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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

図書館ねずみに愛の巣を

作者: metta

 

 

 エルムは本の虫である。


 文官の子であるとか、男であるとか、オメガであるとか。そういった情報より何より、まずエルムを表すのはその言葉だった。 

 顔立ちはそこそこだが、身分は高くない。魔術が使えるわけでもない。身体能力は人より劣る。しかし本の虫なだけではなく、エルムは国一番とも称される程賢かった。


 エルムは読んだ本の内容を全て覚えている。ただ覚えているだけではなく、知識と情報を繋ぎ合わせ、自ら発展させる事ができる。相性のいい薬の組み合わせを薬師に伝え、医療や薬業の発展に貢献した。伝承から謎に包まれていた魔物の生態を紐解いた。数多の古書に散りばめられていた言葉を繋ぎ合わせ、遠い昔に滅びた遺跡を見つけた。功績は多数で、その知識は国の宝とされるほどだった。

 それに引き換え、リヴィリオはこれといったもののない王子であった。

 王族でありアルファであるが故に、見目はいい。決して凡庸ではない。身体能力も魔力も高く剣術にも魔術にも長けている。ただ全ての能力が高い水準ではあるものの、突出したものはない。

 そんな2人はいわゆる幼馴染だ。身分やバースの壁に邪魔されてはいるものの、今でも非常に仲が良い。

 というよりも、リヴィリオは幼い頃からずっとエルムを好いており、自分のオメガだと確信していた。出会いは遡ること15年程前になる。 


 城に勤める使用人や文官の子は、親ともに城で暮らすことがままある。エルムはそんな子どものうちの1人だった。しかし小さく女児のような見た目だったからか、悪気なく仲間外れにされていた。 

 リヴィリオは息抜きに訪れた裏庭で、ひっそりと地面に絵を描き遊ぶエルムを見て、これは自分が守ってやらなければならないと強く思った。バースの予兆だったのかもしれない。声を掛けるとひとりぼっちのエルムは嬉しそうに笑った。

 リヴィリオ後ろをよたよたとついてくる小さく可愛い生き物。転ばないよう、その小さな手を優しく握れば、再び花咲くようにぱっと笑う。

 この時リヴィリオは、手を繋いだこの小さく可愛い生き物を自分が守るのだと心に決めたのだ。


 しかし一緒に遊ぶとは言っても、幼いエルムは見た目どおり何の捻りもなく、か弱かった。外で遊んでもすぐに疲れてしまう。とはいえ絵を描くことをリヴィリオは苦手としている。


 リヴィリオは散々悩んだ挙句、一緒に本を読む事にした。


 当時のリヴィリオは王族らしく早熟な教育が施され、それなりに賢かったのもあり、同世代とは比べ物にならない知識を持っていた。

 文字を覚えたてのエルムにあわせて絵本から始め、少しずつ。字は読めても言葉の意味が分からないことが多いエルムと頭を付き合わせ、丁寧に教えながら毎日色んな本を読んだ。頭や寄せた頬から香る幼い子ども独特のまろい甘やかな匂いは、リヴィリオの庇護欲をさらに掻き立てる。

 そしてエルムもまた、本当に嬉しそうに本を楽しみ、リヴィリオにねだった。

 次はどんな本を読んでくれるのかという、きらきらした羨望の眼差し。リヴィリオは決して勉強が好きなわけではなかったが、その眼差しに応えるために身を入れて学び、惜しみなく披露した。エルムはいつも嬉しそうに一緒に本を読み、リヴィリオから学んだ。


 ところがそれは長く続かなかった。

 エルムは賢いリヴィリオよりも、さらに賢かったのである。


 辞書の引き方を覚えると、エルムは自ら調べ、自身の知力で理解するようになった。ともに頭を寄せて本を読みはするが、反対にリヴィリオが教わる側に回った。


「エルムはすごいな」 


 エルムは記憶力もさることながら、知識の関連付けがとても上手い。エルムのおかげであっと言う間に課題が片付き、機嫌よくリヴィリオが茶と菓子を用意していると、何故か当の本人はしょんぼりしている。 


「リヴィリオさまは、本ばかりの僕が嫌ではないですか? みんな僕といてもつまらないって」

「他の者は他の者。私は私。私はエルムといるのが一番楽しい」


 そうリヴィリオが微笑めば、しょんぼり顔のエルムも、みるみるうちに笑顔になる。


「……僕もです! リヴィリオさまはいつも優しくて僕を気にかけてくださって……あの、頂いたこの膝掛け、とてもふわふわで温かくて毎日使わせていただいてます。大きいのでソファでそのままくるまって寝られるし」

