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蝶々たちのエレジィ  作者: ねこじゃ・じぇねこ
2章 蝶の王国
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6.ひと時の夢

 ビスキュイに会えないと思うと長く感じた半月も、カモミーユと過ごしていると過ぎ去るのが惜しいほど早く感じられるから不思議なものだ。

 最高の親友に早く会いたい気持ちはちゃんとあるのだけれど、恋の季節のせいなのか、今のわたしは身も心もすっかりカモミーユの虜となってしまっていて、ふと冷静になると、二つの感情に身を引き裂かれそうになっていた。

 彼がどう過ごしているのかは分からないけれど、少なくともわたしの方はカモミーユとの時間をとことん楽しんでいた。けれど、身を寄せ合って、散々甘えた末に生じるのは、カモミーユ自身がどう思っているのかという疑問と不安だった。

 花の妖精にとってこれは、お仕事の一環に過ぎないのではないだろうか。本当はやりたくないのに、人間たちに逆らえずに嫌々やっているのではないか。一度、そんな不安を抱いてしまうと、次第に耐え切れなくなっていく。


「ねえ、カモミーユ」


 とうとうわたしはその疑問を口にした。


「わたしに蜜を奪われることは苦痛ではないの?」


 カモミーユがここにやってきて、ちょうど一週間経った日の昼下がりのことだった。

 硝子張りの壁から差し込む日光と、カモミーユの香りと温もりを存分に楽しみながら、遅い昼食を味わった後のひと時。膝枕をして貰いながら、よく懐いた獣のように撫でてもらいながら、わたしは訊ねたのだった。

 すると、カモミーユは微笑みながら答えてくれた。


「いいえ、ちっとも」


 そう言いながら、そっと顔を覗き込んでくる。

 透明感のある長い髪がすっと垂れてきて、わたしはその輝きに目を奪われていた。


「あなたが美味しそうに蜜を味わう時、わたくしは至福の時を迎えているのです。それが花という生き物。この蜜は王国の一員となる前から、あなた方を誘うためにあるのです。決して人間の為ではない。蜜を欲する妖精に直接吸われる方が、わたくし達はむしろ、楽な気持ちになれるのです」


 彼女の言葉にわたしは少しほっとした。けれど、同時に心細さも感じてしまう。カモミーユを見上げたまま、うんと小声でわたしは言った。


「カモミーユ、あなたは人間が嫌い?」


 すると、カモミーユは妖しく目を細めてからさらに小さな声で囁いてきた。


「嫌いではありませんよ。けれど、あなた方、蝶の妖精ほど好きにはなれない」

「シャルロット様のことも?」


 不安になって訊ねてみると、今度はカモミーユの表情に複雑な笑みが浮かんだ。


「それはどうでしょうね。シャルロット様はわたくしにとって母親代わりでもあって、絶対的な信頼のおける御方でもあります。けれど、実の母親や同じ花の妖精たちほどの親しみはありません。彼女は人間で、わたくしは妖精ですもの」


 カモミーユはそう言うと、わたしを見つめて訊ねてきた。


「マドレーヌ様はどうです? 主人であるフィナンシエ様の事を、実のお父様やお兄様のように思えますか?」


 その問いに、わたしは少しだけ考えて、そしてゆっくりと首を振った。


 フィナンシエのことは好きだ。

 逆らえないわたしに優しくしてくれるし、出来るだけ快適に過ごせるようにと計らってくれる。妖精にとって良い主人であることは間違いないし、愛着だって親しみだってある。

 けれど、同じ蝶の妖精ほどの親しみはあるだろうか。ビスキュイとフィナンシエのどちらに話しかけやすいかと言われれば、まず間違いなくビスキュイだろう。

 どんなに優しくしてくれても、フィナンシエは人間でわたしは妖精。

 この違いは大きかった。


「そうでしょうとも」


 カモミーユは言った。


「シャルロット様は花の妖精にとって、この上ない主人です。彼女の元に生まれ落ちた事は、花の妖精として間違いなく恵まれた事。それでも、息苦しさを覚えるときはあります。わたくしだけではなく、他の花たちも同じです。だから、わたくし達の先祖は人間たちの目を盗んでこっそりと、蝶の王国に仕えていた頃の栄光を語り継いできたのでしょう」


 そして、カモミーユはわたしの唇に指をつけた。

 昼食はとったばかりだ。

 それでも、仄かに甘いその味が染み込んでくると、唾が出てきてしまう。


「わたくしにとって、シャルロット様との日々は幸せでもあり、贅沢でもあり、窮屈でもあります。だから、正直に言って、恋の季節は待ち遠しい。こうして蝶の女王のお血筋のお方々に楽しんで貰える時は、わたくしにとっても息抜きとなっているのです」


 カモミーユの言葉に、わたしは安心感を覚えた。嫌々ではないどころか、役にも立っているなんて。そう思うと不安は消え去り、その蜜をもっと欲しくなってしまう。

 けれど、キュイエールとの約束を思い出し、わたしはその手に口づけをするに留めた。

 蜜をどのくらい渡すか決めるのは花の妖精たち自身でもある。カモミーユがどうしたいのか、はっきりと分かるまでは手を出してはいけない。

 そのことを肝に命じながら、わたしはカモミーユの手を握ったままその顔を見つめた。


「よかった」


 小さく呟いて、わたしは感じたままのことを言葉にした。


「わたしだけが勝手に楽しんでいるわけじゃないって分かって嬉しい。カモミーユ。わたしはね、あなたと一緒にいると、まるで自分が蝶の王国の一員のような気がしてしまうの。本当に王女様になっているかのよう。女王のお母さまがいて、美しい王国で毎日顔をあげて誇り高く暮らしているかのような気持ちになるの」


 よくない妄想だ。あまり口に出して良い事ではない。

 けれど、カモミーユは黙って聞いてくれた。

 そんな彼女にわたしはとことん甘えた。


「せめてこの恋の季節の間だけは、あなたにそんな夢を見させてほしいの」


 すると、カモミーユは微笑みながら、わたしに顔を近づけてきた。

 口移しでほんの少量の蜜を飲まされ、その味に思考が溶かされるような感覚に浸っていると、耳元でカモミーユは優しく囁いてきた。


「もう一度、一緒に見ましょうか。その栄光の夢を」


 魅惑の囁きに抗えず、大人しくわたしは頷いた。

 カモミーユが良いと言うのなら喜んで。そんな気持ちで心身を委ねると、途端に甘美の味が身体に沁み込んできた。

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