13-4(反乱の影4)
テオが死んだという知らせが届いたのは、それから数日後のことである。
カイトとクロが西の街でのシゴトを片付けてボード市に戻ると、妙に街がザワついていた。余所者である彼らに向ける住民の視線がどこか硬い。素性の良くない知り合いのところにシゴトが終わったことを告げに行って、そこでようやく、カイトとクロはテオが死んだことを教えられた。
昨夜のことだという。
郡支所からの帰り道、テオは、夜中に路上で襲われて殺されたと。
犯人はテオが持っていた書類を狙っていたらしく、テオは書類を抱え込んで、犯人に渡すことなく死んでいたという。テオの血で真っ赤に染まった書類には、テオの上司である郡支所の長、郡支所長の不正が詳細に記されていたという。
「気に入らねぇな」
吐き捨てるようにクロは呟き、カイトもまた、同じ気持ちだった。
それからさらに数日後、カイトとクロは探し人がいると聞いて居酒屋に入った。彼らの探し人はひとりで酒を呑んでいた。
サッシャだ。
「今日はひとりなんだな、珍しく」
いきなり声をかけられたにも関わらず、サッシャは驚くことなくカイトとクロを見上げ「ええ」と笑った。
「座ってもいいかい」
「もちろん。なにかご用ですか、クロさん」
「なぁに。この間払った滞在税の期限が切れるんでな。明日、次の街へ発とうと思ってる。その前にちょっとあんたに挨拶しときたかったんだ」
「わざわざそのために?」
「やっぱり官の力ってすげぇな」
サッシャの質問に答えることなく、クロが話を飛ばす。
「えっ?」
「見聞官の証しさ。テオが殺されたって聞いて、死体を役所に見に行ったんだ。最初は渋ってたが、見聞官の証しを見せたらすぐに入れてくれたぜ」
「……」
「ヒデェことをするヤツもいるもんだな。犯人は、やっぱりあいつの上司の、郡支所長の手の者かね」
「さあ」
「自警団の方では調べてないのかい?」
「手は尽くしています」
クロがサッシャの顔を覗き込む。
「--辛そうだな」
「……」
サッシャは答えない。クロの顔から一瞬、表情が消える。クロは身体を引いた。
「それじゃあな、サッシャ。縁が合ったらまた会おうぜ。気を落とすなよ」
「ええ」
クロが立ち上がり、カイトも続いた。居酒屋を出るとすぐに、クロはカイトに囁いた。
「テオを殺ったのはやっぱりサッシャだよ」
と。
クロとカイトはサッシャに告げた通り、翌日早くボード市を後にした。
街を離れてしばらくして、「友だちなのに酷いことをするねぇ」とクロは軽い口調で言った。
「自警団のお兄さんのこと?」
並んで歩くカイトが尋ねる。
「いや、違う……、ん?どうかしたか、カイト」
カイトは足を止めることなくクロに声を出さないよう身振りで示し、ついて来てと道から外れて草むらに身を潜めた。
長く待つ必要はなかった。
弓を肩にかけた男が現れ、クロはやれやれとため息を落とした。
男が通り過ぎるのを待ってから、
「よお、ジブさん。オレたちに何か用かい?」
とクロは声をかけた。
ジブが振り返る。不意を突かれただろうに、驚いた様子は見せなかった。動作を止めることなく弓を肩から外し、矢を抜く。
「問答無用、と言うことかい?」
クロの隣ではカイトもすでに矢を手にしている。
もう止められないな、と思いながらクロは言葉を続けた。できるならクロは、無口なこの男を死なせたくはなかった。
「サッシャは知らないんだろ?」
ジブは答えない。
「だったらこのまま引き上げてくれねぇかな。アンタはさっきオレたちに気づかなかった。カイトが矢を射ればアンタは死んでた。つまりアンタは一度死んだも同じだ。
……いまのサッシャにはアンタが必要だぜ?」
やはりジブは答えない。
「オレたちはしゃべらねぇよ。アンタには信じられねぇかもしれねぇが、約束は守るよ」
弓矢を手にしたまま、やはりジブは答えない。
クロは何度目かの深いため息を落とした。
「仕方ねぇ。
カイト、後は頼むわ」
「うん」
クロはカイトから離れ、「わっ!」と声を上げた。ジブの放った矢が耳元を掠めていったからだ。一言も発することなく、ジブが矢を放ったのである。
ぐらりっとジブの身体が傾ぐ。
ジブの太い首を、カイトの放った矢が射抜いていた。
息絶えたジブを見下ろし、「本当に、サッシャにはアンタが必要だったんだよ……」とクロは呟いた。
「カイト、矢だけ回収しとけ。このおっさんはこのままにしとこう。その方がこのおっさんらしいからよ。