「寝るのはちゃんと寝床で寝ようか」 


 発言に多少引っかかるところはあるが、はにかみ膝掛けを握るエルムはとても可愛らしい。

 自分より賢かろうが、エルムはリヴィリオにとって守るべきものだったし、エルムもリヴィリオを慕っていた。図書館から借りてきた本で埋もれる部屋に花を置いたり、膝掛けや座りやすい椅子を用意したり。

 エルムが過ごしやすい環境を整えるリヴィリオは、これはこれでありだと紅茶や菓子を用意しながら呑気に思っていた。 


 だが、それに茶々を入れ始めたのは大人達だ。

「エルムは末の王子などにはもったいない」と言ってみたり、反対に「王子には身分が釣り合わない」と言ってみたり。大人達が言う理由は様々だが、目的は2人を離すことにある。


 突然そんなことを言われたリヴィリオはそれはそれは怒った。さほど手の掛からなかった末子の王子が、突然アルファの片鱗を見せ、威圧を放ち牙を剥く。その様子に、大人達は眠れる獅子を起こしたと慌て、その場は引いた。しかしこのままではエルムと離されてしまう。

 リヴィリオは頑張った。エルムを取られてなるのものかと、勉強も剣術もそれはそれは頑張った。

 そしてエルムがリヴィリオの側を希望したこともあり、まだ子どもだからいいだろうと引き離しは一旦落ち着いた。そのことに一先ず安堵しながらリヴィリオはふと思った。 


 どうしてエルムは帰っていくのだろう。


 夕方から夜に差し掛かり、淡い橙の光がリヴィリオの部屋を染める頃、恐縮しきったエルムの父が、エルムを迎えにやってくる。

 手を引かれ、時には背負われ、エルムは自分の元ではないどこかへと帰っていく。リヴィリオはそれが好きではなかったが、そのときは理由をまだ理解してはいなかった。


 理解と転機は互いのバース性が確定したとき。

 リヴィリオはエルムが自分のオメガだと確信した。


 リヴィリオがアルファでエルムがオメガであることは誰の目にも明らかだったので、二人は予定調和で引き離された。

 かたや未婚で王族であるアルファ。かたやいくら優秀でも、一文官の子であるオメガ。常に一緒ということは許されない。適度に付き合うことは許されたが、今までのようにとはいかなかった。


 リヴィリオはひとり、エルムとともに過ごしてきた部屋、今は自分だけの書斎となった部屋で考えていた。


 幼い頃はよかった。兄達に比べて放任されていたが故に、身分違いの子とべったり仲良くしようが咎める者はいなかった。 

 ただ、リヴィリオはアルファで、エルムはオメガ。エルムさえよければ項を噛んで番になってしまえばいい。リヴィリオはそう呑気に考えていたが、程なくして文官となったエルムは、知識の面で頭角を表し始める。


「根を詰めすぎていないか」

「大丈夫です」


 青年期に入った頃、リヴィリオはお供という名の見張り付きではあるが、変わらず事あるごとに差し入れを持って、エルムの部屋を尋ねていた。 


 ほの暗い夜の図書館は書架や本棚の影で微睡み、しんとしている。その奥の小部屋からは洋灯の仄明かりが滲み、叩いた扉の先では古紙や洋墨の匂いにつつましい甘さが混ざり漂う。

 

「僕は誰とも番いません。自分の好きな事以外はしたくない」


 エルムは自らの知識を権力者のためだけに使うことをよしとせず、あくまで自分の琴線に引っかかったものを、公益となるような形で公表していた。 

 独占すれば巨万の富を生むようなものも惜しげなく開示し、国の発展に貢献した。大小様々エルムが発見したり分析した情報や知識は、多数の分野の発展に寄与している。自身が何かを生み出すわけではないと本人は卑下するが、その具体性のある閃きやきっかけは重要で、金を生む。


 そんな稀有な存在となったが故に、それが失われることを心配する者も増えていた。今でこそ公益のためにその知識を奮っているが、それがいつまでも続くとは限らないし、その存在を他国に掠め取られる可能性もある。 

 オメガであるから王族には釣り合わないが、それ以下のアルファで項を噛み、番にして従わせては。そんなおぞましい案も出ていた。しかし誰かの番にして従わせるなど非人道が過ぎるし、番がエルムを独占してしまうかもしれないという理由から、その案は採用されなかった。そしてそれはリヴィリオの立ち回りによるところも大きい。 


