九、胴元ケアンの憚り
とん、と目の前の歌舞伎者が指でテーブルを打った。
三枚目の札を要求したのは彼だけだ。
耳に巨大な輪を下げ、ダウハル市出身の者特有の黒い肌をした彼は、この席で二〇点もの大金を張っている。
本来、歌舞伎者が賭けられるはずのない額である。
それでもここで大きな賭けをしてみせるあたり、今日はすでにそこいらの貴族から巻き上げたのだろう。
半端な数字に賭けを挑む白い眼光も、大きな数字を呼び込む自信が大いにあるとでもいうようにぎらついている。
彼は、そうして配られた札を捲って数字を確認する。
澄まし顔で、わたしを見る。
わたしが手札を揃える番になったからだ。
勝負は、親であるわたしと四名の子役で行われている。
揃えた二、三の札の和で、子役とわたしのどちらが意中の数字に近いかを競う、単純な札遊戯だ。
二枚目の札を開示した所で、わたしは卓を挟んでずらりと座る四人の子役の表情を盗み見た。
魔族、貴族、歌舞伎者、商人。
なんともに多様性に富んだ顔ぶれだ。
彼らは一様にしていっぱしの勝負師であり、だからこそ親の札を見て表情を変えるというようなへまはやらかさない。
目線の動き、呼吸、姿勢、唾の飲み方まで、親役であるわたしに自分の手を読まれるようなことはしないのである。
ところが黒い肌の彼は、見たところすでに敗北している。
最初の数字にあれだけ賭けていて、二枚目は期待外れだったのだろう。
どうしても勝ちたい彼は三枚目を要求した。
しかし、得てしてそういう帳尻合わせに幸運の女神は微笑まない。
それはわたしの経験則からくる勘であった。
勘というやつは、とりわけ賭け事の世界では馬鹿にできない。
わたしはそれよりも他の三人への警戒心を研ぎ澄ませる。
彼らは恐らく、わたしの手札よりも強い。
これも勘だ。
わたしの目はいたって健康であるが、こういうときに子役に色がついて見えることがある。
参っている者は青みがかって、高ぶっている者は赤みがかって見える。
これは気のせいなのかもしれないし、実はわたしの目は深刻な病に冒されているのかもしれない。
けれど見えるものは見えるのだ。
「引きます」
わたしはそう宣言して、さらに一枚の札を引いた。
私たちが目指している意中の数字は、九。
九により近いものが勝ちである。
通り越してしまった場合は一の位だけが抽出される。
多すぎず少なく過ぎず、九だけを狙う。
それがこの遊戯の絶対的鉄則である。
すでに四と二を揃えていたわたしは、その札を引き抜いた。
「三。ぴしゃりです」
わたしが結果を告げながら札を公表すると、一斉に周囲からため息が漏れた。
立ち見で観戦する遊び人たちと、それになにより勝負に敗北した勝負師たちである。
床に垂れ下がるほど長い触手の髭を生やした魔族は、立ち上がって大きく地団駄を踏んだ。
「冗談じゃねぇぜ、ケアン!」
怒鳴り声にわたしは小さな微笑みを返し、彼らが銭の代わりとして賭けた瑪瑙の小石をがらがらと杖で回収した。
「最後の最後で、おまえはいつも上手いこと勝ってみせるな、ケアン。まるで小細工でもしているかのように」
てかてかと光る上衣を着た貴族の男が、思わずそう漏らした。
なるほど、こうも綺麗な負けを喫してしまえば恨み節のひとつやふたつ吐きたくもなる。
気持ちは、分かる。
分かるが、それだけは口にしてはならない言葉だ。
口にしてはならない言葉を忘れてしまうことは問題だ。
わたしの背後から、音もなく長身の男が現れる。
全身赤錆色の正装に身を包んだ彼は、対称的な青白い顔でちらりと貴族を見下ろした。
突然大きな戸板が迫ったような圧迫間が、にわかに空気を支配する。
貴族の男は自分の失言に気づき、慌てて早口を並べ立てた。
「いや、それだけ腕が良いと言うことだ。あそこで三枚目を引くとは、どんな博打打ちよりも勝負を楽しんでいると、呆れてしまうほどでな」
「ありがとうございます」
わたしが素直に貴族に礼で応じ笑顔を浮かべると、緊張の糸は静かに緩んだ。
長身の男──この賭場の責任者ノイは、通りかかっただけというような顔でゆっくり歩み去っていく。
彼の金色の目はどんな不正も許さぬ鋼の鏡であり、逆に賭場の信用に関わるような問題にも敏い。
いつの間にか背後に近寄り音もなく監視をしている男で、おそらくここで賭けをした人物の顔を一人残らず覚えている。
それゆえに、ソソからの信用も厚い。
