酒
タクヤのおかげで、今年の冬籠りでは、食料を切らすことなく、かつ無駄にすることなく乗り切ることができた。すっかり雪も溶けて、花も咲き始めている。
「では、いきます」
「うん。サラがそれでいいなら」
わたしは、タクヤの目の前で、契約書を勢いよく破った。この契約書は違えることは許されないが、魔力を込めた者が破ることによって、効力を失う。居場所であるからこそ、この契約書は必要ないと思った。
他に、冬から春の間に変わったことといえば、タクヤとのスキンシップや、その…キスが増えたことだろうか。回数を重ねたら慣れる、というわけではないようだ。心臓は高鳴る一方で落ち着く様子がない。いつか飛び出してしまうのではないかと思う。
* * * * *
「そういえばタクヤ、酒飲めるんじゃないか?」
久しぶりに会ったゴードンのその一言が、すべての始まりだった。
「お酒って、何歳から飲めるんですか?」
「20歳からだ」
「その辺は元の世界と一緒なんですね」
タクヤがいた世界も、お酒は20歳かららしい。
「それなら、ちょっと飲んでみたいです」
「おぉ、そうか。じゃあこれとかおすすめだぞ」
ゴードンはそう言いながら、酒と書かれた缶をいくつか取り出した。たまたま荷台からおろすのを忘れて、ここまで持ってきてしまったらしい。
「重いからもらってくれよ。サービスだ」
「そういうことなら、ありがたくいただきます」
* * * * *
その日の夜、薬を作り終わった後、わたしはタクヤに背を向けて洗濯物を畳んでいた。何やらガサゴソと音がすると思って様子を見に行くと、タクヤが棚からコップを取り出していた。
「せっかくゴードンさんからもらったし、お酒、飲んでみようかな」
少し楽しそうな声に、嫌々飲むわけではないのだろうと考え、酒を飲むことを止めなかった。
「最初は少しにしておいた方がいいですよ」
「うん。しばらく飲んでないから、前より弱くなってるかもしれないし…」
普段からしっかりしているタクヤのことだから、酒でやらかすことはないだろう。そう思っていたのが間違いだったと、後に気づくことになる。
* * * * *
洗濯物を畳み終えたとき、物音がひとつもしないことに気づいた。
「タクヤさん?」
声をかけても返事がない。気になって振り返ると、タクヤが机に突っ伏していた。
少量にしておくように、と伝えたはずなのに、たくさん飲んでしまったのだろうかと心配になった。ちょうど洗濯物を畳み終えたところだったので、様子を見るために、タクヤの元へと歩み寄る。
机に置かれた缶を見たが、1つしか蓋が空いていなかった。ということは、飲み過ぎではない。もしかして、こちらの世界の酒が体質的に合わなかったのだろうかと不安になる。元の世界と名前は違うものの、よく似た食材が多いと聞いていたし、今までこんなことはなかったので、油断していた。
「タクヤさん!大丈夫ですか?」
「……あ〜、サラ〜」
わたしの呼びかけに、タクヤがムクッと起き上がって、間延びした声で答えた。ニコニコと楽しそうな表情をしているタクヤの顔は、赤く染まっている。
「気持ち悪かったりとかしませんか?」
「ん〜。ふわふわする〜」
ふわふわというより、ふにゃふにゃしているように感じるが、体調が悪くなってはいないようなので安心した。
なんとなくだが、このタクヤの感じに心当たりがある。もしかして、以前、本で読んだことがある"酔っ払い"というやつに近いのでは…?それなら、体内の酒が抜ければ元に戻る。
「もう、心配させないでください」
とりあえず、タクヤがこれ以上飲まないように酒を片付けなければと思い、残っていた缶を手に取った。するとタクヤに、缶を持っていたのとは反対の手を掴まれる。わたしは驚いて、思わず振り向いた。
「…びっくりした。どうしました?」
酒を飲んだからなのか、タクヤの手が普段よりも熱い気がする。
