね。 というかミステリアスな人ですよね」
全く同じ意味の事2回言っただけなのは置いといて俺もそう思う。
文芸部の顧問と言う事もあって先生の授業を受けているだけの生徒よりは仲が良い自負があるが込み入ったプライベートの話とかは一切しないので。
「趣味とか普段、家で何してるんですかね?」
「うーん……よく部室の本読んでるし読書とかかな?」
「物書きをしている人間とは思えないほどのつまんない発想ですね」
「うるさいんだよ。 じゃあお前は先生がなにやってると思うんだよ」
「ふっふっふ……先生は "超能力者機関の幹部" なんですよ」
「……はい?」
「実は超能力を操る組織のグループに所属していて教師は仮の姿、本当は世界の平和を守る為に悪の超能力者と戦ってる……なーんてね! ……って、先輩なんで顔を赤くして俯いているんですか」
「い、いやこいつ高校生にもなって何言ってるんだろうと思って……」
「ボケ! ボケですよ先輩! あーっ! 中二病扱いしないでくださいっ!」
たしかに小鳥遊先生はプライベートが見えてこない人だな。
まぁ教師は生徒との距離間は現実的に考えたらあまり踏み込まずそれくらいが丁度良かったりするものなのかもしれないが。
と、そこで先生がさっきまで座っていたソファーから床に何か一枚の小さい紙の切れ端が落ちるのが見えた。
「お? なんですかねこれ?」
向日葵は席から立ちあがりをその紙を拾う。
俺も今さっき先生の事を噂した手前その紙も気になってしまい立ち上がり向日葵が見ている紙を覗き込む。
「先輩、見てください」
「ん……これは……」
向日葵は片手に持った紙を俺の目の前に出してくる。
その紙は罫線が規則的に並んであって端っこが少し破った様な跡がある。ノートの切れ端のようだ。
その切れ端には横の罫線を無視して縦にこう書かれていた。
"西海鳥2-16-19 海鳥幼稚園前"
西海鳥の2丁目……。ここら辺の最寄り駅からたしか2,3個隣にある駅近くの番地だ。
学校前のあの長い坂の下のバス停から駅まで行けるバスも出てたな。
……まじまじとその文字を見るとなんだか違和感を覚えた。
俺も選択授業で物理を取っていて先生の授業を受けているが黒板に書かれている文字はもっと綺麗だった記憶がある。
黒板に書くのと紙に書くのじゃ勝手が違うのかもしれないけどそれにしたってこの紙に書かれているのはあまりにも子供が書いたような文字だ。
「これきっと先生がこれから行く行き先ですよね!? メモしてたのに落として行っちゃったんだ!」
向日葵の言う通り行き先の住所をメモしていたのかな。
スマホで簡単に地図など調べられる今の時代紙にこういう風にメモするのもなんだか古風な感じがする。
「それに幼稚園って……先生には小さいお子さんがいたって事ですかね!? これからお迎えに行くんじゃ……」
「いるかどうかはともかくお迎えは違うと思うぞ」
「えっ? なんでですか?」
「メモには幼稚園"前"って書いてあるだろ。 これが行き先のメモなんだとしたら幼稚園の前にある建物か何かが目的地じゃないか?」
「お……おお~っ! 先輩すごいです! シャーロックホームズ!」
「フッ……まぁな」
当たり前の事を言っただけの気もするがおだてられて悪くない気分だ。そんな俺の様子を見て向日葵は更に拍手してくる。こういうノリに付き合ってくれる良い後輩だ。
「それじゃこのメモ先生に届けに行きましょう!」
向日葵はぐっと拳を握りしめながら使命感を覚えたような目をしながら叫ぶ。
「今からか? 先生もう学校から出て行っちゃったんじゃ……」
「もう先輩! このメモが無いと先生が道に迷っちゃうじゃないですか!」
「子供じゃないんだから……それに先生スマホも持ってるし大丈夫だろ」
「だめ! 先生が困る事は"小鳥遊先生ファンクラブ会員一号"の私が許しません! ね! 行こ!」
「なんじゃその初めて聞いたクラブは」
こいつが小鳥遊先生を好きなのは知っているがさっきから妙にテンション高くどこかへいきたがっている。
と、そんな様子を見て俺を察する。
「お前……執筆活動進まないから外遊びに行って気分転換したいだけだろ」
「な、な、なに言ってるんですか先輩はアホですね~っ! そ、そんな不真面目な理由なわけないじゃないですか~っ!」
明らかにぎくっとしたリアクションをした後目を泳がせてあたふたしている。分かりやすい奴だ。
「はぁ……まぁいいか、ちょっと行ってみるか」
まぁ俺もあまり筆が進まなくて気分転換したかったし少し先生を追いかけてみるのも悪くないかと思い向日葵の提案に乗る事にした。
「さーすが先輩っ!」
向日葵は指を鳴らして笑顔でウインクしてきた。