 本人の意向を確認した上で、自分が番になるのであれば、リヴィリオは両手を挙げて賛成しただろう。しかしエルムはその頭脳が稀有なだけで、王族には釣り合わないと皆が反対する。ならば強行したところで番の解消を迫られて、エルムの方が強く当たられるかもしれないし、それより何より本人が誰とも番わないと言うのであれば、その意思が尊重されて然るべき。

 たとえエルムがそう思ってはいなくても、番という形ではなくても、エルムはリヴィリオのオメガ。なら自分は守るだけだとリヴィリオは心に決めていた。 


「頑張りは応援するが、無理はするな。どうせまた食事を疎かにしているだろう。せっかくの頭が回らなくなっては本末転倒だ」

「……はい、リヴィリオさま。いつもありがとうございます」

 

 本を置いたエルムがぐうっと背を伸ばすと、身体を泳がせている法服から白く細い腕が現れる。そして同じように細く白い首元には頑丈な首輪。

 これはリヴィリオがエルムに贈った大変丈夫なもので、エルム本人にしか外せない。それでもリヴィリオは心配で仕方がなかった。即座に立ち回って潰したとはいえ、項を噛んで従わせるなどという案が出るのだ。番になれば安心だが、それがエルムの望みでないならその手は使えないし 、エルムは護りと利便の観点から、王都の国立図書館に部屋が作られ、そこに棲む主のようになっている。


 もし番になったとしてもエルムはここに通わなくてはならないのか。 


 ふと頭に浮かんだそれも、何となく不愉快だった。むしろ番にならなくても守るために、何とか自分の元に来てもらえないだろうか。

 エルムが余所に巣を、帰る場所を作るのは嫌だ。

 どうせ巣に籠るのなら、自分の巣に籠って欲しい。


 ――そうだ。

 国の蔵書に負けないエルム専用の図書館を作ろう。 


「……リヴィリオさま、どうかなさいました?」

「――すまない。少し考え事をしていた。美味いか?」

「リヴィリオさまがくださるものはいつも美味しいです。ありがとうございます」

「よかった。ならもっと食え」

「はい」


 突出したものがないとはいえ、幸いにもリヴィリオはそれなりに有能だ。そして放任されている分、変わらず自由なのも都合がいい。 

 エルムが美味しそうに食事をする姿を眺めながら、そう思い立ったリヴィリオは、自らを一層鍛え、王子でありながら、魔物退治などをして金を貯めた。そうして貯めた金で、手始めに与えられていた領地の邸宅を改装し、部屋という部屋の壁一面を本棚にして図書館さながらにした。

 空っぽの本棚には、まず自分の持っていた本や辞典を詰めた。続けて幼い頃にエルムと読んだ絵本などを詰めていくと、部屋がひとつ、小さな図書室に変わる。

 部屋の匂いが本の匂いに変わり、花を飾り、茶や菓子の用意をすれば、部屋は懐かしい匂いに包まれていく。

 エルムは発情を薬で完璧に抑え込んでいるため、本来の匂いは分からない。だが、リヴィリオの記憶のエルムはいつも本を小脇に抱え、本に埋もれ、リヴィリオに気づくとぱっと嬉しそうに笑う。

 目を閉じなくても本の匂いを感じとれば、白昼夢さながらに愛しい姿が思い浮かべられる。リヴィリオにとって本の匂いは意中のオメガの匂いである。リヴィリオはその愛しい匂いに包まれながら考えた。

 本でこの屋敷を埋めること自体は簡単だ。ただ金で買える本は誰でも簡単に手に入るし、既に王都の蔵書にあるもの。

 禁書ですらエルムには読む許可が下りている上、エルムは読んだ本の内容を全て覚えている。二番煎じでは意味がなく、きっとこちらへ来る許可は下りない。ならばリヴィリオは国の蔵書に加えて、国ですら持ちえない希少な書物を集めなくてはならない。 


 そう考えたリヴィリオはすぐに手に入る本を集めるのと並行して正式な図書館を建設しつつ、引退した学者や国とは考えを異にする者の本をも集め、他国の本も集め始めた。するとあっという間に屋敷は本で埋まり始める。 

 国の蔵書どころか他国の蔵書をも網羅した屋敷の本は、個人で持つべき規模ではなくなり始め、エルムがリヴィリオの元へ通う許可は下りた。思惑通りエルムは屋敷で本を読み耽ることになると、さも当然のようにリヴィリオの手によって棲み処が作られ、エルムがリヴィリオの屋敷と王都の図書館のどちらかに棲むようになるのはあっという間で、何の違和感もなかった。


