14-3(ザワ州の亡命公子3(ゾマ市警備局局長アイブ))
ホント、官のチカラってすげぇな。
クロはそう思いながら、扉をノックした。「はい」と知った声が答える。「お邪魔するぜ」とクロは声をかけながら扉を開いた。
「お前……」
部屋の主が驚いたように声を上げる。
「久しぶりだな、アイブ」
「クロ……」
部屋には事務用のテーブルが置かれ、部屋の主以外誰もいない。部屋の主が--アイブが--ペンを置いてクロを見る。
細身だ。
痩躯であるだけでなく、目も唇も、眉も細い。
クロが入ってくることは予想していなかっただろう、けれど背筋から指の先まで、性格そのままにまっすぐ伸びている。
彼がまだ20代の後半だとクロは知っている。しかしアイブの整えられた髪には、前に会った時にはなかった白いものが何本も混じっていた。
「個室を持てる身分とはねぇ。大した出世じゃねぇか」
「どうしてここにいる。いや、どうやって入った」
「これを見せたら何も言わずに入れてくれたぜ」
クロが懐から紙片を取り出す。アイブは紙片を受け取ると、顔をしかめた。
「偽造するにしても、コレはないだろう」
「本物だよ」
部屋には質素な応接セットがあった。クロは遠慮なく座り、「酒とは言わねぇ。何か出してくれねぇか。見聞官様によ」
「まさか本物?」
「そう言ってるだろ」
アイブは首を振って立ち上がった。見聞官の証しをクロに返す。
「世も末だな」
「おい。どこに行くんだ」
「茶、飲むんだろ。自分で取りに行かなくて、誰が持ってきてくれるって言うんだ」
「はっ」
クロがぼやく。
「部屋持ちになっても出世した訳じゃない、ってことか」
「ゾマ市警備局局長というのがオレの役職だ。ゾマ市の治安維持の責任者だよ」
「責任者が自分で茶を取りに行かないといけないのかよ」
「まあな」
クロが鼻を鳴らす。
「ゾマ市の現状ってのが良く判るねぇ」
「ま、そういうことだ。そう言うあんたの方はどうなんだ。どうしてマララの見聞官なんかやってる」
「ちょっとした成り行きでね」
「ちんけな賞金稼ぎだろ、あんたは」
ちんけな賞金稼ぎ。クロにとっては悪口ではない。
アイブはよく知っている。
ちんけな賞金稼ぎとして生きる道をクロは選んでいる。
「なんでオレを見聞官にしたかはマララの王領司さんに聞いてくれ。オレは知らねえよ」
「どうしてゾマ市に戻ってきた」
「人を探してるんだ。トワ郡にいるらしいってことだけ判っててね」
「どんなヤツだ」
「ヤツっていうのはちょっと違うな。
フウって子で、15,6才になるはずだ。森を出たからもうそうは言えないかも知れねぇが、狂泉様の森人だ」
「狂泉様の森人?」
アイブの眉間に皺が寄る。
「どうしてそんな子を探してる」
「そう矢継ぎ早に訊くなよ。尋問されてるみたいでイヤになるぜ」
「ああ」
苦笑し、アイブが背もたれに体を預ける。
「スマン。つい、な」
クロはアイブの表情を窺い、ちらりと、アイブに判るように戸口へと視線を送った。アイブが肩を竦める。
「今日来たのは、お前がフウって子に心当たりがないか聞きに来たんだが、知らないようだな」
「スマンな。力になれなくて。これでも忙しい身だからあまりアテにされても困るが、探してみよう。
昔、世話になったしな」
「悪いが頼むわ。
それにしてもよ、お前、治安維持の責任者なんだろう?北門から市内に入ったらいきなりチンピラに絡まれたぜ。どうなってんだよ」
「ああ」
アイブの眉間の皴が深くなる。
「洲国からの流民だよ」
「流民?こんなところに?」
「ガラの良くない連中が流れて来て東と西に居ついてる。犯罪者集団だが、互助会とぬかしててな。掃除をしたいが、予算も人手も足りん」
「互助会ねぇ」
「東の連中はジャング互助会、西の連中はテート互助会を名乗ってる。ジャングもテートも、それぞれ会長に座ってるクソの名だよ。こいつらは兄弟でね、元はひとつの組織だったが、殺し合うぐらい仲が悪くて分裂したんだ。
あんたが絡まれたのは北門か。
