行き遅れ魔法使いたちの
「アイリーン!大変なの!助けてちょうだい!」
職場の扉が大きな音を立てて開くのと同時に、聴き慣れた声が聞こえて、私は頭を抱えた。
「これはこれは、セレナ=デリクデア公爵令嬢。相変わらず礼儀知らずですねぇ。知ってますか?扉はノックしてから、許可を得て部屋に入るんですよ。」
私がこれからの苦労を想像して常時持っている頭痛薬を飲んでいる間に、恐れ知らずの部下が公爵令嬢に対していい笑顔で嫌味を言う。胃が痛い。胃薬も飲まねば。
「そんなこと知っているわ!なんたって、この国の王子様の婚約者なのよ!私!」
ふふん、と胸を張るセレナ様に心臓が痛む。こんな嫌味も通じない子が未来の妃なんて、夢だと誰か言って欲しい。というか知っているならノックをしなさい。
「で、今日はどうされたんです?また庭の薔薇でも枯れましたか?ドレスの色が気に入りませんでしたか?それともお気に入りの茶葉が手に入りませんでしたか?」
他の部下がセレナ様に尋ねる。ちなみに彼が言った内容は全て、彼女が以前この職場に訪れた時の理由である。
「違うわ!今回はそんなくだらないことじゃないの!本当に大事件なのよ!」
あれだけ私たちの事を振り回しておいて、くだらないこと…!?確かにすっごくくだらない事でしたけど!あなたがそれを言うの?!
喉元まで出かかった言葉を必死の思いで、堪えた。一応こんなのでも、未来の王妃である。あまりの頭の悪さに、婚約破棄でもされない限り。
名前を呼ばれた人間として、仕方なく相手をしようとセレナ様を見つめて、私は違和感に気づいた。セレナ様が何かを抱えている。
「犬…?」
白いフワフワの毛で覆われた小型犬だ。くりくりした青みがかった黒い瞳が潤んでいて、とても愛らしい。が、何故こんなところに?セレナ様の愛犬だろうか?聞いたこともないが。
「そう!大変なのよ!アイリーン!殿下が犬になっちゃったの!?」
この部屋の人間全員が手を止めて、セレナ様とワンちゃんを凝視した。
静寂が訪れる。
「はーい。緘口令をひきまーす。」
この部屋の中で1番上の立場である私は、硬直している部下たちに、大声で宣言した。
「そのまま仕事続けてー。あ、誰か魔法開発課の課長呼んできてくれる?私はセレナ様と応接室にいるから」
応接室に一人と一匹を案内する。なんでこの子はロクでもない案件ばかりを持ってくるんだろう。
部下が魔法開発課の課長を連れてきてから、セレナ様から経緯を聞いた。
「王妃教育の休憩時間に、殿下がね、お茶しようっていってくださったの。だから、お茶をしてたのだけど、紅茶を飲んだ瞬間、殿下が苦しみだしたの!毒を盛られたんじゃ!?って大騒ぎになったのだけど、どんどん殿下の体が縮んでいって、気づいたら、犬になっていたのよ!」
「何それ面白れー。じゃあ、このわんころは、俺の可愛い甥っ子ってことか?」
魔法開発課の課長、もとい、王弟殿下、シンリ=トライガルが腹を抱えて笑う。セレナ様の膝の上にちょこんと座るわんちゃんがシンリの質問を肯定するかのように「わんっ」と鳴いた。
「あなた、魔法開発課でしょ。こういう魔法知らないの?」
「さぁ、どーだろーな。」
そうニヒルに笑うシンリに、私は確信する。こいつは何か知ってるぞ、と。
「どうしたら、元に戻れるの?」
「まぁまぁ、そんな急ぐ必要もねえだろ。恋人が犬になるなんて、そうそう無いんだから、このまま可愛がってやったらどうだ?」
「こ、恋人なんて!私と殿下は婚約者なのであって恋人ではありませんわ!」
セレナ様は顔を真っ赤にして首をぶんぶんふった。その二つの何が違うのか、庶民で、婚約者も恋人もいない歴=年齢の私には分からなかったし、考えたくもなかった。自分の半分も生きていない少年少女の恋模様とか目の毒だ。
「いいから、とっとと答えなさいよ。薬とか必要なら、早く作らないといけないでしょ。」
「ロマンがねぇな、優等生さんは。大体、物語とかを考えてみろ。呪いや魔法で姿が変わったお姫様や王子様を救うのは薬か?違うだろ。」
私は幼いころに読んでいたおとぎ話を思い出す。そして思いついた答えに、頭が沸騰する。
「キスで元に戻るってこと?!ふざけんじゃあないわよ!」
「28にもなって、キスごときで顔を赤くするなよ。見ているこっちが恥ずかしくなる。」
な、なによ!こちとら28年間、そういう経験がないのよ!黙ってて!とはさすがに言えない。絶対に笑われる。私は咳ばらいをして頭を切り替え、真面目な顔して「ほんとにキスで戻るの?」とシンリに訊いた。シンリは「さーなー」ととぼけたが、そのしたり顔は魔法学校の同級生で13年間も付き合いのある私にかかれば、肯定の表情だと明らかだ。
「シンリ、あなた、殿下にキスしなさいよ。」
「は?」
「身内でキスするのが一番無難でしょ!?貴族って言うのは親愛示すために家族でもキスするって聞くし!」
