14-11(ザワ州の亡命公子11(西の広場の騒動))
遅くなったが昼メシでも食っていこうぜ、と言い出したのはクロで、「ついでに酒も買っときてぇなぁ」と言うので、毎日、市が開かれる西の広場に4人で寄った。
「なんだか賑やかだな」
西の広場の入り口が見えた辺りでクロが呟く。
マルが一歩先に出る。
「……バカ公子様が、テート互助会と揉めてるみたいだ」
「そうだな」
「うん」
相手がテート互助会かどうかは判らないが、カイトにもオセロの声が聞えた。
「モモ--」
エルが呟く。
「モモがどうかしたの?」
「モモのところの事務所があるわ、西の広場には」
不安を抑えて、事実だけをエルが告げる。
「行くなよ、エル」と、マル。エルを危険な目には遭わせない。それがマルの務めだ。
「でも、マル。モモを放っておけない。きっと無茶をするわ、あの子」
「わたしが見て来る」
エルが「えっ」と振り返った時にはカイトの姿はすでになく、「やれやれ」とぼやきながらクロはエルの細い肩に手を置いた。
「ここで待ってな。エル」
「お願いします。クロさん」
人混みに紛れながらクロが軽く手を挙げる。
クロの姿が消えた西の広場の奥で、波が大きくうねるように怒声が沸き起こった。
「だからな、元公子さまよ。ここはオレらのシマだ。あんたはスフィア様の歓楽街の用心棒だろう?
そのあんたが、なんでオレらがここでやることに文句をつけるんだ?」
話しているのは口髭と顎ひげを蓄えた中年の男だった。
小太りで口元には笑みがある。
一見すると人の良さそうな商人と見えたが、男の背後には悪党面の男たちが十数人、ずらりと並んでいる。
彼らの前には、同じように臣下を従えたオセロが対峙している。ただし、数はずいぶん少ない。
商人風の男が口を閉じるとすぐに、悪党面の男たちが怒声を響かせた。
オセロが背後を振り返り、臣下に何かを命じる。
臣下の一人が頷き、露店へと歩いて行く。戻って来た彼の手には、焼いた肉や野菜が刺さった一本の串があった。
「何をなさっているんで?」
商人風の男が訊く。抑え切れない怒りに声が僅かに震えている。
「見りゃ判るだろう?」
肉にかぶりつきながらオセロは答えた。
「それが人と話すときの態度ですか?」
「たいしたもんだな」
「何がです?」
「これだよ。まさかこんなところで故国の名物を食えるとはな。お前らもどうだ?なつかしいだろう?
良ければ奢ってやろうか?」
商人風の男の隣にいた悪党面が意味不明な喚き声を上げて前へ出ようとする。
それを、「うるせえんだよ!」と怒鳴って商人風の男が殴り飛ばした。
「知るか、バカ野郎!こっちが大人しくしてると思っていい気になりやがって!ああぁ?!オレの言うことを聞かねぇか!くそがっ!叩っ殺すぞ!ガキが!」
商人風の男の怒声と倒れた悪党面を蹴り上げる音が、西の広場に反響する。
群衆は静まり返っている。
一方のオセロは、串に刺さった野菜をかじり、肉を咀嚼しながら、背後の臣下と談笑していた。
商人風の男が肩で息をしながら悪党面を蹴るのを止める。倒れた悪党面は白目を剥いたままぴくりともしない。
「終わったか?仲間割れは」
商人風の男が咳払いする。オセロに向き直る。
「そうだなぁ」
男が指を立てる。
「ひとり」
オセロの背後の臣下を指さす。
「ふたり」
隣の臣下を指さし、3人目の臣下を指さしてから視線を上げ、「ぜんぶでたった4人」と呟く。「確かに、仲間割れしてる場合じゃないか」と笑って、男は血走った目をオセロに向けた。
西の広場は周囲を3階建ての建物にぐるりと囲まれている。1階部分は回廊となっており、回廊の奥には種々様々な業種の店が並んでいた。モモの両親が営む会計事務所も広場に面した北西の一角にあった。
オセロが騒動を起こしたのは西の広場の南東、モモの事務所とは反対側である。
