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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

古書玩味 

掲載日:2019/04/15

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 お、つぶらやくん、久しぶり。この古本屋さん、来ているのかい?

 立ち読みするにせよ、ものを買うにせよ、こういう中古店ってありがたいよねえ。お財布に優しいこともほとんどだし、人によっては、定価で買うのが嫌になってくるかもしれない。

 でも、僕はこのごろ、新品派なんだよねえ。誰かが触ったものというのは、どうにも信用ができなくって。

 直前の持ち主が、まともな扱い方をしているとは限らないだろ? いざページをめくってみたら、ジュースの垂れた跡があるかもしれないし、文字がかすれて見えなくなっているかもしれない。

 そこを許容できるほど、寛容ではないんだよねえ、僕は。いくら値段が安くってもさ。

 

 ――ん? そう思うようになったきっかけ?


 ああ、話すと少し長くなるかな。

 まだ時間あるかい? そこら辺の店の中ででも話そうか。


 昔、僕が住んでいた実家の近くに、お屋敷に住んでいて、本をたくさん集めているお兄さんがいた。

 僕が彼と知り合ったきっかけは、しょっちゅうお兄さんの家に出入りしている友達の紹介。本好きなら、お兄さんに会っておいて損はないとの触れ込みで、僕自身も興味があったから、一緒にお兄さんの家へ向かったんだ。

 お兄さんは、こころよく僕たちを出迎えてくれた。そして家の中を案内してくれたんだけど、僕は目を見張らんばかりだったよ。


 通された広間に、図書館もかくやというほどの、書架の列ができていたんだ。棚の上には五十音のうち、どの音からどの音までのタイトルが詰まっているかを示したプラカードが張られていて、床の白黒タイルと合わさり、雰囲気が出ていた。

 書架と離れた壁の近辺にも、ガラス張りや、スライド式の、様々な本棚が設置されている。その足元には、入りきらない本たちが詰まった、段ボールの箱もちらほら。


「私の両親が無類の本好きでね。生前に時間を見つけて集めてきたものが、ここに詰まっている。加えて、私も本を集めるのに凝っていて、日々、コレクションを増やしているというわけだ」


 何か読みたい本があったら、声をかけてほしい、とお兄さん。友達はすでに長い書架の一角へ姿を消していて、僕もお兄さんの言葉に甘えるまま、書架の方へ向かい始めた。

 ずっと前、両親にすすめられながら、色々あって読んでいない古典の洋書が数冊ある。それをこの際、探してみようと思ったんだ。


 わら半紙の匂いが漂う。学校では先生の印刷物に、時たま混ざるくらいとなっているが、僕は個人的にこの匂いが、けっこう気に入っていた。

 棚に並んでいる本たちを見やると、カバーがかかっておらず、横長の紙束をホチキス止めしただけの台本らしきものが、ところどころに入っている。おそらく彼らがこの香り空間の立役者なのだろう。

 すんすんと鼻を鳴らしながら、目的のタイトル近くの棚まで来た僕。ここから一冊ずつ丹念に調べていく作業も、またわくわくするものだ。

 本を見つけた時の嬉しさもひとしおだが、お目当ての本だけがきれいに抜けていたりするのも、また趣深い。

「あれあれ?」と自分の目を疑い、二回目、三回目と、もう一度該当する箇所を見つめなおす。その後、「どこか、変なところに入れちゃっているんじゃないか」と、近くの並びへ目を移すんだ。迷子を探す感覚で指差し確認しながら、てくてくと歩いて行って……。

 図書館で、しばしば出会う現象。だが、今回はすんなりとタイトルを見つけることができたんだ。

 

 厚い布のカバーの上から、金色の刺繍でタイトルがあしらってある。件のタイトルの訳書のうち、両親が名訳だと太鼓判を押してくれた、翻訳者の名前も並んでいたんだ。


「そいつにするかい?」


 突然、横合いからお兄さんの声。そちらを向くと、本人が立っていた。本探しに夢中だったせいもあるけど、近づいてくるような気配を全然感じなかったよ。


「ちょっとこの辺りは、本を詰め込みすぎて、抜きづらくなっているかもしれない。私が左右の本を押さえておくから、その間に抜き取ってくれ」


 私の背中から、お兄さんがかぶさってくるように、お目当てのものの両隣にある本たちへ、ぐっと手をついた。あたかもお兄さんの腕が成す輪っかに、僕が捕らわれてしまったかのような格好だ。

 先ほど、お兄さんが気配を感じさせずに現れた件もあって、少し気味悪さを感じたよ。僕は急いで本を抜き取ろうと指をかけたが、確かに手ごたえ抜群で容易には動かない。

 本の天と地の部分を、交互に倒すようにしてじわじわ引き出しながら、表紙を掴めるようにする。しっかり五本の指で挟んだ後も長いこと格闘をして、ようやく引っ張り出せた時には、軽く汗をかいちゃったよ。

「ふう」と息を吐くと、お兄さんも押さえていた本から手を放す。それを待っていたかのように左側の本が傾いて、右側の本のカバーへともたれかかった。

 このまま戻したい気分もちょっぴりあるけど、助けてもらった手前、無下にするわけにはいかない。

 僕は本を借りたい旨を、お兄さんへ伝えたんだ。


「貸し出しの期限は二週間。それ以内でも、読み終わったら順次、返しにきてもらっていいよ」


 お兄さんはズボンのポケットから鉛筆とメモ帳を取り出し、僕の名前と日にち、借りていく本のタイトルを書き記していく。貸し出す上で当然のことだったろうけど、僕は自分の名前を書かれることに、いささか不安を覚えたよ。

