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疫病流行  作者: monado
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六章◎珈琲と検討

 ダニエルとゲイブの二人はカトラーの家をあとにすると、セント・ジャイルズ教会へと戻った。教会の正面玄関側に向かうと、そこにはスコット牧師が巻毛を振り乱し、忙しく働いているさまが遠くからでも見てとれた。あくせくと動いてはテキパキと指示を出し、運ばれてくる死体をピットへと誘導してゆく。その姿にはゲイブも思わず見とれてしまうものがあった。

「さすが教区牧師レクターだけあって、素晴らしく献身的な働きぶり。ダニエルもあれくらい働いてれば会社を倒産させることもなかったのにね」

 ゲイブの皮肉を聞き飽きているダニエルは、それを無視して事件の話に戻す。

「カトラーの件、スコット牧師に説明すべきかだろうか。しかし説明したらしたで、かえってドラゴンの仕業と思われてしまいそうで、あまり気がすすまないな。それに仕事の邪魔をしても悪い」

 逡巡しつつ遠巻きに見ていた二人だが、スコット牧師がこちらに気づいて呼びかけているのがわかった。

「見つかったみたいだよ、説明しにいったほうがいいんじゃない?」

 ゲイブに促されるかたちで、渋々ダニエルはスコット牧師の元へと向かう。それから十数分ほど立ち話がかわされ、やや憔悴したダニエルが戻ってきた。

「ちゃんと見た通り正直な説明をして、我々の推測も合わせて力強く説得をしてみたんだが、犯人はドラゴンでないということは頑なに譲ってくれなかったよ。箸にも棒にもかかりゃしない。もちろん犯人が人間であること全否定されたわけじゃないんだが、現在の証拠ではドラゴンの仕業であることを否定するわけにはいかない、だとさ。ある意味、信念の人だよスコット牧師は。あれくらい自らの論を信じられる信心が、彼の敬虔な活動を支えているのだろうな。まったくもって尊敬するよ」

「ということは犯人を突き止めない限り、ドラゴン騒ぎは収まらないってことだね」

「残念ながらそうなるな。とはいえ、本当にドラゴンが暴れまわってるわけじゃない。空を飛んでいるのを見たとかいう話も思い込みか見間違いだろう。多少のパニックは避けがたいが、実害に至る危険はないのだから放っておくことにしよう」

「でも逆に、犯人への警戒はさがるんじゃない? あんな風に残虐なやり方で人間を殺す殺人鬼が野放しになるということでしょ」

「カトラー殺しの犯人は冷静で几帳面な人間だ。狂気に駆られて殺したわけじゃなく、確実に理由があって犯行に至っている。その理由は、おそらくカトラー個人に関わりのある問題だろう。そうであるならば犯人がさらなる殺人を犯すとは考えにくい。牧師や近隣住人への説得は後回しでよいだろう」

「そうだといいけど」

 ゲイブはそう言ってため息をついた。

 その時、ダニエルの背後から野太い声がした。その声の主は、帽子を押さえ髭を揺らすほどの駆け足で近づいてきたウォレスだった。

「ダニエルくん、待たせてしまったな。ちょっと聞き込みするために遠出していたもので、戻ってくるのに時間がかかってしまった。そちらはどうだったね?」

 なぜかダニエルより先に反応して答えたのはゲイブだ。

「カトラーは自宅で殺されたみたいだ。部屋は血なまぐさい臭いが残っていたし、勝手口を出たところには大量の血が残っていた。自分は聞き込みがあるとか言って、僕たちにあんな現場を押し付けてくるだなんて、ウォレスさんって案外、人が悪いんだね」

 ウォレスはゲイブを睨んだ後に、その視線を今度はゆっくりとダニエルに向ける。

「おいダニエルくん、まさかこのガキに調査を任せておるのじゃあるまいな?」

「そんなことないですよ、一緒にやっているだけです」

 ダニエルはあわてて現場の状況を簡単に説明した。

「カトラーの殺害現場は十中八九あの自宅です。犯人は証拠を隠滅しようとしていたようでしたが、それでも大量の血の痕跡が残っていました。血なまぐさいところはゲイブのほうが得意ですからね、丁度よかったですよ。それにしてもウォレスさんだって、あそこが現場だって薄々わかっていましたよね。あやうく吐くところでしたよ」

「まあそう言いなさんな。わしの方でもカトラーの新情報を掴んできておる。とはいえ立ち話というわけにもいかん。どこかこのあたりで静かに話せるところはないかな?」

 ダニエルにはすぐに思い当たる場所があった。

「それなら、わたしの行きつけのコーヒーハウスが通りを渡ったすぐそこにありますよ。疫病が流行してからというもの、めっきり客足は減ってますから静かでしょうし、密談をするには持ってこいですよ」

