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15-4(ファロでの出会い4(ミユとキヒコとカエル))

 誰かが近づいて来る気配はなかった。少なくともクロには判らなかった。ひくひくと鼻を動かし、周囲を慎重に探る。

 人の気配はどこにもない。まるで、さっきの声が嘘のように。

 どこにも?

 そこでふとクロは気づいた。

 矢を向けているはずの誰かだけでなく、カイトの気配も、ない。

「そっちこそ動かないで」

 カイトの声が響く。斜面のずっと上で。がさりと音がして、クロの左手奥の森に人の気配が現れる。カイトのではない。自分たちに矢を向けているだろう、誰かの気配だ。動揺しているのがクロにも判る。

「そっちじゃないわ」

 またカイトの声。まったく別の方向から。

「ここ」

 カイトの気配が現れる。知らない誰かと、カイトの気配が重なった。


 カイトは背後から女の足を払って女を押さえ込むつもりだった。

 しかし、カイトがそうする前に、女は軽く飛び上がってカイトの足を躱し、矢を番えた弓を回してきた。

 カイトは声を女の背後へと飛ばした。

「こっちよ」

 動揺した矢先が、カイトに止まらず僅かに逸れる。

 カイトは素早く女の懐に滑り込み、弓を握った手を払った。そのまま女の関節を取るべく手を伸ばす。

『あ』

 逆に女がカイトの手首に手を回してきた感覚があった。

 咄嗟に手首を捻って女の手を躱す。

 夜の森の中だ。空には星しかなく、周囲は一寸先も見えない闇に包まれている。カイトに相手の姿は見えていない。しかし、肌で感じる空気の動きと音で、カイトには相手の動きが読めた。

 しかし、相手もカイトの動きを読んでいる。読まれている。

 カイトはもう一歩、前へ踏み込んだ。

 右手、右手、左手、また右手と、関節を取り合う。

 フェイクをひとつ入れる。

 けれど女は騙されない。

 まるで二人で息を合わせてダンスでもしているかのように正確に反応してくる。

 カイトの胸が躍った。

『楽しい』

 この子は知っている。と、思う。この子もわたしと同じ、北の護身術を使っている。しかも、かなり上手い。

 こんな風にやり合うのは久しぶりだ。

 酔林国でカーラとやって以来だ。もっとも、カーラが自分に合わせてくれていたことは判っている。

 本気だったらとても敵わなかったかな。

 とも思う。

 けど。

 カイトはぐっと前へと重心を移した。

 釣られて女が押し返して来るのを利用して、足を払って女の身体をくるりと回した。女が「あ」と声を上げる。

 カーラとやって覚えた技だ。

 女は知らないだろうと思い、確かに面白いように引っ掛かった。

 女の身体が地面に叩きつけられないよう、腕を引く。微かな音を立てて女は大の字になった。

 倒れた女を見下ろし、カイトは『争う気はないわ』と言うつもりだった。

 しかし、実際にカイトの口を突いて出たのは、

「強いね」

 という賞賛の言葉だった。


 短い沈黙の後、女の笑い声が低く響いた。

「こんなに見事に投げておいて、それはないわ」

「あ。そうか」

「あんた、もしかして、カイト?」

 カイトに引き起こされながら女が訊く。

「あんたは、フウね」

 確信を込めてカイトが問い返す。

「うん」

 女が--フウが頷く。立ち上がって土を払う。

「ちょっと明かりを灯すけど、いい?」

「明かり?」

「魔術。少しだけど使えるの」

 そう言えばこの子はイタカさんの魔術の弟子だったっけと思い出し、「うん」とカイトは頷いた。

 フウが何かを呟く。

 柔らかな光が、暗い森の一角を仄かに浮かび上がらせた。

 淡い光の中、カイトは初めてフウを見た。

 身長はカイトより頭半分ぐらい低い。体つきには柔らかな丸味がある。瞳の色も髪の色も栗色。瞳が微かに赤味を帯びて見える。髪は肩まで落としているものの短い。

 カイトよりも丸顔だ。

 かわいい顔だ。

 フウもカイトを見た。

 栗色でありながら、どこか青味みを帯びた瞳。

 とても感情豊かな、優しさを秘めた瞳。

 やっぱりきれいな瞳だな。と、フウは思った。

 あたしを助けてくれた瞳、そして、母さまを殺した瞳だ。

 カイトという名の森人の娘とクロという名の獣人が自分を探していることは、フウもイタカから教えてもらっている。成人したばかリの森人の娘がたった一人で平原王の砦を落としたという噂も、フウのところに届いている。

