2 見知らぬお嬢様にいきなり踏みつけられたんだが
『ぼーっとしてどうしたの、坊や?』
目覚めるとママンときょうだいたちがいた。ママンが俺のほほをなめる。
大丈夫だよ、ママン。俺ってば変な夢を見ていたみたいだ。
人間になる夢。気がつくとまたネコだったから、あっちが夢だったのかにゃん?
兄ちゃん遊ぼ! と兄弟たちがニイと鳴いて俺の背中に乗ってくる。おいこらやめろよ。ネコパンチ! ペシペシ! どつきあって転がる。
美ミケのママン、茶色の弟一号、クロブチの弟二号ニャン。そばにあった水たまりに姿を映すと、俺は赤茶色のトラハチワレでグリーンアイのスーパーイケニャンだったぜ。短くてくるっとした茶色い尻尾がチャーミングだ。
パパンはいないのかな。ニャンと鳴いてママンに聞くと、狩りに行っているのよと教えてくれた。
にゃんと、俺ってばネコになったら猫語ペラペラになってる。
『あなた達も大人になったら、自分で狩りをできるようになるのよ』
『うにゃ! 俺、狩りできるようにがんばる!』
『おれも!』
『おらも!』
大きくなったら、兄弟で誰が一番大きいエモノをとれるか競争しような。と笑いあう。
しかしネコの癒される日々が、突如現れた悪魔によって踏みにじられた。
銀髪ロングヘアの、きっつい目つきをした少女が、俺達家族の前に立ちはだかったのだ。
ママンいわく、ここは庶民街だ。
目の前の少女はドレスを着て着飾って、数人のオトモを連れた、明らかにこの場に不釣り合いな女。
貴族ってやつが、まず近寄らない場所……のはずである。
その貴族の少女が、まっすぐ俺を見下ろして言い放った。
「お前、イナバか? ちょうどいい。おれに協力しろ。これは命令だ。お前に拒否権はない」
『ニャ? アンタ何いってんにゃ?』
聞こえるわきゃないが、一応ネコ語で聞き返してみる。
この上から目線で横暴な物言い。身近に一人だけいたなぁ。
俺に自分の分担である仕事を押しつけて、成功すれば自分の手柄。ミスは全て俺のせいにする。ジャイ○ンを具現化したようなオッサン。
鬼島優悟。
名は優しさを悟ると書くのに、当人は優しさを1ミクロンも持ちあせていないドクズだ。
片方の口のはしをあげる特有の笑みが、まさに鬼島。
『なんなのアナタたち。私のかわいい子たちに手を出さないで!』
「用があるのはイナバだけだ。邪魔するな薄汚いネコが」
少女がママンを蹴飛ばした。ママンはネコ。相手は少女とはいえ、人間。力の差は歴然だ。ママンがゴロゴロとレンガ道を転がって、きずだらけになる。
「キシリアお嬢様! そんなものに触れたらお召し物が汚れてしまいます!」
オトモがハンカチを出して、少女キシリアのブーツを即座にぬぐう。
ママンの怪我より靴を気にするってどういうことだよお前ら。
『ママンに何すんだ!』
「はん。その薄汚いのが母親? イナバ、精神まで畜生に成り下がったか?」
俺はキシリアに飛びかかる。弟たちも後に続く。が、少女に届く前にオトモに蹴飛ばされた。くそイテェ。ネコの体、やわすぎる。
歯を食いしばって立ち上がる俺を、キシリアがゴキブリでも見るような目で嘲る。
「これ以上お仲間を傷つけられたくないなら、無駄な抵抗しないで素直に従え。無能が上司に逆らうな」
『行っちゃだめよ、坊や! 貴族はわたしたちを替えのきくおもちゃくらいにしか思っていないのよ!』
ママンが傷だらけになりながらも、俺を守るために起きた。キシリアに蹴られて痛いはずなのに。
ごめんよママン。俺、ママンがこれ以上傷つくの見たくないよ。
「乱暴なことはやめてください! ネコちゃんたち怖がっているじゃないですか!」
女の子が飛び出してきた。
ココアのような濃い茶色の髪を左右でおさげにしていて、モスグリーンの丸い帽子をすっぽりかぶっている。
見た目の年は中学生くらい。人間だったときの俺の妹と大差ない。
青ざめて震えながらも、女の子は俺たちを守ろうと両手を広げる。
「そこをどけ。おれはソレに用がある」
「い、いやです! この子たちに暴力を振るわないで」
キシリアのオトモたちが、拳をかため、頑としてどかない女の子に殴りかかる。
『にゃーーーー! わかった。いくにゃ! だから、俺の家族にもその子にも手を出さないでくれ』
俺が叫ぶと、キシリアは他人が己に従うのが当然という顔をして鼻を鳴らした。
「わかればいい。そこの娘、名前は」
「……ステラです」
「ステラか。おれに盾突いたこと、覚えておくぞ」
キシリアはきびすを返して歩き出す。俺はオトモにつまみ上げられて、家族と引き離される。
「ネコちゃん」
ステラちゃんが、藍色の瞳をうるませて俺に手を伸ばす。
『家族を助けてくれてありがとう、ステラちゃん。それだけでじゅうぶんだ。これ以上逆らったら君が危ない目に遭うよ』
俺の言葉が伝わったかはわからない。ステラちゃんは泣きそうな顔で、力なく手を降ろした。