「根を詰めてはいないか?」

「大丈夫です! 脚光を浴びていなかった論文や王都の図書館になかった本にも色んな発見があって……!」 


 これは少し興奮しすぎだなと思ったが、喜ぶエルムを見てリヴィリオは満足していた。そしてその喜びに水を差さないよう、新しい話題を口にした。 


「もしよければ図書の整理をしたり、配置を考えてくれないか。エルムの方が図書館を知っている。こうしたらもっと便利だなど、思うところもあるだろう」

「いいんですか」

「ああ」

「やった……! 王都の方も色々改善点があるんですけど、規則がなかなか改定して貰えなくて。ここで実証してから逆輸入してもらおう。でも読みたい本もたくさん……!」

「ここは逃げないからゆっくりでかまわない。何度も言うが、根は詰めないようにな」

「はい!」 


 こうしてリヴィリオの集めた本から新たな知識を得たエルムが、主流の反対意見等々を精査して奏上や公開することにより、学問の分野がにわかに活発になる。

 その過程で過去に潰されたり、鼻で笑われ相手にされなかった論文などにも光が当たったことから、館を中心に、領地には様々な分野の学者や研究者が住み始めた。


 しかし肝心のエルムは頻繁にやってくるものの、リヴィリオの領地に住む許可は下りない。国への貢献が増え、その身の価値がまた上がってしまったからだ。 


「……人の本だけでは駄目だな」 


 そう結論を出したリヴィリオは、今度は永く交流のない魔族の領域、魔国へ赴くことにした。魔国には人以外の色々な種族がいるが、人と積極的に交流している種族はいない。本を作る文化があるかは分からないが、少なくとも魔族は人と姿が変わらない。交流していないとはいえ、国としての体裁を持っているなら、きっと本もあるだろう。 

 善は急げだと、リヴィリオはエルムが王都の図書館へ戻った時を狙って、こっそり魔国へと旅立った。誰かに言うと十中八九叱られ止められるからである。

 とはいえ変わらず放任されており、比較的自由なのも都合がよかった。上手くお供も振り切る事が出来たのだが――


「何が目的だ!?」

「いや、私は」


 単身、魔族の領域に踏み込んだリヴィリオだったが、魔族側から人が攻めてきたと誤解をされて、国境で戦闘となってしまった。


 威嚇の魔術が放たれるが、リヴィリオは本を買いに来ただけで、戦いに来たわけではない。戦うことで相手に損害を与えてはいけないし、それより何より売って貰えるものも売って貰えなくなるかもしれない。

 それを不安に思ったリヴィリオは、一切反撃することなく、自らに護りの魔術だけを展開し、本を買うという自らの来訪の目的を、淡々とひたすら繰り返し説明していた。


 最初は人が攻めてきたと戦闘を始めた魔族の兵達だが、相手は意図の分からぬ要求を口にするだけで抵抗しない。

 さすがに無抵抗の者に攻撃をし続けるのもいかがなものかと攻撃を止め、指示を仰ぐからそこで待てとリヴィリオに告げた。

 それは単に気味が悪くなっただけでもあったが、話は聞いてくれることになり、リヴィリオは指示通り大人しく待っていた。

  

「一体何をしに来た」


 やって来た国護りの魔族は、人の、しかも身なりから考えて身分の高い者が突然単身でやって来たことをかなり警戒していた。 


「買い物がしたくてきたのだが、許可をいただけないだろうか」

「――はあ?」 


 リヴィリオは最初と変わらぬ要求を口にし、国護りの魔族は兵達と同じく訝しむ。


 買い物とは何かの隠喩か、それとも間諜か。

 いやしかしこんな美形で目立つ人間、しかも防衛のための攻撃を無傷で乗り切るような手練れとはいえ、単身で送り込むか? 


 そう国護りの魔族は考えた。ただリヴィリオが囮でその間に他の者が潜り込むという作戦なら有り得なくもないが、そういった事実はない。紛う事なく単身での乗り込みである。

 結局国護りの魔族にも判断はつかず、再び上の指示を仰ぐから待てと言われたリヴィリオは、出された茶を飲みながら大人しく待つ。するとそれほど間を空けず、宰相だという魔族が従者を連れて、リヴィリオの元へやってきた。 

 魔族は魔法に長けている。宰相自身も然る事ながら、連れている従者の実力は今まで相対した者とは比にならない程高い。それはやってきた男が宰相という情報に真実味を持たせていた。