「家族でも、唇同士ではキスしねぇし、そもそも、愛する者がするキスじゃないと意味がねぇ。」
「愛する者…」
セレナ様が顔を真っ赤にして呟いた。そして今まで見たこともないような、真剣な表情を浮かべると、ワンちゃんの口に唇を寄せた。
すると、ワンちゃんがまばゆい光を放ってーーーーー
殿下が、セレナ様の膝の上に、現れた。
「うわぁぁっぁ」
王子殿下が情けない声を上げて、セレナ様の膝の上から転がり落ちる。
そして、殿下は床に膝をついた状態で、セレナ様と見つめ合う。二人の顔は真っ赤だ。
そんな甘酸っぱい二人の前にして、あぁ、本当に殿下がわんちゃんになってたんだなぁ、と現実逃避気味に考えた。
「殿下が元に戻ってよかったですわ。戻らなかったら、それは私が殿下に愛されていないということですもの…」
「そ、そんなわけないだろう。僕はずっと君のことしか見ていない。」
「でも私、本当に出来が悪いから、皆から、殿下の婚約者にふさわしくないって言われていて…」
「だから、君は最近僕から距離を取り始めたのか。そんなもの、気にする必要はない。」
「気にしますわ!だって殿下は未来の国王で…」
「僕が、君を愛しているんだ。君とだから頑張れる。よい国王になれる。」
「殿下・・・」
「殿下、ではなく名前で呼んでほしい。ユリシス、と」
「ユリシス様…」
二人の顔が近づく。そのまま唇をーーーーーー。
「ストーップ!!!」
私は大声で叫んだ。
「ここどこだと思ってます!?仕事場ですよ!?そもそも叔父と他人の前でよくそんなことできるな!」
感心しますよ!と私はまくしたてる。息が荒くなって、シンリにどうどう、と宥められた。私は馬じゃない。
「ごめんな、ユリシス。こいつは行き遅れで、年若い少年少女の恋愛模様はちょっと辛いものがあるんだ。」
「あぁ、アイリーン、すまない。辛いものを見させたな。」
「2人ともやめて!大体庶民では28はまだいうほど行き遅れじゃないから!」
シンリと殿下の言葉に私はいたたまれなくなる。今すぐ消えてしまいたい。
いや、よく考えたらシンリ、テメェも独身だろうが。
「失礼する。セレナ、王宮に戻ろう。大変な騒ぎになっているかもしれない。」
殿下がセレナ様に手を差し出す。それに自分の手をのせるセレナ様は、とても嬉しそうな、恥ずかしそうな、乙女な顔をしていた。
あーお酒飲みたい。
「ってちょっと待ってください。犬になった理由は?薬を盛られたの?そうだとしたら、犯人を捕まえないと…」
「そうだな。近衛騎士団のほうに言っておこう。アイリーンは気にしないでくれ。君は、あくまで魔法製品開発課の課長で、そういう犯人捜しは仕事ではないだろう?」
「まぁ、そうですが。」
本業の人間に任せるのが一番だろう。そもそも、セレナ様が私を頼ってくるのがおかしいのだ。
「そもそも、何故セレナはアイリーンのところに来たんだ?」
「え?魔法関係で困ったときはアイリーンに聞けば間違いありませんもの。天才ぞろいの魔法局の中でも5本の指に入る優秀さですし、若い女性で、相談しやすいのですわ。」
そんなに褒められると、今までの無理難題も許そうかな、と思えてしまうから私はちょろい。特に若い女性、というところがいい。
「それだけは誤算だったな。」
シンリが何かつぶやいたような気がして、私は彼のほうを向いたけど、彼はセレナ様と殿下をニヤニヤ見ていただけだった。
翌日、私は二日酔いがひどかった。
昨日の夜帰ってから浴びるように酒を飲んだのだ。薬を飲んだので、なんとか午前中の仕事をこなせたが、しんどい。早退したいが、そんな理由で帰ることなど恥ずかしくてできない。
そもそも、庶民で、女で、28歳にして課長という席に座る私には、敵が多い。そんな彼らに攻撃の理由なんて、些末なものも与えてやるわけにはいかない。
魔法局の人気のない暗い裏庭で、私は一人、ゼリーを食べていた。一緒にご飯を食べる人はいない。魔法局に入った当時は身を守るようにして、庶民で女性の同僚たちとご飯を食べていたのだが、一人、また一人の結婚して辞めていき、ほとんどいなくなってしまった。残っているメンツも、休憩が自由に取れなったり、他の局に出向していたりして、ここ1年程私はずっと一人ぼっち。
「あー今日はあのわんちゃん来ないのかなぁ。」
こんな薄暗いところでご飯を食べているのには理由があった。たまに犬がいるのである。黒い毛の小型犬で、モフモフしていて、くりくりした瞳が可愛かった。二日に1回くらいはいて、私はその子よく話しかけていた。その子も大変に人懐こく、よく私の膝の上に乗って顔をぺろぺろ舐めてくる。どこの子か分からないのだが、さみしさのあまり、連れて帰ろうとしたこともある。魔法局の寮はペット禁止なので断念したが。
