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蝶々たちのエレジィ  作者: ねこじゃ・じぇねこ
1章 良血蝶々
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11.翅有蝶々

 その騒動が起こったのは、わたしとビスキュイがフィナンシエ様たちの元へ戻ろうとしていた時だった。

 通りかかったのは爽やかな印象のあるテラスの近くで、わたしやビスキュイよりも年上の妖精とその主人が談話を楽しんでいる場所だった。

 その向こうにはヴェルジョワーズの屋敷が誇る美しい庭と噴水が見える美しい場所なのだが、その噴水に招待されていない客人が現れたのだ。

 客人の一人がそれに気づくと、騒動はあっという間に広がった。

 わたしとビスキュイも何となく気になって、彼らの指し示す方向を見にいった。そして、その思わぬ姿に驚いてしまった。


 ──妖精だ。


 勿論、妖精が会場にいるなんて驚くべきことではない。

 花蜜酒に酔った妖精がほんの少し羽目を外し、主人のもとを離れて噴水近くで涼を取ろうとすることだってあるだろう。いやいや、問題はその妖精の風貌だった。

 招待客ではあり得ない姿。着ている服は施しで貰ったか、自ら拾ったとしか思えない布切れだったのだ。それを大胆に被っている。靴など履いてはいない裸足だし、髪も短く整えてはいるが、櫛など通しているはずもない乱れ髪だった。身体も小さく痩せていて、肌も汚れていて、見るからに場違いなお客様だったのだ。


 大勢の注目を浴びながら、その小柄な妖精は噴水の中へと飛び込み、視線など全く気にせずに布をがばっと脱ぎだした。そしてその全身が露わになった途端、ざわつきが起こった。わたしはその妖精の姿を見て、思わずビスキュイの手をぎゅっと握ってしまった。

 その妖精の背中には翅があったのだ。

 しかし、先ほど見せてもらったミルティーユの絵のような立派な蝶の翅ではない。出来損ないの小さな翅が二つ背中にちょこんと生えていた。衣服に隠れるほど小さい翅だ。あれでは空も飛べないだろう。

 目を奪われている間に、周囲にいた人間たちがざわつきだす。


「おいおい、あれって……」

「野良妖精?」

「は、翅有はねありじゃないか!」

「どこから入ってきたんだろう」

「ヴェルジョワーズはどこ? 早く伝えないと」


 突如現れた真っ裸の妖精の姿に、招待客たちは困惑していた。特に良血妖精たちの眼差しは厳しいものがあった。同じ妖精だからこそ、なのだろう。


「全く雑種はお呼びじゃないよ」


 小声でそう言ったのは、わたしとビスキュイのすぐ隣にいた良血妖精の青年だった。

 翅がないわたし達と、翅がある同胞たち。その違いは大きいのだと確かに散々言い聞かされてきた。それゆえに、現代の翅有妖精は見下され、その一方で憐れみの対象にもなる。ともあれ、良血と彼らは違う。そういうプライドを先輩妖精からじかに感じると、いささか居心地が悪くなってしまった。


 けれど、周囲がどんなに厳しかろうと、当の翅有妖精は全く気にしていなかった。彼女──恐らく少女だろう──の目的は、噴水で身体の汚れを落とす事らしい。手慣れた様子から察するに、常習犯なのだろう。だが、悪い事だとしても、あまりにも堂々としているせいで、その翅有妖精を軽蔑することすら忘れてしまったのだ。

 わたしはその自由奔放な翅有妖精から目を離せずにいた。ビスキュイの手を握り締めたまま、噴水で水浴びをする無邪気なその姿に見惚れていた。

 確かにその妖精は人間たちの求める理想の姿ではないだろう。けれど、水の煌めきと、小さな翅と、そして水を受けて輝くそのきらきらとした目の美しさが、わたしの脳裏に焼き付いてしまった。


「ヴェルジョワーズ様!」


 近くにいた青年妖精の声が聞こえ、わたしもまたビスキュイ共々振り返った。ヴェルジョワーズはわたし達の傍までやって来ると、じっと噴水を見つめ、少しだけ安堵したようにため息を吐いた。

 そしてくるりと振り返ると、招待客たちを向いて声をあげた。


「ここ最近、お庭に遊びに来る野良妖精の子よ。可愛げのある女の子だからどうか安心して。こちらが困るような深刻な間違いなんて起こりえないわ。それに、悪い子ではないの。放っておけばすぐに何処かに行ってしまうから、どうか優しく見守ってあげてちょうだい」


 そして、ヴェルジョワーズは両手を合わせ、声を弾ませた。


「ああ、そうだ。それよりも皆さん、もう間もなくダンスホールで話題の楽団による素敵な演奏会が始まります。ぜひとも移動なさってください」


 その言葉に招待客たちは早くも翅有妖精から興味を失った。

 ぞろぞろとヴェルジョワーズと共に去っていく姿をしばし見送り、わたしはふともう一度、噴水で水浴びをする翅有妖精の姿を見つめた。相変わらず彼女は水浴びを続けていた。ヴェルジョワーズご自慢の噴水も、今やあの妖精の贅沢な浴槽となっている。素っ裸であることを恥じらいもせず、小さな翅の付け根まで水でこするその様子は、まさしく野性動物のようだった。

 その堂々たる姿に気を取られていると、不意に手を引っ張られた。


「ねえ、マドレーヌ」


 ビスキュイだ。耐え切れなくなったらしい。


「僕らも行こうよ。あんまりじろじろ見つめない方がいいよ」


 その言葉にわたしはようやく我に返った。

 確かにはしたない事だ。それに、演奏会が始まってしまう。きっとフィナンシエたちが待っているはずだ。

 ようやく自分の立場を思い出して頷いて、そして名残を惜しんで最後に噴水へと視線を向けてみた。どうやら髪まで洗うつもりらしい。

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