しかしモモはすぐにオセロの声に気づき、事務所をひとりで飛び出した。もちろん自分には何もできないと判っている。回廊の下に集まった群衆に紛れ込み、モモはすぐ近くから顔を青ざめさせて騒動を見守っていた。
オセロの臣下に悪人面の一人が殴り飛ばされる。モモはその先にいた。
群衆が悲鳴を上げて逃げ散る。
咄嗟には動けず、立ち竦んだモモの二の腕を誰かが取った。ぐいっと引かれて抱きかかえられたモモの脇を、悪党面の身体が転がっていく。
「モモ。ここは危ない」
「えっ?」
抱きかかえられたまま顔を上げるとカイトがいて、モモはそのままカイトに連れられて騒動から離れていった。
「よお。大丈夫か」
西の広場の入り口でモモに声をかけたのは、クロである。
「カイト、どうしてここにいるの?」
「公女様の森に野暮用があってね。ちょうど通りがかったのさ」と答えたのもクロだ。
モモが騒動を振り返る。
「オセロさま……」
「大丈夫」
モモの視線を追ってカイトが言う。
「えっ?」
「オセロさんたちの方が数は少ないけど、強いわ」
カイトの声に確信がある。
「シロウトとプロって感じだな」
クロも同意する。
「人間って不思議なモンで、心配が先に立つと身内の良くないところばかり見えちまうんだよな。逆に相手が妙に良く見える。判るぜ。
けど、よく見てみな。公子さまの方は人数が減ってないだろ?テート互助会の方はまだ半分は残ってるが、まぁ、時間の問題かな」
「……」
言われてみればクロの言う通りだ。しかし、モモの小柄な体は硬く強張ったままで、カイトと握り合った手からも力が抜けることはなかった。
「なあ、モモ」
「なに」
「お前の恋人、あれ、ホントに公子さまか?」
オセロは殴り合いを楽しんでいる。クロにはそう見えた。
殴り飛ばし、蹴り飛ばし、ひっ捕まえて投げ飛ばす。テート互助会のチンピラたちがまるで子供扱いである。
臣下との連係もいい。オセロの背後には必ず臣下の誰かがいる。
人数的にはテート互助会の方が圧倒的に多い。しかし、個々が勝手に戦っているだけで、数の優位をまったく生かせていない。
実質的には、オセロと臣下、4人に対して一人ずつ向かっていっている感じだった。
「場慣れし過ぎだろ」
「そう言えば」
と、モモも思い出した。
「12歳になる頃にはもう、同い年の友だちといくさ場に出ていたって、オセロさま、言われてた」
クロが嗤う。
「確かに洲国なら、腕を磨く機会には事欠かなかっただろうよ」
黙り込んだモモの横顔に、不安が色濃く宿る。さっきまでとは別の不安だ。
「モモ、行こう」
カイトがモモを促す。
「ん?」
「どうかした?クロ」
「遠くて判り難いが……、精霊の気配がするぜ」クロの声が低い。
「えっ?」
「アイツ、魔術の心得があるな」
クロが指さしたのは、互助会の商人風の男だった。
「殺すなよ」
とクロが言う。
「公子さまがわざわざ殺さずに済ませようとしているんだ。邪魔しねぇ方がいい。それに、たいして魔術が上手いってワケじゃなさそうだ。今までかかってようやく精霊を呼び出せたぐれぇだからな。
ちょいと足でも射抜いてやれば、術は使えねぇだろうよ」
「判った」
カイトが矢筒に手を回す。
「何の騒ぎだ!」
と、西の広場に大声が響いたのはその時である。
広場の東側から群衆をかき分けて現れた人物を見て、「……アイブ」とクロは呟いた。
「だれ?」
「オレの古い馴染みだ」
カイトの問いに答えながら、クロは訝し気にアイブの後ろに続く一団を見た。
緑の衛服の連中はクロも知っている。ゾマ市の衛兵。おそらくアイブの部下だ。だが、ゾマ市の衛兵とは明らかに異なる黒い衛服を着た連中が、ゾマ市の衛兵より前に立ち、我が物顔でアイブの後ろに続いていた。
『なんだ、あの連中』
黒い衛服の先頭には、妙に存在感のある男が悠然と足を運んでいる。
太っているように見えるがそうではない。よく鍛えた体を、だぶついた服の下に隠している。
顎がでかい。嫌でも目を引かれる。
口元には親し気で温かな笑みが浮かんでいる。