そんなわけで一旦部活動を切り上げて俺達は先生にこのメモを届けに行く事にした。
部長の自分で言うのもなんだがゆるい部活だな……。
***
長い坂を下ってバス停に乗り駅まで向かっている。
部室の鍵を一旦返しに行く途中窓の外を除くと先生が学校の正門から歩いて出て行くのが見えた。
それを見た俺達は先生にはどうせすぐ追いつくと思ってのんびり長い坂を下って歩いていると普通に先生を見失ってしまった。
あのメモが本当に先生のこれからの行き先なら俺達より先にとっくにバスに乗って駅まで行ってしまったんだろう。
俺達もあんまり暑さでへばらない程度に急いでバス停へ向かう。
次に来たバスも駅に止まる行き先だったので乗り込み追いかけた。
バスの中は手前の一人用の一席以外はすべて埋まっていたので向日葵に座らせて俺はその前に立った。
「ふふ~ん♪」
向日葵は大きくて白いカバンを体の前でクッションのように抱きしめて席に座っている。
足をパタパタさせてご機嫌そうだ。
「先輩。 座るの快適ですよ」
「そうか。 よかったな」
「先輩はどうして座らないんですか? どこか座ったらどうです?」
「お前なぁ……」
「ぷくく……w」
他に空いてる席は無いのは分かってるのに向日葵はいやらしい笑顔を向けてまたこんな絡み方をしてくる。
ったく、自然に先に行かせて席譲ってやったってのにこいつは……。
そんな風に周りにうるさくならない程度に適当な会話をしながら駅まで進んでいると途中のバス停に一旦止まる。
(……ん)
バスが止まり前方の開いた扉から少しおぼつかない歩き方の失礼ながらかなり年齢の行ったおばあさんが一人だけバスに乗って来た。足腰を悪くしてるのかな。
俺はちらりと優先席の方を見る。
そこにはシルバーカーを前に持った別のおばあさん達と杖をついたおじいさんが席を埋めている。
……この人達はこの人達で大変そうだし、どいてくれませんかなんて言えるはずもない。
そもそも今乗って来たおばあさんが足が悪いなんてただの俺の勘違いでそもそもただのお節介になる可能性もあるしどうしようか。
なんて考えていると俺の前をさっと何かが通る。
「おばあちゃん! 座ってください!」
「……!」
向日葵は席をサッと立ちおばあさんを席に誘導する。
「ん……? ふふ、ありがとうお嬢ちゃん。 でも私は立ってても大丈夫だから」
「私達もう次で降りますから! ね?座って座って!」
「……。 そ、そうですよ! どうぞ!」
最初声をかけられて一瞬ぽかんとしたおばあさんだったが、向日葵が少し強引気味に勧めると笑顔で座ってくれた。
おばあさんにお礼を言われた向日葵は隣で俺と一緒に立ちながら照れくさそうに笑っている。
……自分から言えば良かった。俺は向日葵に便乗して同じ事言っただけでかっこ悪いな……。
そして向日葵……こいつはカッコイイな。
向日葵が言った通り俺達は次のバス停で降りた。
おばあさんは俺達にバスの中から優しく手を振ってくれたので俺達も振り返す。
バスは扉が閉まり俺達の元から去っていく。
「……先輩それじゃ」
「駅まで歩くか」
俺達が降りたバス停は目的地の駅ではなく学校から駅まで丁度半分くらいの位置だ。
おばあさんに気を遣わせないように向日葵が「次で降りる」と言ってしまった手前俺達は次のバス停……つまりこの場所でバスから降りざるを得なかった。
「た、たはは……先輩……すみません私のせいで歩くハメになって……」
「ったく、謝る事なんか何もないだろ」
「え……?」
「お前は偉いよ。立派な事をした。 これくらいいくらでも付き合うさ」
「せ、先輩……」
向日葵とはいつもはおふざけ会話ばっかりでこういう話するのはガラじゃないが今回の事は素直に口に出した。
良い事をした後輩を褒めるのも先輩としての役割だと思ったから。
お前は普通の人には出来ない事をさらっと出来るすごい奴なんだぜって事を分かって欲しかった。
そんな台詞を吐く俺に向日葵はいつものようなふざけた顔はしないで少しだけ俺を羨望の眼差しで見ている気がする。
……気分がいいな。もう少し先輩風吹かしてみるか。
「お前にはいずれ俺の"部長"の称号を与えようと思っているんだ。 もっと堂々としてて良いんだぞ!」
「あ、それはめんどくさそうなんでいいです。 入って来た新部員にやらせるんで」
「なんでだああああ!!」
「んふふ……! やっぱ先輩って面白いです!!」
「どういう意味じゃ!」
……ま、俺達に真面目な空気なんか似合わんしこんな会話がお似合いか。
そんな風に話をしながらまだまだ距離がある駅まで歩きながら向かった。
***
「ほら先輩! 置いてっちゃいますよ~!」
駅が見えて来ると向日葵が俺を置いて駅の階段をあがっていく。
