15-1(ファロでの出会い1(神官スクート))
「空腹というのがこんなに辛いものだとはね。いい勉強になったよ」
若者の声が高い天井に反響する。彼がいるのは石造りの広いホールだ。窓はない。灯りは小さなランプがひとつ。どこからか判らない闇の奥から水が流れ来て、小さな川となって再び闇の中へと消えている。
小さなランプの弱い灯りでは、ホールの広さがどれほどあるか判らない。
「道に迷って死にかけているっていうのに呑気ねぇ」
若者とランプを挟んで座った少女が笑いながら言う。少女の傍らには黒猫がいて、少女に撫でられてゴロゴロと喉を鳴らしている。
「来なくていいと言ったハズだよ。ボクは」
「あなたの最期を見られるかも知れないのよ。見逃すには惜しいわ」
若者が笑う。
「君の希望を叶えられて嬉しいよ」
「あら。竜王様のお墓を探すのは諦めたの?」
「足が痛むからね。ちょっと休憩しているだけだよ。君はまだ諦めていないんだね」
「せっかくこんなところまで来たんですもの」
「ところで、君の猫だけど」
「なに?」
「何か食べてる?」
「ダメよ」
「何がダメなんだい?」
「この子を食べようと考えてたでしょう」
「まさか。むしろボクは、最後にはその子がボクたちを食べて生き延びてくれることを望んでいるよ。
そうすればボクらの死も無駄じゃなくなるからね。
ただ、不思議に思っただけさ。
ここに潜ってからずっと、何も食べていない筈なのに、その子、ちっともお腹を空かせているように見えないから」
「こんなに小さいのよ。たくさん食べる必要はないわ」
「ボクたちのためにネズミでも獲ってきてくれると嬉しいんだけどね。どうかな、猫ちゃん」
少女が笑う。
「猫の獲物を取り上げるつもりなの?」
「ボクの為じゃないよ。君が生きるためさ」
「あたしはいいわ。ここのネズミ、おいしくないもの」
「食べたことがあるんだね」
「生きるためには食べる。当たり前のことでしょ」
水の流れる音だけが、しばらく続いた。
「ちょっと訊いてもいいかしら」
「なんだい?」
「あなた、本当は、どうしてこんなところに来たの?」
「前に君に話した通りだよ。竜王様のお墓が本当に迷宮大都の地下世界にあるのか知りたくて仕方がなくなったからさ」
「本当かしら」
「君は?本当は、どうしてこんなところまで来たの?」
「友だちを一人で死なせるのは可哀想だからよ」
若者が明るく笑う。
「嬉しいね。君に友だちと言って貰えるなんて。嬉しくて死んでしまいそうだよ」
「ここで死んだら残念で仕方がない、って顔をしてるわよ」
「信じてくれないのかい?」
「知っているもの。あなたは嘘つきだって」
「どうすれば信じて貰えるんだろう。そうだ。ちょっとボクの心を読んで貰えないかな?」
少女が肩を竦める。
「できる訳ないでしょう?そんなこと」
「君なら出来ると思っていたんだけどね」
「あら。どうしてかしら」
若者がしばらく沈黙する。
黙り込んだ若者を気にすることなく、少女は、すり寄って来た猫を笑顔で構っている。
「君は、キャナ王国の最大の問題は何だと思う?」
「唐突ね」
「ボクはね、この国を愛しているんだよ。この国に住む家族を。父や母を。弟を。執事のカガスをね」
「そうね。それは信じるわ。とても意外だったけど」
「ボクは彼らを守りたいんだ。だから考えたんだ。この国の最大の問題は何か。いや、違うか。最大の不確定要素は何か、かな」
「何かしら。最大の不確定要素って」
「君だよ」
「あたし?」
「そう。君だよ。フラン」
***
竜王様は、神と人の境界を定められた--。
神々がいつまでも地上に居られては、人はずっと子供のまま、大人になることができません。
竜王は神々にそう説き、竜王の言葉を是として神々は天へと帰った。
人々はそう信じている。
神々が天へと帰る代わりに、我々は神殿を建て、祈りを捧げましょう。
竜王はそう約束し、世界で最初の神殿を築いた。
それがキャナの王都に建つ”誓約の神殿”だと言われている。