 もしかしてあの子だろうか。

 フウはそう思った。

 まるで泉のように静かな瞳をした、あの子だろうか。

「やっぱりあんたなのね。あの時、あたしの母さまを殺した、あの子なのね」

「うん」

「なぜ、ここにいるの?」

「あんたを探してた」

「何のために?母さまと同じように、あたしを殺すため?」

「うん」

 カイトが頷く。

「頷く前に事情を説明しろよ、カイト」

 呆れたようにクロが口を挟まなければ、一瞬膨らんだ殺気そのままに、フウは弓を拾い上げ、矢を放っていたかもしれない。

 暢気なクロの声が肩透かしとなって、フウの殺気を夜気に流して消した。

 フウが視線を回す。

 皮肉っぽく口元を歪めた獣人が、木々を背中に立っていた。

「あなたは、だれ?」

 予想はついていたが、確認のために尋ねる。

「オレはクロ。しがない賞金稼ぎで、カイトの保護者さ」

「保護者?」

 この答えは予想外だった。

「えーと。確かに間違いじゃない、かな」

 カイトがそう言ったのも、フウには予想外だった。緊張感が解ける。ふっと息が漏れて自然と口元に笑みが浮かんだ。

「笑うと可愛いじゃねぇか。ずっとそうやって笑ってな。

 ところで、ミユとかいうお嬢様はどこ?オレ、会うの、ちょっと楽しみにしてたんだけど」

 フウがハッと振り返る。

「もう。待ってて下さいって言ったのに!」

 怒ったようにそう言って、フウは旧ロア城に向かって斜面を駆け上がっていった。



 旧ロア城に巣くった山賊の頭目は、名をキヒコといった。

 歳はすでに60を越えている。だが、若い頃から鍛えた身体は頑強そのものだ。丸い顔に肉厚な丸い身体が続き、指の先まで関節ごとに丸い筋肉の塊が繋がっている。

 反乱軍を名乗っているからだろうか、山賊らしくなく、ゴツゴツとした顔に髭はなかった。

 身長は高くない。

 しかし、身体を乗り出して椅子に座った姿には迫力がある。

 広間には彼の手下が全員揃っている。

 かつては多くの兵士が集っていたであろう広間だ。キヒコの座る丸椅子以外、物はほとんどない。

「芝居ではよく見るが、本当にいるとは思わなかったよ。一人でこんなところまで乗り込んでくるようなお人なんてよ」

 キヒコが声をかけたのは、彼の前に立つ一人の女である。

 歳は20になるか、といったところだろう。

 身体の前で指を組み合わせ、背筋を伸ばし、澄んだ菫色の瞳を臆することなくキヒコに向けている。

 背中に落とした長い髪は頭頂部付近では赤に近い茶色だが、次第に色を変え、全体ではグラデーション豊かな美しい金髪となっている。

 広い額には知性が漂い、薄く紅を塗った唇には静かな笑みがある。

 ファロの領主マウロの一人娘、ミユである。

「ミユ様……」

 キヒコの部下たちの中に、明らかに風体の異なる男たちがいる。ほとんどの者は目を血走らせ、ミユを威圧するように肩を怒らせていたが、彼らだけは不安と後悔を色濃く漂わせている。