わたしはふと、さきほどの歌舞伎者の姿が消えていることに気付く。
走らせた視線は、やがて船体の中程にある階段を下っていく彼の背中を捉えた。
表情に出さないまでも項垂れたその後ろ姿からは、今しがたの大敗は彼の心をいとも容易くへし折ったことが分かった。
そう、どんなに命の危険と隣り合わせの歌舞伎者でも、優雅な生活を営む貴族でも、ここファリード船内の中階では皆が平等だ。
ただただ、賭け事という単純な遊戯に、人生とも言えるような財産を賭ける。
その瞬間の血のたぎり、肉迫したやり取り、緊張感と感情の開放、そういう全てがここにはある。
ただし、敗北者に許されることはただ立ち去ることだけだ。
水上歓楽船ファリード。
ここは大都市ウヴォの縮図と言っていい。
甲板は都市貴族だけの世界だ。
賭け事と酒、そして社交と政治の世界がそこにはあり、さしずめこのウヴォの表層、いやその更に高層に枝葉を伸ばす塔の上の「上層」独自の社会が広がる。
楽師が音楽を奏で、人々は硝子の容器で酒を飲む。
アムカマンダラの灯台と特有の神秘的な雲を眺めながら、遊戯をだしに一握りの友好的な繋がりが生まれていく。
船内に下ったここ中階は、表層や地底の中でも地上に近い街のそれである。
木組みを狐色の光玉が照らし出し、明かりの下には職人がいれば船乗りがいる。
商人がいれば歌舞伎者がいる。
魔族も少数ながらいるし、貴族の放蕩者だって降りてくる。
芸人が舞台を行い、踊り子が一帯の温度を上げる。
ただし、ここで行われるのは純粋な勝負だ。
勝つか負けるか、あるのはそれだけであり、誰しもがその二股の別れ道で栄光を手にしようと必死なのだ。
だからこそ貴族と歌舞伎者が肩を組んで勝利を歌うことだってある。
船底に近い下階は、這い上がりの地だ。
上から引き摺り下ろされた者、貧困の次元から一発逆転の華やかな王国を夢見る者。
地底街でファリードに乗り込む者の大抵はまずここに入る。
鬼が見張る暗い空間は、ウヴォの闇──地底の深層を見ている気分になる。
余程ツキに恵まれたものしか階段を登ってくることは許されず、そして反対にそこへの階段はいつでも口を開けて待っているのである。
この色めき立つ狂ったような世界から、黒肌の彼のような人生の敗北者を。
「もう一勝負、いかがですか?」
わたしはいつもと変わらない笑みを称えてここに立つ。
中階、欲望の渦巻くこの大型船の広間の、船首側に備えつけられた卓で。
ここでの単純かつ刺激的なやり取りには観客も多く人気がある。
けれども、わたしは現状を少しばかり持て余していた。
さきほど派手に勝ってしまったのと、貴族のつけた難癖が、人々の席に伸ばす手をやや遠ざけているのである。
今日の客は慎重な傾向がある。
和やかにはなりそうだが、今一つ盛況に欠けるか。
たったいま小さな敗けを喫した商人は、まだそのせこい勝負を繰り返すつもりらしいが、同胞がいないので二の足を踏んでいるようにも見えた。
わたしは表面上は冷静そのものを装いながら札を切る。
と、目の前についと一人の男の腕が伸びてきた。
「貸しな、ケアン。おれが切る」
酒焼けした声が、ざらりとわたしの鼓膜を揺らした。
目を上げると、そこには黒髪の歌舞伎者が立っていた。
「おれが切ってあんたが配る。そうすりゃ、イカサマのしようってもんもないだろう?」
「……そういった趣向も面白いかもしれませんね」
いたずらっ子のような笑みを浮かべる彼に、わたしも笑みを向けた。
「それではこの席はお願い致しましょう。ディディ様」
ディディは笑みを深くして山札を受け取ると、どっかと席に腰を下ろした。
黒猫連れのディディ。
この辺りではその名で知られる歌舞伎者だ。
時たまアムカマンダラに姿を現し、ファリードにも幾度か乗っている。
気前よく遊ぶが、大負けもしょっちゅうだ。
わたしの記憶が正しければ、今はソソ本人に金を借りているはずである。
昼間、丁度ハヌディヤー通りがアムカマンダラに進入してくる辺りで、騒ぎがあった。
騎士団百人長が踏み入って歌舞伎者と一悶着起こしたのである。
話を聞いたわたしの脳裏には、なぜかすぐこの男の顔が浮かんだ。
確証はない。
これも単なる勘である。
ディディが腰を下ろした事で、つられるように先の商人が名乗りをあげた。
「おれもやろう」
「それではわたしも」
商人に続いて上がった声は、女性のものだった。
わたしはその顔を見て、しばし驚きに目線を止める。
