幽体離脱癖のある彼女。だけど、俺には霊感があるからなんの問題もない。
「帰るぞ」
「うん!」
差し出した俺の手を、ぎゅっと両手で握ったミカは、視線を俺の手から顔へと移した。
ふふっ。と照れ臭そうに、嬉しそうに笑う。
ミカの顔はおしゃべりだ。その表情だけで、俺への愛が溢れているのが分かる。
「あん、あ、あぁー」
「どうした? ヤバいか?」
ミカの腰に手を回して、力を入れた。
「うぅ……ん。あ、あん、あぁぁーー!」
艶めかしい声で予告した通り、ミカは逝ってしまった。
宙に。
浮いている。空に。
俺は慣れた手つきで、腰に回した手でミカを支え、もう片方の手をミカの太ももの下に滑らせる。姫抱っこで抱え上げた。
チビのはずのミカと視線の高さが同じになった。もう1人のミカ。
ペロっと舌を出して、頭を掻いている。
「また出ちゃった」
「でも予告してくれるようになったから、こうやって抱き留めてやれる」
「へへっ。トールが、せめて出る前に予告しろって言うから、頑張ったんだ」
「それは良し。どうする? 家まで送るか? それともうち来るか?」
「うーん。トールん家行く」
「おけー」
中身のないミカの体は抱えて、宙に浮いたミカと会話する。
宙に浮いた幽霊のように透けた体のミカは、嬉しそうに微笑みながら俺の肩に手を回す。
側から見たら異様な光景だろう。抱えた女子には目もくれず、空に向かって独りで喋っているのだから。
ミカとは付き合って2年になる。その前は仲の良い友だちだった。
淡い気持ちを胸に秘めながら仲良しの友だちの立ち位置をキープしていた。
だけど、たぶん、お互い気付いていた。俺にはミカ。ミカには俺。そのイコールで結ばれた方程式に。
***
いつものように学校の屋上でミカと一緒にメシを食っていた。柵にもたれて並んで弁当を食う。日毎俺たちの間の隙間は、どちらからというでもなく埋まって行っていた。
後ろから俺たちを照らす太陽が、影を作る。影の間の光が狭くなり、最近じゃあ、溶け合うように重なっている。
影だけじゃなく、実体をいかに近付けるか考えを巡らせていると、ミカが喧嘩腰に迫ってきた。
「ちょっと! 言いたいことがあるんだけど!」
……なんだ? やらしいこと考えていたのを見透かされたのか……?
あまりのぶっきらぼうな口ぶりに何を言われるのか、とハラハラする。「近すぎ!」? 「もうちょっと離れて!」?
探るように見つめていると、ふっとミカの体から煙みたいな白い影が抜けていった。何が起きているのか分からず、目を離せずにいると、気を失ったように瞳を閉じた。
目を閉じたままのミカが、俺の胸にポスンと体を落とす。ミカの体は脱力していて、そのままズルズルと俺の胸から腹の方へと移動していく。
慌てた俺は持っていた弁当を落としたことには目もくれず、ミカの体を支えた。頭の上から視線を感じて、顔を上げた。
……ミカと目が合った。
……おかしい。俺の胸に顔を埋めているはずのミカと目が合うはずがない。
あまつさえ、腕を背中に回して、しっかりと腕の中に閉じ込めているはずのミカが。
さりげなく頭にキスしちゃっているハズのミカが。
目の前にいる。
……そういうことか。
ミカを腕の中に閉じ込めたまま、ミカと目を合わせていると、不思議そうな顔で、俺の肩を叩く。
ミカの手はスカッと俺の体をすりぬけた。
「あれ?」
自分の掌を見つめて首を傾げるミカに、話かけてみた。
「ミカ?」
「うん、なに?」
「こっち」
ミカの頭を抱えたまま、視線を下げると、掌を見つめていたミカは、ガクガクと手を震わせた。頬には涙がつたっている。
「……それ、……あたし?」
「うん。ミカ。ほら」
腕に閉じ込めていたミカの体を傾けて、ミカにミカを見せた。
「……どういうこと? あたし……死んじゃったの?」
わなわな震えるミカに落ち着くよう声をかける。こういうこともあるだろう。
「アンタなんでそんなに落ち着いてんのよ! あたし死んじゃったんだよ?!」
「落ち着けって。お前は死んでねーよ」
「どうしてそんなことが言えるの? あたし自分を見下ろしてんだよ?」
人差し指を立てて、ミカに説明する。
「まず第一に、俺は霊が見える」
得意げにミカに視線を向けると、カッと怒りに顔を赤くした。
「ほら! やっぱ死んでんじゃん!」