 ダニエルの提案に従って三人は石畳を歩いてゆく。陽気な昼下がり、普段であれば人通りもにぎやかな光景であるはずだが、疫病の瘴気がそれを妨げている。遠くに人影が見えたとしても、大抵は杖を持つ調査員だ。

 閑散とした通りを渡り終えて、三人はそのままコーヒーハウスになだれ込んだ。店頭には「バルバドス」と書かれた異国情緒が漂う看板が掲げられている。異国風な名称が最近の流行りなのだ。

 扉を開け狭い入り口を通り抜けると、暇そうにしていた妖艶な女性が気だるい仕草で手を差し出してくる。ダニエルは三人分の入場料である三ペニーを無言のまま慣れた手付きで支払った。

 店内に一歩踏み入ると、死んだ魚のような目をした店主がダニエルの姿を見て、飛び上がるように驚いて瞳を輝かせた。

「ダニエルさん久しぶりじゃないですか。どうぞどうぞ奥に入ってください」

 顔から飛び出そうなほど大きな目玉をグリグリ動かして、喜び勇んで三人を迎える。それもそのはずで、疫病のおかげで人影はなく、店はガラガラでほとんど開店休業というありさまだ。そのうえ風紀を乱すということで、市からの締め付けも厳しくなり、経営が苦しいのだ。

 店の壁には疫病に関してのチラシが、数え切れないほど大量に貼られている。「疫病予防丸薬、効果絶対保証」「空気感染に対する妙薬」「疫病予防酒、効果無比、新発見の妙薬なり」などが列挙されている。どれをとっても胡散臭いものばかりだ。こればかりは常連のダニエルといえども目を覆いたくなる。

 そんなチラシばかりでなく、店内には数多くの新聞やパンフレットも並んでいる。ゲイブがそれらに目を走らせていると、店主が喜々として説明を始めた。

「ほら、これなんかはダニエルさんが書いたパンフレットですよ。なかなか鋭い政治風刺の文章を書くので人気なんです」

「へえ。本業そっちのけでやってるだけあって、なかなか良く書けてるじゃない」

 皮肉屋の評論家気取りのところは気に食わなかったが、ゲイブにしては最高の褒め言葉だった。ダニエルもまんざらではない。

「また新しいの書いてくださいよ。やはりこれからの時代は政治風刺ですよ。混沌の時代ですからね、パンチが効いたやつ頼みますよ。そういうの、お得意でしょ?」

「考えておくよ」

 ダニエルは店主を軽くあしらいつつ、ウォレスに対して注文を促した。ウォレスは考える間もなく大声で注文する。

「とりあえずビールを頼む」

 すかさずダニエルがつっこむ。

「ここはパブじゃないんですよウォレスさん。残念ですがコーヒーハウスにはビールはありません。酒と女は禁制なんです。あくまでコーヒーや紅茶、それに煙草をたしなみながら会話を楽しむ、紳士の社交場です」

「これは失礼した。朝から歩きっぱなしでノドが渇いてしまってな、ついついパブでのクセがでてしまった。だが、わしはあのコーヒーとかいう黒くて苦いだけの飲み物は胃が受け付けん。流行ってるのかもしれんが、あんなドブみたいなものを飲む人間がいるとは信じられんよ」

「わたしはそのドブをいただきますよ。ウォレスさんの分はハーブティーでも頼みましょう」

「僕はチョコレート」

 威勢よくゲイブが注文をする。それをダニエルが大人びた雰囲気でたしなめる。

「ゲイブ、お前もコーヒーを飲んでみたらどうなんだ。インチキ臭い薬よりはずっと健康増進に役立つぞ」

「だって、僕も黒くて苦いだけの飲み物はいやなんだよ。ねえ、ウォレスさん」

 ここぞとばかりにウォレスと互いを認めあっている。

 チョコレートだって黒くて苦いはずだが、とダニエルは思わないではなかったが二人の意気投合ぶりを見て黙っていた。

 しばらくすると三人の前に飲み物が運ばれてきた。ゲイブは目の前にチョコレートが提供されるやいなや、その溶岩のようにドロドロの液体を悠々と飲みはじめた。コーヒーよりはるかに飲みづらいはずのチョコレートを飲む姿に、ダニエルは目をみはる。

