三、裁縫師チョレットの陰事
わたしの仕事は裁縫だ。
あたりまえの話だけど、わたしの父も母も裁縫師だ。
わたしの住まいはシバ市壱階層の外れにある。
そう、シバ市の外れ。
ハヌディヤー通りともいうが、はっきりと地名を口にすることは稀だ。
おおん、と後を引く音が外にひびきわたった。
眉を潜め、ぼろの鎧戸を軋ませて外の様子を伺う。
街中に入る門のすぐ脇、ハヌディヤー通りの付け根にあたるこの辺りには、人の行き来も盛んだが、彼らは揃って足を止めていた。
関門から出てくる人ははっとしたようになって行く末に目をやり、正に門に踏み入らんとしていた人はやはり背筋を張らせて耳をそばだて背後をふりかぶった。
住居棟のあちらこちらの窓から人の顔が覗く。
「なんだい、いまのは」
「騎士の角笛じゃねぇか、もしかして」
「おいおい。騎士の角笛だぞ」
男の声も女の声も、おんなじように言葉を繰り返した。
どうやら、そういうことらしい。
わたしはもう一度眉をしかめ、鎧戸を閉じた。
外はざわついていて、しばらくすればそれは騎士の足音と巻き上げられる砂埃でいっぱいになるだろう。
顔を覗かせていたって良いことなんかひとつもない。
「なんだか騒がしいねぇ」
寝台で横になっていた母がいった。
わたしは暗がりで起き上がろうとする彼女に心配をかけるまいと笑みを作った。
「騎士の角笛。困ったものね。きっとまた歌舞伎者だわ」
部屋の中を照らす光はいつの間にか弱くなり、わたしの作り笑顔を満足に照らしてはくれなかった。
母は顔に落とした影に不安をいっそう濃くして寝台から足を下ろした。
立ち上がる母のために、わたしは灯り台に沈んだ光玉を手に取り槌でかんと打った。
光玉はぱっと明かりを放つとまたふわりと灯り台に浮き上がり、部屋を月明かりのように照らした。
大光玉のように強い光は出ないけれど、この掌で覆える程度の光玉というのは、わたしたちの部屋を照らすのには充分だ。
母はゆっくりとした動きで立ち上がろうとしたが、やはり気分が優れないのか結局は寝台に座り込んだ。
わたしは母に近寄るとその手を握り、もう一度笑みを作る。
「大丈夫よ。わたしたちはなにも悪いことなんてしてないもの。騎士も来ないわ」
母は弱々しく笑うと一度二度と頷いて握ったわたしの手を撫でた。
母が調子を崩したのは年の離れた妹を生んでからだ。
今年で齢四〇に近づいた母が、その歳での出産は身体に負荷が大きかった。
出産以来母は寝たきりだ。
どちらにせよわたしたちは“物忌み”に服さねばならなかったので、母にしっかりと休んでもらいわたしと父とで仕事をこなした。
ハヌディヤー通りに裁縫師はわたしたちだけだ。
仕事はそれなりに多かった。
隣の部屋で妹を寝かしつけていた女中のナーグが顔を出した。
「騎士の角笛ってあの? 聞いた騎士は誰も彼も呼び集められるって」
「そうよ。滅多なことじゃ吹かないはずなんだけどね」
ナーグに言葉を返し、やれやれと腰に手をあてながらわたしは仕事机に戻った。
机には色鮮やかな糸巻き棒と針が、仕事用の小石ほどの光玉に照らされて光っていた。
その中央には、花を縫いかけた帽子が投げ出されていて、私は椅子に腰かけると帽子を手に持った。
花の刺繍はもう少しで終わる。
母はぽつぽつと言葉をひりだすようにして弱々しい愚痴をいった。
「まったく、歌舞伎者には困ったものだね。あれが暴れまわったりした日には、余計にあたしらの肩身が狭くなる。通りのはずれとはいえ、そこに住まってるってだけで連中と付き合いがあるんじゃないかって、疑われなきゃならない。あたしらだって気がつきゃ歌舞伎者とよしみを通じてるかもしれないんだ。神経を磨り減らして付き合いを考えるだなんてこと、あちらさんは想像もしないんだろうねぇ」
ナーグが変に神妙な顔で母の言葉に相槌を打ったり頷いたりしているのを視界の端でとらえつつ、わたしは針を動かした。
歌舞伎者は穢れている。
穢れた仕事につき、血にまつわる仕事も平気でしてのけ、穢れたもの同士で交わり合う。
それが日常である彼らは穢れを清めようということは一切しないし、おそらく思いついてすらいない。
