14-15(ザワ州の亡命公子15(不在の理由))
テート互助会が本拠地とする屋敷はゾマ市の西側にあり、他の集落からは離れて建てられていた。
高台を選んで建てられており、高い塀の内側には見張り台もあって、誰にも気づかれず近づくのは至難と思えた。
深夜である。
「おかしいと思わないか、アイブ殿」
テート互助会の屋敷から少し離れた丘陵から様子を窺いながら、オセロはすぐ近くに潜むアイブに囁いた。
「何がですか。オセロ公子」
二人の背後には40人ほどの人影がある。オセロの臣下と、プロントに悟られないようにアイブが密かに集めた仲間たちだ。直属の部下もいればプロントに近い者もいる。市井にあって志を同じくする者もいる。
「見張り台に人がいない。--それに、静かすぎる」
「確かに」
闇を透かしてアイブも頷く。
オセロは耳を澄まし、微かに響く赤子の泣き声に気づいた。アイブも少し遅れて気づいたのだろう、
「赤子の声……?」
と呟く。
「オセロ公子!」
アイブが叫ぶ。
オセロがいきなり屋敷に向かって走り出したのである。
オセロの臣下がすぐに後を追い、アイブも「行くぞ!」と叫んで彼らに続いた。開いていた門を潜り、抜刀して躊躇うことなく屋敷内に走り込む。
門を入ってすぐのところに、腕を組んで仁王立ちしたオセロの姿があった。
アイブより先に屋敷に駆け込んだはずのオセロの臣下たちの姿はどこにもない。屋敷のあちらこちらから叫び合う声が響き、少しずつ明かりが灯されていく。おそらくオセロの臣下が屋敷を調べて回っているのだろう。
「オレたちは遅かったようだよ。アイブ殿」
駆け寄ったアイブが口を開く前にオセロは言った。
「何が遅かったのですか?」
そう問いかけたアイブは、答えを聞く前に屋敷へと視線を転じた。遠くから響いていた赤子の泣き声が途絶えたのである。
屋敷からオセロの臣下が出てくる。
「女は生きていたか?」
オセロが問う。
「はい」
臣下は血と死の臭いを濃く纏っていた。女は生きていたが、今は生きていない。赤子も含めて。
そういうことだと、途絶えた泣き声からアイブも察した。
「他は?」
「今のところは、誰も」
「--誰も、生きている者がいないと?」
「はい」
アイブの問いに臣下が頷く。
「全員が射殺されています。一矢で」
低く抑えた臣下の声に畏敬の響きがある。
「まさか、森人の娘が?」
誰にともなくアイブは呟いた。
「犬公殿と二人でだな。犬公殿が手を貸したかどうかは判らないが。一緒にいたことは確かだろう」
「クロが?」
森人の娘がいたのなら確かにクロが一緒だとしても不思議ではない。しかし、オセロの声には推測よりも強い確信があった。
「なぜでしょう」
「アイブ殿はご存知か?狂泉様の森人は、争いが起きると一族同士が殺し合うことがあることを」
「ええ」
「一族同士の争いになると彼らは相手を殺し尽くす。
ただし、子供は殺さない。殺さないどころか、生き残った子を一族の子として育てる。そして、その子が成人すると、そのまま一族の子として生きるか、元の一族の子として生きるか、選ばせる」
「もし、元の一族として生きる道を選んだら、どうなるのですか?」
「育ての親に矢を向ける。もちろん、育ての親もまた、育てた子に矢を向ける」
「なんと」
「狂泉様の森人が、子供を殺すか殺さないか判断する基準は、その子が14になったかどうかではなく、その子が弓を握れるかどうか、だそうだ。
弓を握れるようなら、例え幼くても殺す。
男女の区別はしない。
もし、森人の娘が一人でここに来たのなら女も殺している筈だ。女が生きていたということは……」
オセロが声を途切らせる。
屋敷から出て来たオセロの臣下が一人、彼らに近づいて来たのである。
「あったか」
「はい」
「何を探していたのですか、オセロ公子」
「森人の娘が取り逃がすとも思えないし、犬公殿もいる。だが、確認する必要はあるだろう、貴殿も。
テートの死体だ」
テート互助会の会長であるテートの死体は屋敷の奥、ケバケバしく飾り立てられた寝室にあった。驚愕を顔に張り付かせ、大きく目と口を開いて床に大の字になって倒れていた。
アイブは死体の傍らに跪き、死体を検めた。
