15-2(ファロでの出会い2(イタカとかかし))
「どうして、えーと、マウロ様、だっけ。すぐにその人のところに行かないの?」
昼食を取りながらカイトが尋ねた相手はクロで、クロは既に2杯目のジョッキを空にするところだった。
「ちょっと気になることがあってな」
「なに?」
「ファロには海都クスルから派遣された役人がいるらしいんだが、その役人に、フウって子がファロにいるかってアイブが問い合わせると、いない、と返答があったそうだ」
「……でも、さっきのオジサン」
「展望台のオヤジだろ?ファロで知らねぇヤツはいねえって言ってたよな」
「うん」
「気になるだろ」
「そうだね」
「そもそも海都クスルから派遣された役人がいることが気に入らねぇ。郡都からじゃなくてよ。なるべくなら関わりたくはねぇが、ちょっと様子を見といた方が良さそうだからな。
で、そのためにこうして、ガンバって酔っぱらってるって訳だ」
「えーと。ちょっと判らない」
「油断させるためだよ。その役人を、な」
「あー、すまねぇなぁ。ちょっと呑みすぎちまっててなぁ」
「……」
「頑張って酔っ払ったの、ムダだったね。クロ」
狭く汚れた応接室で、カイトは隣のクロに小声で囁いた。
海都クスルから派遣されたという役人のいる施設は、海軍特別養成所ファロ分隊といった。
「……こんなところに海軍?」
クロの調子は最初から狂わされている。
海軍特別養成所ファロ分隊の入り口で立ち番をしていたのは、ひょろりと背の高い兵士がひとりきりだった。
「な、なんの用?」
兵士は突然訪れたカイトとクロにニコニコと笑顔で尋ねた。
「あー。ここの責任者に会いたいんだけど。ここが海軍特別養成所のファロ分隊ってことは、隊長さんってことになるのか?」
「はいはい。ちょっと待ってて」
兵士はすぐに戻って来て、「どうぞ、お犬ちゃん。森のお嬢ちゃん」と門を開いた。カイトとクロが案内されたのは狭い応接室で、しばらく掃除をした様子もなく、「きったねぇ椅子だな。ちょっと座りたくねぇなぁ」とクロがボヤいているところに現れた男が言ったのが、
「あー、すまねぇなぁ。ちょっと呑みすぎちまっててなぁ」
というセリフだった。
男は千鳥足で室内に入って来て、どすんっと椅子に腰を落とした。
椅子から埃が舞い上がる。
海軍特別養成所を称しているだけあって、男はガタイが良かった。肩幅が広く、胸板も厚い。歳は40半ばといったところだろう。
身なりはきちんとしているが顔は真っ赤で、安酒の匂いが男の身体中から漂っていた。
「えーと。で、なんだい?いぬ先生」
「……それ、オレのこと?」
「そうみたい」
クロはため息を落とした。
「身分証、持ってるけど、見るかい?」そう言って懐から見聞官の証しを取り出そうとして、クロは止めた。
「いや、止めとこう。あんたにこれを渡したら破っちまいそうだからな。オレはクロ。コイツはカイト。
信じられねぇかも知れねぇけど、マララの見聞官だ」
「あ?クロと、カイト?それから?そっちの子は?」
「そっちって、どっちだよ」
男がカイトに向かって手を上げる。指先でカイトを示そうとするが酔いに震えて定まらない。
「ほら。そこのカイトちゃんの隣の、二人?いや、三人?たくさん可愛い子を連れてるなぁ、いぬ先生」
「いねぇよ。一人だよ」
「ん?二人?」
「一人。いち。ひとーり。判る?」
「クロ」
「なんだよ」
「酔っ払い相手にムキになるだけムダじゃない?」
「なんだか冷静だな、お前」
「悪い人とは思えないもの。この人」
カイトの言葉に男が破顔する。
「見る目があるねぇ。えーと。カイトちゃん、だっけ。いや、カイトちゃんは隣の子だったか?」
クロが頭を抱える。
「ねぇクロ」
「なんだ」
「出直した方がいいんじゃない?」
「そうだなぁ」
クロは男を見下ろし、
「隊長さん、今のままじゃあ話にならねぇ。また出直して来るわ。せめてあんたの名前を教えてくれねぇか?」
と尋ねた。
「ああ?」
「名前だよ。あんたの」
「ああ」
男が椅子に座り直す。
「オレはイタカ。ファロ分隊の隊長の、イタカだ。よろしくな、いぬ先生」
「おお。それじゃあまた来るわ」
軽く手を上げたイタカを残して門を出たところで、「また来てね」とニコニコと笑って兵士が手を振った。
「ついでだ、あんたの名前、教えてくれねぇか」
「ボク?」
「そう。あんた」
「かかし」
「はあ?」
ニコニコと笑って兵士が言う。
「みんなそう呼ぶ。だってボクはここにずっと立ってるだけだから。だからボクの名前は、かかしだよ」
立ち去るカイトとクロを見送り、かかしはファロ分隊に戻った。報告のため、イタカを探す。
「隊長さん、どこ?」
「こっちだ、かかし」
イタカは応接室の椅子に身体を預けたまま天井を睨んでいた。
「帰ったか?」
「うん。帰ったよ」
「そうか」
「それじゃあボクは仕事に戻るね」
「かかし」
「なに?」
「お前から見て、あの二人はどうだった?」
「どうって?」
「いい人に見えたか、悪い人に見えたか。
どっちだ?」
「森のお嬢ちゃんはいい人だったよ。フウちゃんとおんなじで。でも」
かかしが首を捻る。
「お犬ちゃんの方は……、いい人には見えなかった。でもでも、悪い人にも見えなかったよ」
「そうか。ありがとうよ。仕事に戻ってくれ」
「はーい」
イタカはふぅと息を吐いた。ボリボリと頭を掻く。
「いい人だったか、カイトちゃんは。問題は多分それが、狂泉様の森人として--、ということなんだがな……」
夕刻、イタカは足取りが不確かなまま事務室に戻った。事務用の机につき、書類を開こうとして、手を止める。ため息をつき、書類を投げ出す。
「仕事、しねぇのかい?」
ぎくりっと視線を回すと、いつ現れたか、事務室の入り口に薄笑いを浮かべたクロが立っていた。
「ここってなんなんだよ、いったい。こんな山の中に海軍特別養成所って、ふざけてんのか?