彼らは歌舞伎者溜まりに住み、わたしたちの想像も及ばない法則に乗っ取って生きる。
川原の世界アムカマンダラは、まるで未知の領域だ。
摩訶不思議の生態である彼らは、私たちが出産に伴って血に関わった身を清めるため“物忌み”をする間に、その穢れを身に纏って平然と通りを闊歩し、飲み食いする。
彼らと深く関われば、私たちまで穢れているとされ、その穢れを共同体に持ち込むのを怖れる他の裁縫師から共同体を追放されかねない。
歌舞伎者と飲み食いしただとか、まさか歌舞伎者の男と情事に及んだなどということが疑われれば、それは大きな問題となる。
本当に及んだかどうかは関係がないのだ。
それを疑われてしまう時点で過ちなのである。
わたしはこのことをよく両親から言い含められながら育ってきた。
住まいをハヌディヤー通りに構える我が一家には、それだけでいらぬ疑いがかかる。
だからわたしは今まで歌舞伎者のような身なりの町人たちに対して慎重に対応してきたつもりだ。
父は裁縫師共同体の親方に名を連ねる腕のいい裁縫師だ。
つまらないことで家名に泥を塗るようなことがあってはならない。
「もうすぐ会食があるからね。なにかあったら大変だ」
机に向かうわたしの背に、母が誰ともなしに呟いた。
わたしは彼女の方を振り向いた。
「ジンジャープルが、新しく親方になるって話だから、きっと中心街の裁縫師共同体の人も呼ばれるわね。大きな会食になりそう」
「そうだね。その場で、あんたとジンジャープルのことも大親方から話があるんじゃあないかねぇ」
母の言葉に、わたしは片眉を上げて微笑んだ。
「気が早いわよ、母さん」
「そうかねぇ。本当に、いい縁談に恵まれたもんだから、母さん嬉しくってねぇ」
鼻の奥からでたような笑い声で答えると、わたしは再び帽子に目を落とした。
共同体の会食は事あるごとに開かれる。
今度の会食は、裁縫師の一人が親方の資格を認められた祝いの席だ。
真面目に物忌みをこなしたわたしたちは、次の会食から共同体の活動に復帰する。
会食は共同体の絆の象徴だ。
招かれるということは、私たちは共同体の繋がりの内にいるということだ。
会食への参加を拒絶するのは、共同体の繋がりを失うことと同義である。
繋がりは、ウヴォで生きる者にとって生命だ。
繋がりの内側にいなければ、誰もわたしを証明してくれないのである。
住まいも失い、信用も失い、さまようことになる。
それは、さながら歌舞伎者のように、だ。
わたしの手元には仕事用の小さな光玉があり、またこの部屋全体を照らす光玉もともっている。
どちらも共同体から分け与えられたものだ。
共同体にいなければ、光すら手にできる保証はない。
そして当然のことながら、光のない地底で生きていける人間などいない。
繋がりは、そうした形でも命綱として多くの人々を繋ぎ止める。
ありがたいことに、わたしは将来有望な若親方のジンジャープルと婚約している。
母の喜びようからも分かるように、これはこの町において大きな繋がりを得たことになる。
わたしは共同体の繋がりの中に清く正しく育ち、共同体の繋がりの中で健やかに死にゆく権利を手に入れたのだ。
帽子は、ジンジャープルとわたしのお揃いのものだ。
針をいれる手が、ふと止まった。
週末にある、祭りのことが頭を掠めたからだった。
「お嬢さんとジンジャープルさんがおられれば、この子の行く末も安心ができるってもんですね」
ナーグがおためごかしたような笑顔でこちらを見ていた。
「斜向かいの石工の娘のような親不孝は、絶対になさりませんもの」
なんてことのないいつものナーグのおべっかに、しかしわたしは、つい瞳を泳がせた。
丁度、鎧戸のすぐ向こうを騎士団が物々しい足音を立てながら走り抜けた。
どたどたと殺気だった音が、余計に私の平静を奪った。
斜向かいの石工の一家は、一月前に石工共同体を追い出されたのだ。
一家の娘が、歌舞伎者の男と姦通したと疑われたのである。
娘はもともと放蕩者で、通りの歌舞伎者と酒を酌み交わし、札遊戯に興じる変わり者だった。
共同体の追放が決定的となったのは、ある道化に入れ込んだことが原因だった。