眉間に矢傷がある。
他に傷はなく、間違いなく死んでいる。魔術の気配はない。替え玉でもない。
アイブは死体の瞼を閉じてから長剣を抜いた。ぐっと体重をかけて首を落とす。予め用意しておいた布を床に敷き、切り落とした首を置く。
そのまましばらく様子を見る。
動き出す気配がないことを確認し、立ち上がる。
「さて。では急ごう」
「どちらへ?オセロ公子」
踵を返したオセロをアイブが追う。追いながらアイブは幾人かの部下にテート互助会の屋敷を封鎖するよう命じた。
死体を粗略には扱うなとも命じる。
「ジャング互助会の屋敷だ。もし森人の娘だけならここで終わりだろう。だが、犬公殿が一緒だ。
ジャング互助会を残すようなマネはしないだろうよ」
ジャング互助会の屋敷は、テート互助会の屋敷とはスフィア神殿を挟んだ反対側、ゾマ市の東側にあった。
テート互助会の屋敷と同じように他の集落から離れて建てられ、周囲を高い塀で囲まれ見張り台があることも似ていた。
塀の中に明りがある。
人の争う声もする。
「周囲を固めろ!出てくる者は全員、切れ!」
オセロは臣下にそう命じて、自分は僅かに開いていた門を蹴破って屋敷に走り込んだ。
「入ってくるんじゃねえ!」
聞き覚えのある声が叫ぶ。クロだ。
立ち止まったオセロに風切り音が迫る。
オセロが死ななかったのは、いくさ場で鍛えられた勘と、生来の反射神経の良さのおかげだった。
オセロの長剣から火花が飛ぶ。
いつ自分が長剣を抜いたか、オセロは意識していない。気づいた時には切りつけてきた長剣を受け止めていた。
「おうっ!」と短く気合を放って圧し返し、弾き飛ばす。そのままドンっと踏み込み、轟っと剣を振るった。姿は見えない。だが、手応えからここに、自分の正面に、誰かがいるとオセロは確信していた。
土を蹴る短い音が響く。
少し離れたところに誰かが着地し、離れていく足音が耳に届く。通常ではあり得ないほど、早い。
正眼に剣を構える。
門を蹴破ってから数秒ほどの間。”古都”の魔術。と、既に悟っている。
姿が見えず、かつ、異様に速い敵がいる。
「無事か!犬公殿!」
「クソみてえな反射神経だな!公子さま!」
20mほど先からクロが答える。ちらりと伺うとクロは一人で、怪我をしている様子はなかった。
「嬢ちゃんは!」
「別口を相手にしてる……よ!」
クロが手にした剣を振る。キンッと火花が飛び、剣と剣がぶつかる音だけが響く。クロは誰かを追うように一歩前へ出て、いきなり後ろへと飛んだ。振り返り、誰もいない空間を薙ぎ払う。
クロの剣がブンッと空を切る。
誰かが後ろに飛び退き、クロの前から走り去る足音だけがオセロにも聞こえた。
「おいおい。公子さまじゃねぇか」
声をかけられたオセロが視線を転じると、長剣を肩に担いだ男が、屋敷を背に首を傾けてオセロを見つめていた。
オセロも知っている。
ジャング互助会で5番手に位置する男で、争い事では常に先頭に立つ男だ。
「郡支所のイヌまでいっしょかよ」
男がアイブを見て嘲るように笑う。
「たったそんだけの人数でよ、オレらとやろうってか?ズイブンとオレらも舐められたモンだなぁ、公子さまよぉ」
オセロの臣下は塀の周囲を固めるために散っており、同じ理由で、アイブとともに踏み込んだアイブの仲間は3人しかいない。
オセロは構えた長剣を下ろし、切っ先を地面に突き刺した。
「お前らごときに要るか?これ以上。ん?」
「あぁ?」
オセロは嗤った。
「見逃してやる。道を開けろ。用があるのは、ジャングだけだ」
男の額がヒクヒクと引き攣る。男が叫ぶ。狂ったように喚いた、と言うべきか。怒りの余り言葉になっていない。
男の姿が一点に吸い込まれるように消えた。
『さすが、”古都”の術』
ひとり。ふたり。オセロは胸のうちで呟いた。いや。三人。
『あれで術が発動するとは』
オセロは長剣を跳ね上げた。土煙が舞い上がる。舞い上がった土煙を突いて、男たちがオセロに襲い掛かる。姿が見えたと言うほどではない。だが、どこにいるかは判る。オセロは長剣を一閃させた。
ほとんど同時に首がふたつ、飛んだ。オセロが剣を返す。三人目はと探し、「ギャッ」という短い悲鳴が上がった。