むろん多くの魔術師が指摘する通り、竜王は歴史ではなくむしろ神話であり、”誓約の神殿”が本当に世界で最初に築かれた神殿か、と問えばかなり怪しい。キャナの王都が迷宮大都と呼ばれるのは、長い長い歴史ゆえに幾度も起こった興廃で街が何層にも積み重なり、迷宮となり果てた地下世界がどこまで続き広がっているか、誰にも判らないからである。
もし仮に、現在もキャナに聳える”誓約の神殿”が、神話の語る通り竜王と神々の誓約の証しなのだとしても、本来の”誓約の神殿”は迷宮大都の地下深く、誰も知らない場所に埋もれていることは間違いなかった。
旧大陸でも北に行くと竜王の存在はより深く歴史の彼方へと消え、新大陸まで行くと竜王を生活の中で感じることはほとんどない。
だが、旧大陸の南の国々、特に狂泉の森の南の国々では事情が異なる。
キャナの王家が自らを竜王の末裔と称していることもあって、竜王はまだ神話ではありながら古い歴史の一部として、人々に、そして子供たちに語り継がれていた。
「そもそも迷宮大都は、大災厄の際に一度放棄されたんだよ。
だから今のキャナにある”誓約の神殿”が本当に竜王様の築かれたものかと言うと、私はかなり怪しいと思うね」
子供たちの一人が手を挙げる。
「先生、だったら”誓約の神殿”はどこにあるんですか!」
「判らない、というのが本当のところだね。迷宮大都のどこか地下深くに埋まっているというのが一番可能性は高いが、さて、どうだろう。
君たちは知っているかな?狂泉様の森にね、神殿を持たない狂泉様の神殿がひとつだけ在る、という話があるんだ。
もしかしたらそれが”誓約の神殿”なのかも知れない。
どうしても本当のことを知りたければ、君たちが大きくなってから、とことん調べてみて、私に本当のところを教えて欲しいな」
室内には多くの子供たちが机を並べて座り、男の話に耳を傾けていた。
男は海神に仕える神官である。
クスルクスル王国では街の大小に関わらず神官が年少の子供たちに文字の読み書きや簡単な計算、国の歴史を教えることが多い。男もまた、そうした多くの神官たちのうちの一人だった。
「先生!」
「なんだい?」
「竜王様って、いつ頃の人なんですか?」
「トワ王国の頃?」
「馬鹿ね。大災厄より前よ。ね、先生?」
少し年長の女の子が言う。
神官は微笑んで頷いた。
「竜王様がいつ頃ご活躍されていたか、やっぱりまだ誰にも判らないんだよ。
ただね。キャナ王国の王都である迷宮大都は三千年の都とも呼ばれている。迷宮大都を造られたのが本当に竜王様だとすると、竜王様がご活躍されていたのは大災厄よりもずっと前、三千年は昔ということになるね」
三千年と聞いて子供たちが口々に驚きの声を上げる。
「ねえ、先生!だったら竜王様のお墓も迷宮大都にあるの!?」
「竜王様の回廊は!?」
「カイロウ?なに、それ」
「竜王様が神々とご契約されて、魔術の基の基になっているご契約よ。知らないの?」
得意そうに女の子が言う。
「それからね、竜王様のお墓はね、どこにもないの」
「えー。どうして?」
「竜王様がそう望まれたからよ。わたしは静かに眠りたいからわたしの墓は造らなくてもよい、ただ土に埋め、場所は決して明らかにしてはならないって。
ね、先生」
「あっ!」
突然、窓際に座っていた男の子が、大きな声で叫んだ。
「先生、犬が歩いてる!」
「犬ぐらい歩くわ」
「そんなのあたり前じゃないか」
級友たちが一斉に文句を言う。
「違うよ!」
窓から振り返って男の子が頬を膨らませる。
「犬が二本足で歩いているんだ!」
「なんでこんなにキツイんだよ」
ぜいぜいと息を乱してクロは文句を言った。ファロへと続く山道である。クロの隣を歩くカイトも、声を出すことすら辛そうに見えた。
「でも、クロ。もう終わりみたい」
「ああ?」
クロが顔を上げると、確かに少し先で坂が終わっているように見えた。道の向こう、木々の間には青空がある。
「これで違ってたら恨むぜ。カイト」
フウフウ言いながら登って行くと、上り坂がそこで下り坂に変わって続いていた。
「やっと登り切ったー!」
「クロ」
「ん?」
「あそこで休んでいこう」
カイトの指さす先を見ると、木々に囲まれて一軒の茶屋があった。クロに否応もない。お品書きには通常よりもかなり高い値段が記されていたが、ためらうことなく冷たい茶を頼んだ。
