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1-4(狂泉の森の少女4)

「また父さまと母さまに心配をかけることになるけど」

 そろそろ夕食も終わり、という頃になって、カイトはそう切り出した。

「わたし、酔林国に行ってみたい」

 サヤもカタイも声を上げなかった。ただ、固まった。カイトは両親が話し始めるまで、辛抱強く待った。

「……酔林国?」

 囁くようにサヤが問う。

「うん」

 と、カイトが頷く。

 しばらく母娘は見つめ合っていたが、つと母親の方が視線を外し、立ち上がった。そのまま何も言わず部屋を出て行く。

 両親の寝室の扉が閉じる音が聞こえた。

「ちょっと待っててくれ。カイト」そう言ってカタイがサヤの後を追って立ち上がり、カイトは「うん」と頷いた。

 待っている間に、使い終わった食器を片付ける。

 両親の分も含めて湯呑だけは残しておいた。食器を洗い終わり、一人で椅子に座り、暖かいお茶を飲む。

「……母さま、怒ってた?」

 戻って来た父親に、カイトは少し沈んだ声で訊いた。

「ん」

 自分を落ち着かせるようにカタイが湯呑を口に運ぶ。小さく息を吐いてカイトを見返す。


 サヤを追って寝室の扉を開いたカタイを、サヤは笑顔で迎えた。身振りで声を出さないように示し、自分の横に座るよう、ベッドを叩く。

「あたしは大丈夫よ」

 サヤの声には、笑いがあった。

「ちょっとカイトを困らせたかっただけ。だって酷いと思わない?心配させるだけ心配させといて、やっと帰って来たと思ったら酔林国に行きたいだなんて。

 少しはあの子にも心配させなくっちゃ。

 ホントはあたしより、あんたの方がうろたえているでしょ。カタイ」

 寝室の扉を閉じ、カタイは小さくため息をついた。サヤの隣に座り、「まあな」と呟く。

「思わずカイトを膝に乗せて、お尻を打とうかと思ったよ」

「嘘ばっかり。そんなことできないくせに。ホント、カイトには甘いんだから」

「そんなことはない。叱るべき時にはちゃんと叱ってるぞ、オレは」

「だったらいいんだけど」

 妻が鼻で笑う。

 カタイはムッとして、

「カイトは叱る必要がないぐらい、いい子だっただけだ」

 と主張した。

 サヤが低く、楽しそうに笑う。

「それを甘いと言うのよ。

 確かにカイトは手が掛からない子だったわ。

 欲を言えば、あたしはもっとあの子に女の子らしくなって欲しかったかな。お料理とか、お裁縫とか。あの子が興味を持つのって、あんたがやってることばかりなんだもの」

「オレは、カイトは今のままでいいと思ってる」

「酔林国に行っちゃっても?」

 ぐっとカタイが言葉に詰まる。

「それは……」

 サヤが微笑む。

「冗談よ。お料理とかお裁縫とか、もしそんなものに興味を持ったりしたら、それはカイトじゃないもの。あたしも、あの子は今のままでいいと思ってる。

 ねえ、カタイ。憶えてる?」

「何を?」

「あの子があんたよりも弓が上手くなった時のこと」

「ああ」

 忘れられる筈がない。正確に言えば、いつの間にかカイトが自分を越えていたと思い知らされた日だ。

 一緒に森に入って鳥を落とした、ただそれだけのことだったが、弓を構え、矢を放つまでのカイトの動作にまったく無駄がなかった。カタイにしても弓に関しては他の誰にも負けないと自負がある。それだけに嫌になるほど判った。カイトが自分とは比較にならないレベルにいるのだと。