 ウォレスもその飲みっぷりに少々感嘆しつつも、本題である事件について語り始めた。

「とりあえずカトラーの知り合いに片っ端から聞き込みをかけてみたところ、ひとつ重要な情報を得た。カトラーのやつ宝石商を探していたようでな、知り合いのツテをたどって一昨日に教区の隅にある宝石商のところに行ったようなのだ。そこの店主が宝石商のダウニングという男でな。と言っても、まともなやつじゃないぞ。表ではカタギ相手の商売をしているが、裏では盗品も扱うようないかがわしいやつだ。まあ、わしもそのあたりを突きつつ情報を聞き出してきたというわけだ」

 ウォレスは得意げな表情でハーブティーを一口含んだ。初めて飲むその味に少し驚いた様子ではあったが、まんざらでもないようで、そのまま話を続ける。

「ダウニングによると、カトラーは周囲を伺うような妙にソワソワした様子だったらしい。もしかすると誰かに付け狙われていたのかもしれんな。それに顔も青ざめていて体の調子が悪そうに見えたとのことだ。冗談交じりに『ずいぶん顔色が悪いですが、疫病にかかっちゃいませんよね?』とダウニングが尋ねたところ、かなりムキになってになって否定してきたとのことだ」

「カトラーの家の周りは軒並み疫病にやられてましたからね。カトラー自身、かなり疫病を恐れていたようです。寝室には疫病予防の呪符もありました」

「まあ、あのあたりは貧しい家が多いからな。衛生状態も悪く、疫病が蔓延しやすい。それはさておき、ダウニングに対してカトラーが切り出したのが、いくつか指輪を買い取ってほしいという話だった。ダウニングもカトラーの評判は耳にしていたから『これは盗品をさばこうとしているな』とピンときたらしい。そこで、ダウニングはモノも見ずに断ったらしいのだ」

「どうしてです? ダウニングは何でも買い取るようなやつなんでしょう?」

 ダニエルの疑問に、ウォレスは神妙な顔つきで応じる。

「疫病の影響だよ。毎日バタバタ人が死んでおるだろ。確かに富裕層は田舎に避難しているが、必ずしも皆が逃げだしたわけではない。富裕層だってたくさん疫病で死んでおるのだ。その結果、貴金属や宝石といった宝飾品が大量に宝石商に持ち込まれ、供給過剰で買取値は底を打っとるわけだな。それで普段は出所不明の盗品ですら買い取るようなダウニングだったが、今の状況では危ない橋を渡ってまで怪しい宝飾品を買い取る必要などないわけだ。カトラーに対しても事情を説明して強く断ったらしいんだが、それでもカトラーは鑑定だけでもしてくれと引き下がらなかった。そして懐から金の指輪をとりだして、金自体の価値と金細工として価値があるかを調べてほしいと迫った。仕方なくダウニングが軽く鑑定してみると、そこそこ質はよいものの純度は低く、金自体の価値はさほどないことがわかった。そして表面に不思議な文様が刻まれている程度で、金細工としての価値もないと答えたらしい。それを聞いたカトラーはすごすごとおとなしく帰っていったらしいのだ」

「なるほどね」ゲイブがつぶやく。「つまりカトラーは金の指輪を盗み、換金しようと思ったがあえなく失敗。そうこうしてるうちに、その持ち主の恨みをかって殺された。あるいはそれを横取りしようとした何者かに殺されたということかな?」

 それに対してダニエルが反論する。

「いや、それは考えにくい。まず、純度が低い金だとすると、指輪程度の大きさの金では一ヶ月ほど飲み食いできる程度だろう。その程度の金銭価値で、あんな風に殺されるとはとても思えない。それにカトラーはなにかに怯えていたとのことだが、もし、その指輪のせいで本当に命の危機を感じていたなら、ダウニングに二束三文でもいいから売って、ロンドンから逃亡を試みたはずだ」

「ことはそう簡単な問題ではないぞ」

 異論を挟んだのはウォレスだ。

「ロンドンから脱出するには健康証明書が必要になる。監獄から出てきたばかりの人間がすぐに取得するのは難しいだろう。カトラーはもしかすると、疫病騒ぎがおさまってから売りさばこうという心づもりだったのかもしれんな」

「たしかに疫病の流行も減衰傾向にありますから、検問がゆるくなる日も近そうだ。カトラーがそのように考えた可能性もありますね……」

 議論が煮詰まってきたところで、ゲイブが再び口を開いた。

「もうひとつ気になることがあるんだけど、いいかな。カトラーが指輪の価値を執拗に尋ねたところからすると、その正確な価値は知らなかったけど、それが材質以上の価値があると思ってたんじゃないかな。ねえ、ウォレスさん。ダウニングは指輪についてもっと詳しく話してなかった?」