つんと突き出た鼻、猫目に黒茶の瞳。
そして美しく垂れた銀色の髪。
その女性は、まるで貴族のような整えられた雰囲気を漂わせながら、簡素な山吹色のチュニックを纏っている。
ここにはたまに現れる顔だ。
だからわたしが驚いたのは、今この場に彼女がわざわざ居合わせた意味を勘繰ったためだった。
「おまえ」
絞り出すような声でディディはいった。
「おまえが、なんでここに。レティア」
ディディは身を固くして、隣に座ったその女性を眺めている。
どうやら彼女が張り込んでいたことにディディは気づけなかったようである。
レティアが隣に座ることは、彼にとって驚異だ。
わたしの単なる勘が、確信めいたものに変わり始める。
「騎士が賭け事をしてはならないという決まりはありませんよ」
レティアは静かに笑った。
「札を切ってくださるのではないのですか? ディディ」
しばらくレティアを凝視していたディディは、こわばった笑みを浮かべながら、手を動かし始める。
ディディが騎士団を翻弄した張本人であるなら、かの有名な犀利騎士小隊のレティアに隣に座られているのは、喉元に刃をつきつけられているようなものだ。
彼の頭の中には、後ろから隊長ゼバドが斬りかかられて真っ二つになる自分の姿でも浮かんでいるのだろう。
慣れた手つきで山札を掻き合わせながらも、首の上には突っ張った表情が浮かんでいる。
「ご心配なさらず」
レティアは淡々とした声でいった。
「隊長から暇をもらいましたから。今は仕事は抜きです」
ディディは札をわたしに返しながら大きく息を吸うと、深く深く吐き出した。
「その妙な公私の見定めは、相変わらず、理解しかねるね」
「騎士であるわたしに戻った方がよろしいですか?」
笑えない冗談を飛ばすレティアに、ディディは勘弁しろよとでもいいたげに眉をしかめて、それからレティアの顔を覗き込むようになった。
「鎧甲冑のおまえさんもそそるもんがあるが、しがない盗人としちゃ、今の格好の方が口説きに専念できるってもんだ」
レティアは微塵も動かずにディディの瞳を見つめ返すと、口の端に端正な笑みを浮かべ、すいと視線を反らした。
「イサイには逃げられました」
レティアはわたしの配った札に目を通すと、じゃらっと黒瑪瑙を取り出した。
「八に十点」
「おまえまで、あいつを知ってるのかよ」
あっけなく躱されたことにレティアの言葉も手伝って、ディディはげんなりしたように目を回した。
「彼の素性をあなたは知らないのですか? ディディ」
「八に、十五点だ」
擦れた横顔を質問の答えにしながら、ディディはレティアと同じ数字に賭けた。
彼の様子をちらと見て、レティアの薄い唇から言葉がこぼれ落ちる。
「道化イサイ。またの名を、鬼神足のイサイ」
ふいなレティアの言葉に、ディディはぴたりと動きを止める。
奇妙なまでに落ち着いた様子で言葉を紡ぐレティアは、不気味さすら纏わせている。
「なんだい、そりゃ」
「神出鬼没に街に現れ、世間をはばからない興行を大胆不敵に強行し、駆けつけた騎士団からは必ず逃げ切ってみせる」
卓はそれぞれに二枚目を配る段となり、とりわけ頭を使うべき局面となった。
例の商人はまたこすい点数を賭けてそのわりにぎりぎりと時間を使っている。
黙ってレティアの話に耳を傾けていたディディが、二枚目をめくる。
「悪質なのは、彼の興行が僧会の教えや禁忌を平気で破るようなものであることと」
レティアはその札を見ようともしない。ディディにすべてを任せるといった風な顔で、言葉を続けた。
「その興行の内容が“面白い”ことです」
ディディは静かに札を伏せる。
どこを見ているのか分からないような目になって、とん、と指を打った。
「上等な芸が罪か。世も末だね」
ぶっきらぼうに言い放ったまま彼は、三枚目が配られても表情を動かさなかった。
それは博徒としての洗礼された態度なのか、何かを慮っているのか、わたしには分からなかった。
今の彼は、赤くも青くもないのである。
いうなれば、灰。
地下街の空を覆う岩の天井のごとき、鼠色だ。
「彼の芸は人を惹き付け過ぎるのです」
レティアはゆっくりと目を閉じて言った。
「彼が影響を与えた人々は、このシバ市の地底街では数えきれない」
私は二枚の札で勝負した。
目指すべき九までは、物足りない。
しかし冒険をするのも考えものだ。
ここは大きな数字を狙う肝試しというよりかは根比べなのだ。
