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14-6(ザワ州の亡命公子6(エルとマルとモモと3))

 エルの言葉の意味が判らず、カイトが首を捻っているところにモモが戻って来た。すぐにエルが立ち上がり、モモの肩を抱いて何かを小さな声で話しかける。

 やがてこくりと頷いたモモから身体を離し、「それじゃあ、わたしたちもお風呂に入ってくるわ」とエルが言った。

「マル!」

「おー」

 別の部屋からマルが返事をする。

「お風呂にしましょう!」

「はいはい」

 マルが姿を現し、カイトとモモに「二人っきりになったからって、ケンカなんかするなよ」と言い残してエルの後を追う。

「モモ」

「なに?カイト」

「もしかして、エルとマル、一緒にお風呂に入ってるの?」

 モモが苦笑する。

「驚くよね、やっぱり」

 呆然とカイトが頷く。足元がふわふわとした。夢を見ているんじゃないか。これはホントのことじゃないんじゃないか。そう疑うほど、驚いた。

「エルに言わせるとね、マルとお風呂に入るのは、猫と一緒にお風呂に入るのと同じようなものなんだって」

「猫と名前が一緒だからって、マルは猫じゃないよ」

「あの二人の関係ってあたしたちには判らないと思う。あたしはもう諦めたもの、理解すること」

 カイトはため息をついた。

「モモに理解できないんだったら、わたしにはとてもムリ」

 小さく笑って、モモがカイトに顔を向ける。

「ごめんね、カイト。急に泣いたりして」

 カイトが首を振る。

「わたしこそ、ゴメン」

「ねえ、カイト。さっき、どうしてあんなことを訊いたの?ううん、あなたには、あたしはどんな風に見えているの?」

 どんな風に見えているか。

 そう問われれば答えやすかった。

「今にも切れてしまいそうな弦に見える。張り詰めて、酷使されて……」

 ぷつりっという音がカイトの耳に蘇える。

「切れる寸前の弦のように」

「そうか。そんな風に見えるのか」

 しばらく沈黙した後、モモは仕方なさそうにそう言った。

「うん」

「あたしね、好きな人がいるの」

「なんて人?」

「父さまのお客様でね、オセロさまっていうの」

「うん」

「あたし、体の大きい人や声の大きい人は苦手だったの。なんだか怖くて。

 オセロさまも最初は怖かったわ。身体も大きくて、声も大きくて。でも、オセロさまがうちに来られる度に、いつもオセロさまを目で追ってる自分に気づいたの。

 自分で自分が信じられなかったわ。

 オセロさまはお客さまだし、あたしの苦手なタイプだし。

 お歳もずいぶん上だし。

 何より、……身分が違うし」

『身分』

 声に出すことなくカイトがモモの言葉を繰り返す。

「だから、気の迷いなんだって自分に言い聞かせてた。あたしが、オセロさまを好きになる筈がないって。むしろ苦手な人なんだって。

 でも、夜中にベッドに横になってて、ふと、涙が止まらなくなったの。それで自覚したわ。もう誤魔化せない。あたしはオセロさまが好きなんだって」

「……」

「そう自覚してからは、オセロさまがうちに来られてもなるべく顔を合わせないようにしてたの。そうしたら、オセロさまが『なんだか最近、冷たいな。モモ』って。『何か気に障ることをしたか?』って」

 モモが口を閉じる。深い諦観が影を落とす。幼く見えていたモモが、急に大人びて見えた。

「……もう、自分の気持ちを抑えられなかったわ」

「モモ」

「なに?」

「あんたはいま、幸せなの?」

「うん」

 少しもためらうことなくモモが頷く。

「幸せよ。今まで生きて来た中で一番。でも」

「でも。なに?」

「この幸せがずっと続かないって、判ってる」

 カイトに話したからだろうか。

 少し緩んでいる。

 今にも切れそうだったモモの気持ちが。

「ねえ、モモ。あんたが好きになった人って、誰なの?ううん、違う。そうじゃない。身分が違うって、どういうこと?」

「オセロさまはね」

「うん」

「公子さまなの」

「公子さま?」

「元、だけど。オセロさまはね、洲国ザワ州から亡命してきた公子さまよ」



 窓の外から聞こえて来た人の争う声に、クロは心地よい夢から覚めた。朝が近い気がした。しかし、窓の外はまだ暗い。

「うるせぇな」

 クロの隣で横になった女が半分眠ったまま耳を澄ます。お姫様というのは誇大広告だったと思う。

 けれど確かに品はある。

「--オセロ様ね」

 と女が言う。

「オセロ?誰だ、それ」

「この歓楽街の用心棒。とても頼りになる人よ」

 誰かが喚いている。テートとか、互助会というセリフが聞こえた。テート互助会とモメているのかとクロは察した。

 人数は多くない。

 二人か三人だ。

 相手をしているのは、多分、一人。落ち着き払った低い声が響く。おそらくこちらがオセロだろう。

「素性も確かだしね、オセロ様は」

「用心棒の素性が確かねぇ。もしかして、貴族様か何かなのか?」

 クロは冗談のつもりだった。だが、女は、「もっとよ」と、言った。

「公子様よ、オセロ様は」

 クロの体が冷える。イヤな予感に胸がざわめく。

「どこの」

「ザワ州。オセロ様はザワ州の元公子様なの」

『ザワ州はよく頑張っている。

 あそこは地形が複雑ですからね。もしかすると地の利を生かして、このままキャナを食い止めるかも知れない。

 だが、ボクなら内部に手を回す。問題のない家はないですからね。実際、騒動のネタもある』

 イクの宿でカザンジュニアが語ったことだ。

『これのことか』

 と思う。

 これが騒動のネタか、と。

 外から聞こえていた争う声が消える。

「ね。頼りになるでしょ?」

 明るく女が言う。

 彼女には聞こえなかったのだろう。鋭い風切り音が。低くくぐもった呻き声が。耳が良いのが嫌になる。鼻が利くのも。

『こいつは』

 ためらった気配がない。

 血の匂いと共に、冷酷さがひしひしと伝わってくる。

 人を殺すのは同じでも、カイトとは違う。

「確かに頼りになるなぁ」

 軽い口調でそう言って、クロは女を抱き寄せた。裸の胸に手を伸ばし、女の首筋に口をつける。女が楽し気な悲鳴を上げる。

 クロは忘れることにしたのである。ザワ州の亡命公子のことを。

『触らぬ神になんとやら、ってね』

 厄介ごとは極力回避する。それがクロのポリシーだった。

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