 ウォレスは問われて、唸るようにハーブティーをすすった後、

「うむ、それに関しては、あまり当てにせず聞いてほしい、なんせダウニングという男は、そこまで知識や見識がある目利きというわけではないからな。わしもその指輪が気になったので、どんな品物だったのか、かなりしつこく聞いてみたのだ。するとダウニング曰く、その指輪にはこんな刻印がされていたらしい」

 ウォレスがふところから小さなメモを取り出し、丁寧に広げながら机の上においた。ダウニングが書いたというメモには、奇妙なアルファベットが並んでいた。


    long Spn Xis Xis


 ダニエルは眉をひそめながら、無理やり読み上げようとする。

「ろんぐ……す……なんて読むんだこれは? 英語ではなさそうだし、フランス語でもイタリア語でもなさそうだ」

 ゲイブも身を乗り出して食い入るように見ている。興味津々といったゲイブはメモを勝手につまみ上げ、頭上に持ち上げひっくり返したり回転させたりして、なんとか読もうとしている。

「本当にアルファベットなのかな? なんらかの模様をダウニングが文字と勘違いしたのかもしれない」

「最後のほうは逆から読めばシックスと読めるが、そうすると最初のロングが意味をなさなくなる。たしかに何かしらの文様と考えたほうがよいかもしれないな」

「逆から読む……ねえ……」

 それから一分ほどダニエルとゲイブの二人は試行錯誤していたが、ついには諦めた。

「とりあえず、指輪の件は一度置いておくとして、事件の整理をしましょう」

 そう言ってダニエルが仕切り直しをする。ダニエルは店主に声をかけて羽根ペンとインクを用意してもらい、ふところからとりだした紙をテーブルの上に置いた。

「それでは被害者であるカトラーを中心に整理してみましょう。半年前から始めるのがよいでしょうね。たしかスリでヘマをして捕まったということでしたね?」

 ダニエルはウォレスに視線を送る。

「たしか逃げる間もなく、その場で捕まっとる」

「なるほど、ニューゲート監獄から釈放されたのはいつになりますか?」

「ちょうど一週間前だな」

 ダニエルは同様の調子で、これまでの事実を点検しながらウォレスから聞き取り、それをすらすらと慣れた手つきでペンを走らせてまとめあげていった。

「殺害された時間は正確ではないですが、とりあえず昨日としておいてよいでしょう。その前提でカトラーの動きを時系列順にまとめます」


《カトラーが殺されるまで、今日以前の出来事》

・半年前

 その昔、天才スリ師として名を馳せたカトラー。悪どい窃盗は行わないことを信条としていたものの、いつも金銭は困窮していた。高齢となりその腕も落ちたためかスリの現行犯で捕まり、ニューゲート監獄に収監される。

・一週間前

 ニューゲート監獄から釈放される。

・一昨日

 宝石商のダウニングのところへおもむき、金の指輪の売却しようとするが断られる。その指輪には「long Spn Xis Xis」という文様が刻まれていた。

・昨日

 自宅にて殺される。家探しされた形跡があり、寝室の床には破かれた疫病予防の呪符が落ちていた。勝手口から出たところに、カトラーの血を流し水をかけて消し去ろうとした形跡があった。


《カトラーが殺された後、今日の出来事》

・夜明け前、商人のジェイコブが死体を運搬する疫病医師を目撃。顔を覆う疫病防護のマスクをしていため、人相は不明。そして血が滴っていたことから死体はカトラーであり、医師に扮していた人物が犯人であると思われる。

・夜明け頃、ジョージがセント・ジャイルズ教会の前でカトラーの死体を発見。ジョージは自らをドラゴン殺しの聖人と思い込んでいるため、ドラゴンの仕業であると叫びだす。

・教会の前の通りを歩いていた調査員のエイミーが、叫んでいるジョージに気づき近寄ったところ、カトラーの死体を発見。調査員の仕事があるため、スコット牧師に状況を伝え、エイミー自身は一度、教会を離れる。ジョージはいつの間にか現場を離れている。

・スコット牧師が自警団に連絡し、ウォレスが教会に駆けつける。

・ウォレスから協力を依頼された我々二人が教会に駆けつける。その間もジョージは周囲を徘徊しながら叫び続けていた。

・仕事を終えたエイミーが教会に戻ってくる。

・ジョージの叫び声を聞き、異常に気づいたジェイコブが教会に駆けつける。


「どうでしょう、おおよそこの流れであってますよね?」

 メモを渡されたウォレスは、いつの間にか追加注文していたハーブティーをすすりながら丁寧に何度か読み直し、それから大仰に二度三度うなずいてから間違いないと太鼓判を押した。

