14-12(ザワ州の亡命公子12(巡察使ダウニ))
昔なじみのメシ屋にカイトとエル、それにマルの4人でテーブルについて、クロは「じゃあな。これからもちょくちょく寄らせてもらうわ」と店のオヤジに片手を上げた。
「おう。いつでも来いや。
エルちゃん、マル。それと森人のお嬢ちゃんも、いつでも寄ってくれ」
オヤジが上機嫌で厨房へと戻って行く。
「判ったか?カイト」
改めて昼メシに取り掛かり、クロはカイトに尋ねた。
「何が?」
「さっきお前が訊いただろ。どうして、公子さまはテート互助会のヤツラを殺さずに済ませたのかって」
「訊いたけど、どういうこと?」
「公子さまのこと、褒めまくってただろ、オヤジが」
「うん」
「もし、公子さまがテート互助会のヤツラをここで殺しちまったら、オヤジはあんなに公子さまのことをベタ褒めしなかっただろうよ。
市場で血が流れるのは不吉だ。それにホンキの公子さまの暴力を見たら、テート互助会より公子さまの方がヤバイんだってバレちまう。
公子さまの目的が何かは判らねぇ。
けど、ここで、テート互助会のヤツラを血を流さずに追っ払ったのは、ゾマ市の市民を味方につけるためさ」
「……良く判らない」
「判らなくていいんだよ。ま、なるべく関わり合いにならないよう、公子さまの邪魔だけはしないようにしようぜ」
昼メシを終わらせ、酒を買い、エルの屋敷に戻ったクロは顔をしかめた。
屋敷の門の前に、知った顔があったのである。
「アイブ……」
クロが呟く。
「遅かったな」
「どうしてここにいる」
「護衛だ。あんたの客の、な」
硬い顔のまま、いつも通りの生真面目な声でアイブはそう答えた。
エルの屋敷のリビングに座っていたのはダウニである。
ダウニはエルに「勝手とは思いましたが、お邪魔していますよ」と笑顔を向けた。
エルはダウニを知らない。しかし少しも気にすることなく、
「鍵をかけていないのは誰でも入れるようにと考えてのことですから。お気になさらないで下さい。
何かお飲みになりますか?」
と、応じた。
「庭にハーブが植えられているのが見えました。もしよろしければ、ハーブティーをいただけますか?」
「ええ」と頷いて、「マル。お願い」とエルがマルに声をかける。
「おお」
不愛想にマルが答える。
クロは黙ってダウニの対面に座り、「巡察使様がオレに何の用です?」と尋ねた。
「おや。何故、わたしが巡察使だとお判りに?あなたとは初対面の筈だが。クロ見聞官殿」
「止めて下さいよ、見聞官殿なんて呼ぶのは。
巡察使様がゾマ市にいらっしゃるっていうのは、そこのアイブ殿から聞きましたしね。アイブ殿が護衛をしているし、すぐに判りましたよ。
ところで、お名前を教えていただいても?」
「ダウニ様だ。クロ見聞官殿」
答えたのはダウニではなく、彼の背後に控えたアイブである。
クロがちらりとアイブを見る。
「お前までオレのことを見聞官殿なんて呼ぶなよ」
「だったらオレのこともアイブ殿、などと呼ばないで欲しいな。クロ」
クロが肩を竦める。
「せっかく顔を立ててやってたのによ」
「それはお互い様だ」
「仲がおよろしいですなぁ。クロ殿とアイブ殿は」
「古い馴染みってだけですよ、巡察使様。えーと、オレの名はもうご存知でしたね。だったらコイツのこともご存知で?」
「ええ。知っておりますよ」
ダウニが視線を向けたのは、クロの後ろ、壁際に立ったカイトである。
「カイト殿もお座りになられては?」
カイトが答えるより先に、
「コイツは立っていた方が楽なんですよ」
とクロが答える。
「それで、オレらに何のご用で?」
「まずは一度お会いしてみたかった、というところですな。見聞官としてはかなり異色ですからねぇ、あなた方は」
「同じ理由でオレらに会いに来たヤツがいたなぁ」
緊張感のない声でクロが言う。
「ほう?」
「サッシャって若造ですがね」
アイブの細い眉がピクリと動く。
「彼をご存知なのですか?アイブ殿は、あなたは彼を知らないようだと言われていたんですがねぇ」
身体を乗り出し、猫なで声でダウニが問う。
「ご存知ってほどじゃないですよ。ボード市にいた時に、どうしてオレらが見聞官になったかアイツが聞きに来ただけですよ、巡察使様と同じで。
なぁ、カイト」
余計なことは言うなよ。言外にクロはそうカイトに告げた。
カイトは黙ったままだ。
クロはそれをカイトなりの了承だと受け取った。
