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14-1(ザワ州の亡命公子1(スフィアの娘と戦神の護り人1))

 歩き疲れた訳ではない。

 けれどカイトは何度目かになるか判らないため息を落とし、

「どうしてこんなに近づかないのかな」

 と文句を言った。

 前方に連なるゾマ市の城壁のことである。

「ま、確かにデカイよな、あの城壁は。ムダに」

 カイトと並んで歩くクロが応じる。

「ムダにってどういう意味?」

「あの城壁、直径が10キロぐらいあるけどよ、ゾマ市の人口はそんなに多くねえ。えーと、確か2万……、いや、3万だったかな」

「違いすぎるよ、クロ。2万と3万じゃ」

「どっちにしてもだ、城壁の大きさに比べるとそんなに人はいねぇってことさ。あの城壁にしても、大災厄で壊れたまま役に立ってないしな」

「壊れたままだと、いくさになったらどうするの?」

「ムダにデカいだけあって、あの城壁の中には湖まであるんだ。いくつか。その中でもど真ん中に結構デカイ湖があって、そこに島まである。

 島にはスフィア様の神殿があって、いざとなったら住民はそこに逃げ込むのさ」

「へー」

「オレがいた頃と変わっていなければ姫巫女様は”スフィアの娘”でもあるからな。戦神様の護り人がついてる。

 島に架かる橋は一本しかないし、守るには十分だ」

 ”スフィアの娘”についてはカイトも知っている。

 酔林国にいた頃にニーナが教えてくれた。文字を教えて貰っていた時のことだ。

「”スフィアの娘”にはね、スフィア様に課せられた責務があるのよ。わたしたちにとって、許可なく森に入った人を殺すのが義務なのと同じで」

 話すニーナの口元に怪しい笑みがある。

 それがカイトを不安にさせた。

「どんな責務なの?」

「それはね」

 室内にはカイトとロロしかいない。誰かに話を聞かれる心配はない。

 けれどニーナは二人の耳に口を寄せて、ぼそぼそと、”スフィアの娘”の責務について説明した。

 ロロが両手で口を覆ってキャーと悲鳴を上げる。とても楽しそうに。

 カイトはカイトで、目を白黒させて口をパクパクさせた。

 ニーナが実際にどんな説明をしたかは、ここでは記せない乙女の秘密だ。

 いささか偏った知識ではあったが、とにかくカイトは、”スフィアの娘”については一応知っている。

 しかし、戦神の護り人については聞いたことがなく、

「戦神様の護り人ってなに?」

 と訊いた。

「知らねぇか?

 戦神様はスフィア様を守ると、祖神様に誓いを立てられているだろう?

 だから、”スフィアの娘”として認められた娘には戦神様の力を与えられた護衛が必ず一人つくのさ。

 それが戦神様の護り人。

 戦神様の力を与えられているからな。たった一人で千人の敵に立ち向かえるって言われてる。

 ただし、戦神様の力を使うには条件があって、護り人というだけあって、”スフィアの娘”を守るときにしか発揮できねぇんだ」

「そうなんだ」

「例によってザワ州の悪辣公がここ、ゾマ市に攻め込んで来た時には、スフィア様の神殿に住民が全員立て籠もって、戦神様の護り人ひとりで数万の兵士を相手に一歩も引かず、10日間、眠ることなく戦い続けたって言い伝えもあるぜ」

 悪辣公と聞いて、カイトは眉根を寄せた。

「……それ、ホントの話?」

 くっくっくっとクロが笑う。

「トワ郡の連中にとっちゃあ、芝居も歴史も同じようなもんさ。信じてた方が楽しいぜ、カイト。

 ホントのところは、ゾマ市はいくさにあまり巻き込まれたことはないらしいがな。街の守護神がスフィア様だからかな」

「愛の女神さまだものね」

「オレがいたころはゾマ市は治安もよかった。

 郡都から派遣された郡支所長は女性で、おっとりした人だったが、不思議と人気があった。姫巫女様とゾマ市の人気を二分してて、役人はまるで郡支所長の親衛隊みたいだったぜ」