 やってきた男は来訪の理由を問い、リヴィリオは今までと同じように「本を買いたい」と伝えた。 


「本? 仮想敵国に魔導書(グリモア)など譲れるわけないではありませんか」

魔導書(グリモア)? 売って貰えるのであればそれはそれでありがたいが、そんな大層なものでなくていい。魔国に本屋はないのか」

「本屋???」

「あー……ええと。本、本を取り扱う……書籍を販売する……」 


 戸惑う宰相に、本屋の意味が分からないのかと思い説明を始めるリヴィリオ。場は混乱し、混迷を極めている。それに耐えられなくなった従者が肩を震わせながら口を開いた。


「あー……人の国の王子殿。宰相は本屋の意味が分からないということではない。なぜ本を、という疑問だこれは」 


 従者なのに随分と偉そうな口調である。しかしその補足は的確で分かりやすい。リヴィリオは話が早いと説明を続けた。

 

「私は人の国では手に入らない魔族の本が欲しい。子の読み聞かせに使う絵本だとか、歴史書だとか。全ての本が手に入るならそれに越した事はないが、人の手に渡れば魔族にとって都合の悪い本もあるだろう。その辺りはそちらが判断してほしい」

「魔導書などではなく、本……ただの本?」

「ああ。流行っている小説や詩集、料理の本などでもいい」

「…………はぁ? なんのために??」

「私の好くオメガはそれはそれは本が好きで。だが祖国にある本は、全てが彼の手に取れるところにあって、既に読んで済んでしまっている。私は彼の読んだことのない本が欲しいんだ。それさえ売ってもらえればすぐに帰る」

「本を買ったらすぐに帰る……」 


 ぽかんとした表情の魔族2人の様子に首を傾げつつ、リヴィリオは綺麗な所作で菓子を食べながら茶を飲んだ。どちらも人の国のものと大して変わりがなく、美味しい。


「人の、大国の王子が単身攻めてきたかと思ったら……目的は意中の相手に求愛するための……しかも本って……! ははは、いいだろう。渡しても問題ないものを見繕ってやれ」

「陛下!!」


 陛下。

 護衛を兼ねた従者だと思っていたが、まさか魔王本人とは。

 ただ話はやはり早いので、リヴィリオは突っ込むことはせず、これ幸いと交渉を続けることにした。 

「ありがたい。対価は何がいいだろうか。人の国で流通している貨幣でかまわないか?」

「うーん。それでもかまわないが、できれば魔物退治を手伝っていってくれないか? 貴殿は相当な実力者に見えるし、差額分はきちんと報酬を払う」

「ではそれで」

「えぇ……? 嘘でしょう……?」


 唖然とする宰相をよそに、リヴィリオは魔王と簡単に契約を交わし、リヴィリオは魔物の討伐を手伝うこととなった。魔物は人の領域に棲むものよりも魔力が高く強く、しかしリヴィリオの敵になる程でもなく。討伐はあっという間に終了し、魔王は大変に喜んだ。 


「やっぱやるなぁ! 助かったよ。ご所望の本だが、とりあえずこんなものでいいか?」

「――ああ、ありがとう! きっと喜ぶ」 


 討伐の間に用意された本は、頼んだとおり絵本や小説、生活関連の本がほとんどだった。それでも充分な量を用意してくれていて、リヴィリオは心から感謝した。


「今回は時間もなくてな。こちらも渡せる本の精査が出来ていないから少し時間を開けてまた来い。そしたら子ども向けじゃないやつも売ってやるよ」

「ありがたい……是非に……! あと退治した魔物だが、人の領域では見ない種ばかりなので、少しだけ持ち帰ってもかまわないか?」

「いいぞ。こっちではそんな珍しい魔物でもないし」

「本当に本と探求心しかない……」 


 魔王はとうに警戒を解いていたが、宰相はずっとピリピリと警戒していた。しかし表情がさほど変わらないながらも、絵本などに大喜びするリヴィリオの様子を見て、警戒を解くというより毒気を抜かれたようだ。


「そうだ。珍しい本ということならあれだな。承諾を得られるかは分からないが、エルフや妖精にも口を利いてやろうか」

「――! いいのか!?」

「陛下!! 人嫌いのエルフにそんな話を持っていったりなどしたら……!」

「いや、こいつは番のために奔走しているただのアルファだ。エルフの隠れ里に興味があるとかではないだろう?」

「ないな。別にエルフや妖精に会いたいわけではないので、本だけ仕入れてくれればこちらへ買いにくるが」

「……」


 エルフは見目麗しく永きを生き、失伝した技術、秘薬などの製法、独自の魔法形態を持っているなどの理由から、人をはじめとしたその他種族に狙われることも多い。

 だがリヴィリオは真実、心の底から全くそれに興味がなく、真っ直ぐな目でそう答えた。

 本音を言えば、どこにあるかも分からないエルフの隠れ里に行かずとも、ここで本が手に入る方が楽だし早いという気持ちの方が強かったともいえる。 


「あはははは!」

「変人……」

「腹が痛い……! 久々にこんなに笑ったぞ。これエルフの長に話したら、案外興味を持って来るんじゃないか? おっかしい……! いやこれ……絶対大丈夫だろ。おい、エルフの方にも連絡してやれ」