この暑いってのに元気に改札の方へ駆けて行く。
「おい! 走ると危ないから待てよ! それに俺お金チャージしなきゃいけないから……ったく……」
俺はとりあえず向日葵はほっといてき電子マネーが使えるICカードの中身のお金が底をつきかけているのをさっきバスに乗る時に発見したので補充しなければならない。
スマホでも改札にピッと簡単にお金の支払いができるように出来るらしいが俺はいまいちよく分からなくて使っていない。
幸い空いていてすぐに使えた券売機前に行って財布を取り出す。
千円札数枚に小銭が少し入っていて家近くの図書館の会員証があるだけ。全然ワクワクしない中身だ。
バイトでもすれば少しは中身が潤うんだろうけど。別に欲しい物も無いしなぁなんて考えてダラダラ親のお小遣いだけで過ごしてる怠惰な学生なのであった。
なんて事を考えながら千円札をICカードにチャージしながらそんな事を考えていると……。
「う、うぅ~……」
「わっ!? ど、どうした?」
俺の後ろに今にも泣きだしそうな顔をしている向日葵が立っていた。
「体調悪いのか? やっぱり今日はもうやめとこうぜ」
俺は向日葵に駆け寄って様子を見る。顔が青くなってる気がする。
自販機で水でも買って来た方がいいかな。この暑さだし体調が悪くなるのもしょうがない。
「ICカードの中身のお金なくなっちゃいました……」
俺はずっこけそうになった。
「そんな事かよ! チャージすればいいだろ!」
「うぅ~……」
向日葵は小さくてかわいい猫の絵が入ったピンクの財布を手に持って小銭が少し入っているだけのすっからかんの中身を見せてくる。
「なんだ……お札ないのか……」
「ど、どうしよう~……せっかくここまで来たのに~……」
ボケたのかと思ったら財布を見つめて目をうるうるさせて今にも泣きそうな顔になっている。
ったく、しょうがないな。
「ほれ」
「えっ……?」
俺は1000円札を渡す。
すると財布の中身は更に軽くなる。今月の残りはどう乗り切るべきかなど不安は募るが向日葵がこんな顔していたらしょうがないか。
「い、良いんですか先輩……あ、ありがとうございましゅ……」
「ま、ここまで来たんだからとことん行って先生に追いつこうぜ。 ……ほれティッシュも……」
「ありがと先輩……ずびずび……」
ティッシュで涙や鼻水を向日葵は拭く、あんまりそういう所は見ない方いいと思い先生がどこに行ったか確認するフリをして見ない様にした。
***
2人で電車に乗り込み4つほど駅を通って目的地までついて向日葵と駅から外へ出る。
学校の周りも割と都会っぽさとは程遠い風景なのだがこの駅周辺は更に開けているな。
駅周辺にはいくつか建物が並んでいるが、少し先の方を見ると長い道路が見えて落ち着いた風景が広がっている。
電信柱に書いてある番地を確認するとメモに書いてある場所はもうすぐ近くのようだ。
「先生ここら辺にいますかね~?」
さっきまで元気のなかった向日葵は額に手をかざして辺りをキョロキョロして小鳥遊先生を探す。
元気が出たようで良かった。
「この駅からでもメモの場所まで近いし、小鳥遊先生もう目的地まで着いちゃってるかもな」
「でもでも~! 買い物とかしてるかも……って、先輩っ!!」
向日葵は驚いたように急に俺のカバンを引っ張る。
「な、なんだよ? いきなり引っ張るなって」
「ほ、ほら! あそこ見て!」
向日葵が指さした方向を見ると車道を挟んだ斜め向こう側の道をツカツカと歩いている小鳥遊先生の後ろ姿見えた。
ここからだと結構距離があって声は届かなさそうだ。めちゃくちゃ大きい声を出したら届いて立ち止まってくれるかもしれないが。
そんな大事の用事でもないのに大声出して呼び止めるのも恥ずかしいな。
なんて考えてると―――
「せ――んせえええええええええええっ!!!!」
―――隣の向日葵が先生を呼び止めようと両手で口の周りを覆ってとてつもなく大きい声を出した。
「おおおおいっ!?! バカっ!?! 何してんだよ!?!」
「もごもごもごっ!?」
俺は飛び上がりそうになりながらすかさず向日葵の口を手でふさぐ。
当然、そんな奇行をしている俺達に周りの通行人の視線が刺さりまくる。
「ど、どーもー……あはは……」
俺は知らん人達に適当に謎の愛想笑いをする。
向日葵を引っ張って少し建物の陰に移動する。
「ちょ、ちょっと! 何するんですか先輩バカなんですか!」
「バカはお前じゃ! 町中であんな大声出すな!」
向日葵と睨み合った数秒後、どちらも先生を見てない事に気付きはっとする。
見失ってはいけないと思い建物の陰から表通りを覗き込み先生の動向を伺う。