「変わっている、とは良く言われます」

 ミユのよく通る声が広間に響く。

「だろうな」

 キヒコが嗤う。

「で?何の用だい?お嬢さん」

「そうですね」

 ミユが少し視線を上げる。天井を見つめて黙考する。

「ファロの民人がこちらにお邪魔していると聞いたので、戻るようにと説得するつもりで来ましたが、止めることにします」

「はあ?」

 視線をキヒコに戻し、ミユが微笑む。

「キヒコ様。あなたもファロの民人になりませんか?」

「何を言ってる」

 ミユが名前をひとつ、口にする。

「--さんたちだけではなく、あなたを含めた皆さんで、ここを出られてはどうかと提案しているのです」

 くっくっくっとキヒコが低く笑う。

「ここを出て、あんたの臣下になれと言うのか?」

 ミユは首を振った。

「ファロに身分はありません。いえ、あるにはありますが、それは役割が違うというだけです」

「おい」

 キヒコの声に怒りが混じる。元々低い声が、より一層低くなる。前に乗り出したキヒコの身体が一回り大きく膨らんだようにミユには見えた。

「オレもこれまでいろんなキレイゴトを聞いてきたがよ。今のはこれまで聞いた中で、最低のキレイゴトだぜ?嬢ちゃん」

 ミユが微笑む。広間に張り詰めた重い空気を気にする様子はない。キヒコに応えて、口を開こうとする。

 しかし、キヒコに対する反論は、意外な方向から来た。

「き、きれいごとじゃありません……!」

 掠れた声を上げたのは、キヒコの手下の中にいた風体の異なる男たちのうちの一人である。

「ああ?」

 キヒコが視線を向けると、一団の中でもいちばん気の弱そうな男が、恐怖に頬を引き攣らせながら膝を乗り出していた。

「た、確かにファロにも身分はあります。でも、ミユ様の言われる通り、それはただの役割です。その証拠に、オレたちの誰よりも、マウロ様もミユ様も泥だらけになりながら働かれています……!」