「北部トワ郡とはずいぶん違うね」

「違わねぇよ」

「えっ?」

「オレがマララ領に移ってしばらくして、郡支所長は死んだ。殺されたんだ」

「誰に?」

「判ってねぇ。犯人が捕まったって話は聞いてねぇ。

 後任の郡支所長は北部トワ郡と同じで、ザカラの野郎の飼い犬だって噂だ」

「だったら、自警団のお兄さんみたいな人もいるのかな」

「オレがいた頃に治安維持に当たってたヤツはいたな。生真面目なヤツだったが、どうしてるかな」

「なんて人?」

「アイブってヤツだ。

 ヤツは前の郡支所長を母親のように慕ってた。サッシャやテオみてぇに思い詰めてなければいいんだがな」



 ゾマ市。中部トワ郡の中心都市である。

 ゾマ市は直径10キロに及ぶ石造りの城壁によって囲まれている。ムダにデカイとクロが評した城壁だ。

 城壁が造られたのは大災厄以前のことで、病的なまでに完璧な円形の城壁が、いつ、誰によって造られたかは定かではない。

 大災厄は住民だけでなく、街の歴史も記録ごと一掃してしまったからである。

 城壁は多くの個所で崩れ、本来の目的である防御装置としての機能は(それが本来の目的かどうかも定かではないが)とっくに失われている。

 立ち入りも禁止されず、ただの展望台と成り果てたゾマ市の城壁の上に、ひとつの人影があった。

 少女だ。

 歳は15,6か。

 銀色とも白色とも見える長いブロンドの髪を風に任せ、明るく輝く灰色の瞳を北へ延びた街道に向けている。

「まだ帰らないのかよ、エル」

 不貞腐れた声が響く。

 少女に声をかけたのは、城壁に登る階段のすぐ近くに横になった小柄な少年だった。

 袖のない貫頭衣を着て、肩から両腕までをすっかり晒している。少年のすぐ脇には、少年の身長とたいして変わらない長剣が立て掛けられていた。

「まだって言うけど、まだ1時間ほどしか経っていないでしょう?マル」

 エルと呼ばれた少女が柔らかな声で応じる。

「何を言ってんだか。もう3時間は経ったぜ。とっくに昼も過ぎてるよ。あー、腹が減った」

 呆れたように少年が--マルが文句を言う。

「あら。本当?」

「鐘楼の鐘が鳴ったろ?気づかなかったのか?」

「ええ。ちっとも気づかなかったわ」

「街道をずっと見てて、何が楽しいのかねぇ」

「楽しいに決まっているわ。だってわたしはスフィア様の娘なんだもの」

「そりゃ知ってるけどよ」

「それに、ほら。見て、マル」

「なんだよ。メンドくせぇな」

 文句を言いながらマルは立ち上がり、エルの指さす先を見た。

「面白そうな人たちが来たわ」

「へぇ。確かに面白い組み合わせだな」

 彼らの視線の先にいたのは、二人組の旅人だった。

 一人は犬の獣人。顔も腕も、衣服に覆われていない毛はすべて黒い。

 もう一人はヒトの女だ。

 まだ若い。遠目にも判る。森人の娘だと。

「ちょっといいな」

「どっちが」

 エルが微笑む。

「もちろん、女の子の方」

 マルは鼻を鳴らした。

「だと思ったぜ」

「それじゃあ、二人を出迎えに行きましょう」

「はいはい」

 エルは地上へと降りる階段へと向かい、ふと足を止めて城壁の内側を見下ろした。

「もうちょっとここで様子を見ようか」

 城壁のすぐ側の家並みを見下ろしてエルが言う。

「どうして」

「あれ」

「ああ」

 エルが指さしているのは、北門近くにたむろしたチンピラたちだった。



 ゾマ市は治安が良かった。

 北門を潜ってゾマ市に入って、それは過去のことだったと、クロはすぐに知った。たむろしていたチンピラたちが、カイトとクロを見て腰を上げたからだ。

 絡んでくるつもりだと、考えるまでもなく判った。

「やれやれ。お前は手を出すなよ」

「うん」

「あくまで、なるべく、だけどな」

 チンピラたちが因縁をつけるより先に、クロは「よお。調子はどうだい!」と彼らに歩み寄りながら声をかけた。

 クロが何を話しているのか、カイトにはよく聞き取れなかった。けれど、クロと二言三言言葉を交わすと、硬かったチンピラたちの表情はすぐに笑顔になった。しばらく談笑した後、クロが懐から何かを取り出し、一人の男に渡した。

 おそらくカネだ。

「じゃあな、アニキによろしくな」

 軽く手を挙げるクロに、チンピラたちは「クロさんもお気をつけて。何かあったらいつでも言ってください」と愛想よく答えた。

「アニキって、誰?」

 チンピラたちに背中を向けながら、カイトはクロに尋ねた。

「知らね。口から出まかせだからな。ま、気にすることはねぇよ」

 と、クロは答えた。



 クロがチンピラたちと何を話していたのか、城壁の上から見ていたエルとマルにも判らなかった。ただ、クロが上手くチンピラたちを丸め込み、カネを渡して場を切り抜けたことは判った。

「面白い人ね、あの人も」

 エルが楽しそうに言う。

「オレたちが見てたこと、気づいているぜ、あの二人」

「え」

 エルが見ていた限りでは、二人ともこちらを見た様子はなかった。マルを疑う気持ちは少しもなかったが、エルは、

「本当?」

 とマルに尋ねた。

「間違いねぇ。特にあの子」

「森人の子?」

 マルが頷く。

「なんだかおっかねぇよ」

「ふーん」

 まだ若いがマルは仮にも戦神の護り人である。その彼が怖いと口にするのを聞くのは、エルにしても初めてだった。

「ますますいいわね」

 満足したように笑い、「それじゃあ見失う前に挨拶に行きましょう」と、エルは軽やかな足取りで階段を降りていった。

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