先生はこっちがバタバタやってた事に気付いていなかったようでそのまま歩いて喫茶店に入って行く姿が見えた。
「なんかおしゃれなお店に入っていったな」
表に手書きのメニューボードや植物が並んでいて店全体がブラウンカラーで彩られているモダンな雰囲気がある個人経営の喫茶店だ。
ああいうお店でランチしたりするのに憧れるけどなんか入りにくいオーラがあるんだよな。
「小鳥遊先生、小腹でも空いたんですかね……あ……」
向日葵のお腹がグ~っとなり、ついそっちを見てしまう。
見ると向日葵が顔を赤くしている。
「そういやもうお昼だしな……俺達もなんか軽く食べないか?」
俺は腹の音は聞こえなかったフリをして、携帯電話の時計を見てお昼に誘う。
「……せ、先輩が言うなら付き合ってあげますよ。 しょうがないですね~」
「へへ、ありがとよ」
向日葵は少し強がっているが嬉しそうだ。よかった。
「どうせなら先生が入ったお店行きましょ!」
どうせメモを届けるんだしあのお店に入ればいいか。
ああいうお店なら昼食も食べられるだろうし……。
……。
「そ、そうだな……うん、そうするか……」
「どうしたんですか先輩?」
「いや、ああいうおしゃれな喫茶店って入りにくいなと思って……」
「ぷっ……! あっはっはっは!!」
「笑うなよ……」
「しょうがないですね! ああいうお店によく入っている私が入店した時の対応をしてあげますよ先輩! ……これでお腹が鳴ったのは聞かなかった事にしてくださいね」
「……聞こえないフリしてたんだから蒸し返すなよ」
「ああーっ! やっぱ聞いてたんだ! 先輩のバカーッ!!」
「ええええっ……どうしろって言うんだよ……」
向日葵は顔を真っ赤にしながらぺちぺちと俺の肩を引っぱたいてくる。
まぁとにかく元気になってよかった。
***
「あ、あびょびょびょ……」
向日葵は店員のお姉さんの前で緊張で顔が真っ青になって泡をふいている。
俺はそんな向日葵と店員のお姉さんの間に入ってこう喋る。
「え、えーと……そ、その……! に、2名様です! あはは……」
しまった。自分で"様"とかつけて言ってしまった。
恥ずかしくなって顔が赤くなるのが自分で分かる。
店員のお姉さんは一瞬ぽかんとした顔をしたがふふっと笑って丁寧に席まで案内してくれた。
やさしい人で良かった。
俺達は先生を追って同じ喫茶店に入った。
向日葵が慣れているから自分が店員の対応をするとか言っていたのに入店して店員のお姉さんに何名かを聞かれると飛び上がって挙動不審な態度になりこの始末。
そしてフォローに入った俺もこのザマ。
……店の裏でやばい学生2人が入って来たとか言われてないだろうな。
「はぁ~……ダメだな俺達……」
「先輩! 次がありますって! ファイト!」
「お前な……」
俺達は4人で座るぐらいのテーブル席に案内され体面に座って茶色くて少し硬いソファーにカバンを降ろす。
席につくとすぐに店員さんがテーブルに持ってきてくれたコップに入った氷水を飲んで喉を潤す。
暑い日に冷房が効いたお店でこういう物を飲むのはたまらなく生き返るな。
向日葵は席についた途端さっきまでの泡食ってたのが嘘のように元気になってテーブルの横にあるメニューを開く。
「向日葵お前こういう所慣れてるんじゃないのかよ」
「お母さんが喫茶店巡り好きで家族でよく行くんですよ。 でもよく考えたらいつも店員さんの対応してるのお母さんでした。 たはは」
「たははってアンタねぇ……」
ついオネエみたいな口調になってしまった。
まぁ、そんな事は置いといてそういえば先生はどこに座っているんだろう。
周りを見回す。
ステンドグラスの窓や三角のおしゃれな照明が吊り下がったり観葉植物が置いてあったり。
店を外から見た感じと同じモダンで落ち着いた大人な雰囲気で少し緊張する。
そんな店内のどこに先生が座っているのか不自然にならないように少しずつ見渡していく。
「……いた」
座りながら上体を高くしてテーブルごとにある仕切りの上から覗きこむと窓際のテーブル席に座っている先生の後ろ姿を発見する。
先生の前には既に注文したのであろうコーヒーとサンドイッチがありブックカバーがついた文庫本サイズの本を読んでいた。
……あの姿なんだかすごい絵になるな。
誰かをこの喫茶店で待っていたりするのかなと思ったりもしたが先生の様子はあまりにものんびりとしていてただ単に軽い昼食をしながら休憩のため店に入っただけだと思われる。
「向日葵。 先生いたからメモ」
「えっ!? 本当ですか? ……あ、いた」
向日葵もこっそり仕切りの上からこっそり覗き先生を視認する。
先生が落としたメモは向日葵がカバンの中のファイルに入れている。
