平和は誰のために
湖より奥の森の中でバルガは悩んでいた。
香箱座りの前足を何度も何度も出し入れしてはいつまでも決断が出来ずにいた。
娘の居所は怨塊目玉の報告により掴んだ。
確かに生きていた。与えた傷すらまるで無かったかの如くピンピンしていた。
重度の火傷と凍傷。人間の治癒力で元通りに治る怪我ではない。
我が主ヘドロスライム様は娘を生け捕りにして来いと命じられた。
今度失敗すれば無事ですむはずがなく、恐らく命はない。
主様のお考えは恐らく自らがスライムとして初の魔王となる事。
だがいかに我が主様でも他の幹部と正面から戦って勝ち目は一分もない。主様自身そう話されていた。
幹部たちの戦闘を一度だけ見たことがあるが、あの方々はそれぞれが魔王を名乗るに足る力を持っている。
主様にはいかなる魔法も効かない。
外見だけは可愛らしいスライムなので一時的に人間側につくことも考えられる。
自分だけが何も知らず利用されている。
この場合は、もはや逃げるしかない。
そして逃げるタイミングは今しかない。
事情を話して泣きついたところで保護して頂けるような、幹部はそんな甘い方々ではない。
生き残る手段は他にないではないか。
バルガは香箱座りからすくっと立ち上がり、裏返った声で呟いた。
「逃げよう」
◆
一行はミラを出て東へ向かっていた。
故郷のアルメリアが襲われた夜、大勢の魔物たちが東へ飛んで行くのを見たと、ミラで聞いたからである。
「このまままっすぐ行っても海しかないぞ。回り道してブランドール城へ行こう」
地図を見ていたカイが提案する。
一行はブランドールに向かうことにした。
途中に湖があり、一行は一休みする。
セーラは水遊びを始めた。
他の三人はそれを見て話をしている。
「セーラは本当に明るくなったわね」
「明るくっていうかあれじゃ天然だぞ」
「俺は別に問題ないと思うが」
「ところでセーラって天使様だと思う?」
「わからん。天界のものと言われる武具が装備できるか、人間には使えないような専用の呪文を使えるか、どちらも不明だ」
「でも攻撃魔法、回復魔法、それに斧が使えるぞ」
「それだけなら魔法戦士も同じだろう」
「相変わらずアレフは夢がないんだから。もしセーラが天使様なら、あたしたちも選ばれし者になるんじゃない?」
「それはともかく、セーラが天使かどうかは、我々が決めることではない。様子を見るしかないだろう」
「まあそうだな」
三人はセーラを呼び、再びブランドールへ向かった。
ブランドール城につくと、兵隊が訓練をしている姿が見えた。
聞くと最近魔物の被害が多いため、付近の魔物を退治し平和を守っているということである。
この世界では魔物に襲われることはそれほど珍しいことではない。
実際兵士の中にも、家族が魔物に襲われた者が何人もいた。
途中、セーラたちを見かけて老人が話しかけてきた。
「お主たちは旅の一行じゃな。この国には、魔王甦りしとき碧き珠を持つ天使が地に降り立つ、という言い伝えがあるのじゃ。最近各地で街が魔物に襲われたと聞く。魔王が甦ろうとしておるのかもしれんのう」
「ところでお主たちは天界の装備を手に入れなさったか? 四つの武具を手に入れると神様に会うことができるそうじゃ。神様なら魔王のこともなんとかしてくれるかもしれんぞ」
城に入りブランドール王の下に行くと、王が二人いる。
セーラが目をこすっていると、一人は逃げ出した。
王が話しだす。
「今のはわしに化けたメタモル・モルモルじゃ。いつごろからかあやつらがこの城に入り込んで、今のようないたずらをするようになったのじゃ。これまでのところは人に危害は加えておらぬが、いつどうなるかわからんからのう」
王はさらに続ける。
「真実の姿を映し出すと言われる梵天の鏡があれば、マネモルどもを元の姿に戻せるんじゃが。そこでそなたらを碧き珠を持つ勇者一行と見込んで頼みがある。近くの王家の塔にある梵天の鏡を取ってきて欲しいのじゃ。あの塔は今や魔物の巣となっていて、この城の兵隊たちでは歯がたたんでのう。塔にはカギがかかっておるが、これで開くじゃろう」
と言うと王はピッキングキーを渡した。
セーラはピッキングのスキルを手に入れた。
一行は梵天の鏡を取りに王家の塔を上って行った。
確かに現れる魔物たちは手強い。
五階建ての塔の最上階が果てしなく遠く感じられた。
そんな中、セーラは新しい呪文を覚えた気がした。
頭の中に浮かんだ呪文を唱えてみるが、何も起こらなかった。
どうやら気のせいらしい。
セーラは特に気にしなかった。
さてあっさりと梵天の鏡を手に入れ、一行は王の下へ戻る。
鏡を渡すと王はセーラたちを褒めたたえた。
そして鏡を兵士長に渡しマネモルを退治するよう命じた。
梵天の鏡で元の姿に戻されたマネモルたちは次々と兵士たちに倒されていく。
たとえ魔物といえども、何の危害も加えていないものたちが倒されて行くありさまを、セーラは見ていられなかった。
やがてマネモルたちは全滅し、ブランドールの人々は喜んだ。
