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五、少女メナシェの毒づき

「ムダ飯食らいの甲斐性なし。なにが黒風よ。おまえみたいな卑怯者よりくそったれの騎士団(カルキジャーチ)のほうがよっぽどましよ」

 

 

 あたしは、その男によく聞こえるようにいってやった。

 

 確か、通り言葉の使い方は間違っていないはずだ。

 

 “ムダ飯食らい”と“くそったれ”は相手を罵って言い表した言葉で、“の”をつければ次にくる言葉の……そう、味付けみたいな役割を果たせる。

 だから“ムダ飯食らいの甲斐性なし”っていうのはばっちりだし、“くそったれの騎士団(カルキジャーチ)”もすごくばっちりなのだ。

 “騎士(カルキ)”っていう頓馬(とんま)を引き合いに出して相手を貶めるやり方も、ばっちりだ。

 

 口上が上手くいったことが嬉しくなって、ついつい笑ってしまいながら目線を上げると、件のディディを名乗る男が眉をひくつかせながらこちらを見下ろしていた。

 

 その阿呆面をあたしは黙って見返した。

 真正面から相対してみれば、さもありなん。

 こんなのみすけが黒風などと持ち上げるに値しないというのが、はっきりわかる。

 

 ぴしりと凍りついた空気に、もう一人の鬼みたいなおっさんが口を開いた。

 

 こっちは猛々しい髭や禿げ上がった頭が少しばかり凶悪な面構えを形作っているけど、どことなく安心感のある“普通の大人”の顔をしていた。

 威圧的な風貌の割りに、ただのおっさんなのだろうという感じがする。

 

 けれど世の“ただのおっさん”というのは、立派に世の中を渡り歩いてきたとても偉い人物たちなのだ。

 あたしはただのおっさんという生き物を尊敬している。

 

 その、鬼のようなただのおっさんがなにかを言いかけたところを、ディディが遮った。

 

 

「おい、嬢ちゃん……」

 

「餓鬼んちょ。そりゃ新しい物乞いの手口か?」

 

 

 おまえは黙ってろ、とあたしはディディに向かって精一杯睨みを利かせせる。

 

 けれど自分のこの顔があまり役に立たないことも、あたしは知っている。

 なぜかあたしがこうして睨むと喜ぶ輩がいるのだ。

 

 彼らはなにかの病ではないかとあたしは思うのだが、ディディはどうやらその菌には感染していないようだ。

 あたしの態度に尚も苛立ちを募らせたようである。

 

 

「あのな、今日日乞食もあの手この手で気を引かなきゃ、施し物にありつけないのは分かるつもりだが」

 

 

 ディディはぴくぴくと強ばった笑みを浮かべながらいった。

 

 

「ハヌディヤー通りを歩くには口の利き方と態度を改める必要があるぜ、おまえ」

 

「借金まみれの卑怯者」

 

 

 あたしは一息にそれを言い切った。

 

 

「おまえは真剣勝負のひとつもできやしないんだ」

 

 

 ふんすと鼻から粗い息が出る。

 

 どんどん興奮していくのを感じる。

 うまく言葉を操って相手を追い詰めるあたしは、広場で型破りな説法をする僧正の気分だ。

 

 ディディはぐうの音も出ないという感じで押し黙った。

 

 あたしがいったことは全て事実だ。

 どうやら借金まみれらしいというのはさっきの会話から明らかだし、騎士(カルキ)との勝負だって観衆を煽っただけで、正々堂々と戦ったとはお世辞にもいえない。

 

 自分のことが何から何まで筒抜けなことにディディは驚いた様子だった。

 どうだ。

 恐れ入ったか。

 

 あたしは奴の顔を取り澄まして見返してやったつもりだったのだけど、どうやらにんまりとした笑みは押さえきれていないようだった。

 

 そうしているうちに、ディディの黒い眉の上辺りに細い青筋が浮かび上がった気がした。

 次の瞬間、あたしは目から火花が散るような強い衝撃を脳天に受けた。

 直撃したのは、ディディの(ほう)った瓢箪だった。

 

 思わずしゃがみこんで、あたしは頭を押さえた。

 

 

「おいおい。子供相手に大人げないぞ」

 

「大人毛も子供毛もあったもんか。餓鬼だからってぬるい真似しちゃあ、痛い目見るのはこっちだぜ、棟梁!」

 

 棟梁と呼ばれたおっさんにディディが唾を飛ばして言い返す様子を、あたしは見ていることはできなかった。

 頭はじんじんしているし、何より急にひっぱたかれた衝撃というやつがなんとも泣きたい気持ちにさせた。

 

 物を投げつけられるなんて、最近はないことだった。

 だって、あたしにそういう事をする立場の“こいつ”は、“こんな調子”なのだ。

 

 あたしは横目で奴をちらと見た。

 奴はあわてふためいておたついていたが、まだ物陰に隠れて店に入ってくる様子はない。

 

 馬鹿。

 与太助。

 わからず屋。


 あたしは内心で思いっきりそいつに恨み言を吐いた。

 そうしていると、余計に涙が溢れてくる気がした。

 

 

「しかし、こいつはいつの間に聞き耳を立てていやがった?」

 

 

 ディディが、がさがさした声を出しながら頭を掻いた。

 

 

「さっきのもみ合いも見ていたみたいだしな。あそこからとんずらこいたおれについてきたってのは、追っかけにしたって足が速すぎるぜ」

 

 

 追っかけだと?