俺は先生の所まで行き落としたさっきのメモを返そうと向日葵に手を差し出してメモを出すよう催促する。
「……ちょっと待ってください先輩」
「ん? なんだよ?」
向日葵は席にどかっと座った後口に手を当ててこそこそと小さい声で喋り出す。
「……メモ渡すのはもうちょっと後にしましょう」
「……なんで?」
「先生の用事デートかもしれないじゃないですか! もしそうだったら相手がどんな人か見たくないですか!? きゃーっ!」
「お前なぁ……」
目を輝かせる向日葵を俺は呆れた顔で見る。
「せ、せめてお店出るまでは待ちましょうよ! ちょっと! ちょっと様子見るだけ! 先輩もまずお昼食べたいでしょ!?」
「ったく……ちょっとだけだぞ。 その代わりあんま先生の方チラチラ見ないようにしろよ。 ……ストーカーみたいになるから」
「やった! 先輩最高です!」
向日葵は小さくガッツポーズをする。ったく、しょうがない奴だ。
なんて思いつつ本当に先生の用事がデートだったらと考えてしまう。
たしかに小鳥遊先生はスラッとした美人で恋人なんていくらいてもおかしくないが性格的にどんな人と付き合ったりしているのか全く想像できなくって少し気になる。
「お決まりですか?」
なんて考えているとさっきの店員さんが笑顔で俺達の注文を聞きに来る。
先生の事を考えていて全く注文の事を考えていなかった。
「おい俺にもメニュー見せてくれ」
「あっじゃあ先輩の分も頼んじゃっていいですか?」
「ん? まぁいいけど」
「ハンバーグ定食とクリームソーダ2つずつお願いします」
向日葵はさっきまで緊張していたのとは打って変わって店員さんにスムーズに注文する。注文はなれているんだな。
俺の昼食はハンバーグ定食に決まってしまったがまぁ昼食に特にこだわりはないのでお腹に収まればなんでもいい。
「こういう所のハンバーグは美味しいんですよね~楽しみですね~!」
「ふーんそういう物なのか?」
「そうなんですよ! あ、先輩。 ハンバーグって言うのは子供にも人気の料理でしてね―――」
「それくらいは知ってるわ!」
「ぷくく……w」
俺達は注文の料理が届くまでの時間。
適当にいつもみたいなバカ話や雑談をして待っていた。
「ねぇ先輩?」
「なんだよ?」
雑談が一旦区切りがついた所でテーブルに頬杖をついて向日葵はこっちを見つめて声をかけてくる。
「この状況なんだかデートみたいですね」
「ぶっ!?」
ニヤついた笑みでそんな事を言って来る向日葵の台詞に俺は飲んでいた水を吹き出しそうになる。
「な、何言ってんだおま……おまおまおま……おまえ……!」
動揺しすぎて滑舌が回らなくなって自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
まったく一体何を言っているんだ。
喫茶店に男女で座って雑談しているだけだろ。
これのどこがデートなんだ。
……よく考えたらデートみたいだな。
……いや本当にデートみたいだ。
部活の時も一応男女2人だけの事が多いし変な意識すると部活動に支障が出そうだから意識しないようにしていたのに意識するとどんどん恥ずかしくなってくる。
くそっ。こんな姿を見て向日葵はいつもみたいにクスクス笑っているんだろうな。
耐性の無い彼女いない歴=年齢の男子にこういう冗談はタチが悪すぎるぞ。
と、思って向日葵の方をチラリと見ると。
「あ……あ、い、いや……そ、そんなリアクションさ、されたら……ち、ちがちがちが……べ、べ、べ、べ、別に変な意味じゃにゃにゃにゃいですよ……ほ、ほ、本当……」
向日葵も顔を真っ赤にして目を泳がせながら両手をパタパタさせてすごく動揺している。
自分で言った癖に……。
「……」
「……」
一通り動揺し終わると沈黙の時間が始まる。
顔を赤くしたままお互い目を合わさずなんだか気まずい空気が流れている。
この空気どうしようなんて考えていると注文したハンバーグ定食とクリームソーダを店員さんがテーブルまで持って来てくれた。
「わ、わあーっ! せ、先輩! お、美味しそうですよ! さ、早速いただきましょう!」
「お、おお! そ、そうだな!」
俺達の重い空気をハンバーグ定食が救ってくれた。ありがとうハンバーグ定食。
そして2人同時に手を合わせていただきますをしようとした瞬間。
カランカラン―――
「「あっ」」
店の入り口から小鳥遊先生が出ていってしまったのが見えた。
「あ、あれ!? 先生もう昼食終わってたんですか!?」
「ま、マジか!? あんな早く食べ終わるなんて……いやよく考えたらサンドイッチとコーヒーしか頼んでなかったのにそんな長居するわけないな」