「そういえば、あのわんちゃん、殿下の犬化したのと同じ犬種でよく似てるな…」
二日酔いで痛い頭は、そこで思考をやめてしまった。もっと考えれば、真実に辿り着けていたかもしれないのに。
その黒いわんちゃんが私の前に現れたのは、殿下の犬化事件から2週間くらい経ったあとで、もうすでに私はその事件のことなんて忘れかけていた。
「やっと会えたー。久しぶりだね。今までどこで何してたのかなー?」
わんちゃんを膝に抱え込んで、私は作ってきたお弁当を横に置いた。二日酔いでもない限り、節約のために私はお弁当を作って持ってきていた。魔法局は金払いがいいのだが、私は、故郷に残した家族に仕送りをしなければならないため、極力お金を使わないようにしている。
「わんちゃんが大好きなウインナーも入ってるよ。」
わんちゃんにウインナーをあげると、嬉しそうに食べる。可愛いなぁ。癒される。今日は辛いこともあったから、余計。
「今日はね、先輩が挨拶に来たの。仕事、辞めちゃうんだって。」
先輩は、真剣に職務を全うする貴族の既婚女性だった。この魔法局には、貴族の女性も一定数いるが、箔をつけるためだったり、結婚相手を探すためだったりで、真面目に意欲をもって働いている人は少ない。そして、結婚してなお働いている人は、特に珍しかった。
彼女は庶民である私たちにも優しく指導してくれて、辛いことがあったときには飲み屋に連れて行ってくれた。私の、彼女よりも早い出世にも純粋に喜んでくれた。
「旦那さんにね、働くの辞めてほしいって言われたんだって。伯爵夫人が働いているなんて、貧乏なんじゃないか、って勘繰られるんだって。そんなの思うほうがどうかしてるよね。金のために働いている人ばかりじゃないのに。」
私が働いているのは、確かにお金のためでもある。私の仕送りがないと私の家族は路頭に迷うだろう。今私の家族が住む領地を治める貴族は横暴で、不作だというのに、税をどんどん上げていく。圧政だと、証拠を集めて王宮に嘆願書を送ったこともあるが、特に動きはない。
でも、それ以上にやりがいのあるこの仕事が大好きだった。魔法が使える人間は一部だが、普通の人でも魔法が使える魔法製品がどんどん開発されていけば、人々の生活は便利に、楽になっていくだろう。
その一助になれることは純粋に喜ばしいことだ。
「でね、その先輩が悲しそうに言ったの。女性は、二つの幸せは持てないって。家庭を持つという幸せか。働くという幸せか。どちらかしか選べない。」
そんなの間違っている。でも、それが現状で、どうにかする力なんて私たちは持っていない。
「私がね、じゃあ働くことを選びますね、と言ったら先輩はね、私の分まで頑張ってって…」
その涙には、悔しさが混じっていた。まだ働きたかった、それが伝わってきて私も辛かった。
「まぁ、ちょうどいいの。私の恋は一生叶うことはなくて…。仕事しか生きる道はないんだし。先輩の分も他の辞めていった友達の分も働いていくよ。女性初の魔法局局長になるなんてどう?」
わんちゃんに同意を求めると、頷いたような気がした。気分がよくなった私は、ハムも食べさせてあげる。
「女性どころか、庶民で魔法局局長になった人すらまだいなんだけどね。基本、王族とか、高位の貴族がなるものだから。」
シンリはいずれ、局長になるだろう。彼は嫌がりそうだけど、その地位にふさわしい血筋と魔法力と頭脳を持っている。学生時代からずっと彼と競い合ってきたから、負けることは悔しいけど、それはそれで悪くない。彼の助けになるのなら頑張れる。
「一昨日もね、庶民だからって、全体の課長会議があること直前まで教えてもらえなかったんだよ。発表しなきゃいけないことがあったのに、そんな準備もできてないから、部長に怒られるしさー。予算も、どんどん減らされるし、私の部下たちは、庶民女の尻に敷かれる軟弱な奴らなんて馬鹿にされてるしさー。みんな、優しくて優秀なのに。」
手が震える。持っていたフォークを地面に落としてしまった。
「あーせっかくの卵焼きが…」
フォークに刺さっていた卵焼きに土がつく。わんちゃんが食べようとしたので、慌ててわんちゃんを抱きかかえた。
「食べちゃダメだよ。卵焼き食べたいなら、また、作ってくるから…」
声が震える。涙がポロポロとこぼれてくる。
「ごめんね、わんちゃんに会えたのが久しぶりだから、その間に貯まった愚痴がいっぱい出てきちゃって…」
本当は、怖い。
働き続けること。
敵しかいないように感じて、心休まる時間なんて、本当にこの時間くらいだ。
辞めてしまって、もっと楽な仕事をするのもいいかもしれない。実家に帰って家業を手伝うのもいいだろう。抱えている恋心に蹴りをつけて、結婚をするっていう選択もある。楽になる道はごまんとあるのだ。わかってる。
でも、と私はわんちゃんに宣言する。
「私はここで諦めるわけにはいかない。」