「アイブに、アイツがロタ一族だって教えられて驚きましたがね。巡察使様もヤツラの件でこちらに?」
「それもありますが、トワ郡全体の状況を確認することがわたしの役目ですよ。
ああ、ありがとう」
マルがハーブティーをダウニの前に置いたのである。
「不思議ですなぁ」
「何がです?巡察使様」
「トワ郡に来るたびに思いますよ。香りがいいのは勿論だが、なぜかこちらの紅茶の方が飲みごたえがある。海都クスルで飲むよりずっとおいしい」
「水が違うって、よく言われますね」
クロの背後、カイトの近くに立ったエルが言う。そこにいろと、ダウニに判らないようマルが身振りで指示したのである。
カイトも判っている。
さりげなく弓を持っている。
カイトの気配が濃い。
ダウニの意識をエルよりも自分に向けさせるためだ。
「うん、そうかも知れないですなぁ」
マルがクロの前にコーヒーを置く。「オレは酒の方がいいなぁ」と軽口を叩きながら置かれた湯呑をクロが手に取る。
「『森から訪れし者が、南の国々に秩序をもたらす』」
ダウニの言葉に、クロは飲みかけたコーヒーを危うく噴き出しそうになった。
「カザン将軍の御子息にはお会いになられましたかな」
クロは湯呑をテーブルに戻した。ジュニアに会ったことを話すのはヤバイと思う。しかし、会っていないと答えるのはもっと上手くねぇ、と判断する。
だったら、と、
「……それはあまり話したくねぇなぁ」
クロはそう答えた。
「どうしてですかな」
「アイツは……、いや、やめとこう。確かに会ったけどよ、たいした話はしてねぇ。もし、ジュニアのことを聞きたきゃあカイトのいない時にしてくれ。
そうしたら話すよ」
「……わたし?」
「お前には関係のない話さ。気にするな、カイト」
「……うん」
「ふむ」と、ダウニが、クロの群青色の瞳の奥にあるものを探る。「でしたら、ロタの若者がどんな方だったかは、お話しいただけますかな?」
「その質問に答える前に、ひとつ、こちらからお訊きしても?」
「なんでしょう、クロ殿」
「海都クスルのロタ本家は、北部トワ郡のことをどう考えているんです?」
「なるべくなら抑えたい、もし叶わなければ……」
ダウニが言葉を切る。
「どうするの?」
クロの背後からカイトが問う。
ダウニはカイトに視線を向け、逆に彼女に問い返した。
「あなたなら、どうしますか?」
カイトが言葉に詰まる。「殺す」おそらくそれが答えだと判る。カイトの沈黙を拾って、クロは「あまり良いやり方とは思えねぇな。それは」と口を挟んだ。
「ほう」
ダウニがクロに視線を戻す。
「何故でしょう。クロ見聞官殿」
「収まりがつかなくなるだけだからですよ。巡察使様。アイツは、サッシャってヤツは、そんなヤツだったから」
「なるほど」
ダウニが笑って頷く。
「ポルテ様が何故、あなたを見聞官に任命されたのか、納得いたしましたよ」
「へぇ。オレには判らないんですけどね。どうして王領司様がオレとコイツを見聞官なんてものにしたのか。
それが判るとは、さすがは巡察使様だ」
ダウニが薄く笑う。
「突然訪ねて来て失礼しました。あまり長居するのも良くない。そろそろ宿舎にご案内していただけますかな。アイブ殿」
「アイブ」
巡察使とともに立ち去ろうとしたアイブに、クロは声をかけた。
「なんだ、クロ」
「オレたちがここにいるって、お前、誰に聞いた?」
「狂泉様の森人と黒毛の獣人が、”スフィアの娘”の世話になっていることを知らない者は、もうゾマ市にはいないさ」
アイブの答えに納得した訳ではない。しかしクロは「なるほどな」と頷き、ダウニたちの気配が門の前から消えるのを待ってから、エルを振り返った。
「エル、お前、魔術の心得はあるか?」
「少しはありますけど?」
「だったら、この屋敷に何か術が仕掛けられていないか、調べた方がいいぜ」
「心配ねぇよ」とマル。「エルに危害を加えるような術はオレが判る。そんな気配はねぇよ」
「術が仕掛けられていないかって、どういうこと?」と訊いたカイトに、「ヤツが魔術師だからさ。さっきの巡察使様が」とクロは答えた。
「ホントに?」
「ああ。薬くせぇ臭いがぷんぷんしてやがった。間違いねぇよ」
カイトには判らない。
だが、だからだろうか、とカイトは思った。ダウニの影。妙に濃い彼の影が、時折、不自然に動いた。カイトにはそう見えたのである。