「ちょ……先輩! もっと早く言ってくださいよ!」
「う、うるさいな! お前も気付いてなかっただろ!」
「「……」」
俺達の前には大きめのハンバーグが置いてある。
「ちょ……ちょっと急いで食べます?」
「そ……そうだな」
俺達はバタバタしながら熱いハンバーグを急いでいただいた。
***
急いで昼食と会計を済ませたあと先生を見失うまいと勢いよく喫茶店から出る。
カバンを背負いながらバタバタと先生を追っていく。
食べた直後に走りたくない気持ちが強く出てどんどんのろのろした動きになっていく俺と向日葵。
2人共へばってビルの陰で休んでいると先の道を歩いている先生はあるお店の中に入って行った。
「ん……?」
先生が入って行った店の表を確認するとそこは "花屋さん" だった。
色とりどりな花が植えてある鉢植えやポット苗が店の表に綺麗に並べられている。
聞いた事がないが先生は花が好きだったりするのかな。
小鳥遊先生みたいなああいうクールな女性が花なんか持ってるのは似合いそうだ。
「先輩! こっちこっち!」
俺を呼びかける声の方向へ振り向くとクールとは正反対の表情をした奴が電信柱の陰から頭と手だけ出してこっちに手招きしているのが見える。
「もう別に隠れなくてもいいだろ」
なんていいながら俺も一緒に電信柱の陰に隠れる。
「先輩のにぶちん! お花屋さんなんてもうそういう事でしょ!?」
「ん? どういう事だよ?」
「先生きっと恋人にプレゼントする花を買ってるんですよ! こ、これから会う恋人に……! わっ……!」
向日葵は自分で言って頬に両手を当ててなんかうっとりした表情をしている。
「そういう事なのか……?」
さっきから追っている先生の表情はこれから恋人と会うような浮ついた雰囲気ではないように感じていた。いや……俺はそんな経験無いから浮つくものと言うのも想像でしかないのだが。
先生みたいな大人の人ならそういった雰囲気は隠せるのかもしれないけど、俺はなんだか追っていた先生の表情に神妙な雰囲気を感じていた。
俺は名探偵でもないのでそんなの気のせいだと言えばそうかもしれないが。
「先輩! 先生出てきましたよ……!」
「……!」
店から出て来た先生は大きい花束を持っていた。
そして一度腕時計を確認したあとさっきまで歩いていた方向へまた歩いていく。
「先輩! やっぱりデートですよ! せ、先生オットナ~でカッコイ~……!」
電信柱の陰で俺と一緒にそれを見ていた向日葵は興奮しながら俺の肩をぺしぺし叩いて来る。
が、俺はあの花束を見て目的地と目的に大体の目星がついた。
「……向日葵。 ……あれはデートじゃないぞ」
「……え?」
先生が持っていた花束を包んでいたのは恋人に送る様なかわいいラッピングではなく英字の新聞だった。
つまり綺麗な装飾などはいらない。あれはただの包み紙ですぐ処分するんだ。
***
「あ……」
「……」
俺と向日葵が先生の後を追ってたどり着いたのはメモに書いてあった海鳥幼稚園。
幼稚園の扉の横に書いてある住所も西海鳥2-16-19でメモの通りだ。
そしてメモに書いてあったのは
『西海鳥2-16-19 海鳥幼稚園前』。
つまりこの幼稚園の"前"。
メモに書いてあるのが先生の目的地ならばこの幼稚園の前にある場所が先生の行き先だ。
"海鳥寺"
大きな門があってその横に縦長の看板に達筆な文字で "海鳥寺" と書いてある。
門の奥には大きなお堂やら建物やお墓のゾーンがある。
「誰がどうみてもお寺ですね……」
「誰がどうみてもお寺だな……」
俺達は立ち尽くして寺の方を見上げていた。
花を買ってお寺に……お墓に行くって事はもうそういう事なのだろう。
夏休みの時期って事で気付くべきだったのかもな。
「コソコソするのもうやめて先生に話して謝るか……」
「そうですね……ストーキングしちゃいましたし……」
俺と向日葵は少し遊び半分だった気持ちへの戒めの思いもあって反省しながらお寺の門をくぐっていった。
お寺の中に入ってお墓がたくさん置いてある場所へ行き先生を探す。
「広くて迷路みたいですね~」
「おい。 そこ道じゃないから入るなって」
中に入るとこれが結構入り組んでいて先生がどこにいるんだか見つからない。
そんな迷路に四苦八苦しているとぼそぼそと誰かが喋る声が聞こえてくる。
「「……あ」」
石畳で出来た十字路を曲がった一番奥のお墓の前で凛とした立ち姿をしている一人の女性が見えた。
小鳥遊先生だ。
足元にはお墓を掃除するための水を汲む手桶のセット。
お寺の端っこで方少し木陰になっているお墓に向かい両手を合わせて先生は目を閉じたまま何かを言っていた。
「それじゃまた来るからな……笑美……」
(えみ……?)