首を無くした身体がふたつ、霧を払うように現れ、もう一人、頭部を矢で射抜かれた男が現れて崩れ落ちた。
オセロは構えていた長剣を下ろした。
「遅かったな、カイト」
クロの声に誘われて見ると、どこから現れたか、弓を手にしたカイトが、クロの近くに立っていた。
背中をこちらに向けている。
「もう少し仕事をさせて欲しいな」苦笑交じりにオセロが呟くのと、「アイツは?」とクロがカイトに訊いたのは同時だった。そしてまた、「だめ」とカイトが答えるのと、屋敷の壁が轟音とともに破裂するのも、同時だった。
壁から丸太が突き出ている。
オセロは最初そう思い、すぐに突き出しているのが異様に太い、一本の腕なのだと気がついた。
腕が後ろに引き抜かれ、更に大きな音が響いて壁が打ち砕かれる。
崩れた壁を掴み、ぬっと姿を現したのは、身体に比べて極端に手足が太く、体のバランスが崩れた巨漢である。
でかい。
禿げた頭がほとんど屋根にまで届いている。
「おいおい。なんだ、アイツは」
オセロはアイブと協力して、テート互助会とジャング互助会にどんな連中が属しているか、事前に調べている。
しかし、彼らの調査では、これほどの巨漢はいない筈だった。
「アレも”古都”の製品か?」
「多分な」と、クロ。「殺せねぇんだ、アレ」
「どういう意味だ?犬公殿」
「喉を射抜いても心臓を射抜いても死なないの」
カイトが答える。
「なるほど。”古都”の製品に間違いないな」
オセロが頷く。
「どうすればいいの?」
「首を落とせばいいんだ、嬢ちゃん。それで死ぬかどうかは判らないが、まずはそれだ」
オセロはカイトに歩み寄りながら答えた。
後はオレがやろう、オセロはそう言葉を続けるつもりだった。しかし、彼がそう言う前にカイトが「判った」と頷き、「クロ。ちょっと持ってて」と弓をクロに渡した。
「おい、何を……」
カイトが巨漢に向かって歩いて行く。
巨漢がカイトを認め、咆哮を上げる。術の影響か、目を見開き、涎を垂らした巨漢の表情からは、知性は欠片ほども感じられなかった。
大地が揺れる。
巨漢が庭に飛び降り、カイトに向かって走り始めたのである。
カイトは足を止めない。
怯む様子をまったく見せることなく、腰の山刀に手を添わせる。
巨漢が走りながらカイトに向かって岩のような拳を繰り出し、繰り出したはずの拳がカイトの身体をすり抜けた。
巨漢の身体が回る。
宙に浮いて、横倒しになる。
そのまま仰向けに落ちて、後頭部が地面に叩きつけられる。ガンッという低く鈍い音が、クロやオセロ、アイブにも聞こえた。
カイトが巨漢の上にいる。いつの間にか。
巨漢の喉に当てられた抜き身の山刀が鈍く光る。地面に叩きつけられて跳ね返った巨漢の喉にカイトがぐっと山刀を押し込み、横に引く。
おそらく巨漢は脳震盪を起こしていただろう。己の喉を裂かれたことも判ってはいなかっただろう。しかし自分の胸の上に誰かがいることは考えるより先に悟り、巨漢は反射的に右拳を振るった。
アイブが息を呑む。
巨漢の拳が、むなしく空を切る。
カイトがいない。
「ゴメン」
思わぬ近さでカイトの声が響く。いつの間にかカイトは、巨漢に顔を向けたままクロの近くまで戻っていた。
「首を落とせなかった」
カイトの言葉にアイブが視線を戻すと、巨漢が身体を起こそうとしていた。
ぐらぐらと頭が揺れている。首から血が滝のように流れ落ち、巨漢の胸を真っ赤に染めている。白目を剥いて、顔もあちらこちら、あらぬ方向を向いた。
しかしそれでも巨漢は立ち上がった。右へと体が傾ぐのを踏ん張って耐え、半ばまで切られた頭を左手で持ち上げ、腰を伸ばす。
ぼこっぼこっと不快な音が裂かれた喉から漏れた。
「十分だ。後はオレがやろう」
オセロが巨漢の前に立ち、剣を落とす。
巨漢の視線が定まらない。
自分の前に立ったオセロを見ていない。
オセロの長剣が一閃し、巨漢が動きを止める。頭を失くした首から噴水のように血が噴き出し、巨体はゆっくりと後ろに倒れた。
「犬公殿。ジャングは?」
巨漢が倒れる音を聞きながらオセロが剣を鞘に収め、クロを振り返る。
「ソイツらに邪魔されてね」
オセロが頷く。
「アイブ殿。何人か呼び戻してジャングを探そう」
