4.薄暗い地下
一本道の階段を下りた先に広がっていたのは、薄暗い廊下と複数の部屋だった。
劇場というものにさほど詳しくないわたしだけれど、察しはついた。関係者たちのための部屋なのだろうと。
あの中のどこかにサヴァランがいる可能性だってある。関係者の中に知り合いがいて、会いに行っただけかもしれないと。
しかし、わたしはどうしてもそれ以外の可能性に賭けてみたくなった。地下の壁に手をついて、音を探る。
妖精が発する声なんて聞こえるはずはないが、それ以外の音という音を拾ってはくれないかと。
すると、わたしの願い通り、あらゆる音が伝わってきた。舞台で流れているだろう演奏の音、その裏で話している人や妖精の声、そして、そのほかの場所で響く足音たち。
この中からサヴァランだけの音を拾うなんて無謀だ。早くも諦めかけたその時、廊下の奥からこちらに向かってくる足音が響いた。
目をやると、そこには劇場の係員の青年がいた。表で観客たちの応対をする者たちよりもだいぶ質素な制服を着ている。
「おや、道に迷ったのかい?」
こちらに向けてくるその友好的な声と表情にまずはホッとしていると、わたしより先に隣にいたビスキュイが口を開いた。
「あの、すみません。こちらに真っ黒な髪の男性が来ませんでしたか? サヴァラン様っていうお方なのですが、僕たち彼に伝言があって……」
かなり大胆な嘘だ。しかし、ビスキュイの表情からそれが嘘だと見抜くのは難しい。案の定、係員の青年は欠片ほども疑わずに一方を指さしてくれた。
「サヴァラン様ならあちらに行ったよ。第三練習室で人と会う約束をなさっているそうでね。場所は分かるかな?」
彼に言われ、わたしとビスキュイは首を振った。
すると、青年はにこりとしながら教えてくれた。
「ここを真っすぐ行って、最初の分かれ道を右に曲がったら階段がある。その階段を下がってすぐの場所だ。練習室は一つしかないからすぐに分かるはずだよ」
「ありがとうございます!」
わたしはすぐにお礼を言うと、速やかに立ち去ろうとした。
「ああ、他の人の邪魔にならないようにね」
係員に言われ、わたしは何度も頭を下げた。
ビスキュイも一緒だった。手を繋ぎ、何度も頭を下げて、わたし達は言われた通りの場所へと向かった。
言われたとおりの道を進み、右に曲がると、彼の言っていた通りの階段があった。その階段を下りると、さらに灯りは乏しくなる。
妖精の目なら問題なく見えると言っても、さすがにこれ以上暗い場所は不気味でしかなかった。その先に待ち受けているのがサヴァランであると思うと尚更のこと。
しかし、怖気づいている場合ではない。
忍び足で階段を降り、壁に手をついて音を探る。舞台やその裏側からと思しき音は遠ざかり、代わりに沈黙が多くなった。しかし、微かにだが話し声らしきものが伝わってきた。
サヴァランだろうか。そこまでは分からない。だが、わたし達は慎重に、気を配りながら、階段を下りていった。
下の階にはさらに静かな廊下が広がっていた。静かなだけではなく、やけに冷気を感じる。そこがまた不気味だった。部屋はすぐに分かると言っていた通り、突き当りに一つしかないらしい。しかし、その突き当りに行く途中に分かれ道があり、微かにだが外の風を感じた。
「第三練習室だったっけ」
ビスキュイが小さく呟く。わたしは彼の言葉に頷きつつ、廊下の壁に手を突いた。舞台の音はもう殆ど聞こえない。先ほどの青年のものと思しき足音が聞こえた。そしてもう一つ、階段からはあまり聞こえなかった新しい音も。
──話し声、だろうか。
隠れ潜みながら、わたしは声のする方向を目指した。ビスキュイもすぐに後を突いてくる。途中からは手を繋ぎ、壁に手を付けたまま、話し声の方向を探り続けた。
どうやら突き当りではないらしい。途中で枝分かれしている道の先だ。
分かれ道からそっと覗き込んでみると、その通路の奥は思っていた通り、外へと繋がっていた。鉄格子の扉で阻まれているが、その隙間から夜風がこちらに向かって吹いてきている。この場所がやけに寒いのは、このせいなのだろう。
わたしは目を細めた。
格子扉の傍で、灯りを持っている人物がいる。たぶん、あれがサヴァランだ。しかし、彼一人ではない。扉を挟んだ向こう側に、他の人物の影が見えた。
「それで……そのオスは取り逃がしたというわけか」
冷たいその声は、間違いなくサヴァランだった。
では、その相手は誰だろう。
明らかに不機嫌なサヴァランの言葉に、扉の向こうの人物は項垂れていた。
「申し訳ございません、ご主人様」
目を凝らし、その人物の顔をよく見ようとした。
人間のように見えるが、恐らく人間ではないだろう。容姿の詳細を掴もうとしても、遠目であることと、暗すぎることでよく分からなかった。
だが、声だけは、はっきりと聞こえた。
「不甲斐ないわたくしを、どうかお許しください」
懇願するように囁く彼女の声。
それは非常に聞き覚えのある、馴染みのある声だった。