女性の名前だろうか。
先生はお墓に向かって女性の名前を呼んでいた。
どんな関係なのかは分からないけれど先生は手を合わせながらお墓の中にいるその人と喋っていたのかもしれない。
その先生の姿はなんだか少し幻想的に思えた。
「 "エミー" ……外国の人ですかね?」
「いや…… "えみ" じゃないか……?」
向日葵の素っ頓狂な言葉にすぐ現実に戻された。
「お前ら」
「「は、はひっ!?!」」
先生は突然こちらにサッと振り向き俺達に声をかけてきた。
「す、す、すみません先生! メモ渡そうと思って勝手についてきちゃって……」
「あ、いや先生! わ、私が先輩を巻き込んじゃっただけなんです! ご、ごめんなさい……」
「メモ……まぁいい。 ちょっと来い」
「「え……」」
どうやら先生は俺達がつけている事に気付いていたようだ。
……まぁあれだけ騒いでれば当然か。
手招きしてくる先生に導かれて俺達は先生が手を合わせていたお墓の前まで歩いていく。
近くで見ると墓石はピカピカに磨かれていてお線香が供えてあって花瓶にはさっき先生が花屋で買っていた花が綺麗に活けてあった。
「【小鳥遊 笑美】……私の "妹の墓" だ」
「「……!」」
言葉の意味が繋がった。
さっき先生が語りかけていたのはこのお墓に眠る妹……笑美さんに語りかけていたんだ。
先生は表情を変えずお墓の方を向いて喋り続ける。
「……私が学生の頃の話だ。 笑美が亡くなったのは……」
先生の神妙な面持ちで語る話を俺達は真剣に聞いた。
「当時、中学生だった笑美は学校があんまり楽しくなかったみたいでな。 夜一人で出歩いたりしててんだ」
「そこでトラックがコンビニに突っ込む事故があってそれに巻き込まれた」
「人見知りだったけど優しい子だったよ。 私が教師になる夢を応援してくれて…。 高校の頃までは一緒に遊び歩いたり朝までゲームやってたりして……」
「だけど大学入ってから講義が忙しくなってな……笑美が大変だった時期にあんまり相手してやれなくなって……」
先生の表情は少し陰が出来たように見えた。
「もし……あの夜も一緒に遊んでやれてたら……笑美はまだ……」
顔も声色も一切変わらなかったが少しだけ言葉が途切れ途切れになる。
その姿はとても悲しそうに見えて俺と向日葵はたまらずそんな先生の近くに駆け寄る。
「せ、先生のせいじゃないですよ!」
「そうですよ! そんな事は……」
俺達は先生に駆け寄るけど言葉がそれ以上出てこない。
こういう時どう声をかけていいのか俺には分からなくて悔しかった。
「いやすまん……こんな話をするつもりじゃなかった。 生徒に聞かせる話じゃなかったな」
「そ、そんな事ないですよ!」
向日葵は先生の腕に抱き着いて励ます俺はそれを横で見ている事しかできない。
「ありがとよ……良かったらお前らも手合わせてやってくれないか」
「「は、はい!」」
俺達は2つ返事をして先生の妹、笑美さんのお墓に手を合わせる。
目を閉じて笑美さんに言葉を投げかけようとするが何も浮かんでこない。
浮かんでくるのはさっきみた先生の寂しそうな姿だ。
それを想像してしまって俺は―――
「あ、あの……っ!」
―――考えも無しに口を開いた。
「ん……?」
「先輩……?」
先生にでも向日葵にでもなく笑美さんに向かって。
「笑美さん! は、初めまして! 俺文芸部で……その……先生に部活の顧問やってもらってる生徒で……日向 芽実と言いますっ!」
俺はお墓に向かってお辞儀した後喋り続ける。
……なんだか手を合わせるだけじゃいけない気がして俺は思っている事を口に出した。
先生がさっきお墓に向かって喋っていたように心で思っているよりこっちの方が気持ちが伝わると思ったから。
「……。 あ、わ、私! この人の後輩の高篠 向日葵ですっ! 初めまして!」
向日葵も横でお辞儀して挨拶する。
「先生にはいつも俺達お世話になっていて……本当毎日助けられています」
「うんうん! すごく頼りになって美人で……カッコイイ先生ちゃんとやってますよ!」
「もし先生がピンチになったら俺と向日葵が守ります! ま、まぁいつも守られてばっかりですけど……だ、だから……笑美さんも安心して見守っててください!」
「うん……っ! 見守っててくださいっ!」
俺と向日葵は深々とお辞儀をする。
言葉がこれで合っているんだか分からない。
本当に勢いで口走った事を紡いでいってるだけだった。
もっと考えて発言するべきだったかもしれないけど先生の悲しそうな姿を見てしまったら口に出して言いたくてしょうがなかった。
向日葵も一緒の事を考えてくれていたと思う。
「……」
そんな俺達の様子に先生は一瞬豆鉄砲を喰らったような顔したがすぐに―――
「ぷっ……きゃっはっはっは! そうだな!」
―――笑ってくれた。
先生は口に手をあてて大笑いしている。
海鳥高校へ入学してから1年以上付き合いはあるがこんな風に笑っている顔は初めて見たかもしれない。
先生は俺と向日葵の肩に手をつかんで体の方へ引き寄せた。
「笑美、これが私の生徒だ。 いい奴らだろ?」
笑顔で先生は笑美さんに声をかける。