だったら多分、そいつらはテート互助会の下っ端じゃないかな」
「判ってるのならさっさとなんとかしてくれねぇか。それとも、そいつら賞金首か?だったらオレの仕事だ。
オレの相棒は強力だぜ」
アイブがため息をつく。
「賞金首だったら、楽なんだがな」
「……」
「オレにできるのは、なるべくアイツらとは関わるなって忠告することぐらいだ」
「疲れてるな、アイブ」
「イヤになるぐらいな。
ところで、強力だというあんたの相棒は、もしかして森人か?」
「おお。よく判るな」
「フウって子を探しているのも、あんたじゃなくてあんたの相棒の方ってことか」
「まあな」
「どんなヤツだ」
「ヤツじゃねぇよ。このやり取り、さっきもしたよな。
カイトって名の、まだ15,6の小娘だ」
「カイト……」
「さて。それじゃあ、オレはそろそろ帰るわ」
「あ、ああ。そうだな」
「お前に言ってもムダだろうが、できれば税金をもう少し下げてくれ。滞在してるだけで税金を取るのはやり過ぎだぜ」
アイブが笑う。
「確かにオレに言ってもムダだよ」
「だろうな。じゃあな」
軽く手を上げて出ていくクロを見送り、アイブは考え込んだ。顔を伏せたアイブの細い唇が声もなく動く。
スイ様、と。
人の名だ。
「ようやく、……」
唇を固く結び、言葉を呑み込む。何かを振り払うように、湯呑を片付けるべく立ち上がり、そこでふと、アイブは動きを止めた。
「そういえば、アイツがどこに泊まっているのか、聞かなかったな」
まさかクロが”スフィアの娘”の家に泊まっているとは夢にも思わず、言葉を失くすほどアイブが驚くのは、まだ後のことである。
大災厄の後、無人となったゾマ市に最初に現れたのは、スフィア神の信徒たちである。
彼らは崩れた建物を修繕し、湖に浮かぶ島に橋を架け、畑を耕し、家畜を育てながら人々が戻ってくるのを待った。
以来ゾマ市は、市とはとても呼べないうちから、スフィア神を街の守護神として定めている。スフィア神が守護神となったことで旅人が集まり、旅人が集まることで大規模な歓楽街が形作られていった。いや、性愛と快楽を司るスフィア神を守護神とするゾマ市の場合は、歓楽街が形作られる方が先だったか。
クロの探し人は、その歓楽街にある小さな娼館で、風呂焚きをしていた。
「まさかあんたがこんなところにいるとはなぁ」
背後から声をかけられ、男が振り返る。
「よお、クロじゃねえか」
明るく笑って男が野太い声を上げる。
がっちりとした体は昔のままで、声にも張りがある。
「もっとくたびれているかと思ったが、元気そうじゃねぇか。とてもヨソ者に組織をつぶされた大悪党の成れの果てには見えねぇな」
「オレは悪党だったことなんかねぇぜ」
男の元の商売は、人材斡旋業である。口入れ屋、もしくは手配師といったところか。多くの手下を抱え、ゾマ市の自警団まがいのこともしていた。男の言う通り悪党ではない。法を侵すようなことは、かろうじてしてはいなかった。少なくとも表ざたになった限りで言えば。
クロが聞いたところでは、まだ分裂する前だったジャング互助会とテート互助会と衝突し、本業から追われたという。
額の汗を拭いながらクロに歩み寄り、「どうした。ザカラが生きているうちにお前が戻って来るとは思わなかったぜ」と男が問う。
「そのつもりだったんだが、ちょっとな」
新しいトワ郡の郡主としてザカラが赴任して来た時に、クロは郡都に赴任のパレードを見に行った。
そのパレードのあまりのケバケバしさにトワ郡の行く末を見て取って、「アイツが死ぬまでは戻らねぇよ」とクロはマララ領へと移ったのである。
「人を探してるんだ。しばらくかかるかも知れねえからな、ここの状況が判らねぇとメンドウゴトに巻き込まれそうだったんで、あんたに聞きに来たんだ」
「探しているって、誰をだ」
「フウって名の、森人の子だ。15,6になるはずなんだがね。北部トワ郡で手掛かりが拾えるだろうと思ってたらさっぱりでよ」
「15,6の森人の子ねぇ。オレも知らねぇな」