自分で言うのもなんだけど、私はセレナ様が言った通り、とびきり優秀だった。最難関と言われる国立魔法学校に主席入学し、主席卒業した。当時第2王子だったシンリを差し置いて。私は27歳という年齢で課長に抜擢されたが、その若さで課長になったのは史上最年少で、それを女性で庶民である私が成し遂げられたのは、偏に、そんな自分の属性をねじ伏せられるほど、優秀だったから。
私が道を作らなければ。
私の後の、庶民が、女性が、歩きやすい道を。
「ふふ、くすぐったい。」
わんちゃんが私の涙をぺロペロなめる。おかげでもう涙は止まった。早く普通の顔にして仕事場に戻らなければ。
「わんちゃん、またね。近いうちに来るんだよ」
「わんっ」
意味が分かるかのように、返事をしたので、私は思わず笑ってしまった。
まぁ、笑っていられてたのは、このあとセレナ様が再び訪れるまでだったのだけど。
「アイリーン、聞いてちょうだい!」
「あーはい。もう少しで仕事が終わりますので、ちょっと応接室で待っていていただけますか?」
今回も今回とてノックもすることなくセレナ様が入ってくる。殿下の前では殊勝なかわいらしい子なのに、人前ではなんでこんな傍若無人なんだ。
「待つから早く終わらせてくださいな!」
でも、彼女の気持ちも少しわかる。強者のようにふるまうことで自分を奮い立たせ、そして、強者だと思うことで自分の心を守るのだ。私や彼女のように敵が多い人間は。
「で、どうされたのですか。」
仕事を最低限終わらせて、セレナ様と面会をする。少し怒っているようだが、私に対してではなさそうだ。
「この間の殿下が犬になった事件があったでしょう。」
「あぁ、そんなこともありましたね」
もうほとんど忘れていたが、よくよく考えれば、大変な事件だ。そのあとの話を聞いていないけど、犯人は捕まったんだろうか。
「あれ!殿下の自作自演だったのよ!」
セレナ様の言葉に私は絶句した。そしてそのあとに語られる事件の経緯を聞いて、私は冷汗がとまらなかった。
まさかまさかまさか、あの黒いわんちゃんは…!
「あ。来てくれたんだね、わんちゃん」
私は、いつも通りの笑顔でわんちゃんをお出迎えした。そしていつも通り、膝の上に乗っける。
「今日は来てくれると思って午後からお休みを取ったんだよ。だから、じっくりお話しようね。」
しかし、そういった後に浮かべた笑みがいつもと違うと思ったのか、わんちゃんはいきなり逃げ出した。
「逃がさないよ。」
私は彼に向けて手を伸ばす。「捕らえよ」
庭に生えていた草が伸び始めて、彼に巻き付く。
「ふふふ、よくも今までだましてくれたね。」
草に巻き付かれて、仰向けで寝転がるわんちゃん。わたしはユリシス殿下から回収した、犬化が解ける解毒薬が入った瓶を取り出し、それをスポイトで吸いだして、わんちゃんの口元に近づける。
そして、あと少しで、その薬が、口に入るというとき、
ぼっ!わんちゃんを捕らえていた草が燃えた。びっくりして、後ろに尻もちをついてしまう。犬化しているときは魔法を使えないと踏んでいたのに!
逃げられる!そう思って再度草で捕らえようとしたが、なぜかわんちゃんは逃げることなく、逆に私にとびかかってきた。そして―――
わんちゃんが私の唇をペロッと舐めた。
その瞬間、黒いわんちゃんが、黒髪の青年に変わった。
「やっぱり、シンリだったのね」
彼ははぁ、とため息をついた。「あのバカップルから聞いたんだな。」
「さーね。」
その通りだったし、別にごまかす必要もないのだが、彼お得意のごまかしを真似してみる。
「それより、ちょっと、降りてくれない?この状況だと、あなたが、私を襲っているようにしか見えない。」
シンリは私に覆いかぶさっていた。人生でこんな体勢になったことない私は正直、ドキドキがとまらない。
「はいはい」そう言ってシンリが腕に力を入れたので、私はホッとしたのだが、次の瞬間、彼の唇と私の唇が重なった。
「!?」
彼の胸を押すが、非力な私の力ではびくともしない。そのまま彼の舌が入ってきそうになって…パニックになった私は魔法を行使した。
ブワァと強い風が吹きシンリが横に転がっていく。
「おいこら!非常時以外の攻撃魔法の行使は犯罪だぞ!」
「どう見ても非常時だったでしょ!正当防衛よ!」
「いってぇ。これじゃ昼から仕事できねぇわ」
苦しげに脇腹を押さえるシンリを見ても罪悪感が全く湧かない。先に手を出したのはそちらだ。
「お前、午後休取ってるんだって?俺も取るから、ここで待ってろ。」
「な、なんであんたなんか待ってなきゃいけないの」
「はぁ?俺から話聞きたくて午後休取ったんじゃないのかよ?」
言われてみればその通りだった。なんで犬になったのか、とか、なんで私の前に現れたのか、とか聞きたいことがたくさんあった。
いや、それに、さっきの行動は何?