「……分かりました。おって、ご連絡させていただきます」

「ありがとう。世話になった」 


 リヴィリオは礼をしたが、魔王はまだ腹を抱えてひぃひぃ笑っている。ひとしきり笑ったところで魔王はリヴィリオに向き直った。 


「あー笑った笑った! こっちも魔物退治という対価を貰ったから気にするな。あ、もし可能なら次は読書ねずみ(レーゼラッテ)の君も連れてこい」

「レーゼラッテ?」

「うちでは本好きの事をそう言うんだよ。図書館に棲む『読書ねずみ』」

「へえ、可愛いらしいな。祖国では『本の虫』と言うんだが」 


 読書ねずみ(レーゼラッテ)

 エルムは小動物のような雰囲気をしていて、前々からリスに似ていると思っていた。魔国での本好きの呼称は、虫なんて言い方よりもずっとエルムに似合う。リヴィリオは少し愉快な気持ちになった。

 本を手に入れ国へと帰る道すがら、リヴィリオは譲り受けた本をめくり、その匂いを嗅いだ。少し異なるが本の匂いというのは万国似たり寄ったりだ。本の匂いとともに浮かび上がるのは本を読むエルムの姿。喜び目を丸くするのをリヴィリオは楽しみにしていた。 


「凄い……こんなにたくさん……!?」

「まだ信頼されているわけではないから、子ども向けや当たり障りのない内容のものばかりだが」

「いえ! そういうものこそ、どんな文化でどういう風に学んでいくのかが分かるし、単純に子ども向けの本が僕は好きなのでとても嬉しいです!」 


 思い浮かべていたとおり、目を丸めてぱっと笑うエルム。反対にリヴィリオは目を細めて微笑んだ。 


「――レーゼラッテ」

「?」

「この国では本好きの事を『本の虫』というが、魔国では図書館に棲む『読書ねずみ(レーゼラッテ)』と言うそうだ。こちらの方が可愛いし、エルムに合ってると思って」

「へえ……! 図書館に読書ねずみ! ふふ、まさに僕ですね。そういうちょっとした例えとか、ことわざの違いとか面白いです。レーゼラッテ、何だか家名や地名みたいですし」  

「確かに」

「ではレーゼラッテは持ち帰っていただいた本を読ませていただきますね」

「ああ」 


 そうしてリヴィリオが持ち帰り、エルムが読んで公開、あるいは監修・編さんした本は、多く者に読まれることとなった。その中で描かれる魔族の姿は人の世で伝えられているものとは随分異なる。人々は驚き、リヴィリオの元には話を聞きたがる者が集まるようになった。

 魔王、魔族は人の国では恐ろしいものとして伝えられているが、普通だったことをリヴィリオは自身が見たまま答えた。魔族は確かに身体能力が高いものも多いし、若干外見も異なる。魔法にも長けているが、ただそれだけで人と別に大差はないのだと。

 魔族が使役していると伝えられていた魔物についても、単に魔力が多い獣というだけで、別に魔族が管理して使役しているものではないことを皆に教えた。魔国でもこの国と同じように兵やギルドが駆除したり討伐しており、リヴィリオはそれを手伝ってきたのだと。

 そしてこちらにはいない魔物を一部持ち帰っていると伝え、研究者達に引き渡せば、その人の領域に生息していない魔物の素材によって新たな武具が開発されることになり、それはリヴィリオの功績となった。

 それより何より長い歴史の中、交流のなかった魔族との接点を得るという快挙。それまでもがリヴィリオの功績とされ、リヴィリオは魔国との外交を担うことになってしまったのだった。 



「――と、いう事になってしまったのだが……」

「そりゃそうなるだろ。永きに渡る誤解が解けたなら何より。ただ、うちの国も人をあまり好まないものが多いのでな。少しずつ交流していけたらいいと思う」

「ああ、勿論」 


 リヴィリオは国交の結びを願う信書を魔王に渡し、二人は握手を交わす。 


「そうそう、今回は貴殿が来ると聞いて、エルフの本も少しだが用意している。隠れ里への招待は難しいが、会ってみたいと長が言っていたので、また別の本を買いに来る際に会ってやってくれ」

