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14-2(ザワ州の亡命公子2(スフィアの娘と戦神の護り人2))

 スフィア。愛と美の女神である。性愛と快楽を司る神でもある。

 狂泉や雷神と同じ光の神だが、スフィア神の神殿組織には他の神と大きく異なるところがひとつあった。

 神殿に住まう神官や巫女が信徒と神の仲立ちをするのは同じだが、神殿組織と信徒の間にもうひとつ、階層があるのである。

 それが”スフィアの娘”である。

 使徒と言うほどではない。

 英雄や戦巫女とも違う。

 しかし、”スフィアの娘”がスフィア神の特別な寵愛を受けた存在であることは間違いない。


 戦神の護り人であるマルに『なんだかおっかねぇよ』と言われたカイトは、エルが「わたしは”スフィアの娘”よ。まだ見習いだけど」と自己紹介すると、微かに眉を上げた。いや、眉を上げただけでなく、頬も微かに--本当に微かに--引き攣らせた。

「スフィア様の娘?」

「ええ。あなたの名前、教えて貰える?」

「カイト」

 答えるカイトの声が小さい。

「いい名前ね。でも」

 エルの灰色の瞳が、カイトの栗色の瞳を覗き込む。

「”スフィアの娘”について、なんだか誤解があるみたいね。いろいろ」

「い、……いろいろって?」

 ニーナが教えてくれた、”いろいろなこと”が、カイトの頭の中でぐるぐると回る。

「それを教えてあげる」

 と悪戯っぽく笑って身体を起こし、エルはクロに顔を向けた。

「クロさん。しばらくゾマ市にいらっしゃるのなら、ウチに泊まりませんか?」

「そりゃ、助かるけどよ。オレたちの他には誰もいないのか?」

「ええ。わたしとマルだけ」

「だったら世話になろうぜ、カイト。宿代が助かる」

「……うん」

 尻込みしながらカイトが頷く。

「……どうしてわたしたちを泊めてくれるの?」

「わたしが”スフィアの娘”だから。だってスフィア様は旅人の守護神でもあるもの。責務ではないけれど、わたしが気に入った人は泊めてあげることにしているの」

「責務……」

「ええ」

 エルがにこりと微笑む。

 カイトは目を瞬いた。

 自分の目がおかしくなったのかと思って。

 エルが微笑むと、世界が一瞬、明るく輝いた。

 カイトにはそう見えたのである。

「じゃあ、行きましょ」

 エルが振り返って歩き出す。くるぶしまである長いスカートがエルの動作に合わせて音もなく回り、春風のように温かくさわやかな香りがふわりと広がった。

「さすがの裾さばきだねぇ」

 感心した様にクロが笑う。

「どうだ、カイト。どうせだから教えてもらえよ、あれ」

 カイトが首を振る。

「無理」

 百年経ってもできそうにない。女らしい柔らかな曲線を描いたエルの後姿を追いながら、カイトはしみじみそう思った。


 カイトとクロが連れていかれたのは、北門から一時間ほど歩いた、市の中心部に辛うじて引っかかっている一軒の家だった。 

 ”スフィアの娘”のために神殿が用意したという家は、人の背丈より低い白い塀にぐるりと囲まれていた。

 鉄製の門扉は内側に開いたままだ。

 門の前まで来ると、クロは「じゃあオレは郡支所に行って滞在税の支払を済ませてくるわ。ついでに昔の知り合いに会ってくるからお前らは先にメシを食ってな」と歩き去っていった。