 一団の他の男たちも続いた。

「オレたちは、マウロ様やミユ様が、ただ領主だから従っているんじゃない、あ、その、……ないんです」

「マウロ様もミユ様も、誰よりも尊敬できる。だから--」

「だったら何でここに来たんだ、お前ら!税がキツイとか、言ってただろう!!」

 キヒコの怒鳴り声が広間の空気をびりびりと震わせる。彼の迫力に男たちはひっと息を呑んで身体を引いた。

「怒らないで下さいませ、キヒコ様」

 キヒコが視線を戻す。キヒコだけではない。広間にいる誰もが、ミユの声に惹かれたように視線を回した。

 キヒコは不思議な感覚に囚われた。

 芝居の一場面のようだ。

 と思う。

 ミユの菫色の瞳が照明に照らされたように明るく輝き、裏方の魔術師の起こす風にミユの長い髪が靡いている。

 広間にいる全員が観客となって、主役であるミユのセリフを待っている。

 そう感じたのである。

「残念ながらファロもクスルクスル王国の一部です。税がきついのは本当です。ですが--」

 男たちに向かってミユが微笑みかける。

「奥さまとケンカしたからって、ここに来るのはどうか、と、思いますよ」

「はぁ?」

 ばたばたとファロの民人たちが駆け出してミユの前に膝をついた。深々と頭を下げ額を床にこすりつける。

「すみません、すみません、ミユ様」「ちょっとかあちゃんを困らせたくて」「まさかミユ様が来て下さるなんて……」

 大の男たちがわあわあと声を上げて泣く。

「これがわたくしの役割です。みなさん。顔を上げてください」

 笑顔で男たちの前に膝をついたミユを見て、キヒコは「おいおい」と片手でごつい頭を抱えた。

 はぁと長く深いため息を落とし、

「判った。もういい。とっととその連中を連れて帰りな。かあちゃんのところによ」

 と手を振る。

「いえ」

 男たちのひとりの背中をさすりながらミユは顔を上げた。

「キヒコ様方も一緒に参りましょう」

 キヒコが嗤う。

「無理だよ、お嬢様。そいつらと違ってオレらは犯罪者だ。ありがたい申し出だが、あんたの世話にはなれねぇ」

「犯罪者には見えませんよ、皆さま」

 低くキヒコが笑う。

「犯罪者にしか見えねぇ、の間違いだろ」

「仮に皆さまが政府に追われる身だとしても問題はありません。ファロは田舎です。30人程度なら十分かくまえます」

「おいおい」

「もし、政府に追われているのがどうしても気になるのなら、皆様に打ってつけの仕事もあります。

 実はファロの中でもより田舎の方の土地を切り開いて新しい田畑としたのですが、ちょっと手続きを怠ってしまって、郡庁にはまだ報告できていません。

 税がきつくなった分をそこからの収穫で補いたいのですが、残念ながら人手が足らないのです。

 もしキヒコ様方に手伝っていただけたら、助かるのですが」

「……隠田があるって?」

 にこりと笑ってミユが首を振る。

「隠田と言うとまるでわたしが罪を犯しているように聞こえますよ、キヒコ様。そうではなく、少しばかり報告が遅れているだけです」

 ぷっとキヒコが噴き出す。割れるような大笑が広間に響く。しばらく笑った後、キヒコはミユに視線を戻した。

「見上げた根性だ、お嬢様。まいったよ」

「では、ご一緒していただけますか?」

「悪いがオレひとりの一存じゃあ、決められねえ。みんなで相談してから返事がしてえ。いいかい?」

「はい」

「残念ながら、その時間はない、と思うぜ」

 広間の視線が一斉に、広間の奥に集まった。扉のない廊下から姿を現したのは黒毛の犬の獣人、クロである。


 クロの脇をすり抜け、フウがミユに駆け寄る。

「お怪我はありませんか?ミユ様」

「ええ」

 フウを振り返って微笑んだミユを見て、クロはおおっと声を上げた。モロ、オレの好みじゃん。

「誰だ。テメエ」

 キヒコが凄む。いきり立つ手下を、右手を上げただけで制止する。

 たいした統率力だねぇと感心しながら、「そこの子と」とクロがフウを示す。

「関わりのある者でね。その子を訪ねて行ったらこっちに来てるって聞いて追いかけてきたんだ。

 その子は見ての通り、お嬢様の、えーと、なんて言えば?」

 最後はフウとミユに尋ねた。

「護衛です」「友だちです」

 フウとミユが同時に答え、顔を見合わせた後、ミユが「意見の相違はありますが、わたくしはとても頼りになる友だちだと思っています」と微笑んだ。

「だ、そうだ」

「そんなこと、信じられる……?」

 キヒコが言葉を途切れさせる。口を閉じ、身体を引く。広間に不思議な間が開いた。

「どうかしたか?爺さん」

 キヒコの視線がクロの背後へと吸い寄せられている。

「……誰だ。ソイツ」

 掠れた声でキヒコが訊く。

「ん?」

 クロは、キヒコがクロの背後に立ったカイトを見ているのだと気づいて、「見ての通り、狂泉様の森人だ。名前はカイト。それがどうかしたか?」と、訝し気に尋ねた。

 カイトは肩に弓を掛けたままで、警戒もしていなければ、敵意も示していない。ただ、立っている。

「お前。お嬢様がオレを説得するまで、待ってたな?」

 脈絡もなく、断定的にキヒコは言った。

「そうだけど、どうしてそう思う?」

「カイト……、か」

 キヒコが呟く。

「するとお前が、クロか」

「オレのこと、知ってるのか?」

 キヒコはじっとりと湿った手を服で拭った。クロの問いは無視した。

「カイト、だったか。ちょっと教えてくれねぇか?」

「なに」

「ここにいる手下とオレ、もし殺るなら、お前、どれぐらいでやれる?」

「どれぐらいって?」

「一分、要るか?」

 カイトがざっと手下たちを目で追う。

「要らない」

「……そうだと思ったぜ」

「なんだよ。何を納得してんだ?」

 キヒコがふっと息を吐く。

「怖いんだよ」

「はあ?」

「もし、その嬢がその気になったら、オレらは何もできねぇうちに全員ヤラレっちまうだろうってことさ」

「何を言ってるんだ?」

「勘の話さ。オレはこの歳まで、勘だけを頼りに生きてきたんだ。その勘が、嬢を危険だと言っている。

 これまで会ったどんなヤツラよりな」

 クロは「ああ」と頷いた。

「ただの山賊かと思ったけど、あんた、なかなかのモンだな」

「お前のことは、凄腕の賞金稼ぎがいるって噂を聞いたことがある。森の娘と黒毛の獣人の二人組で、カイトとクロという名前のな。

 そっちの嬢がカイトなら、お前はクロってことだ」

「なるほどな」

「カシラッ!」

 突然、手下の一人が怒声を上げた。

「何をためらってるんです!こんな犬っころとガキども、とっとと放り出しちまえばいいじゃねぇですか!」

 手下の中から一人の男が前へと出てきた。

「止めとけ、カエル」

 カエルというのは綽名だろう、平べったい顔をした小柄な男だった。

「いいや。いくらカシラのお言葉でも、こんなガキがオレら全員をヤレルなんて、そんなこと信じられねえ!」

 カエルがミユたちへと大股で近づく。

 フウが弓に矢を番える。そのフウを守るようにカイトがフウの前へと出て、「いい度胸だ、ガキッ!」と叫んだカエルの声が、宙に舞った。

「え」

 気がつくとカエルは天井を見ていた。

「え?」

 何が起こったか判らない。

 身体のどこにも痛みはなく、浮遊感だけが残っている。

 カイトは掴んでいたカエルの腕を放し、後ろへと下がった。弓を肩にかけなおす。

 もしカイトがクロと出会っていなければ、こんなことは言わなかっただろう。良くも悪くもカイトはクロに影響されている。

 ハッタリがどういうものか、理解してきている。

「まだ試したい人、いる?」

 冷ややかにキヒコたちを見回して、カイトはそう尋ねた。

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