「俺がここに戻るまで、絶対ここにいろよ。その顔、他の誰にも見せるな。」
「…え?そんなひどい顔してるの?」
確かにここに私以外の人間がいるのを見たことがない。ひどい顔をしているなら、ここにいるのは最適解だろう。
「ひどい顔っていうか…まぁ、そうだな。とりあえず、ここにいろ」
私は仕方なく首を縦に振った。動ける気もしなかったし、人に会っていつも通りの受け答えをする自信もなかった。
シンリが立ち去るのを見送って、私は膝を抱え込んだ。そして息を吐きだす。
「なんでキスなんかするのよ…」
13年間ずっとライバルという関係だったのに。それでいいと私は納得していたのに。
バカップル、もとい、王子殿下とその婚約者に聞いた話はこうだ。
13歳、思春期の殿下は悩んでいたらしい。
婚約者に対して素直になれない、と。
青春の匂いがして、もうその時点で私はあまり続きを聞きたくなかったが、立派な成人女性としてそんなこと言えるはずもないので、神妙な顔して続きを促した。
婚約者の事を愛してやまないのに、彼女の顔を見ると、恥ずかしくなって素っ気ない対応をしてしまうらしい。
そして、そのタイミングでセレナ様の対応も距離を取ったものになってしまう。それは王妃教育の中で婚約者とはいえまだ婚姻していない男性と接触するのははしたないという考えを刷り込まれたのと、あまり出来が良くない彼女を見て、周りの人が王子殿下の相手として相応しくないと嘲笑しはじめ、合わせる顔がない、という心情を抱いたからだったのだが、王子殿下は、それを自分の対応のせいだと思い悩んだ。
そして何をとち狂ったのか王子殿下は、あの馬鹿に相談しに行ったのである。
叔父である、シンリに。
『胸焼けがする。吐きそう。なんで俺はこんな話を聞かされたんだ…』
シンリの第一声はこうだったらしい。非常に気持ちが分かる。
『叔父上は一度婚約破棄をされているから、反面教師にしようと意見を伺いに来た。』
『破棄されてねぇから!円満な婚約解消だから!今も普通に仲良いしな!』
シンリは幼いころに侯爵令嬢と婚約していた。だが、魔法学校に入学してからまもなく経った頃、婚約を解消している。彼女も同じ学校だったこともあって、だいぶ話題になった記憶がある。理由は色々憶測されたけど、結局公表されなかったので、正解は分かっていない。
『何故、婚約解消になったんだ?どうせ叔父上のせいなのだろう?』
『なんで皆して俺が悪いと決めつけるんだよ。確かに俺がきっかけだけどさー。』
『へぇ、何がきっかけだったんだ?』
『言うか、馬鹿。少なくともお前みたいな思春期拗らせたわけじゃねぇから。』
『こ、拗らせてなんかない。でも、まあ、叔父上に相談しに来たのは無駄だったか。変わり者の叔父上にはセレナの良さも分からないだろうし。』
『それはマジでわからん。』
シンリが言った一言は、殿下に対して決して言ってはいけない一言だった。
殿下は怒らなかった。むしろ笑みを浮かべて、ひたすらセレナ様の良いところを列挙し始めたらしい。さすがにシンリに同情する。
多分、その地獄から脱出したかったのだろう。シンリはいい薬がある、と言ったらしい。
『犬になれる薬がある。それを使って、彼女の本心でも探ってこい。なかなか可愛い犬になれるから、可愛がってもらえると思うぞ。』
殿下は半信半疑だったらしい。しかし、一応シンリは天才、と枕詞がつく魔法使いである。そんなものを作れても不思議はないか、と考えて薬を受け取ることにした。
『これが犬になれる薬で、これが解毒剤。ただ、愛しあう者のキスでも元に戻れるとも言われている。試したことはないから本当かはわかんねぇけど。』
『き、キス!?』
『その条件を使って、彼女の愛を確かめるもよし、彼女の妃教育に紛れ込んでもよし、彼女の相談相手になるもよし、まぁ、色々あるけど…』
シンリはそこで少し考えて、
『その薬は、人の前で飲まないといけないんだ。ただ、安心しろ。飲んでから、2時間経たないと犬になれない。』
と何故か嘘をついた。殿下は、飲んですぐ犬になっている。人前というのも、本当かどうかわからない。
『絶対に、その薬のことは人に言うなよ。ばれたとしても、俺が出所だとは絶対ばらすな。』
殿下はその口止めにしっかりと頷いて、シンリの元を後にした。
そして、翌日、あの事件である。
予定では、セレナ様の前でお茶を飲んだ後、執務と称して一人になり、犬になった後、窓から抜け出して妃教育の様子を見に行くはずだった。
しかし、目の前で犬になってしまい計画が崩れてしまう。
