七章◎殺意と天啓
急かされたあげく引っ張られるようにウォレスに連れられて、ダニエルとゲイブは事件の現場に到着した。そこは廃屋と呼べるほどではないが人の気配を感じさせないガランとしたジョージの家だった。開け放たれたままの玄関扉には、かすれかけた赤いペンキで大きな十字架が描かれている。それは何ヶ月か前に、この家で疫病患者が発生したことを物語っていた。
「ジョージに……赤い十字架か……」
ダニエルは思い出したように語りだす。
「そういえば赤い十字はドラゴンを退治した聖ジョージの紋だった。それが逆にドラゴンに殺されてしまうとは皮肉なものだな」
ゲイブは無言でダニエルの独り言を聞きながら、帽子に髪の毛を詰め直している。
扉の前には数人の自警団と、真剣な表情で会話をしている赤い杖を携えた女性がいる。その女性の姿を見て、思わずダニエルは声を上げた。
「エイミーさんじゃないですか」
振り返ったエイミーが答えるより前にウォレスが口を開いた。
「彼女が第一発見者だ。調査員の仕事にでかけるところで発見したらしいのだが、さすがに昨日の今日とあっては仕事どころではないということで我々に連絡をしてくれたというわけだ」
「ここはいつも通る道なんです。ただ普段は閉まっているジョージさんの家の扉が、こんな早朝なのに開いていたものですから、妙な胸騒ぎがして……気になって声をかけてみたんです。何度か声をかけたのですが返事がないものですから、念の為と思って失礼を覚悟で家の中に入りました。そうしたらジョージさんが部屋の奥で……血まみれに……」
エイミーは思わず口を押さえて押し黙ってしまった。口にするにもおぞましいものを見たということが伝わってくる。
「よし、ゲイブ。あまり気は進まないが、中に入ってジョージの姿を拝見するとしよう」
意を決して家に入るダニエルに、ゲイブは黙ったまま続く。扉を越えて一歩室内に踏み入ると、うっすらと血なまぐさい匂いが漂ってくる。振り払うように奥の部屋へと踏み入ると、そこにはウォレスの言う通り、ドラゴンに食い殺されたようなジョージの死体が転がっていた。
カトラーの死体と同様に大の字で仰向けに寝かされた姿勢で、口から下、喉から胃袋、そして腸にかけて暴力的に切り裂かれている。そして下半身を見れば、下腹部から太ももに至るまで肉がズタズタに切り刻まれていた。
ダニエルはウォレスに小声で話しかける。
「完全にカトラーと同じ殺され方ですね」
「まったくもって瓜二つなのだ」
「つまり、ジョージ殺しの犯人はカトラー殺しの犯人と同一か、もしくはカトラーの殺害方法を入念に観察した人物しかありえません。噂を聞いただけの愉快犯では、ここまで完璧に真似ることは不可能でしょう。ウォレスさん、念のために確認しますが、カトラーの殺され方を再現できるほど、その死体を目撃した人物を教えていただけますか?」
「わしが知る限りでは我々自警団と君達二人、それにジョージ、エイミー、スコット牧師それだけだ。ジェイコブさんが来たときは布で覆われていたので見られておらん。ときおり何度か布を剥がしたさいにも、近くに人はいなかった」
「とりあえず我々を除外すると、残るのはエイミーさんとスコット牧師になるわけですね」
「ドラゴンに食い殺されたかように仕立てるには、かなりの時間を要するだろう。スコット牧師は教会にずっと泊まり込みだ。抜け出してジョージを殺害するのは不可能だな。またエイミーにしても、女手でひとつでここまで死体を切り刻むことができるとは思えん」
「つまりジョージ殺しとカトラー殺しは同一犯と考えて間違いないということになります」
互いに小声で意見を交わしていたところに、割り込むようにしてゲイブが参加する。
「同一犯だとして、どうしてジョージを殺したんだろうね?」
その疑問に間髪入れずにダニエルが答える。
「たとえばジョージが例の指輪を持っていた、とか」
「でも、この家はまったく家探しした気配がない。ジョージが指輪を持っていたかどうかは別として、犯人がそう思い込んでいたなら、もっと家中荒らされてていいはずでしょ。それに扉が開けっ放しだったのも変じゃない? 普通、死体発見が遅くなったほうが、犯人の絞り込みが難しくなるもの」
次に答えたのはウォレスだ。
「おそらく犯人はジョージにカトラーの死体を遺棄する姿を見られた、もしくはそう思い込んだのだ。だから口封じで殺したに決まっとる。そのうちに日も明けてきたから、慌てて逃げ出したのだよ。扉を開けっ放しにするほどにな」
「そうかなあ。口封じで殺すだけなら、わざわざドラゴンに食い殺されたように死体を切り刻む必要はないでしょ?」
「それはドラゴンの仕業に見せかけようとした、つまらん小細工にすぎん」
ウォレスもムキになって反論するが、ゲイブは飄々と応じる。
「流石にそれはないよ。だって家の中を見てよ。多少の返り血こそあるものの、壁も床も家具も傷んだり倒れたりしてない。ドラゴンが家の中で暴れたら、嵐が去った後みたいにぐちゃぐちゃになってないといけないよ」
「そりゃあウェールズ人じゃあるまいし、ドラゴンなんて本当はいないのだから当然だ!」
鼻息を荒くして白熱するウォレスをダニエルがなだめる。