座れよ、と男が壊れかけた椅子をクロに示す。
「それで、前の郡支所長、スイ様を殺ったのは誰だと思う」と椅子のほこりを払いながらクロは尋ねた。
「今の郡支所長、プロントの野郎だ」
躊躇うことなく男が断言する。
「やっぱりねぇ」
「証拠はねぇがな」
「あんたがそう思う根拠は何だ?」
「スイ様が殺された数日後に、ゾマ市の外れで死体が見つかった。
洲国の流民のな」
「互助会の?」
「これも証拠はねぇがな。間違いなくそうだ。
けど、プロントの野郎がこの件を詳しく調べた様子がねぇ。むしろ、調べるのを止めさせてやがる」
「なるほどねぇ。
何者なんだ?プロントって」
「知らねぇのか?お前がこっちにいた頃にもいただろう。元は郡支所の経理部門のトップだぜ?」
「経理部門のトップ?」
ゾマ市にいた頃、クロは郡支所を何度も訪れている。賞金を受け取るために経理部門には顔を出していたし、顔見知りも多い。
しかし、プロントという名にクロは覚えがなかった。
「オレはてっきり、ザカラの野郎が送り込んできたヤツだと思ってたぜ。
そうか、元々こっちのヤツか」
「プロントが郡支所長になって驚かなかったヤツは、郡支所にはいねえよ」
「どうやってザカラの野郎に取り入ったのかねぇ」
「ヤツが経理部門のトップだった時の部下が一人、死んでる。死んだ後に、その部下が郡支所のカネを横領してたことが発覚したそうだが、どうかな。
横領されたカネは見つかってないそうだ」
クロが嗤う。
「ま、カネはカネだな。そのカネがどこから出てきたか、ザカラの野郎なら気にしねぇだろうな」
「互助会とモメた時にも、パクられるのはオレんとこだけさ。
あっちにはお咎めなし。
で、何とかパクられはしなかったものの、オレは寂しくこうして娼館の風呂焚きをしてるって訳だ」
「なるほどな。互助会の連中が賞金首になってないって聞いたが、そういうことか」
「取り締まる側のトップとつるんでるんだからな。賞金首になるハズねぇだろ。
ところで、ヤツラが賞金首になってないって、お前、誰に聞いた」
「アイブさ。ここに来る前に会って来た」
「そのアイブ、だがな」
「何かあるのか?」
「警備局局長になってただろう」
「ああ」
「なぜ、アイツがそんなものになれたと思う」
「まさか、ヤツもスイ様殺しに関わってるなんて言うなよ。あいつはスイ様を親のように慕ってたぜ?」
「知ってる。それは今も同じだろうよ。ヤツがスイ様殺しに関わってるとはオレも思ってねえよ。
アイツが結婚してるのは知ってるか、クロ」
「いや」
「かわいい嫁だ。いい子だよ。
とても父親が、プロントのクズ野郎とは思えないぐらい、な」
クロは軽く自分の目の辺りを掻いた。「ふーん」と声を上げる。
「養父がスイ様の仇ってことか」
「そう」
「それで大人しくなるかな。アイツが」
「アイツのことはお前の方が良く知ってるだろう?」
確かにアイブのことはクロの方が良く知っている。クロは腰を浮かした。
「ありがとうよ。助かったぜ」
「助かったって思うんなら、ちょっとうちで遊んでけよ」
クロが嗤う。
「客引きまでしてんのか、あんた」
「一人引っ張るとちょっとは手当てが良くなるんだ。お前好みの子もいるぜ」
「気品のある?」
「お姫様みてぇにな」
クロはだらしなく笑った。
「仕方ねぇ。情報料代わりだ。遊ばさせてもらうとするよ」
「そうこなくっちゃ」
「ところでよ、」
と、クロは店へと歩き始めた男に話しかけた。
「あんた、なんでこんなとこで風呂焚きなんかしてるんだ?あんたなら、ひとりでも互助会に突っ込んで行きそうなのによ」
「笑うなよ」
「ああ」
「オレはスイ様を守れなかった。だからさ。スイ様を守るって誓ったのによ。だから、姫巫女様は絶対に死なせたくねぇ。
そのためにこうして生き恥を晒してるんだ」
「姫巫女様を守りたいから、スフィア神殿の管轄下にあるここで、歓楽街で風呂焚きをしてるって?」
「ああ」
「笑うなって言うのが無理だろ、それ」