「サラは〜のんじゃダメだよ〜。こどもには〜まだはや〜い」
酔っ払ったタクヤには、わたしがこの酒を飲もうとしているように見えたらしい。こんな時にまで、律儀に止めようとするところがタクヤらしくて、思わず笑みがこぼれた。
「飲みませんよ。タクヤさん、酔ってますね?」
「ぜんぜんよってませ〜ん」
酔っ払いはだいたい、ベロンベロンに酔っているのに、酔っていないというものだと聞いたことがある。まさかタクヤに証明されることになろうとは…。
「気持ち悪かったりとかしませんか?」
「ん〜。ふわふわする〜」
ふわふわというより、ふにゃふにゃしているように感じるが、体調が悪くなってはいないようなので安心した。
「お酒を棚にしまいたいので、その手、離してもらえますか?」
「やだ」
「え?」
「サラが、にぎって、っていったのに」
タクヤからまっすぐ見つめられて、わたしの顔が赤くなっていくのが分かる。わたしから、手を握って、なんて言ったのは、あの時しか心当たりがない。
「いやっ、あれは、風邪をひいたとき特有の人恋しさからでして…」
「ふ〜ん」
少しむくれた顔をしたタクヤの視線が、わたしの手にうつった。ほっとした途端、タクヤの長い指が、わたしの指と絡み合う。
「ちょっ、くすぐったいですよ」
タクヤは何も言わず、指を絡めたまま、ギュッとわたしの手を握った。
「サラのて、ちいさいね〜」
「…当たり前じゃないですか」
タクヤの、少し骨張った大きな手に比べたら、わたしの手なんて小さいに決まっている。
「かわいい」
動揺しちゃダメだ。これは手のサイズ感がかわいいと言っているだけで、わたしのことでは断じてないと自分に言い聞かせている間も、タクヤはわたしの手を弄んでいる。手を見ないように、タクヤの顔へと目を逸らす。その時、最初の頃よりも、タクヤの目がトロンとしてきていることに気づいた。
「タクヤさん、もう寝ましょう」
わたしは、酒をしまうのを諦めて、まずはタクヤに離れてもらうことを優先することにした。手に持っていた缶を、タクヤに気づかれないよう、机の上にこっそりと戻す。
「うん」
手を繋いだままだったのが良かったのか、軽く引っ張ったら、意外と素直についてきてくれた。そこで、今日はまだ、床に布団を敷いていなかったことを思い出す。敷いている時間はないので、仕方なくベッドへ連れて行くことにした。今日はわたしが床で寝よう。
「タクヤさん、今日はベッドで寝てくだっ、ひゃっ」
不意に、タクヤにベッドへ押し倒された。さっきまであんなにふにゃふにゃしていたとは思えないくらい強い力で、両腕を押さえつけられている。これでは、逃げたくても逃げられない。
「タクヤさん、どうしたんですか…?」
そう言っている間にも、真っ赤になったタクヤの顔が、こちらへどんどん近付いてくる。いつもと違うタクヤの雰囲気に、怖くなって思わず目を瞑った。ところがその直後、なぜかゴツン、と右肩に衝撃が走る。
「………ん?」
隣を見ると、タクヤがスースーと気持ちよさそうに寝息をたてながら爆睡していた。タクヤの顔がすぐそばにあり、右耳に吐息の温もりさえ感じてしまう。
「どうなってるの……?」
わたしの心臓をここまでドキドキさせておいて、あとは放置なんて聞いてない。なにも起こらなかったことが少し寂しいと思ってしまうあたり、わたしも酒の香りで酔ってしまったのかもしれない。
「もう、このまま寝ちゃおう」
体の力を抜いて、ベッドに身を委ねる。気持ち的にも疲れていたためか、目を瞑ると、すぐに睡魔が襲ってきたので、そのまま大人しく眠りについた。
――翌日、酒を飲んでからのことは何ひとつ覚えていないというタクヤに、謝り倒されたのだった。
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タクヤ、手フェチ説。