「ウォレスさん落ち着いて、さすがに言っていることに無理がありますよ。たしかにゲイブが指摘することはもっともです。とりあえず一度まとめ直しましょう」
二人が落ち着いたことを確認して、ダニエルは続けた。
「ジョージの殺され方からして、カトラー殺しと同一犯同と見て間違いないでしょう。そして部屋が荒らされてないことから、犯人は指輪をジョージが持っていたとは考えていないと思われます。ということはウォレスさんがおっしゃる通り、犯人はジョージにその姿を見られたと思ったのでしょう。だから殺した。そう考えるのが合理的です。もちろんそれだけでは説明しきれないこともありますが、それは後に明らかになるでしょう」
ゲイブはダニエルの発言を押し黙って聞いていた。それから先ほどのやり合いが嘘のように沈黙が続いたが、しばらくして、あっとゲイブが小声をあげた。
「ちょっと気になることを思いついたんだ。ダニエルは先に家に帰っていてよ、すぐに戻るから」
それからゲイブは脱兎のごとくジョージの家を飛び出した。
「おいゲイブ、身勝手な単独行動をするんじゃない」
頭を抱えつつ叫ぶダニエルの声はもはや届かない。小さく消え去るゲイブの背中を、ダニエルとウォレスはただ呆然と見送るしかなかった。
◎
言われるがまま自宅待機をしていたダニエルの元にゲイブが帰ってきたのは、太陽が建物の屋根にかかりそうになる頃だった。
ただいま、と調子に乗った高い声音で帰宅を知らせるゲイブに、ダニエルはやれやれという様子で気だるく応じる。だがゲイブの姿を見るやいなや、先程の気だるさが消え去ったように飛び起きた。
その原因はゲイブが持って帰ってきたものにあった。その指先には金の指輪がきらめいていたのだ。
「それは……まさか……カトラーが売ろうとしていたという金の指輪か! どこで見つけたんだ?」
ダニエルはまるで幽霊と遭遇したかのように目を見開いた。大きく開いた瞳孔に見せつけるかのように、ゲイブはそのまま指輪をゆっくりと回し、その表面に噂通りの文様が刻印されていることを披露する。
「なんのことはないカトラーの家にあったんだ」
「あのボロボロで、家具もろくにないあばら家に?」
「そう。実は今回の事件の真相に関して、あるアイデアが閃いてね。詳しくはあとで説明するけど、もしそれが正しければカトラーはどこかに指輪を隠していて、それはまだ誰にも見つかっていないと思ったんだ」
「だがゲイブ。わたしも君もかなり室内を入念に調べたが、指輪どころか、ろくな調度品もなかったじゃないか」
「それはその通りなんだけど、カトラーは心配性で用心深いやつだ。だからきっと手元に置きたがるに決まってる。でも指輪を隠すならどこに? 僕は必死に、指輪の形を思い浮かべながら考えた」
そしてゲイブは人差し指の先で指輪をくるくると回しながら、指輪、指輪とつぶやいている。
「そう、この輪の形。瞬間、僕なりの勘が働いたんだ。もしかしたら、実はすでに指輪を見ていたのかもしれないってね。思いっきり見ていたのに、まるで気づかないような場所にあったのかもしれないって。ねえダニエル。あの家に入った時、まず何をしたか覚えてる?」
「たしか鍵がかかっていない玄関の扉を開けて、それから君は扉の覗き穴をチェックして……」
回想するように語るダニエルの言葉は、言葉を紡ぐごとに遅くなり、そして一度沈黙し、次の瞬間、思わず叫んでいた。
「そうか! 覗き穴か!」
「大正解。家の外から覗けないように、内側からカバーがかかっていた覗き穴さ。僕も家に入った時、まっさきにチェックしたのに外側が覗けるということしか確認しなかった。だって覗き穴の目的は穴それ自体だから、そこがなにかの隠し場所になるとは思いもよらない。しかも普段はカバーがかかっているから自然と目に入らない。見事な隠し場所だよね。そこに気づいたから僕はカトラーの家に行って、内側の方の覗き穴を縁取っている真鍮をよく調べてみた。色々といじっているうちに、ネジのように回すと外れて、そこにピッタリはまりこむように金の指輪が隠されていた。ちょうど指輪の穴を通して外が見れるようにね。そして指輪を取り出してから再度、覗き穴を見てみると穴の内部の見え方が少し変わることがわかった。つまりカトラーは覗き穴から外を見るついでに指輪の存在確認ができていたってわけ」
ゲイブは得意げに語った。ダニエルもその発見には手放しで称賛するしかなかった。
「そして指輪を発見して、それまで単なる思いつきだったあるアイデアが、ほとんど確信へと変わった」
「まさか犯人がわかったのか?」
ダニエルの問いに返答することなくゲイブは続ける。
「いいかいダニエル。今回の事件は、まさに君が解き明かすべき事件なんだ」
そう言って高らかに金の指輪を掲げ、ゲイブは推理を語りだした。
◎
ゲイブの推理を聞きおえて、神妙な表情をしたまま黙りこくっていたダニエルがようやく口を開いた。
「君の推理が正しいとすると、うまく罠を張れば犯人を捕まえられるかもしれない」
ダニエルは思考を巡らす。
「しかし時間はあまりなさそうだ。動くなら今日だ。急いでウォレスさんに連絡しなければ!」
誰に言うともなく叫ぶと、ダニエルは出かける準備をはじめた。そして玄関のドアを蹴破るようにして外へ飛び出す。疾風のように駆け出してゆくダニエルの背中を、ゲイブは無言で見送った。