 

 その、なんとも的外れな見立てに、ふっと涙が引っ込むのを感じた。

 こんな頓珍漢に泣かされているのか、と思うと両足が勝手に踏ん張るのだ。

 

 あたしは引っ張られるように前を向いた。

 

 

「分別知らずの勘違い野郎、寝言は寝ていえ」

 

 

 するすると音を立てて言葉が溢れてきて、考えるより先にあたしは喋っていた。

 

 

「さぞ分かりやすい脳みそをしているのね。羨ましいわ」

 

 

 ぴたりと、ディディが動きを止めた。

 束の間の静寂が、古ぼけた酒場の中に降り立つ。

 棟梁は驚いた顔であたしを見つめていた。

 

 やがてディディが、ゆっくりとした動きで口元の葉煙草(ビデイ)を手に取りそれを石皿にもみ消した。

 そののろのろとした動作は逆に不気味で、嫌な予感があっという間にあたしの胸にとぐろを巻いた。

 

 どこかで荒くれ者の逆鱗に触れた時もおんなじように奇怪なのっそりとした動きをしていた気がする。

 ディディは、記憶の中の荒くれ者とぴったり重なる動きで、両手の骨をぽきぽきと鳴らした。

 

 こういう顔になることをなんていうんだっけ。

 そう、これは確か、怒り心頭というやつだ。

 

 

「子供がなにも知らないってのは仕様がねぇことだ」

 

 

  ディディは抑えた調子で淡々としゃべった。

 

 

 「だから、怖いお兄さんに吹っかけたらどうなるかってことを、きちんと教えてやる大人が必要だ。そうだろ?」

 

 

 歩く度に、ディディの履き物はからん、ころんと奇妙な音を立てた。

 痩せっぽちに見えたディディは、目の前に立つとそそり立つ壁のようだった。

 

 急に、心細くなってしまった。

 

 

「しかしディディ。そいつはただの子供にしちゃいやに口が達者じゃないか?」

 

 

 後ろから、棟梁が声を飛ばしてきた。

 大人ならもっと言うべき制止の台詞が他にあるんじゃないだろうか。

 

 ああ、このおっさんは、とあたしは思う。

 棟梁は大人は大人でも所詮ハヌディヤー通りの大人なのだ。

 だからいたいけな少女が乱暴者にあんなことやこんなことをされそうであっても、いってしまえばどうでもいいのである。

 

 やっぱり地底はろくでもないところだ。

 

 

「逆に考えなよ、棟梁。小憎らしい口を塞いじまえば見れる顔をしてやがると思わねえか」

 

 

 ディディはまさに悪党といった感じの暗い笑みを浮かべていた。

 

 

「最近は子供が趣味の変態野郎もいるっていうし、アムカマンダラの色町に売り飛ばすのはアリだ。金にもなる」

 

 

 こんな男が。

 あたしはもう一度思いを新たにした。

 こんな男が、伝説の歌舞伎者(ダリル)であるはずはない。

 あの、黒風のディディであるわけがない。

 

 あたしに手を伸ばすその男の姿は、劇に出すとすればそこいらのゴロツキ甲乙といった顔をしていて、もしあたしが勇者物語のお姫様だったら次の瞬間には薙ぎ倒されている役どころに違いないのだ。

 けれどあたしはお姫様ではなく、勇者はいない。

 

 残酷な寒気を感じとりながら、ぎゅっと目を閉じた。

 

 その時だ。

 一陣の風が、あたしの前髪を揺らした。

 

 見慣れた背中に、すぐに“そいつ”だとあたしは気づいた。

 あたしとディディの間に割って入ったその影に、不覚にもあたしの胸は高鳴った。

 

 涙でぼけた世界の中で、あたしはそれを認めようとしていた。

 ああ、そうか。

 そうなんだ。

 あたしにも、勇者様がいたんだ。

 

 音もなく突然現れた“そいつ”に、ディディは警戒するように身を固くした。

 ディディが構えを取るよりも素早く“そいつ”は動いた。

 

 あまりの鋭い体捌きに旋風を巻き起こしながら、“そいつ”は美しさすら感じる動きで膝を折り、そして──そのまま地面に崩れ落ちた。

 

 思わず瞬きをして、再度目を開けた時、あたしは唖然とした。

 

 “そいつ”は地面にひれ伏していた。

 