それにディディらの数字は九を大きく通りすぎて小さな数字に戻ったのではないか。
そういう予想もあった。
ところが彼が広げた数字の合計はわたしより僅か一、九に近かった。
「それゆえに、彼は騎士団が今最も警戒する、大罪人なのです」
結果を静かに見届けて、かつ表情も変えずにレティアはいった。
イサイの芸は大したものだ。
ただの道化の範疇ではない。
歌舞伎者という生き物の摩訶不思議さを時に如実に、時にまだらに色づけして訴えかける。
ありとあらゆる方法論をもって、見ている者の胸を打つ。
目を引き、据えつけさせる。
その技術に踏み込んで、さらに踏み込んでいる男だ。
ではそのイサイがこの地底に一体何をもたらしているか?
あにはからんや、一時の歌舞伎者の神格化を手伝う風潮を再びこの壱階層で生み出しつつすらある。
そしてそれは当然、時の権力者にとって不要な痼に他ならない。
賭けられた親指の爪ほどの瑪瑙たちは、二倍になって彼らの席にもたらされた。
けれどディディは思案に耽ったような顔のまま眉ひとつ動かさなかった。
商人はまたも小さな敗けを喫していたが、次の勝負こそと鼻息を荒くしている。
ディディとレティアは静かにその場に座り続けていた。
わたしは黙って、次の勝負の準備に入る。
「今度はわたしが切りましょう」
そういって手を差し出したのは、レティアだった。
わたしはその言葉に甘えることにして、山札をその白い指に預けた。
彼女が札を切る様は、さきほどのディディと比べても遜色ないほどだった。
長い指で札をさらさらと混ぜ合わせていく。
騎士にしておくにはもったいない──。
その様子に見惚れる遊び人たちは、みなそのように思う。
「彼の足は本物です」
切り終わった手札を返しながら、レティアは一段声を低くしていった。
「わたしの力を持ってしても、彼を捕らえることは出来なかった。イサイは、歌舞伎者としてかなりの実力者であるといえます」
ディディは、黙って一点を見つめ続けていた。
その霞の色をした瞳は、全ての色彩を拒絶しているかのように無表情だった。
それは、わたしが札を配っても少しも揺れることはない。
やがて、たった今手に入れた黒瑪瑙を全て押し戻すと、ディディは冷たい声でいった。
「四に、三〇点だ」
客から、どよっと驚きの声が漏れた。
三〇点、それは丁度銀貨三〇枚分に相当し、それはすなわち金貨一枚分だ。
地底街の職人が、一月働かずに食べていける量の大金である。
驚愕が冷めやらぬ内に、レティアもディディと同じように得た瑪瑙を全て賭けに出した。
「では、私も。四に二〇点」
ざわめきが、一層濃くなって広がった。
この試合で一度に勝負出来るのは五〇点までだ。
ディディとレティアで最大額に到達した今、三点のケチな勝負をしていた商人は、卓から弾き出される。
そうして二人は同じ数字に点数を賭けた。
場面は、私と彼らの一騎打ちの様相を呈す。
興奮する観客と裏腹に、ディディは苛立っているようにレティアに言葉をかける。
「捕らえることが出来なかったなら、なぜあいつがイサイと分かるんだ?」
いいながらディディは二枚目を荒々しくめくった。
「おまえにとって、奴はただの天鵞絨外套の男ってだけの筈だぜ」
逡巡すらせずに、ディディは三枚目を要求した。
大一番を張っているとは思えないほど、その態度はおざなりだった。
レティアは、長い睫毛の下の瞳だけを動かしてディディの横顔を伺っていた。
わたしはディディの要求に答えて札を配る。
その数字がディディの目に止まる刹那、レティアが口を開いた。
「イサイには娘がいる。そうですね、ディディ?」
レティアの言葉にディディの動きがぴたりと止まった。
まったく、この二人はどういう神経をしているのか。
わたしはやや呆れつつ自分の札を揃え始める。
人々の目を奪い去る大勝負をしながら、全く別の言葉の駆け引きの押収をしてのけているのである。
三枚目の札に目を留めながら、ディディは氷の彫刻のように固まっている。
これでは、またわたしは色を見抜くことができない。
薄鼠のもやの向こうのように、ディディの感情のゆらめきはわたしの目から逃れる。
この二人の会話は、つまりはこういうことだ。
道化イサイはディディの想像より遥かに大物だった。
それはレティアたち犀利騎士小隊に狙われるほどにだ。
そして厄介なことに、レティアは娘の存在まで調べあげている。
これはディディにとって不味い状況に他ならない。
それはなぜか?