しかし、対照的に昏く沈んだ細い目の奥には、隠そうにも隠し切れない傲慢さがある。
巡察使--。
根拠はない。が、クロはそう閃いた。
だとしたら、アイツが、とクロが思ったのは、ゾマ市の衛兵の後ろに隠れるように続く一人の男である。
小太りで、見覚えがある。腰が引けているのを、懸命に虚勢を張って隠そうとしている。
『あれがプロントか』
アイブがオセロに何かを話しかけている。聞き取るには流石に遠い。
「衛兵だ。もう心配ない。行こうぜ、モモ」
関わりにならない方が良さそうだと判断して、クロはそうモモに声をかけた。
アイブはまず、テート互助会の連中に視線を向けた。仮にも治安維持の責任者である。商人風の男とは面識がある。
しばらくアイブと睨み合っていた男は、ちらりとアイブの背後へと視線をやった。養父と目を合わせているのだろうと判ってはいたが、あえて無視して、アイブはオセロに視線を転じた。
「これは何の騒ぎですか、オセロ公子」
「ん?ああ」
埃を払いながら、オセロは皮肉に満ちた笑みをアイブに向けた。
「良いところだな、ゾマ市は。アイブ殿」
オセロの良く通る声が西の広場に朗と響く。オセロの声に惹かれて、人々のざわめきが一瞬、止まる。
「何です、急に」
「スフィア様のご加護か、人の努力の賜物か、オレは今ほど穏やかに暮らすのは初めてだよ」
「とても穏やか……、とは見えませんが」
硬い表情を変えることなくアイブが応じる。
「そこはそれ、洲国の生まれだ。染みついた性はなかなかとれない。なぁ、そうだろう?」
オセロが声をかけたのはテート互助会の商人風の男だった。
男は応えない。顔に怒りを張りつかせ、まばたきもせずオセロを凝視している。
「最近は税がきつくなっているが、本来ゾマ市はスフィア様のご意向もあって、自由都市だ。ここ、西の広場と東の広場の運営については商人たちに任されていて、郡支所でさえ口出しができない」
「今も、ですよ。オセロ公子」
「ところがだ。国に課された税とは別に、商人から会費とやらを集めている連中がいるって言うじゃないか。
しかもそれがどうも、洲国の連中だって聞いたら、これはオレが何とかしないといけないだろう?
例え今は、落ちぶれた亡命者の身でも」
「だから--」とアイブが言い、「それが--」と商人風の男が言いかける。それを、こもった笑い声が遮った。
黒い衛服の先頭に立った男である。
「ご立派なお心掛けですなぁ。流石はザワ州の公子様だ」
オセロは男に「賛同いただけて何よりだ」と軽く頭を下げてから「こちらの御仁を紹介していただけるかな、アイブ殿」とアイブに尋ねた。
「海都クスルから派遣された巡察使のダウニ様です、オセロ公子」
アイブの答えにオセロは破顔した。
「おお。巡察使殿か!だが」
ダウニを上から下までジロジロと無遠慮に見て、
「本当に巡察使殿か?」
とオセロはダウニに尋ねた。
衛兵の後ろに隠れていた男があたふたと前に出て来る。オセロとは面識がある。クロの読み通り、ゾマ市の郡支所長、プロントである。
「な、何を、無礼なことを……!正真正銘、巡察使殿ですぞ、オセロ公子……!」
「プロント殿もいらっしゃったのか。これは失礼。気づかなかった」
オセロの言葉に群衆が笑いを漏らす。それを聞きながらオセロはプロントからダウニに視線を戻した。
「顔立ちがキャナの民人に似ている。もしかするとキャナの密偵かも知れない。きちんと調べられたのかな、プロント殿」
泡を吹きそうになって言葉を失くしたプロントを横目に、ダウニが楽しそうに笑う。
「素晴らしい観察眼だ。確かにわたしにはキャナの血が混じっていますよ、オセロ公子。ですが巡察使であることは間違いない。
英邁王様の発布された巡察命令証も所持しております。
そうですな。アイブ殿」
「はい」
「アイブ殿が言うなら間違いない」とオセロは朗らかに笑って「失礼した。巡察使殿。それで、ゾマ市に来られたのは--」
「おい!」