 友達はというと、お兄さん曰く、すでに帰ったとのこと。例の貸し出しメモに、友達のものがあるのも確認させてもらった。


 ――さっさと読んで、この本を返そう。


 そんな焦りに駆られる僕は、家に帰ってすぐ、本を広げた。

 さすがに両親がおすすめする名作だけある。最初の数ページこそ義務感だったけど、あっという間に引き込まれた。

 テンポの良さ、展開のすごさ、何より文章のうまさ。読み進める目と手を、止める気が全然しない。

 そして200ページ余りある中身の4分の3。いよいよ佳境へ差し掛かろうという場面で、ページをめくった僕は、一気に寒気を覚えることになる。

 

 開かれた2ページのうち、右側の部分が、ほとんど黒くつぶされてしまっているんだ。

 社会科で見るような墨塗りの教科書みたいに、文字だけに線が引かれて消されているわけじゃない。ページのほとんどが、黒いもののたまり場になっている。

 反対の左側のページもひどい。右側に比べると薄めではあるものの、黒い水を霧吹きされたかのようで、文章の解読はほぼ不可能。きっと右側の汚れが、閉じあわされている間に移ってしまったのだろう。

 

 でも、僕の鳥肌が立ったのは、そればかりじゃない。

 右側の濃い黒色の染み。よく見ると左側に四本、右側にも四本、合わせて八本、中心から外側に向かって、曲線が不自然に伸びているんだ。

 これが水はねだったなら、周囲へのにじみがあったりして、ここまではっきりとした線を成さないだろう。じゃあ、わざわざ墨で描いたものなのか……。

 僕は、恐る恐る黒っぽいものへ指を伸ばしてみる。けれど、すっかり指がついてしまう直前で、思わず手を引っ込めちゃったよ。

 だって僕の指へ、明らかに「動物の毛」の感触が伝わってきたんだもの。

 

 もう夕飯近かったけど、僕はお兄さんのお屋敷へ急いでいた。

 すぐにでもこの本を手放したかったんだ。あの黒の正体が僕の予想通りなら、あまりに不潔で汚らしい。

 お屋敷の前まで来た時、庭に面した窓からは、煌々と明かりが漏れていた。僕はインターホンを押さず、時代劇のお白洲を思わせる白い砂利敷の上を、音を殺しながらゆっくりゆっくり進み、窓の近くの壁際に張り付いて、中をのぞき込んだ。

 

 お兄さんが、ハードカバーの本を開いて手に持ちながら、こちらへ背を向けて立っている。一瞬、「読書しているのかな」と思ったけど、お兄さんはだしぬけに、本を頭上に掲げたかと思うと、「パタン」と閉じ合わせる。

 更に、続けざまに三回。本がお兄さんの手によって、虚空で閉じたり開いたりを繰り返す。そのしぐさを見ながら嫌な予感を募らせる僕は、いっそう目を凝らし、ついにその瞬間を捕える。

 

 お兄さんの近くに、小さい蚊が飛び回っていた。それを追いかけるように、お兄さんは本を何度も閉じ合わせ続けていたんだ。そして蚊の軌跡と閉じ合わせがすっかり重なった直後、お兄さんは手元でもう一度だけ本を開く。直後、満足そうな笑みを浮かべながら、書架のある方へ引っ込んでいくんだ。

 

 お兄さんは、本にあえて挟み込んでいたんだよ。しおりじゃなく、虫たちをね。

 どうして、そんなことをしているのか? その疑問は、すぐに明かされることになる。

 一刻も早く本を手放したい僕は、インターホンをプッシュ。ほどなく扉越しにも分かるくらいバタバタと足音を立てながら、お兄さんが出てきたよ。

 もごもごと動く口元を手で押さえていたが、その指のすきまから、ページの切れ端がのぞいているのを僕は見逃さなかった。

 ごっくりと、喉を鳴らして嚥下えんかし、「もう読み終わったの? 早いねえ」と感心した声音を出しながら、本を受け取るお兄さん。あの光景を見た僕の目には、あまりにも白々しく映る。


「ちゃんと味わったかい?」


 当然、僕には読書以外の意味に聞こえたのは、言うまでもないだろう。


「はい、とっても。ありがとうございました」

 

 そういって頭を下げ、足早にその場を去って以来、お兄さんのお屋敷には近づいていない。

 友達はというと、今までにも増して学校の朝読書の時間に、いかにも年季が入ったハードカバーの本を、頻繁に取り出して読んでいたよ。その傷み具合は、あそこの書架にあったものを思わせる。

 

 ――あれからも友達はお兄さんのお屋敷に、通っていたのだろうか。そして「中身にはまってしまった」んじゃないか?

 

 僕は不安に思いながらも、卒業するまで、ついに尋ねる勇気を出せなかったんだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] ページめくって蚊なら不快でしょうけれどまだ耐性がありそうですが、動物の毛というのはかなり怖いですね。 しかも……ヒェッ! まさか文字通りに味わっているだなんて……(((;゜Д゜))) いくら…
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