「もののついでだ。オレも手伝うわ」
と言って、クロは、
「後はオレらでやる。お前はもう帰れ」
とカイトに声をかけた。
「どうして?」
クロから弓を受け取りながらカイトは訊いた。
「元々アイツらの仕事だからさ。オレはまぁ、古いつきあいだからな、アイブとは」
「でも」
「エルんちにモモがいるだろう。怖がってるだろうから、お前もついててやりな」
「……うん」
納得していない様子のカイトを残し、クロはオセロたちの後を追った。
「ここ。怪しいな」
クロがそう言ったのは、屋敷の奥、おそらくはジャングの寝室と思われる部屋の近くにあった小部屋である。
「新しい臭いが数人分、ここに入って、出て来た気配がねぇ」
小部屋の臭いを辿ると、壁の向こうに消えている。魔術の気配がないか念入りに調べ、壁を蹴破った。
そこにあったのはぽっかりと開いた抜け穴である。
「オレが先に行く」
アイブがまず潜り、「大丈夫だ!」という声でクロたちも続いた。
出たのは屋敷の近くの叢だった。
そこから更に臭いを辿って、クロたちはジャングと家族を見つけた。
「ジャング!」
アイブの叫び声に、大柄な男が悲鳴を上げて一人逃げて行く。アイブとオセロがすぐに後を追い、オセロの臣下たちがジャングの家族を捕らえた。
「ちょっと待ってくれ」
クロはジャングの家族を捕らえた臣下たちに声をかけ、振り返った。
「カイト。いるんだろ?」
返事はない。
気配も、ない。
「帰れって言ったろ。もう大丈夫だ。ホントに。頼むよ。ここからは森の外のやり方でやる。
汚ねぇシゴトだ。
オレは、お前に見せたくないんだ」
ふと、臭いが漂ってきた。カイトの臭いだ。そして、すぐに消えた。
クロは吐息を落とした。
「もういいぜ」
臣下たちがジャングの家族に視線を戻す。遠くから男の悲鳴が聞こえた。オセロかアイブ、おそらくはアイブが、ジャングを斬ったのだろう。
クロはそちらへ足を向けた。
クロの背後で女たちが絶望の悲鳴を上げ、ガキどもが狂ったように泣き叫ぶ。それがひとつふたつと途切れるのを聞きながら、クロは「浴びるほど、酒、呑みてぇなぁ」と、呟いた。
カイトがエルの屋敷に戻った時にはまだ、太陽は東の空の遥か下にあった。いつもならとっくに閉じられているはずの門も扉も開かれたままだった。
リビングに人の気配がある。
マルだ。
長剣を抱え、玄関を向いて椅子に座っている。
「モモは?」
「カイト」
マルが答える前に、エルが姿を現してカイトに声をかけた。
「大丈夫?」
「うん」
エルに続いてモモが姿を現し、カイトはホッと安堵のため息をついた。安心したように笑みを浮かべ、すぐにその笑みが崩れ、涙がぽろぽろと零れた。
「カイト、どうしたの?」
不審に思ってエルが訊く。
「--モモが」
「あたしが、なに?」
「……わたしの矢が届くところにいてくれて、良かった……」
エルとモモが顔を見合わせる。同じ理解が、二人の顔にあった。
「そうか」
エルがカイトに寄り添って肩を抱く。カイトの肩が小刻みに震えている。モモもカイトに歩み寄って、カイトの腕に手を添わせた。
自分が狙われたとモモが気づいたのは、エルに連れられて居酒屋を離れた時だ。がたがたと身体が震えて止まらなくなり、それはエルの屋敷に着いても変わらなかった。
オセロとカイトがいない。
ふとモモはそのことに気づき、震えは止まった。
二人がどこに行ったのか、エルもマルも教えてくれなかった。おそらくエルもマルも知らなかったのだろう。
しかし、オセロの性格をモモは良く知っている。オセロがどこに行ったか推測するには十分なほどには。カイトとクロも一緒だと、モモは思った。根拠はなかったし、必ずしも正しくはなかったが、オセロとカイトは一緒にいるだろうと思った。
カイトが無事戻って来た。
ということはつまり、起こるべきことが起こって、終わったということだ。
自分の命を狙われたことに対する恐怖はもう、モモの心のどこにもない。
モモが微笑む。
「あたしも、カイトが近くにいてくれて良かった。だって、まだオセロさまとも、カイトとも、お別れしたくないもの」
この子のためにも死ななくて良かった。
モモは心の底からそう思った。