「あの時、話したでしょう?」

 カタイが頷く。

 いつかこの子はオレたちの手が届かないぐらい遠くへ行ってしまうかも知れない。ベッドで眠るカイトを間に挟んで、二人でそう話したのである。

 しかしまた、

「もしその時が来ても、あの子の邪魔だけはしたくない、そう話したな」

「ええ」

「だけど」

「何?」

「ちょっと早すぎないか?」

「そうね」

「革ノ月から戻ったばかりだぞ。まだ14だぞ、カイトは」

「だけど、カイトにとっては今なのよ。きっと。

 カタイ、あんただって、15であんたの集落を出たんでしょう?」

「オレは男だ。でも、あの子は女の子だ」

「関係ないわ、そんなこと。だってあの子はあの子なんだもの」

 カタイが立ち上がる。

「とにかくまずは、どうして酔林国に行きたいのか、理由を聞くよ」

「理由を聞いて、どうするの?」

「納得できる理由なら、喜んで送り出す。しかし、納得できない理由なら、首に縄をつけてでも引き止める」

「そんなこと出来ないくせに」

 と、再び妻が鼻で笑う。

「まぁ、いいわ。後でカイトをこっちに寄越してくれる?話したいことがあるから。あんたがあの子に理由を聞いた後でいいから。

 きっとあんたのことだから、最後はあの子をハグして終わるんでしょうけど」

「そんなことないさ」

 と、不機嫌な声で妻に応じて、カタイはカイトの待つ居間に戻ったのである。


「何と言えばいいか判らない」

 カタイはカイトを見つめてそう言った。

「ごめんなさい」

 謝るカイトに、カタイは首を振った。

「謝ることはない。お前を褒めるべきなのか、叱るべきなのか、本当に判らないんだ。そうだな、とりあえずカイトのお尻を打てば考えもまとまるかも知れない。ちょっと膝の上に来てくれるか?」

「……そんなの、いや」

 カイトが上目使いでカタイを睨む。

 カタイは低く笑った。

「そりゃそうだ。そもそも酔林国に行きたいって言うのも、オレの子だからっていう気もするしな。

 サヤは大丈夫だよ。後でカイトも様子を見に行ってくれるか?」

「うん」

「じゃあまず、どうして酔林国に行きたいか、教えてくれ。褒めるか叱るかは、理由を聞いてから決めるから」

 カタイに問われて、カイトは考え込むように視線を落とした。

「上手く説明できないけど……」

 ハルに聞いて酔林国への興味が湧いたのは確かだ。でも、その時には行きたいとまでは思わなかった。いつかは行ってみたいな、という程度だ。

「知らないから」

 言葉が口から転がり出る。

 転がり出た言葉の意味を少し考えてから、彼女は一息に話した。

「集落のみんな、フォンもなんだか態度が違ってて、不思議に思ったの。ファンなんか、すごく子供っぽかったのにまるで大人みたい。それで、狂泉様の祠で風が吹いたときに、ああ、世界ってなんて広いんだろうって思ったの。

 わたしは、何も知らないんだって。

 革ノ月に出るまでは、何でも知ってるつもりだった。ううん、何でも、と言うか、もっと知識は必要だけど、今知っていることを深めていけばいいだけだって。

 でも、そうじゃないって思ったの。

 世界には、わたしが全然知らないことがあるんだって。知らないことさえ、知らないようなことが。

 わたし、それが知りたいの。

 ううん。知らないといけない気がするの」

「知らないことさえ、知らないようなことを、か」

「うん」

「カイト」

「なに?」

「お前をハグさせて貰っていいか」

「うん」

 ためらうことなくカイトは立ち上がり、カタイは彼女を優しく抱きしめた。

「また寂しくなるな」

 カイトを抱きしめたまま言う。

「行ってもいいの?」

 意外そうにカイトが問う。

「もちろんだとも」

 笑顔で父親が頷く。

「カイトはもう大人だし、旅に出るには十分な理由だ。むしろそんな風に考えたお前を誇りに思うよ、カイト。

 ああ、だけど、明日出発する、なんてことは言わないでくれるか?せめて1ヶ月は出発を待ってくれると、オレもサヤも嬉しいよ」

「うん」

 カタイが抱擁を解く。

「それじゃあ、サヤの様子を見てきてくれるかい」

「うん。ありがとう、父さま」

 礼を言われることじゃないと笑ってカイトを見送り、カタイは椅子に座った。ふうと天井を仰ぐ。

 彼にとってカイトは二人目の子だ。もっとも一人目の子は生きて生まれることはなかった。それだけにカイトが無事生まれたときは言葉にできないほど嬉しかった。カイトの小さな手で指を握られた時は、喜びで身体が痺れたほどだ。