「待てって。もう一つ」
俺は、中指を立てた。
「俺は生き霊と死霊の違いも分かる」
固唾を呑んで、俺の次の言葉を待つミカを凝視しながら、腕の中にいるミカを抱きしめた。
「3つめ。お前の体は温かい」
「本当? ……でも、死んでそんなに経ってなかったら、まだ冷たくは……」
「4つ」
不安そうに自分の体と俺を見比べるミカを見ながら、俺は、自分の頬をミカの口元に近付けた。
「ちゃんと息してる」
「……本当? あたし……息、してる? 死んでない?」
「あぁ。お前も耳を近づけてみろよ」
俺の言葉に素直に従い、ミカは自分の口元に耳を近づけた。静かに耳を澄ませたあと、ホッとしたように息をついた。
「本当だ。良かったー。あたし生きてる。……生きてるね!」
「言ったろ?」
「うん」
「……だけど、なんでこんなことに……? どうしたら元に戻れるの?」
「それは分からん。要相談。でも大丈夫。必ず戻れるはずだから」
小さい時から霊が見えた俺。いたるところには霊。小さい時は怖かったけど、みんな生きていた、俺と同じ人間と思うと、怖くなくなっていった。
だからといって積極的に関わることはしなかったし、見えないフリは必須だったけど。
あこにも霊。ここにも霊。そんな生活を続けていたある日。明るい陽射しに包まれたような霊と、グレーの影に包まれたような霊がいることに気付いた。
陽射しに包まれた霊が生霊と気付くのにそう時間はかからなかった。近所にいる生霊は、だいたいご近所さんだったからだ。
だから大丈夫。ミカも絶対戻れるはず。
そう言うと、ミカは安堵のため息を吐いた。ミカの視線が俺の顔からミカに移る。何かに気付いたようにハッとして、強ばり、唇を尖らせた。そのまま目を閉じて、両手をブンブン振り回す。地面から少し浮いた方のミカが。
「さっきのなんなのよー!!」
「さっきのって?」
「今もよ! それ! 何、人の体しっかり抱きしめちゃってんの? ほっぺ近づける仕草とか! いやらしい!! えっち!!」
何を言ってんだか。高1にもなってミカは何も分かっていない。
「ラッキースケベは素直に受け入れるのが男ってもんだろ」
無防備な好きな女を目の前にして、抱きしめる以外の選択肢なんかあるわけない。
「はぁ?? 何開き直っちゃってんのー!?」
顔を真っ赤に染めて、ポカポカと俺を叩こうとするが、全て俺の体をすり抜けていく。
……ヤベ。かわいすぎ。
「で? 何? 話があるって言ってただろ?」
「はぁ? このタイミング? あたし今、生き霊! 自分の体に戻りたいの。それが最優先事項!!」
「いやいやいや。何か話そうとしてて魂が出ちゃたなら、話そうとしていたことに幽体離脱の原因があるかもしれないだろ?」
よほど話したくないのか、訝しげな表情を浮かべながら「え、でも……。この状況で? いや、でも言った方が……」とぶつぶつ独りごちている。
「このままじゃ教室戻れないだろ? やれることはなんでも試してみた方がいいと思うけど?」
「……うぅ。分かった……。話す……」
「おぅ。言ってみ」
「……き」
「あぁ? 聞こえねー」
「……すき!!」
……うん。聞こえてた。ちゃんと聞きたかっただけ。
空っぽのミカの頬に手を添え、少し力を入れる。ミカの顔がコテンと俺の方を向く。ミカと視線を交わしたまま、ぷくっとしたピンク色の唇を奪った。
「俺も」
瞬間湯沸かし器のように、ミカの顔は赤く燃え上がり、頭からは煙があがりそうなほどだ。口をパクパクさせている。
そんなミカを見つめながら、もう一度ミカにキスをした。
「俺も」
「な、な、な、な……」
「なななな?」
「なんなのよー!! 人の体に何してんのよー!!」
恥じらいを隠すように怒って見せるミカは俺の頭をめがけて、拳を振り上げた。
もちろん空振り。
空ぶる拳を見つめながら、地団駄を踏む。もちろん踏めてはいない。地団駄さえも空振りだ。
「そろそろ戻れ?」
「戻れるもんなら戻ってるわよ!!」
「ふぅーん。こっち来てみ。体に近付いたら魂が引っ張られるんじゃないか?」
「……やってみる」
コクリと頷いたミカは滑るように自分の体に近付いた。体と同じ姿勢を魂のままでとる。ミカの体の周りにうっすらとした光の影が取り囲む。体と魂が重なりはしたけど、一つにはならない。