人々が魔物を恐れる気持ちはわかる。
だがセーラには納得しがたい結末であった。
セーラたちはブランドールで、マルドックという街に船があるという話を聞き、そこへ向かっていた。
その途中、森の中で獣用の罠にかかっているスライムの子供を見つけた。
幼きスライムは悲しそうにこちらを見ている。
マリアが罠を外し助けてやると、スライムはうれしそうに駆けていった。
「ちょっと、何するんだよマリア!」
「魔物を助けるとはどういうことだ」
「だってかわいそうじゃない」
「あいつが人を襲ったらどうするんだよ」
「私は悪い魔物だけじゃないと思うの」
「セーラまでそんなことを言うのか。俺は知らんぞ」
四人の雰囲気が悪くなってしまった。
そして一行はマルドックに着いた。
街の中で話を聞くと、船は商人のソクラスが持っているという。
ソクラスは人がいい男のようで、街のみんなが褒めていた。
「ソクラスさんはいい人でねえ。よく街の仕事を手伝ってくれるんだよ」
「本当にあんな親切な人はいないね」
「あたしゃ前からやさしい人だと思っていたよ」
一行がソクラスの家へ行くと、ソクラスはにこやかに出迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい。皆さんの噂はこの街まで届いています。おお、あなた達は魔物と戦ってくれるまさに勇者ですね。世界の平和をお願いしますよ」
そこに幼い少女がやってきた。
彼女はソクラスの娘でタニアという名前である。
マリアがあいさつをするとタニアもあいさつをし、ありがとうと言う。
だが四人にはありがとうの意味がわからなかった。
さて一行の話は本題に入る。
船のことを聞くとソクラスは困った顔をして、しばらく考えさせて欲しいと話した。
この街の人も使うので急には貸せないようである。
取り敢えず四人はこの街に泊まることにした。
朝セーラが起きるとなにやら外が騒がしい。
三人に聞くとブランドール城の兵隊がやって来ているという。
一行が外に出てみると街は兵隊に取り囲まれていた。
兵士の一人に話しかけると、魔物がこの街に入って行くのを見たものがいるので、調べているところだと言う。
セーラたちはソクラスの家へ行ってみることにした。
家に着くとソクラスが駆けよって来た。
「皆さんお願いです! 船を差し上げますので、今すぐ娘を連れて出かけてください! どうかお願いします!」
しかしセーラたちは急な話に戸惑っている。
そのとき兵士たちがやってきた。
「この家の者で魔物が街にいるのを見たものはおらんか!」
「い、いえ。見たことはありません……」
「そうか。しかし念のためだ。調べさせてもらう。おい、あれを」
「はっ」
兵士は梵天の鏡を取り出し覗き込んだ。
鏡にはソクラスとタニアに姿を変えていたスライムの親子の姿が映っている。
2匹は元の姿に戻ってしまった。
子供のスライムは、森でマリアが助けた魔物であった。
「きさまたちが魔物だったのか! 撃て!」
セーラたちが助ける間もなく、スライムたちは撃たれた。
四人が駆けよると、スライムは虫の息で、子供の方は既に息絶えていた。
スライムは弱々しい声で話す。
「わたしは以前この街の人に命を助けられました。その恩返しがしたくて、わたしは人間に姿を変えこの街に来たのです。少しはこの街のお役に立てたでしょうか。娘を罠から助けてくれてありがとうございました……」
「お願い、もうしゃべらないで!」
セーラが叫ぶ。
マリアがヒールをかけたがもはや効果がなかった。
ソクラスであった魔物は力尽き消えていった。
セーラの心に怒りが湧いてくる。
「一体、一体この人たちが何をしたって言うの!?」
「なぜ魔物を倒して文句を言われなければならないのですかな。あなた方だって今までさんざん魔物を倒してきたのではありませんか?」
アレフがセーラの肩を叩き首を振る。
セーラはやりきれない気持ちでいっぱいであった。
街の人々はソクラスのことを話し合っていた。
「ソクラスさんは魔物だったんだってねえ。よく誰も襲われなかったもんだよ」
「あんなに親切そうだったのも安心させる手だったんだね」
「あたしゃ前から裏がある人だと思っていたよ」
街の教会では結婚式が行われている。
新郎・新婦はとても幸せそうである。
「エリックー、オリビアを大事にしろよー」
「二人ともお幸せにー」
セーラは梵天の鏡を取りに行ったことを激しく後悔した。
そしてもう一刻も早くこの街を出たかった。
ソクラスの船で東の大陸を目指す。
次は二人とも人間に生まれてきてねと、セーラは祈るのであった。
◆
古城では片腕が干からびた魔導師が目を閉じて瞑想に集中している。
「儚いものだな」
魔導師はゆっくりと両の目を開き語りかけた。
「封印を解くにはもっと血が必要だ。我が娘よ。天の息のかかった者の血を集めるのだ」
その嗄れた声の独り言は誰の耳に止まるでもなく、闇の中に溶けて消えていった。