彼女曰く、“真に迫り胸を打つかつてない芸の達人”、なのだという。
歌舞伎者に混じり、彼の演劇を追いかけ、アムカマンダラで寝泊まりするようになった。
それだけのことで、一家共々共同体を追い出されることになった。
父や母が歯を食いしばって紡いできた繋がりを、糸を絶ちきる鋏のようにぱちんと、共同体は見切りをつけたのだ。
一家は、斜向かいの住居棟から姿を消した。
手にしていた光玉を奪われて、さてどこへ向かったか。
さらにハヌディヤー通りの奥深くへ身を沈めたか、市外のどこかへ去ったか、いずれにせよ姿を眩まし闇に溶けてしまった。
歌舞伎者と関わる罪は、重いのである。
椅子の背にかけていた外套から、忍ばせていた袋ががたりと落ちた。
ただでさえ狼狽えていたわたしは、その音に背筋が凍る重いがした。
なぜ、この頃合いで落ちたのか。
石工の娘の呪いか。
わたしは脳天まで痺れるような緊張をそのままに、努めて澄ました顔を装い静かに皮袋に手を伸ばした。
時が止まったような気がした。
ナーグと母が、二人してわたしを見つめている気がしたし、さして気にすることもなくあらぬ方向を向いているような感じもした。
わたしはゆっくりと袋を掴み、また外套の内袋にしまいこんだ。
袋には、葉煙草が入っている。
最初はジンジャープルから貰った。
そのうち自分で手に入れるようになった。
一家の誰も、葉煙草のことを知らない。
わたしは、彼らにとっていつだっていい娘であり続けてきた。
これからもそうだ。
だから、わたしが煙人間だということは、誰にも知られてはならないのだ。
石工の娘は上手くやれなかった。
わたしは彼女と同じではない。
前にジンジャープルに会った折り、わたしは彼にこういった。
「今度の祭りで、“鬼神足の道化”の芸が見れるかもしれない」
石工の娘が追っていた道化は、ある界隈ではちょっとした話題となっていた。
話題はわたしたちが秘密裏に葉煙草を手にいれている小さな交流の内にもやってきた。
愛煙の同志たちはみなこぞって、その道化の演舞を見に出かけていった。
そしてわたしたちにもその機会が来た。
ジンジャープルは、形のよい眉を少し緊張させてわたしを見返した。
口元をきつく結んでいながら、その端には笑みが微かに浮かんでいた。
「おれもいく」
ジンジャープルは、少し震える声でそう答えた。
わたしたちは、辺りを憚りながら小さな声で、落ち合う場所を取り決めたのだ。
共同体の中で繋がりに埋もれ、清く正しく健やかに生きることを、わたしは常に求められてきた。
そしてそれはジンジャープルも同じだった。
輪の中はそれは居心地がよい。
けれど、このまま地の底の手垢の染み付いた円環の中でただ朽ちていくことが、本当に自分にための生なのか。
わたしはそれを時々考えた。
その思いを全て打ち明けずとも、ジンジャープルは理解を示してくれたのだ。
だからこれは、ほんの火遊びだ。
石工の娘は、藤黄の花薬にまで手を出したらしい。
葉煙草に使われる藤黄の葉と違い、花は強烈だ。
花の樹脂を取り出した薬。
花薬を吸った者はまるで秘密の花園に足を踏み入れた心地になり、ちょっとした憂鬱とは無縁の境地に至るそうだ。
けれどそれは一時的で、いずれ現実に引き戻される。
現実に戻るだけであればまだよく、藤黄の花は次第に心を蝕む。
目には見えづらい冷たい病が、最後には薬を使うものを音もなく包み込む。
娘は段々にわけの分からないことを口走るようになった。
そういうことが、破滅を導いたのだ。
彼女は引き際を心得ていなかった。
けれどわたしたちは、上手くやる。
「きっとあの人と一緒ならね。大丈夫よ」
わたしはナーグに笑みを返した。
その言葉に含むものがあるなんて、ナーグも母も気づきはしない。
わたしは帽子の花にひと針入れながら、ばたばたと騒々しい騎士に愚痴をこぼす母に相槌をうった。
自分は、まるでそ知らぬふりをして。
週末は、例の道化の心踊る芸を見れるのだ。
その興奮は、決してわたしの表面に現れることはなく、柔らかく眠る妹の寝息と共同体の繋がりの涼しさの中で、しかし熱く腹のそこを焦がした。