6章
深夜に扉をノックする音に目が覚めた。
開けると良高だった。
暗がりで見ると、より凄絶な美貌が死神のようにも見える。
「やっと寝てくれたよ。
マダムが亡くなった日から、ほとんど寝なくて
向かいのマダムの部屋が少しでも空いてたら怖がって
お母様が私を殺しに来ると言うんだよ。」
「やはり絹様がやったの?」
「いや、僕も聞いたけど、違うって。
死んだら良いのにと思ったし言ったと。」
「言った?豊夫人にかしら?」
「さあ、それ以上は口を噤んで泣くばかりで。」
「一旦戻って、こんな状態だが結婚すると父に報告してくるよ。」
人が亡くなってるのに?
まだ犯人も見つかってないのに?
まず、こんな夜中に?
良高は、焦ってる。なんで?
「…借金ですか?」
良高がギョとした顔をして、清を見る。
「違うよ~ちがう!絹嬢だよ!絹嬢が、一刻も早く
結婚したいそうだ。」
嘯いているが図星のようだ。
絹と結婚さへしてしまえば、もしその後、絹が殺人で逮捕されても、山田家の莫大な資産は良高が好きにできる。
やはり直接殺ってなくても、良高が絹を操り母を憎むように仕向けた黒幕なんじゃないだろうか?
「私、警察に話そうと思うんです。」
「何を?」
もし、彼が黒幕なら命を狙われるかもしれない。
が、吉兵衛も豊も居なくなったこの家を良高の自由に
させる訳にはいかない!
「九条良高様が、絹様だけではなく未亡人の豊夫人とまで姦通し、それで母娘が歪み合うようになったと。」
良高がジッと清の顔を見つめてる。
頭の中で色々考えを巡らせているのだろう。
するとまた初めて宝珠館で会った時のような妖しい表情になり
「良いの?そんなの表沙汰にしたら山田家が大変なことになるよ。」とクスクスと笑い出した。
「それは九条家も同じでしょう?」
またクスクスと良高が笑う。
「僕がこんな奴なのは、上流社会の皆が知ってるんだよ。
知らないのは、お花畑なお嬢様達だけだよ。」
扉を閉めて、清の部屋の中に入りベッドにストンと腰掛けた。
「山田吉兵衛氏と16歳で仲良くなったのも、僕が山田氏の相手をするとお駄賃をくれてね。
小遣い稼ぎしてたんだよ。
ポーカーで大穴開けて、それを山田氏に相談したら
宝珠館の社交クラブでオヤジ達を紹介をしてくれたをんだ。」
サラッとこともなげに、美しい男は恐ろしい話を語りだした。
「ウソ…男同志でしょ?」
「そうだね、でも、僕が酒を飲まされて酔ってクラブで寝ていたら
目覚めたら山田氏が僕の上に覆いかぶさって
身体中舐め回されてたんだよ。」
「ウソ…」
「初めはさすがに抵抗したけど、16歳にはビックリするぐらいの大金を渡されてね。
ウチは華族だが父の議員活動は、持ち出しが多いんだ…
遊ぶ金なんか無かった。」
話を聞いただけで寒気がする。
いやだ、吐きそう。
清は、その場でうずくまった。
「だから、口封じや負い目があるんじゃない?
娘と結婚しろとか言ったのは。
初めは聞き流してたんだけど、この頃本当にギャンブルの負けが異常な額になってきてね。
故人のお言葉に甘えることにしたの。」
ベッドに腰掛けたまま、前の椅子に足を乗せ胸元の
ネクタイを緩めて艶然と笑う良高。
「マダム達もね、お小遣いくれる人には内密で相手してたから。
豊夫人も、どこかで聞きつけたんじゃない?
あんな男好きな夫人が、1年も禁欲生活してたら
そりゃ爆発するでしょ?」
上目遣いで清の顔を覗き込む。
豊は母の妹だ。思いっきり血縁だ。
まるで自分が男好きと言われているようで清は、
目を逸らした。
「気にしないで。人間なんて、皆仮面剥ぎ取ったら
ただの動物なんだよ。
愛だの恋だの格好つけても、ただの性欲の塊なんだよ。」
良高の唇が、清の唇に重なり舌が容赦なく入ってくる。
この唇は、絹と重なっていた唇。
豊とも、山田吉兵衛とも!
穢らわしい!汚い!
私に触らないで!
心は叫ぶのに、身体は抵抗してくれない。
宝珠館の大広間で黄金のまばゆい光の中で
精霊のような姿を見た時から、抗えない衝動を感じた。
でも、絹の婚約者だから。
必死で抑えていたのだ。
居間の大時計の音がかすかに響く。
夜中の2時だ。
結局、九条家に戻らず良高は清のベッドで寝てしまった。
状態の悪い絹に付きっきりで疲れたのだろう。
絹が良高から離れようとしないので
任せっきりしてしまっていた。
暗闇に発光するビロードような肌
痩せてはいるが骨っぽくはない。
男性なのだが、その姿は西洋絵画の横たわる貴婦人のよう。
経験がないから驚きの連続だったが、すごく手慣れていて洗練されている感じだった。
全く不快感を与えないプロな感じ。
絹みたいな奥手な令嬢でも夢中になるだろうなと。
高級な接待を受けたような印象だった。
清は、ベッドを抜け出しランプの光に薄っすらと浮かび上がる良高の裸体を
ボ~ッと眺めていた。
吉兵衛、豊、絹を魅了し、死の闇に誘い込む美しい死神。
いや、欲望にまみれた山田家の犠牲者なのかもしれない。
山田吉兵衛とは10代からの付き合いだと言っていた。
美少年を飼いならし贅沢を教えて離れられなくしたんじゃないだろうか?
そして、自分の迎賓館で客を取らせて、噂を聞きつけた
富豪達が光に群れる虫のように集まって来る。
夫人達も噂を聞いて、宝珠館の晩餐会に足繁く通う。
全ては山田吉兵衛の策略じゃなかったのか?
「客寄せパンダじゃない、あなた。
それで、良いの?」
彫りの深い顔に長い髪が掛かり、赤い唇にハラハラと
みだれ髪がこぼれる。
九条良高は犠牲者なのか?
山田家に死をもたらす死神なのか?
自分も片足突っ込んだみたいだ。
「はあ〜」
清は頭を抱えた。
痛くは無かったが下半身が気持ち悪い。ガウンを着て部屋を出た。
廊下に出てトイレへ行こうとした時、階段から人の声がする。
「まさか!豊夫人の亡霊?」
階段を見上げたが、誰もいない。
少しホッとする。
2階には、もう絹1人しかいない!
落ち着いて声らしきものに耳を澄ます。
誰かと話してるような…確かに絹の声だ。
でも、相手の声は聞こえない。
ソッと階段を上り、絹の部屋の扉に耳を当てた。
「ちがう!本当にするなんて!そんな…
…好きじゃない。
私は良高様の妻になるの。」
やはり相手の声は聞こえない。
寝言?それにしては、ハッキリと。
「誰?良高さま?」
絹に気付かれたみたいだ。
黙ったままスッと階下に降りた。
特に追って部屋から出ては来ない。
やはり、絹には豊夫人の亡霊が彷徨っているように
感じるのだろうか。