「あー、ウメェ!」
思わず声が出た。
「もし良ければお客さん、こっちに展望台があるんだ。ファロがすっかり見渡せるが、どうだい?」
店主の指さす先を見ると、これまたバカ高い展望料が記された板切れが打ち付けられた階段がある。
『高けぇなぁ』とクロは思ったものの、カイトの瞳が興味津々、輝いている。ため息交じりに「二人分な。ついでにビールひとつ」と答えて、クロはカイトと展望台に上がった。
「おお。なかなか」
広い湖がまず、眼下に見えた。
周囲を高い山に囲まれ、湖に面して集落が点在している。平地は少ない。湖の南が開けていて、そこに多くの建物が見えた。
「こりゃ、たいしたもんだ」
「この地方全体をファロと言うんだけどね、あの街の名前もファロだよ。いちばん賑やかな街だけど、ま、田舎だな」
ビールを運んで来た店主が、湖の南の街並を指さしながら言う。
「南に道が抜けてるみたいだな。あそこから」
「オム市まで繋がってるぜ」
「あっちから来りゃあ楽だったか」
「こっちの道よりは楽だけどよ。けっこうキツイぜ、あっちも。ところでこんな田舎に何の用だ、あんたら」
「人を探してるんだ」
店主がジロジロと無遠慮にカイトを見る。
「もしかして、あんたらが探しているのって、フウか?」
「知ってるの?」
驚いてカイトが訊く。
「そりゃ、森人の娘だ。ファロで知らねぇヤツはいねえさ」
「どこにいるの?」
「マウロ様のとこにいるよ。ミユ様のお付きというか、侍女……ではないな。友だち、というか、保護者というか、護衛?とにかくそんなことをやってるよ」
「よく判らねぇが、」
店主が立ち去ってから、クロはカイトに話しかけた。
「これが本来のカタチだな。森人はとにかく目立つ。すぐに見つかるって前に言ったろ?ズイブン前に、だけどよ」
「うん」
カイトが頷く。「じゃあ、行こうぜ」と山道を下ってファロの街に入ったところで、カイトとクロは子供の叫び声を聞いた。
「犬が二本足で歩いているんだ!」
「本当!?」
「どこどこ!」
煩いぐらい賑やかな声に視線を向けると、平屋の小さな建物の窓に子供が鈴なりになっていた。
平屋の建物には神殿が繋がっている。
「本当だ!」
わっと甲高い声が弾ける。
「犬って、オレのことか?」
「そうみたい」
「ホント、田舎だねぇ」
馬鹿にするように言いながら、クロはにこやかな笑顔を作ると、子供たちに向かって大きく両手を振って見せた。
「元気でいいぞ。可愛いぞ、田舎のクソガキども」
と、笑顔のまま子供たちに聞こえないよう、囁く。
きゃあきゃあ歓声を上げて子供たちが手を振り返してくる。
「みんな、静かにしなさい」
大人の声が響き、「だって」とか「はーい」とか子供たちがそれぞれに応え、平屋の扉が開いて一人の男が出て来た。
眉が濃く、目鼻立ちのはっきりした男だった。口元には暖かで、どこか作り物じみた型通りの笑みがある。
歳は30前後といったところだろう。
男は金色の縁取りが施された白い神官服を纏っていた。
帯も金色。
それは海神の神官組織の中では身分の高い神官が着る物だと、カイトは後でクロに教えてもらった。
「煩くて申し訳ない、旅の方」
「いいんだよ。ガキなんだから煩くて当然さ」
「ここは田舎だから、旅人が珍しくてね。どちらへ行かれるのです?」
「まずは役所に行くつもりだ。海都クスルから派遣された役人がいるって聞いたんだけど、どこに行けばいいかな」
「ああ、それなら--」
と男は親切に教えてくれた。
「ありがとうよ」
短く礼を言って、クロとカイトは男とは別れた。
クロとカイトが名を告げることはなく、男の名を聞くこともなかった。男の他にも何人かに道を尋ねたし、男が特にクロの印象に残ることはなかった。
男は口髭を生やしていて、
「この口髭は海神さまに倣っているのですよ」
と、訊きもしないことを言ったのが、記憶の片隅に残っていたぐらいである。
しかし、男はクロにとって忘れられない存在になる。
クロだけではなく多くの人にとって、とても不幸な形で。けれどもそれはまだ随分先のことである。
男の名は、スクートという。
神官スクートである。