 

「もうしわけございません!」

 

 

 額を床に擦り付けながら、“そいつ”は渾身の雄叫びを上げていた。

 

 あたしは、小さくなったその影を見つめながら、火照った顔が急激に冷めていくのを感じた。

 

 ディディは、ぎょっとした様子で後ずさりをする。

 

 地べたに平伏したそいつは、背中の中心で左右別々の柄の奇妙な外套(マント)を羽織っていて、頭には赤と白と青がチカチカするような頭巾を被っていた。

 言動、格好、どれをとってもまともじゃない。

 そいつはそのままさらにまともじゃない言葉を口走った。

 

 

「どうか怒りを沈めたまえ、歌舞伎者(ダリル)の神よ!」

 

 

 どこか神妙な抑揚を伴って、声が酒場に響き渡った。

 ディディは完全に凍りついていて、棟梁はいかつい顔の中の目を点にしていた。

 

 ごぉん、と外で鐘の音がなった。

 まるでこの場の沈黙のために鳴らされたのかのように、鐘が午後のみっつの音を厳かに鳴らす。

 

 場違いに重々しい余韻が消え去ろうという刹那、そいつは突然顔をあげた。

 その形相に、ディディは思わず声を漏らした。

 そいつの顔には、化け物と見間違うかのような化粧が施されていた。

 

 

「うっ?」

 

 

 後ずさるディディに構わず、そいつは顔をディディに近づけた。

 

 

「だって、そうさ。そうなんだよ! 黒風のディディって言えば、おいらたち歌舞伎者(ダリル)の神様だよ! そうだろ?」

 

 

 男の鼻の辺りは不自然に真っ赤になっていて、両頬にはペンキに白く塗られた目が三つも四つも並んでいた。

 口回りには口紅と言うには広く塗りすぎたや赤い塗料がぎらぎらとしている。

 

 

「あんたは神様なんだ! そうなんだよ!」

 

 

 迫り来る危険物からが顔を背けるようなディディに、回り込んだ男はその顔を再度突き付ける。

 

 

 「黒風のディディといえば、おれたち日陰者の神様さ。間違いねぇ! あんたも歌舞伎者(ダリル)ならそう思うよな?」

 

「おれは、歌舞伎者(ダリル)じゃねぇぞ」

 

 

 話をふられて、棟梁は眩しいものでも見たような顔でなんとか言葉を返す。

 堪らず、ディディは男の頭巾の上から頭を掴んで押し返した。

 

 

「なんなんだよ、てめえは!」

 

 

 頭巾の縁にぐちゃりと顔を顔を潰されるのにも構わず、男は早口でしゃべりながらディディから目を逸らさない。

 

 

「まあまあ、そう苛立ちなさんな。神様の怒りを沈めるには、供物が必要だってのはちょいとありがち過ぎる筋書きだが」

 

 

 男はそろりと腰に手を伸ばした。

 

 

歌舞伎者(ダリル)らしく、こいつで手を打っちゃあくれねえかい?」

 

 

 そうして、外套(マント)の下から瓢箪を取り出すと、男はにやりと笑った。

 そこでようやくディディは、男が道化であることを理解したようだった。

 

 その気色の悪い外見も、浮かれっぱなしのような様子も、その正体が道化であると分かれば色々と説明がつくこともある。

 説明がついたことで平静を取り戻しつつあるディディに、道化は瓢箪を持って再び顔を近づけた。

 

 

「ほら、ぐいっと。男なら勢いよく」

 

「なにしやがる、もが!」

 

 

 ディディは道化の勢いに根負けするように瓢箪に口をつけた。

 

 

「どうだい、悪くねぇ酒だろう?」

 

 

 ごくっと喉を鳴らしたディディは、すぐにばつの悪そうな顔になった。

 酒はそれなりの味がしたのだろう。

 得たりといった調子で、道化は今度は棟梁の方を向いた。

 

 

「ほら、あんたもぼさっとしてないでつまみを出す!」

 

「なんでおれが……」

 

「あっ、そうだ!」

 

 

 棟梁の抗議に聞く耳も持たず、道化はするりとあたしの隣に立った。

 

 

「名乗りがまだだったな」

 

 

 道化は、いかにもそれらしいしぐさで手を広げるとお辞儀をした。

 

 

「おいらはイサイ! 見ての通り道化で、こっちの差し傘の美少女メナシェの……」

 

 

 そこで道化は言葉を詰まらせて、伺うような視線であたしを見た。

 思いきりの悪い紹介に、あたしはあけすけに毒づいてやった。

 

 

「なに口ごもってんのさ、このくそ親父」

 

 

 あたしの一言でディディと棟梁は愕然とした。

 そいつは照れたように頬をぽりぽりと掻いてから、ようやくその言葉を言い切った。

 

 

「おいらはこの、少々口の達者なお嬢さんの、父親だ」

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