突然響いた怒声に、瞬時、西の広場の人々が動きを止める。
「ああ。まだいたのか」
オセロが視線を向けた先にいたのはテート互助会の商人風の男である。
「今は巡察使殿と話しているところだ。邪魔をしないでくれるか」
商人風の男が空を振り仰ぐ。ぶつぶつと何かを呟く。大きく息を吐き、オセロに視線を戻す。目が据わっている。けれど口元には笑みがある。
「まぁ、いいでしょう。巡察使様までいらっしゃったのなら仕方がない。今日のところは引き上げるとしますよ」
男が顎をしゃくる。互助会の悪党面たちが、ある者は足を引き摺り、ある者は仲間の肩を借りて、呻き声を漏らしながら引き上げていく。
「今日はあなたに会えて良かった。元公子さま」
「だったらオレの臣下にでもなるか?俸禄は出せないが」
商人風の男が低く笑う。
「あんたはオレらの商売の障害だ。障害は、取り除かせていただきますよ」
男が背中を向ける。
「もうここには来るなよ!」
オセロの言葉に足を止めることなく男が歩き去っていく。
オセロはまずダウニに軽く頭を下げ、アイブへと視線を移して「お騒がせした。アイブ殿」と謝ってから群衆へと顔を向けた。
「騒動は終わりだ。さて。片づけを手伝おう」
群衆が温かな歓声を上げる。
「我々もお手伝いしましょう」
オセロが振り返ると、すでに腕まくりをしたダウニがいた。
「とんでもない」とオセロは首を振った。「巡察使殿に手伝っていただくのは申し訳ない。何より、プロント殿が苦い顔をされている」
揶揄するように言ったオセロにダウニがこもった笑い声を返す。
「構いませんよ。オセロ公子」ダウニは黒い衛服の連中を振り返って「さあ、あなた方も動いて、動いて」と声を掛けた。
オセロの臣下はすでになぎ倒された露店を引き起こし、散乱した商品を片付け始めている。
おろおろと手を揉みしだいているのはプロント一人である。
オセロも手を貸すために足を踏み出そうとして、「ぎゃっ」という悲鳴を聞いて背後を振り返った。
男が一人倒れていた。
若い男だ。どこにでもいる、善良そうな。
しかし、倒れた若い男の手には、男の外見に似合わない鈍く光るナイフがあった。
男のふくらはぎを矢が射抜いている。
オセロは周囲を見回した。
西の広場には群衆が溢れている。回廊の2階、3階にも、矢を放ったであろう人物の姿はどこにもない。
群衆の間に、矢を通せそうな隙間もない。
どこからともなく飛来した矢が、一人の男の足を射抜いたことに、群衆が気づいた様子すらない。
「……これは、想像以上だ」
苦笑を浮かべてひとり呟き、オセロは呻く男の脇に膝をついた。
「どうした。大丈夫か」
男の手からナイフをもぎ取り、男のふくらはぎに刺さった矢を抜く。男の上げた悲鳴は無視した。
男を引き起こし、「転んだのか。気をつけろよ」と言ってから、男の耳に口を寄せ「アニキに殺されないようにな」と囁く。
ぎくりっと男がオセロを見上げる。
「俸禄がなくてもいいなら、いつでもオレのところに来い」
笑顔のままそう言ってオセロは男を離した。
顔を青ざめさせ、足を引きずりながら立ち去っていく男を見送りながら顎に手をやる。
満足げな笑みが無精髭に覆われたオセロの口元に浮かぶ。
さて、どこを手伝おうかと振り返って、オセロは一人の男に気づいた。
引き起こされた露店の脇でがくりと肩を落とし、地面に投げ出され泥だらけになった商品を呆然と見つめている。
オセロが何を考えているか察したのだろう、臣下の一人がオセロに近づき、「また、会計士殿に叱られますよ」と囁く。
臣下の肩を軽く叩き、オセロは「これは酷い」と立ち尽くす男に話しかけた。
「これではとても売り物にならない。もし良ければ、ぜんぶわたしに買い取らせてはいただけないだろうか」
きっと酷く怒るだろうな、モモは。
そう思うと、なぜかオセロの口元が心地良く緩んだ。
オセロの臣下たちが全員、ちらりとオセロの表情を窺い、仕方なさそうに肩を竦めた。