まぁ、ハッピーエンドで終わったから、それはそれでよかったんだけど。
でも、人前で犬になってしまったものだから、周りの近衛騎士なども騒いでしまい、大事になって、父親である国王に呼び出しを食らった。
陛下の前で嘘をつく度胸がまだ備わってない殿下は、真実を全て話してしまい大目玉を食らったそうだ。そしてセレナ様にすべて話して謝罪することを強要された。
ついでにシンリも怒られたらしい。28歳にして兄に怒られるというのはどういう気分なのか聞いてみたい。
ただ、これらは基本的に秘密裏に行われたことで、私たちの元へ情報は降りてきていない。
どうしても愚痴りたかった(惚気たかった)セレナ様が私に突撃してこなかったら、真相なんてずっと知らないままだっただろう。
それは、王族の恥、という点もあるだろうし、犬になれる薬というものが公になったとき何が起こるか予想できないからだろう。
今回ばかりは本当にセレナ様に感謝した。今までの面倒をすべて許そうと思ったほどだ。
じゃないと、気づかないまま、ずっと犬となったシンリに甘えていただろうから。
「おい、寝てるのか。風邪ひくぞ馬鹿。」
膝を抱え込んでうつむいていたので寝たのだと思ったのだろう。戻ってきたシンリが私の肩を強めにゆする。
「こんなタイミングで寝れるほど図太くないわよ。」
いつもの調子で言い返したつもりだったが、声が小さく、かすれていた。いろいろと動揺する出来事があって、いつも通りというのは難しい。
そんな私をしり目に、シンリは私の横に座った。それが肩が触れるくらい近かったから、慌てて距離を取ろうとしたが、腕をつかまれて阻止された。
「はぁ…どこから話せばいいのか分かんねぇ」
一応シンリは犬化について話す気はあるらしい。韜晦が好きな彼のことだから、あまり期待していなかったのに。
「一から全て話しなさいよ。」
「そんなこと言い始めたら、魔法学校入学の時からの話になるぞ。何時間かかるか見当もつかねーわ。」
「はぁ?私はただ犬になった経緯と理由を聞きたいだけなんだけど。そして、問題があれば然るところにあなたを突き出してやる。」
「だからそれを話そうとすると、魔法学校1年生の時の話からになるんだよ。」
「意味が分からない…とりあえず、話を要約できないのは頭が悪い証拠よ?」
私が煽ると、シンリはジトっとした目を向けた。
「そうだよな、確かにお前の言う通りだ。ここは簡潔に、端的に述べよう。」
彼は立ち上がると、私の真正面に移動した。そして、膝まづくと、私の手を取った。
「アイリーン」
私を呼ぶ声があまりに真剣で、いつもと雰囲気が違うから、私は声が出せなくなった。
「ずっとお前だけを想っていた。結婚してほしい。」
「は?」
「『は?』じゃねぇわ。もっとまともな返事をしろ」
「いやいやいやいやいや」
何を言いているんだろう、こいつは。
「私はただのトウモロコシ農家の娘でございます。愚かなことを仰らないでください。」
私たちの立場を思い出させるために、本来すべき言葉遣いで、彼に話しかける。なのにこいつはそんなこと歯牙にもかけない。
「もう、父上にも、母上にも、兄上にも言ってある。決定事項だ。」
「え?こっわ」
話が急転直下すぎて怖い。ただひたすらに怖い。
「王族が庶民と結婚できるとお思いで…?」
平民のなかでも、金のない農家の娘である。後ろ盾などあるわけもない。
「まぁ、難しい。だから、俺は今度臣籍降下され、公爵位を賜る予定だ。本来、結婚と同時に行われるものだけど、今回は結婚に先んじて、臣籍降下してもらう」
「いや、大して変わらないから。王族と縁を切るとかならわかるけど。」
「ごめんな、さすがにそれは却下された。」
「提案したの?!」
変わった人間だとは思っていたが、ここまで狂っていたとは想定外である。
「知っての通り、今、王家は男が少ない。父上には姉しかいないし、その姉も他国に嫁ぎ、現国王の兄弟は俺だけ。そして、その兄上の子供も男児はユリウス一人だ。祖父の弟が臣籍降下されて、同じように公爵位を賜っているんだけどな…あそこの家は騎士バカばかりで王になれそうなのはいない。そんな状況下で、縁を切って平民になるなど、許されなかった。」
「いや、そんな状況じゃなくても、結婚するために平民になるとか許されるわけないでしょ…。」
「調べたが、過去に例がないわけじゃなったんたよ。今より、身分による待遇が大きく違った時代でーーー」
「その話はまたすっごく暇なときに聞いてあげるから、本題に戻ろう。」
そう言ってから、本題とは何だろう?と冷静になった。犬になった話が本題?プロポーズされたのが本題?