「ウォレスさん、ありがとうございます。これで現状で判明している事実は整理されました。それではこれを元に犯人像をあぶり出していきましょう。と言っても、行動範囲から絞り込んでいくとしても、教区にいる人間すべてが容疑者になってしまいますね」

 悩ましく眉間にシワを寄せるダニエルに、軽い調子でゲイブが口を挟む。

「案外、ここまで僕たちが会ってきた中に犯人がいたりしてね。もしそうだとすると、証言が嘘だったり肝心なことを隠蔽している可能性を考慮しなきゃならないことになるね」

「ありえん話ではない……」

 その可能性に食いついてきたのはウォレスだ。それから腕組みをしながら目をつぶり、うなり声をあげはじめた。次第にその声がフェードアウトしたかと思いきや、かっと目を見開く。

「ううむ。もし我々が会ってきた中に犯人がいるとするなら、一番怪しいのはジョージだ。狂人じみた振る舞いもすべてカトラーを殺すための演技と考えれば辻褄があう」

「なるほど」

 相槌を打ったダニエルが、少し考えたような表情をしてから続ける。

「つまりこういうことでしょうか。ジョージは数ヶ月前から計画を立て、狂人のふりをし続けることで容疑者から逃れようとしていた。カトラーを殺害した後は、怪しまれないよう疫病医師の扮装で死体を教会まで運び、庭に掘られた墓地にこっそり埋めようとした。その時、偶然にも通りかかったエイミーに見つかってしまう。しかしジョージは目撃されてしまうことは織り込み済みだった。あらかじめ死体をドラゴンに食い殺されたように仕立てておくことで、とっさに狂人の振る舞いをしてごまかせると考え、実際にそう装った」

 ダニエルの推理をウォレスは感心して聞いている。

「そうだともダニエルくん。まさにわしが言わんとしていたことそのものだ。よし、こうなったら明日はジョージの周辺を洗ってみることにしよう」

 のぼせ上がるウォレスを見て、ダニエルは冷静に答える。

「今の推理では動機もわからないですし、色々と穴だらけですよ。とりあえず誰が犯人であるかにせよ。もうすこし外堀から埋めていったほうがよい気がしますね。わたしが気になっているのは、カトラーが釈放後すぐに殺されている点です。釈放より前、つまりニューゲート監獄の中で、何かしらの因縁があったのではないでしょうか? まずはそこから聞き込みをしてみるのが常道でしょう」

「よし、その件に関してはわしの方で便宜を図るとしよう。明日すぐにというのは難しいかもしれんが、近日中にニューゲート監獄の関係者と話ができるようとりはからっておく。忙しくなるのう」

 ウォレスが興奮して自信満々で語る横で、ゲイブはあまり気の進まない顔をしている。なにも君が捕まるわけではないと小声でダニエルが囁いたが、ゲイブは何も応えぬままチョコレートを飲み干した。

 それ以上、事件については論議が深まることもなく、明日からはお互いに手がかりを探すべく動こうということが決定された。こうして夕闇が迫る頃、一同は解散し、家路についたのだった。


 ◎


 翌朝、ダニエルは雷撃のようなノックの音で起こされた。

 眠い目をこすりながらドアを開けると、そこには急いで駆けつけてきたせいか肩で息をしているウォレスが立っていた。

「なんですかウォレスさん、こんな朝早くから」

 ウォレスは目を見開き眉間にしわを寄せた切迫した表情で口を大きく開いた。

「大変なことになったぞダニエルくん。今朝、ジョージの死体が見つかった。しかもカトラーと同じく、ドラゴンに食い殺された姿で発見されたのだ!」


疫病条例――街路清掃に関する規定

・各戸主は自家の門前の街路を常に清潔に保つ。

・掃除人夫は従来通り角笛を吹きながら、各家庭より出る塵芥を毎日集めること。

・塵芥捨て場は、市域からできるだけ離れた場所に設ける。屎尿汲み取り人などが肥桶を市の近傍の庭園に空けることを禁ずる。

・悪臭を発する魚肉、不潔な獣肉、黴びた穀物、腐敗した果物などを販売してはならない。また、去勢豚や犬、猫、アヒル、ウサギの類を、市内で飼育してはならず、子豚を通りに徘徊させてはならない。もし、このような子豚が発見された場合には、ただちに教区役員などによって捕獲され、所有者は市会条例によって処罰されるものとする。犬の場合は、とくに指定された業者によって撲殺される。


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