見張りはかかししかいねぇし、忍び込むにしても、張り合いがないぜ」
イタカの座る椅子が、今にも壊れそうな不快な音を立てて軋む。
「ふざけてなんかいない。何せここを設置したのは三代様だ。ま、海軍特別養成所っていうのは、ちょっとした遊びだろうがね」
「遊びねぇ。何のための?」
「ペル様と舟遊びをするためかな」
「冗談を言うんじゃねぇよ」
へらへらとクロが手を振る。
イタカが手を下ろす。机の影に。クロに見えないように。
「止めた方がいいぜ」
「何をだい。いぬ先生」
「精霊を呼び出すのをさ。あんた、魔術師だろ」
イタカが手を止める。
「なぜそう思う?」
「あんたはまだ薄い方だが、薬くせぇんだ、魔術師は。薬師とはまた違ってな。
それと、カイトがどうして姿を見せねぇか、考えた方がいいぜ」
イタカが周囲に視線を巡らせる。カイトに弓で狙われている。そういうことだと察したのである。
「隠れてるアイツを見つけるのは獣人のオレにもムリなんだ。ただのヒトだろ、隊長さん。あんたにはムリだよ。
念のために言うと、精霊を呼び出したら判るからな、オレは」
クロが鼻と耳をひくひくと動かして見せる。
「風邪とかひいてないのか?いぬ先生」
「いたって健康。だから諦めな。ちょっと確認したいことがあるだけだからよ」
「何を確認したいんだ?」
「どこから話せばいいかな。まず、これは狂泉様の森人の問題で、オレたちにはどうにもできねぇってことかな。
あんた、フウを守ろうとしているだろ」
「フウ?誰だ、それ」
「しらばっくれなくていいよ。まずそれを知りたかったんだ。仮にも王都から派遣されている役人がフウを守ろうとしているってことをな。
何かヤバイことにフウが巻き込まれていて、それでフウの存在そのものを消そうとしているってこともあるが、茶屋のオヤジが知ってるくらいだ。それはあり得ねぇ。
おっと。まだ出てくるなよ、カイト。
つまりどういうことかというと、お前が楽にしてやらないといけねぇような立場に、フウはいないってことさ」
最後はカイトに向かって言ったが、イタカもクロの言葉に反応した。
「……楽に?」
「狂泉様の森人なりにな」
「……」
「あんたはフウがどうして森を出たか、知ってそうだよな。フウの母親を殺し、近くに潜んでいたフウを見逃したのが、カイトだよ」
「やっぱりそうか」
「カイトがフウを見逃したのはフウが母親の後を追うと思ったからだ。ところがフウは森から出た。
カイトはフウを殺さずに見逃したことに責任を感じてる。
オレには理解できねぇけどな。
それで、もし森の外で辛い思いをしているなら楽にしてやりたいって考えて、カイトはフウを探しているんだ。
だから大丈夫だぜ、隊長さん。フウが幸せに暮らしているのなら、カイトはそのまま森に帰るだけさ」
「もし、フウが、母親の仇として矢を向けたら?」
「最初に言ったろ。それは狂泉様の森人同士の問題だ。オレたちにはどうにもできねぇ。それをどうにかするっていうのは、ちょっとオコガマシイことだって思わねぇか?」
「……」
「なあ、隊長さん。あんた、どうしてフウを守ろうとしているんだ?」
イタカが身動ぎする。
隠していた手は、すでに両方とも机の上にある。
「知り人を守ろうとするのに理由がいるかい?いぬ先生」
「あんたはアイブからの照会にもウソの返答をしている。多分、王都に対しても同じじゃねぇのか?
役人としてはアルマジキ行為だぜ?
ちょっと肩入れし過ぎだろ」
イタカが自嘲気味に笑う
「いろいろ理由はあるがな。マウロ様に世話になっているとか。しかし、ま、あの子がちょっと眩しくてな」
「ああ?」
「いぬ先生、そう言うあんたも同じなんじゃないのか?カイトちゃんにつきあってこんなところまで来るなんてよ、少々あんたも、肩入れし過ぎって思えるぜ」
クロが嗤う。
「オレはただ約束を果たしているだけさ。あんたとは違うよ。隊長さん」
「本当かね」
薄く笑ってイタカが身体を椅子に預ける。
「まあ何より、オレがフウを守りたいのは、フウがオレの弟子だからだよ」
「あんたの弟子?なんの」
「もちろん、魔術のさ」