「ともかく、許可は得ているんだよ。だから身分のことはもう忘れて、答えてほしい。アイリーン、結婚する気は?」
彼の中での本題はプロポーズのほうらしい。今から本題を今日の晩御飯に変えてくれないだろうか。
いずれ、彼との関係性が変わることになるだろう、とは思っていた。
彼と私の今の関係は、同僚兼ライバルというものだ。同僚というものはどちらかが仕事を辞めてしまうとなくなるものだし、身分上いずれ彼は上司になることがほぼ確定している。そしてライバルというのは定義の曖昧な関係だ。気持ち一つで、その関係性は変わってしまう。結婚でもしてその配偶者に他の異性と親しくしないで、なんて言われてしまえば、ライバルとして激論を交わすことも難しい。
ただ、ずっと先だと思っていたのに。
しかも、こんな形だなんて、誰が予想しただろう。
「私は…私には…無理。ただの庶民が、公爵夫人になんてなれるわけがない」
「いや、お前にそんな貴族っぽいこと望んでないから。」
「事実だとしても、そんな言い方なくない?」
「そのままお前はずっと働いていればいいんだよ。領地経営も社交も俺ができるし。」
「シンリ、自分が社交界でなんて言われているか知ってる?うんちくひけらかし野郎だよ?」
「くそ、誰がそんなこと言ってるんだ。不敬罪でしょっぴいてやる。」
「今、テキトーに作った嘘。」
「おいこら」
いつものペースで会話の応酬ができたことで、私は少し落ち着いた。そして、彼との未来を真剣に考えてみる。
ただ、そんなすぐに結論が出るわけがない。自分の人生も、家族の人生も、シンリの人生も大きく変えてしまうものなのだから。
「時間をちょうだい。今すぐ返事なんて、無理、無理の無理の無理。」
「いいや、今ここで返事をもらう。絶対に。」
シンリは、私の腕をつかんで、離そうとしない。彼の、真剣みを帯びた紺色の瞳は、私をじっと見つめていた。
「性急すぎるという自覚は?」
「ある。けどお前に時間を与えると、自分の感情よりも、周りの損得を考えて、結婚を断る可能性が高い。」
よく、私のことをご存知である。私もそう思う。
「こういう、もので釣るようなことは嫌なんだけどな、一応、結婚によって生まれるお前にとってメリットになることも話しておく。」
メリット?貴族しか立ち入れない書庫に入れるとかだろうか?魅力的ではあるが、そんな私の努力と関係ないところで、得られたところであまり嬉しくない。
他には勤め先関係だろうか。魔法局で身分による差別や嫌がらせはおそらくなるだろうが、腫れ物のような扱いに変わるだけのような気がする。嫌味は多分すごい言われるだろうし、出世できても、実力からではなく公爵家の人間だからだと疑ってしまうだろう。
あぁ、私、すごいネガティブな人間になってしまっているな。
学生だった頃までは、ここまで可愛げのない人間じゃなかったのに。もっと純粋で、おおらかで、少しのことでも幸せを感じられる人間だったのに。
きっと、そのころだったら、彼の告白だって素直にーーー。
「どうした?そんなに嫌だったのか?」
「え?」
シンリが本気で慌てているので、どうしたのだろう、と首を傾げる。彼は、私の顔に手を伸ばし、目元をなでた。
私に触れた指先は濡れていて、それで自分が泣いていたことに気付く。
「ごめん、気にしないで。ただの自己嫌悪だから。続きを話して。」
目元を拭って、続きを促す。調子が狂ったのか、話を始めたシンリの口調には、いつものキレはなく、少し穏やかだった。
「前から、お前匿名で嘆願書出してただろ。お前の地元、ザイナック領を治めるミンヒル伯爵は不当な税を民に課し、逆に収入は少なく国に報告し税金逃れをしていると。」
「知ってたんだ。」
魔法学校に入学すると同時に王都に来て、いろんな場所に住む平民と交流するにつれ、私は自分の地元について違和感を抱くようになっていた。あれ?私たち税金払いすぎてない?と。
税についての法を調べてみると、明らかに私たちの地元の領主様は法律を守っていなかったのである。
すぐに証拠集めに奔走した。といっても、お金がなかったり、忙しかったりで私はなかなか地元に帰れず、おまけに相手も悪いことをしている自覚は当然あるらしく、物的証拠を残してはいかないので、状況証拠を積み重ねていくしかないために時間はすごくかかってしまった。よって、やっと証拠がそろったのは、2年ほど前。
集めた証拠は匿名で税務局に届けたのだが、動きがなく、これはミンヒル伯爵の息がかかったものにもみ消されたな、と思って次の方法を考えていたところだったのだけど…。
「税務局は動いている。もうすぐ摘発されるはずだ。そしてミンヒル伯爵は爵位はく奪の上、牢屋行きだな。」
「え、そんな大事になるの?」
「多分お前は、税務局の誰かがミンヒル伯爵から賄賂をもらって、見逃してもらっている、くらいに思っていたんだろうけど、そんなものじゃなく、隣国に密輸していたんだよ。税として納められた農作物だとかを」
「すっげー悪い奴じゃん…。」
「だから、証拠を揃えるのにも時間もかかってしまったんだよな。ザイナック領の人たちには悪いことをした。」