 門を潜ると、花の香りがカイトを包み込んだ。短いアプローチの両側の庭はよく手入れされ、色とりどりの花が咲き誇っていた。

 庭の隅には畑も見える。

 アプローチの先にあったのは 平屋の瀟洒な家だ。

 門扉と同じように扉を開け放たれた玄関は広く、エントランスの奥から陽の光が溢れるように3人を出迎えてくれた。

「オレはメシの支度をしてるよ」

「お願いね。マル」

 マルが家の奥へと消え、「それじゃあ、ここに座ってもらえる?カイト」と、カイトは玄関に置いた椅子に座らされた。

「な、なにをするの」

「いいから」

 詳しく説明することなくエルが始めたのは、旅で汚れたカイトの足を洗うことだった。


 ぬるめのお湯を入れた桶をカイトの前に据え、足の指の汚れを丁寧に落とし、足裏を優しくマッサージする。

「力加減はどう?痛くない?」

「うん。気持ちいい」

「良かった」

「ゴメン」

「何が?」

 顔を上げることなくエルが訊く。

「スフィア様の娘って聞いてあんたのこと勘違いしてた」

「何かヘンなことをされるんじゃないかって?」

「……うん」

「あなたが望むのなら、してあげるわよ」

「いい」

「していい、なの?」

 エルは手を止めない。カイトのふくらはぎを掌で挟み、何かを押し出すようにゆっくりと上へと圧していく。

 慌ててカイトは首を振った。

「しなくて、いい」

「残念。ちょっとあなたとしてみたかったんだけど」

 と、からかうように言って「はい。これで終わり」とエルはカイトの足を拭いた。

「こっちのスリッパを使って」

「うん」

「どう?ちょっとは楽になった?」

 カイトは立ち上がった。嘘のように足が軽い。

「うん。ぜんぜん違う。ありがとう、エル」

「どういたしまして。それじゃあ、食事にしましょう」


 カイトとエル、それにマルの三人で食卓に着き、それぞれの守護神に祈ってから食事に取りかかった。

「あ。おいしい」

 スープを口にして、カイトは思わず声を上げた。

「そう言ってもらえると嬉しいぜ」

 味わうよりもがつがつと食べることを優先しているマルが、口いっぱいに頬張ってもごもごと言う。

「マルがわたしの護り人になった時にはまずこの子の若さに驚いたけど、一番驚かされたのは食事の才能だったわ。

 ちゃんと食事を作ったことないって言ってたのに、最初からとてもおいしかったもの」

「オレも驚いた。エルが何にもできなくて」

「わたしは普通なだけよ」

「若いって、いくつなの?」

「それでももう、14になったよね」

「ああ」

「でも、護り人になった時にはまだ12だったのよ」

「そうなんだ」

「なるほどね」

 スープを口に運びながらエルが頷く。

「マルの歳を聞いてもあまり驚かないね。マルがおっかないって言うのも判るってところかしら」

「おっかない?わたしが?」

「何が、って言われると困るけどな」

 マルがフォークをカランと投げるように置く。

「エルを守るってなったら、そんなこと関係ないけどな。じゃ、オレはお先に」

 マルが立ち上がり、立て掛けてあった長剣を手にする。

 歩み去るマルの後姿はまだ細く少年っぽさをとどめていた。しかし、足取りは確かで、体幹にも揺らぎがない。

「強そうだね。マル」とカイト。

「わたしを守るためじゃないと戦神様のお力は発揮できないけど、戦神様のお力がなくてもかなり強いのは確かよ。

 努力してるもの。あの子」

「うん」

 カイトにも判る。ちらりと見えたマルの手。歳に似合わぬごつごつとした手の平が、エルの言葉を証明していた。

「ねえ、カイト。良ければ、どうしてゾマ市に来たか教えてくれる?」

「人を探しているの。わたしの親戚の子」

「どうして?」

「5年ぐらい前に森を出たんだけど、行方が判らないの。もし苦労をしているなら助けたい。だから探しているのよ」

「--と、言うように、クロさんに言われているのね」

 穏やかな口調でエルが断言する。

「え」

「それ、ウソでしょ」

「え。う、えーと」

「ねぇ、カイト。”スフィアの娘”になるのってね、けっこう大変なの。いろんな人とお話ししないといけないから、とにかく知識が必要なの。狂泉様の森人に会うのはあなたが初めてだけど、本ではたくさん読んだわ、あなたたちのこと。

 わたしの理解が間違ってなければ、狂泉様の森人はそんな理由でこんなところまで来たりしないわ。違う?」

「え、えーと」

「責めている訳じゃないの。言えないなら言えないって言って。わたしはそれで納得するから」

 カイトは改めてエルを見た。

 優しいエルの瞳に、カツンと当たるものがある。

 なぜか、綱渡りをしているエルのイメージが浮かんだ。落ちれば間違いなく死ぬだろう、高い綱の上で軽やかに踊るエルの姿が。

「5年ぐらい前にね、わたしの一族とよその一族が揉めたことがあるの」

「うん」

「その時、わたし、女の人を一人殺したわ。探しているのは、その人の娘。母親を殺した時にすぐ近くの茂みに隠れていたけど、見逃したの。多分、母親の後を追うだろうと思って。

 でも、彼女、一人で森を出たらしいの。

 もし、彼女が森の外で辛い思いをしているのなら楽にしてあげたい。

 それで探しているの」

「楽にって、殺すってこと?」

 エルが確認する。

「うん」

 カイトはためらうことなく頷いた。

「親戚の子というところだけ、ウソなのね」

「ゴメン」

「こちらこそごめんなさい。さっきも言ったけど、責めている訳じゃないの。

 確かにあまり正直に話さない方がいいかな。もし知っている人に会っても、教えてくれなくなりそうだものね。

 それで、なんという名前なの、あなたが探している子って」

「フウ」

「フウか。聞いたことないなぁ」

 エルが小首を傾げる。ブロンドの髪に光が透ける。

「判った。話してくれてありがとう。わたしも探してあげる。

 あ、探している理由は話さないから安心して。もし話す必要があれば、あなたが最初に話してくれた、表向きの理由を話すから」

「いいの?」

「うん。その子を見つけても、あなたならきっと正しい判断をしそうだから。狂泉様の森人としてね。

 それがどんな判断でも、わたしはあなたを信じるわ」

「どうして?」

「信じるのに理由が要る?」

 カイトは黙った。

 しばらく考えてから、

「判らない」

 と慎重に答えた。

「どういうこと?」

「不思議に思ったことがあるの。どうしてわたしはクロを信じているんだろうって。クロは女の人もお酒も好きで、いい加減で、平気でウソをつくわ」

「ヒドい言い方ね」

「でもね、わたしは信じてるの。クロを。これってなんだろうって、不思議に思ったことがある。

 だからエルの言う通り、信じるのに理由は要らないのかなとも思うけど、やっぱりわたしにはよく判らないわ」

「信じるというのは、人の在り方そのもの」

「どういう意味?」

「さあ」

 エルが肩を竦める。

「わたしにも判らないわ。だって姫巫女様の受け売りだもの」

 と、屈託なく明るく笑う。

 なんだか不思議な子だな。エルに釣られて笑いながら、カイトはそう思った。

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