わたしは自分の二枚目の札をめくりながら台の中央へ視線を投げた。
……それは、彼がその娘と行動を共にしているからだ。
横長の手入れされた卓を囲む人影は、その客層が様々であるのを表しているかのように千差万別だ。
その中でも異質な小さな影があった。
短い金髪の少女である。
メナシェ。
イサイとは似ても似つかぬ美しい娘。
イサイは娘の存在を隠していた。
騎士団から追われるような生活をしていれば当然である。
それを、どうやってかは分からないがレティアは探り当てた。
恐ろしい女だ。
女騎士の身でありながら、このつまはじき者たちの饗宴に平然と足を踏み入れてみせる。
けれども、今のわたしにとってそれはどうでもいいことだった。
レティアがディディの事情の一端を暴いたおかげで、わたしは彼の顔色がさっぱりわからない。
わたしの手元の札の合計は、いまだ九までは届かなかった。
ここで引くか否か。
わたしは一見何事もないかのように視線を落としながら、それでも今さっきの負けが頭の中にちらついていた。
冒険をせずに、一の差で先程は負けた。
だからこれでは不十分だと、その時わたしは思った。
「引きます」
わたしは三枚目を引く。
腹を決めてそれを開く。
ところが、現れた数字はわたしがもっとも見たくはない数字だった。
私の手札は九を通り過ぎ、丁度十となった。
勝ちようのない、最低の点。ブタだ。
私の、負けだった。
観客がわっと沸き立つ。
負けの決まったわたしはそれでも冷静な微笑を浮かべながらディディを見上げた。
表情のない顔が、薄く、薄く笑う。
広げられたディディの手札の合計は十一。
つまりは一。
ブタ一歩手前の、悪手だった。
またしても一点の差でわたしは負けた。
劇的な試合展開に、周りの客らは興奮して指笛を鳴らしたり拍手を送ったりしている。
喧騒の中をレティアは静かに立ち上がった。
「あなたはイサイと繋がりがあるようですので、ここへは様子見を兼ねて忠告に」
「忠告?」
さんざめきの中のレティアの呟きに、ディディは顔を上げる。
一段落とした彼女の言葉を、わたしの耳は辛うじて拾った。
「ゼバド隊長は本腰を入れてイサイを捕らえるつもりでいます。近くにいては、あなたも同時に召し捕られるでしょう」
「そりゃ、親切にありがとよ。騎士自ら逃げろなんてな」
ディディはレティアの顔を見返さずに、仏頂面で答えた。
「おまえは、おれをどうしたいんだよ?」
「さあ」
肩口からさらさらと流れ落ちた銀糸を掻きあげて、レティアは去り際に呟いた。
「あなたを、こんなことで失うのは惜しい、と。わたしはそう思っているのかもしれません」
ディディが振り向いた時には、レティアは卓への参加料を席に残して去っていくとこだころだった。
ディディは頬杖をついてそれを見送っていて、けれど丁度入れ違いのように現れた影を感じ取ったように、目を見開いた。
見物人の歓声が、その人物を認めた者からざわめきになり、やがて口をつぐんでいった。
気易く声をかける者がいないのは、当然のことかもしれなかった。
わたしが愛想笑いを送らなかったのは、それが必要な関係性ではなかったからだ。
何と声を発するのか。
卓を囲む全ての者が、ただそれだけに注目していた。
ディディがゆっくり首を捻って見上げると、ソソはようやく口を開いた。
「面白い勝負をしているねぇ、ディディ」