16/20
⒃『スタンスオブディレイド』
⒃『スタンスオブディレイド』
㈠
幾つかの、不毛な原理に対して、俺は常に、ディレイドした態度で居る。それは、一つには、思考の問題と関連があるのだ。思考、それは思考以外のなにものでもないが、俺にとっては、思考こそ、神と対峙するという意味なのである。
㈡
であるからして、ディレイドするのだから、大概が、神との対峙距離が離れるのである。常々、そのことを不思議に思っていたが、論拠は俺自身の態度にあったのだ。だから、ディレイドを無くせば、不毛な原理も片付くのであるが、神と対峙することになり、アウトなのである。
㈢
何が言いたいのか、自分でもわかってはいない。無論、内容や文章に、矛盾やズレが出て来るところもあるだろうが、それもこれも、俺のスタンスオブディレイドが、すべての意味だ。しかし、ディレイドしなければ、小説は書けない。ディレイドしてこその、俺自身の態度なのである。