「とうさま」と笑いながらカイトが歩み寄って来るだけで幸せだった。

 彼にとってカイトは、まだ小さな子供のままなのである。それが……と思うとため息が出た。

「結局、サヤの言った通りか」

 と、カタイは苦笑を浮かべて呟いた。


「母さま?」

 声をかけながら開いた扉の向こうは、窓が固く閉じられ、静かな闇に包まれていた。灯りだけでなく、人の気配もない。

 サヤが気配を消しているのである。

『よかった』

 カイトはホッと胸をなで下ろした。

『いつもの母さまだ』

 またベッドの下に隠れているのかなと部屋に足を踏み入れたカイトに、扉の影に潜んでいたサヤが「わっ!」と声をかけて抱きついた。そのまま明るい笑い声を響かせながらベッドにカイトを押し倒す。

「驚いた?」

「うん」

 あまり驚いた様子のない娘に、「嘘ばっかり」と笑って、「お帰り、カイト」とサヤは言葉を続けた。

 帰宅のあいさつはとっくに済ませていたが、カイトも

「ただいま、母さま」

 と、応じた。

「でも、また行っちゃうのね」

「……ごめんなさい」

 サヤがカイトの髪をなでる。

「髪もこんなに短くして。カイトが本当に男の子になっちゃったのかと思ったわ」

「おかしいかな」

「まさか」

 サヤが微笑む。

「あたしの娘だもの。とっても可愛いわよ、カイト。でも、長い髪のあんたも見てみたいわね。あんたが話してくれたハルちゃんみたいな」

「うん」

「ねぇ、カイト。あんたは、革ノ月に出て、自分が何か変わったって思う?」

 考え込むカイトに、「髪が短くなったこと以外にね」とサヤが先回りする。

「あたしはね」

 と、カイトが答える前にサヤは話し始めた。

「革ノ月から戻ってね、自分に自信が持てるようになったの。革ノ月に出る前は、狩りの腕もまだまだだったし、父さまや母さまと離れて一人で生きていけるなんて、とても思えなかった。でも森で一ヶ月を過ごして、何とか生き抜くことができて、一人でもやっていけるんじゃないかって自信が持てたの。

 姉さまにも言われたわ。革ノ月から帰った時に。

 少し顔つきが変わったねって。

 でもあんたは、何にも変わってなかった。革ノ月に出る前と。まるでちょっとそこらで遊んで帰って来ただけみたいに。

 だから思ったの。あんたには革ノ月ではもの足りなかったんだろうって。

 きっとあんたは、またすぐに旅に出るだろうって。

 でもまさか、酔林国とは思わなかったけど」

「……行ってもいいの?」

 サヤがふふふと笑う。

「あたしはね、あんたやカタイみたいに、一族を離れるなんて怖くて出来ないわ。でも、カタイと出会って、初めて彼の話を聞いた時に、まるで自分が旅をして来たみたいに感じたの。カタイと一緒に。

 だからあんたもいろんなものを見て来て、カイト。カタイも見たことがないような、いろんなものを見て来て、あたしに話してくれる?」

「うん」

「母親ってね」

「なに?」

「呪いなのよ」

「……呪い?」

 母の言葉の意味が判らず、カイトが訝しげに繰り返す。

「ええ」

「……」

 戸惑うカイトに優しく微笑んで、サヤは言葉を続けた。

「子供を縛るという意味で、母親の祝福は呪いと同じなんだと思うの。

 だからあたしは、あんたを呪うわ、カイト。いい?」

「……」

「幸せになって」

「……え?」

「あたしたちのことを気にする必要はないわ。カタイもいるし。だからカイト、あんたはあんたの幸せを見つけて、幸せになって。

 これがあたしの呪いよ」

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