「ああ、分かった」

「あと妖精なんだがな、文化的に文字を持ってないから、お伽噺を文字に起すかって言ってたぞ。妖精が口頭で話したものを本にする形だ。ただ、それを記す担い手が妖精に気に入られたらの話なのでな。お前自身がするか、もしくはお前のレーゼラッテを連れてきたらいいんじゃないかと俺は思うが」

「エルムを……」 


 自分でも出来なくはないだろうが、記憶力や語彙、編さん能力全てを鑑みれば、エルムの方が絶対いいに決まっている。しかし。 


「これ以上ない適任だと思うが……許可が下りるだろうか……」

 

 喜ぶのは目に浮かぶ。エルムは望んでと余儀なくの両方で、ずっと図書館棲まいだ。国外どころか王都とリヴィリオの拝領した地以外を知らない。出来れば連れてきてやりたい。けれど何があるか分からない長旅に、番のいないオメガを連れてくるのは現実的に難しい。

 とりあえずは魔王に礼を言って返事を保留とし、リヴィリオは帰国して城へと報告に向かった。


「妖精の話が聞けて、遺すことが出来るだなんて! 未だかつてなかったことですよ!」

「しかしエルムを……そうでなくとも番なしのアルファとオメガが2人で魔国に長期滞在となると……」 


 妖精の話を記録できるという貴重な申し出と、エルムの派遣。それらを天秤にかけ、国の上層部は迷いに迷っていた。

 ああでもないこうでもないと言っているうちはまだ良かったが、エルムが誰かと番になって、番でリヴィリオについていけばいいのでは。そんな浅はかな案の提示もあって、リヴィリオは威圧を放って苛立っていた。

 そしてリヴィリオの苛立ちを加速させる案件がもうひとつ増える。国史に残る外交を成し遂げ、異種族と交流出来るリヴィリオを王にという話が持ち上がり始める。

 そんなのは御免だと一二もなく断ったリヴィリオだが、望む声は存外多く。兄である第二王子がわざわざリヴィリオの屋敷にまで説得にやって来る事態となっていた。 


「嫌です。なぜ私が」

「嫌ですって……お前」

「王太子などになったら自由がなくなる。それにどこの馬の骨とも分からないオメガを娶れなどと言うでしょう。お断りします」

「どこの馬の骨って。貴族王族よりどりみどりだぞ」

「有象無象に変わりはない」

 

 兄とリヴィリオの話し合いが平行線の最中、どさどさと何かが落ちる音がした。2人が振り返れば、エルムが本を落として呆然としている。


「……リヴィリオさま……王太子になるんですか……?」 


 立太子を否定しようとしたリヴィリオだったが、エルムは落とした本を拾いもせず、わなわなと震えていた。 


「何とか釣り合うようにと思って、頑張ってきたのに……王太子になられてしまったら……とても、僕では……」

「……逆では? ただの第三王子ではエルムに釣り合わないから、私は本を集めていたというのに」

「――本を?」

「ああ。魔国へ赴いて、魔族の本も、エルフの本も集めたし。妖精はまだだが……」

「本のため!?」

「魔国へ行ったのって本のためだったんですか!?」


 何をそれほど驚く。

 兄とエルムの驚き引く様子に、リヴィリオは首を傾げた。


「そうだが……何だと思っていたんだ?」

「外交で……素晴らしい成果を上げてこられたものとばかり……」

「いや、そんなつもりは全くない。国交はたまたまだ。魔国へは本の買い付けに行っただけで」

「本の買い付け!?」

「ああ。国内や周辺国で手に入る本など、エルムは既にすべからく読んでいる。そもそも私が本を集め始めたのは、エルムが読んだことのない本を集め、図書館を作れば、国の図書館から私の元に移り住まわす理由になるのではと思い、始めたことだ」


 その一言に、兄とエルム両方が目をぱちくりとして固まる。しばしの間があって、固まった空気を動かしたのは兄だ。堪え切れずに肩を震わせて笑っている。


「――ふ、ふふ……王位の話をしに来た私が馬鹿みたいだ……! お前は幼い頃から一切ブレがないな」

「当たり前です」

「分かった。諸々全て、お前の望みも父上には私から話しておく。ただし、国のために働くのは忘れるなよ」

「私からエルムを取り上げたりしなければ、ちゃんとしますよ」

「分かった。その旨もきちんと話しておく」


 では本当に邪魔したな、と去っていく兄をともに見送るが、控え目に、でも待ちきれないといった様子でエルムが問う。 


「……あの、これ。僕は……自惚れてもいいんでしょうか」

「私の方こそ、自惚れてもいいのだろうか」

「……! あの、ここではあれなので……一緒に来ていただけませんか?」

「? ああ、勿論」 


 案内について行った先は、屋敷の中に作られたエルム専用の部屋であり、巣だ。言葉通りエルムの巣であるその場所だが、リヴィリオは奥にある寝床に入ったことはなかった。初めて足を踏み入れる小さな寝床を囲むのは、机とたくさんの本。並ぶ本はどれも見覚えがあった。 