その声はなんだか嬉しそうに聞こえて俺と向日葵は先生に肩を抱かれながら目を合わせてはにかんだ。
「お前ら今日暑かっただろ。 アイスおごってやる」
「えっ? いいんですか?」
「食べる食べるーっ!」
「1本だけだぞ。 じゃあ行くか」
「「おーっ!」」
その後、俺達は先生に肩を抱かれたまま3人でアイスを食べに行った。
なんでもないような夏休みの一日だったけど先生と向日葵と少しだけ仲良くなれた感じがした。
***
少しだけ町がオレンジ色に染まって来た夕焼けの時間帯。
この時間にもなると暑さも少しだけマシになってきた。
あの後、先生におごってもらったアイスを3人でコンビニの前で食べた。
先生が落としたメモは妹の笑美さんが生前書いていたメモだった。
あのお寺には曾祖父など小鳥遊家のお墓も一緒にあって小さい頃から姉妹一緒に来ていて迷わないように場所をメモしてたものらしい。
先生はそれを思い出の品をして今も持ち歩いているんだ。
メモを返すと俺達は頭を撫でられて感謝されてしまった。
何枚も同じような絵美さんとの思い出のメモはあるらしいがそれでも先生はとても感謝してくれていた。
先生はその駅で降りる予定だったのでそこで俺達と別れた。最後にまた頭を撫でられた。
そして俺と向日葵は朝に乗り込んだ駅まで戻って来た。
「いや~今日も文芸部らしい活動しましたね~!」
「どこがだよ。 今日俺達がやった事なんて探偵部とかがする事だろ」
まぁそんな部活あるか知らないけど。
向日葵は駅から出て大きく伸びをしてそんな冗談を言った後こっちに振り向いてえへへと笑った。
「今から学校帰っても書いてる時間無いよな。 今日はここで解散にするか」
「そうですね~……ねぇ先輩?」
向日葵は手を後ろに組んでなんだか子供みたいなポーズを取ってこっちを見る。
「……? どうした向日葵?」
「今日楽しかったですか?」
向日葵は少しだけ近付いて無邪気な笑顔を俺の方に見せてくる。
今日一番の笑顔だ。……少し変な気分になる。
「……あぁ、楽しかったよ。 全然文芸部の活動じゃなかったけどな」
「まぁいいじゃないですかそれは~! 先輩っ!私も楽しかったです!」
そうだ。今日は楽しい一日だった。 それは間違いない。
俺達はそんな感覚を共有して笑い合った。
「……先輩」
「なんだ?」
「……先輩と一緒だから今日は楽しかったです!」
「……え?」
向日葵は突然今まで見た事ないほど綺麗な……夕焼けの色に染まった笑顔で俺に向かって微笑む。
それを見て一瞬呆気に取られた直後、胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
「な、なーんてねっ! それじゃ先輩! 明日の部活も遅刻しちゃダメですよ! それじゃ!」
向日葵は照れながら手をあげてそのまま振り返って帰ろうとする。
それに俺は―――
「お、俺も……っ!」
「……え?」
―――引き留めるように声がひっくり返りながらも思っている事を言った。
「きょ、今日一日ずっと楽しかったよっ! 他の人じゃた、たぶん楽しくなかった……! 向日葵と一緒だったからた、楽しかった……っ!」
「……」
自分の顔が真っ赤になっていくのが分かる。
拳を握りながらなんとか平常心を保とうと思ったが声が震えて噛みまくった。
だけど向日葵だけに言わせておくのは卑怯だと思って俺も口を開いて思いを形にした。
「……」
「……」
俺達はその場で立ち尽くした。
恥ずかしくて向日葵の顔が見れなかった。
別に愛の告白をしたわけでもないのに、すごく照れくさくなって。
もしかして気持ち悪がられてないかと不安になり、チラリと向日葵の方を向く。
すると……。
「も、も、もおおおっ!!」
「え……えっ!? な、なに? なに!? い、いたっ!?」
向日葵は俺の胸に近付いて来て抱き着いて来た……のかと思ったら。
両手でグーを作って俺の胸を軽くポカポカ何度も殴って来る。
よく分からないリアクションだったが俺は向日葵がとても近くに来ている事に顔が熱くなってきて何がなんだか分からくなる。
「~~~~~~……っ!!!」
「あ、いや、その……? へ……?」
しばらくすると拳を俺の胸に当てたまま向日葵は息を切らしながら俯いている。
その表情は少し見えにくかったが顔を真っ赤にしながら嬉しそうにニヤニヤしていた。
俺はそれを見てまた固まってしまう。
最後に一発俺の胸にパンチを当てて向日葵は振り返ってそのまま行ってしまう。
「せんぱーいっ! また明日部室でねーっ! 絶対ですよーっ!」
「……ああ! また明日なーっ!」
笑顔で大きく手を振りながら帰って行く向日葵に俺も大きく手を振り返した。
向日葵が見えなくなるまで俺は見送っていた。
夏休みの一日。
部活へ行って執筆活動をしてそのまま帰る。
そんななんて事ない夏休みの一日になると思っていたけど今日は随分冒険をしてしまったな。
先生を追いかけて笑美さんの事も知ったり先生とも仲良くなったり……
向日葵と一緒に色んな所をバタバタしながら行ったり……
色々な気持ちが混ざった日だったけど楽しかった一日だった。
俺はそんな胸の高鳴りが止まらないまま帰路についた。
明日からの文芸部も楽しみだ。