俺に告白しようとして魂が出たんだよな? それなら。
透き通るピンクにキスをした。
瞬間、ミカの体に光の影が吸い込まれていった。ゆっくりと瞼を開ける。拳を握ったり開いたり、自分の頬に触ったりしている。目が合うと、この距離の近さに今気付いたように体をビクつかせた。
反射的に逃げようとするミカの体を抱きしめて、またキスをした。キョトンとした顔で口は半開きになっている。
「俺も好きだって言ってるだろ」
「……なんなのよ……。許可もなく人の唇を奪って……」
「キスしていいですか?」
至近距離で俺を見つめ、視線を逸らした。ボソリと消え入りそうな声で言った。
「……いい……ケド……」
***
俺の家で空っぽのミカと、透明なミカとキスをした。光が体に戻ったミカともう一度キスをする。
あれから2年も経つというのにまだ慣れないらしいミカは、顔を真っ赤にする。
「あり……がと……」
「どういたしまして」
「トールに霊感があって、本当に良かった。見えなかったら気付いてもらえなかったもん」
「だろ? 俺もそう思う」
「そう思うって?」
「霊をみることに慣れてしまって怖く感じることは少なくなったけど、やっぱり、違和感はあるだろう? 他の人には見えてないんだから」
「確かにそうよね。幽体離脱したあたしを抱えながら、何もない空を見つめて独り言喋る男子高生なんて違和感しかない」
「そう、それも。だけど、ミカを見つけられたから、この力も無駄じゃないって思えた」
例え、ミカが幽体離脱して体から魂が抜けたとしても、両方ともに目をむけることができる。だから、ミカのこの厄介な体質も、俺に霊感があるからなんの問題もない。
ミカが苦笑で答えた。
「トールがそう思えるのなら、アタシのこの変な体質もちょっとはお役にたてたのかな?」
「あぁ」
俺の部屋には大好きな彼女のミカ。両親は共働き、弟は部活。誰もいない。
ここぞとばかりにミカを抱きしめ、キスを深めていく。一度止めてミカの顔を見ると、トロンとしている。
「ミカ?」
「な……に……?」
「ミカ」
姫抱っこすると、それに答えるように首の後ろに手を回した。
ゆっくりと、ベッドの上にミカを下ろす。俺を受け入れるために両手を広げたミカの腕に自分から入って行く。
とたん、バタッとベッドに叩きつけられるようにミカの腕が下がった。おそるおそる、横に視線を滑らせる。
「ミカ―!!!!!!!」
「へへっ。またやっちゃった」
「ミカー!!」
空っぽのミカを揺すりながら、透明なミカを見る。
照れくさそうに、顔を手で覆っている。正確には覆えていない。透けて顔も見えている。だけど今、それはそれほど問題じゃない。
「お前、俺がどれだけ……。どれだけ……!!」
「……ごめん。好きすぎて……。溢れちゃった……」
「……それは嬉しいけど……でも……!!」
「ほんとごめん!」
両手を合わせて謝るミカを見るのはもう何度目のことだろう。
何度目かはもう分からない。とりあえず2年が経ったことだけは明らかだ。この2年の間、ミカはずっとこうだ。何度か幽体離脱を繰り返すうちに自分が一つの気持ちに囚われて、囚われて、溢れてリミッターが外れると、魂が出ることに気付いたらしい。
悲しいかな。その気持ちが俺への愛だってさ。
「ごめんね。トールが好きで、好きで、大好きで、もうどうにでもしてー!! って気持ちになっちゃうと……」
「……出ちゃうのか」
「出ちゃうの」
「……そうか」
「どうにでもしてー」ってなって幽体離脱するわりに、どうにもできない状態になるんだもんな。
「ずるい女だよ、お前は」
「……だから、出ちゃってても好きにしていいって言ってる」
ミカは何度もそう言った。
好きな女が空っぽになってる時に、好きな女に見られながらとか、ハードル高いわっ。
なにより。
「ミカがミカだから、そうなりたいんだよ。どちらかが欠けてるなんて絶対いやだね」
「……トール!」
透明なミカが俺を包むように腕を回し、俺は空っぽのミカを抱きしめる。
……2年だ。2年。幽体離脱しても、霊感がある俺だからなんの問題もないと思ってたんだけどな。
空っぽのミカと、透明なミカとキスをした。光が体に戻ったミカともう一度キスをする。
だけど、だから、それでも。
離れられるはずがない。