 絵本に教本に辞書。それは幼い頃、リヴィリオとエルムがともに読んだ本達で、リヴィリオの部屋にもあるものだ。 


「僕はただの文官の息子で、しかもオメガだ。リヴィリオさまから離されないために、本が好きなことを利用したんです。なのにどんどん遠くに行かれるから、本当に焦りました」

「私の自惚れでなければ、エルムは私が好きという風に聞こえるのだが」

「間違いないでは、ないです。幼い頃からずっと、ずっとお慕いしておりました。好きでもない人と番になるのはどうしても嫌だったので、リヴィリオさまに釣り合うよう、叶わないなら誰の番にもならずに済むようにと頑張ってきたつもりです」 


 その言葉にリヴィリオは思わずエルムを抱き締め、エルムは大人しく腕の中に収まる。番はいらないと言ったから、はっきり好きだと言ったことはなかった。


「私もずっと、ずっとエルムのことが好きだった」

「僕達、両思いだったんですね」

「そうだな」  


 ようやく知った互いの思い。二人はしばしそれを堪能するように抱き合っていた。エルムは少し体温が低い。しかし今はこれから起こることに対して期待し、身体は熱を帯び始めている。じわりと香る匂いは昔ほどまろくはなく、甘さの中に少しだけぴりりとした大人の匂いが混じっていた。リヴィリオはエルムを抱き締めつつ、その匂いを堪能する。 


「エルムはこんな匂いだったんだな。想像よりずっとずっといい匂いだ」

「どんな匂いを想像されてたんですか?」

「――本」

「本?」

「本と花と子どもの匂い。それがずっとエルムの印象で」

「本と花とお茶菓子。僕もそれがリヴィリオさまの匂いでした」 


 エルムにとってもまた、本の匂いは幼い頃からずっと、リヴィリオの匂いだったと。先ほどの告白が本当ならば、ずっとずっとエルムは意中のアルファの匂いの中に籠っていたというわけだ。 


「つまり」

「図書館は僕にとって、リヴィリオさまの匂いに包まれた他力本願な巣だったのです。だからリヴィリオ様が作った図書館なんて入り浸るに決まってる」

「ふふ、なら巣を作った甲斐があったというものだ。――エルム」

「……はい」 

「どうか、私の番になって欲しい」

「はい、喜んで」 


 リヴィリオはエルムに口付けをする。とろりと蕩けた眼のエルムの強まる匂いに眩みながらも、そのまま発情期に入ることだけは何とか耐えた。くったりとしているエルムを抱えて手早く御付きや屋敷の者に説明だけし、さっさと自室にエルムと一週間ほど籠った。

 二人の想いはとっくに皆知っていたので大いに喜び、籠る間、何も問題が起こらないよう一丸となってくれていたのは後から聞いた話である。

  

 その後――

  

 めでたくエルムと番になったリヴィリオは魔国との交流の窓口を担い、ともに妖精譚フェアリーテイルを編さんした後は爵位を賜り、王弟として、臣下としてよく国を支えた。 

 領地の図書館は蔵書が収まらなくなったため、数を増やした。そして国の内外問わず多種多様な図書を引き受けていくにつれ、領地は学術都市として発展――様々な種族が学び、交流する地となり、独自の発展を遂げていく。 


 本読むねずみが象徴の、学術都市レーゼラッテの興りである。 


 ただこれは初代領主リヴィリオの番、エルムが本を好んだ結果。

 エルムがもしも画家ならば、レーゼラッテは芸術の都となり、エルムが歌い手ならば、レーゼラッテは音楽の都となっただろう。


 ただ、決して変わらないことがひとつ。 


 その都市は単に、番を愛するアルファが作り上げた大きな大きな愛の巣であるということ。


 それがたったひとつの変わらぬ真実なのである。

 

 

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― 新着の感想 ―
本が好きな想い人のために、図書館を作るというのはなんて素敵な発想だろうと思いました。 リヴィリオの愛が決して独り善がりなものではなく、高尚なものであるからこそ、学術都市を築き多くの人を幸せに導くであろ…
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