「・・・いつからシンリは魔法局の人間から税務局のになったの?」
魔法局の人間が何に関わっているんだ。
「一応王族だからな!ザイナック領の領民は、領民である前に、この国の国民なんだから、彼らのために動くのは王族として当然。」
「で、それが何のメリットになるの?」
どや顔のシンリにイラっとした私は話を最初に戻す。
「もっと俺を褒めたたえようとか思わないわけ?魔法局の仕事もこなしたうえ、外交にも領地問題にも励んでるんだけど。」
「はいはいすごいでちゅねー。」
「くそ、むかつく。」
誰よりもシンリがすごいこと、努力を重ねていること、寝る間を惜しんでいること、知っている。けど、それを素直に褒めることができるほど、私は彼を他人だと思えていないのだ。身近な人間だからこそ、ライバルだと思っているからこそ、劣等感や羨望の目で見てしまう。素直に褒めてやるもんかと思ってしまう。
「はぁ、話を戻すと…お前の地元、ザイナック領は一度王領に戻される。そして、周りの現在王領であるインクリング領とスタンジナ領と合わせて、公爵領として指定され、俺が治める。」
「はい?」
「つまり、俺と結婚すれば、お前は地元を好きにできるぞ。」
「いや、おかしい。無理がある。その3領は王都からも遠いし、おもな産業もない。無駄に広いだけで、管理も大変よ。公爵様が治めるような土地じゃない。」
そう言いながら、嫌な予感がする。先ほど、シンリは外交も頑張っていると言った。元より、シンリが魔法よりも外交に興味があったことは知っていたので、何とも思わず聞き流したけど…。
「その3領の共通点は?」
「隣国に接してる…」
だからこそ、ミンヒル伯爵は簡単に密輸ができた。
「隣国との間には深い森が広がっていて、攻め入ることは難しく、隣国とは現在同盟国ということもあって平和だが、それが今後も続くとは限らない。それに、ミンヒル伯爵の件で分かった。深い森は、戦うには不向きだが、悪いことをするには最適だ。ここは、王族である俺がしっかりと管理すべきだろ?」
納得してしまって、私は言葉を失った。本当に、こいつが私たちの領主になるの?
「公爵領になれば、俺の護衛騎士もいくらか連れてこられるし、今より多くの私兵を雇い砦ももっと強固なものにできる。おまけにそこに、天才魔法使いと名高い俺とお前がいたら、隣国への牽制としては十分だろ。」
優秀な魔法使いはただ1人で普通の兵士1000人に値する。魔法学校でも魔法局でも戦闘訓練は必須で、戦えるように鍛えられた私たちはおそらくかなりの戦力になるだろう。ただ私みたいな名の売れていない平民は何の牽制にもならない。そこは持ち上げすぎだ。
「どうだ?結婚する気になってきたか?」
「…今すぐ返事は無理だって。」
確かに、自分の住む村を、自分の手でよくできるというのはすごく惹かれるものがある。普通の農村にももっと可能性があると考えている私には願ってもみない話だ。
「素直になれって。お前は俺のこと、好きだろう?」
「なんでそんなに自信満々なの。」
「ちなみに、俺は魔法学校に通っているときからお前が好きだった。」
真剣な眼差しでそういわれてしまうと、顔が火照るのも避けられない。
私だって、私だって学生時代からずっと好きだった。
でも、彼との間には身分差というこの国ではどうしようもないものが立ち塞がっていて、叶うわけがないと諦めていた。
それでも近くにいたくて、そして近くにいたからこそ、忘れることも出来ず、彼と関わる度に、叶わない思いに胸を痛めた。
でも…。
「結婚は感情だけでしていいものじゃないの。家同士の話で、シンリの場合は、この国の権力配置の問題も…」
「確かにそれはそうだ。」
え、なんか妙にすぐ納得した。それはそれですこし傷つく…いや、そんなぐいぐい押してほしいとかそういう面倒な女ではない。決してそうではない。
「まずは、恋人から始めるべきだったな。」
「へ?」
「まずは付き合ってみて、合えば結婚すればいいんじゃねーか。庶民の結婚ってそういうものだろ。」
「なるほど?」
確かに、お付き合いだけなら、いい…のか?
シンリの顔が、私の顔を覗き込んでくる。こいつ、無駄に顔がいいのだ。
「だめか、アイリーン?」
…う、顔の圧にやられる。
「お、お付き合いだけなら、とりあえず。」
大丈夫、いざとなれば別れればいい話なんだ。ただのお付き合いなら、契約書を交わすわけでもないし、簡単に覆せる。少し付き合ったら、お互いの嫌なところも見えてきて、案外すぐ別れることになるかもしれないし。
「覚悟しておけよ、アイリーン」
悪い顔をしたシンリが、そう言って再び唇を重ねてくる。
私はそれを受け入れて…。
「いや、待って!舌は早い!」
「28にもなって…。」
「年齢関係ないから!関係性の長さの話だから!」
そんな私たちの結婚式が執り行われることになるのは半年後の話である。
最後までお読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。