サッシャに葬られた方がこのおっさんも嬉しいだろうしな」
「うん」
「で、二人とも早すぎて、オレには何があったかさっぱり判らなかったんだが、何があったんだ、さっき」
「ジブさん、わたしとクロ、二人を一度に狙ったの」
「はぁ?」
「矢を一度に二本、撃ったのよ」
「それがオレの耳元を掠めていった矢か?」
「ううん。それはわたしを狙ってた方。矢で弾いて狙いを外したけど、あんたの方へ飛んでいってしまったの。ゴメン。あんたを狙った矢は、別のところへ飛んで行ったわ」
「えーと。それって、つまり」
クロが両手の指を折る。
「ジブのおっさんは二本矢を放って、お前は、その二本の矢を弾くためと、ジブのおっさんを殺るために三本の矢を放ったってことか?」
「うん」
クロが首を振る。そして視線を落とし、
「おっさん。あんたの弓の腕は大したものだったよ。でも、ちょっと相手が悪かった。あんたが相手にしてたのは、化け物だったよ」
と、クロは答えるはずのないジブに声をかけた。
カイトは矢を抜くためにジブの傍らに膝をついた。
ジブの瞳は開かれたままだ。もはや瞬きをすることはない。への字に結ばれた口は、生きていた時と同じように固く結ばれている。
自分の矢が、カイトとクロに届かなかったことは判っていただろう。
カイトの矢が自分の喉を貫くのも感じた筈だ。
けれどジブの顔には、驚きも悔恨もなかった。ジブは生きるように、生きるがままに死んだのである。
「どうかしたか?」
立ち上がったカイトにクロが訊く。
「ううん」
カイトが首を振る。
「ジブさんたち、元は森人かも知れないって前に言ってたよね」
「ああ。サッシャが言ってたな。それがどうかしたか?」
カイトは再び首を振った。
「もしかするとあれ、ホントのことだったのかなって思っただけ」
もう一度ちらりとジブの死顔を見て、「そうかもな」と、クロも頷いた。
「友だちなのに酷いことをするってオレが言ったのはサッシャのことじゃねえよ」
再び歩き始めて、クロはジブに中断された話の続きを話し始めた。
「じゃあ、誰のこと?」
「テオさ」
カイトが訝しげにクロを見返す。
「テオさんは殺されたんでしょう?自警団のお兄さんに」
「ああ。でも、テオがサッシャに殺されたって言うより、テオが無理矢理、サッシャに自分を殺させたって言った方がいいだろうな」
「どういうこと?」
「テオの目的は二つだ。
ひとつは北部トワ郡の人々の憎悪を郡支所長に向けさせること。形としては、不正を隠そうとした郡支所長がテオの口を封じたように見せかけて、北部トワ郡の大人たちをクスルクスル王国からの独立へと向かわせる契機にすることが目的だろう。
テオが死んだときに抱きしめていたっていう不正の証拠だが、ホンモノかな。
オレはちょっと怪しいと思うぜ」
カイトもクロと一緒にテオの死体を見た。クロの言う通り、争ったにしては妙に傷口がきれいだった。まるでここを刺せと、自分から犯人に胸を差し出したかのように。
「2回目にサッシャに会ったときによ、テオの臭いが残っているってオレが言ったの、覚えてるか?」
「うん」
「その臭いだけどな、サッシャの胸元に強く残ってたんだ。こう、テオがサッシャの胸元を掴んだみたいにな。
お前が言っただろう?サッシャのことをさ。やることは判っているのに、何か決断できずにいるみたいだってよ。
何をするべきかは、ホントは結論が出てた。
問題は大人たちが動かねぇことだ。どうにか動かしたい。それには憎悪を煽るのがいい。そのためにはどうするか。
誰かが犠牲になればいいんじゃないか……。
ホント、ケツの青いガキどもの考えそうなことだぜ。
で、誰が死ぬかってことになって、テオが手を上げた。オレはそう思ってる」
「どうして?」
「まず、サッシャを死なせる訳にはいかねえ。ヤツはリーダーだからな。それも北部トワ郡全体に組織を広げられるほどの。
それじゃあ、最初にサッシャに会ったときにアイツについてた二人は?
アイツらは騒動が起こった時に戦力になる。北部トワ郡のために、サッシャのために戦うことができる。
ジブのおっさんも同じだ。
じゃあ、テオは?
いざ独立ってなっていくさになったとして、テオはどんな役割を担うんだ?
アイツが先頭に立って戦えると思うか?」
カイトは書類を作るテオの手の動きを思い出した。淀みのない、いつまで見ていても飽きない、職人のように熟練された動きを。
けれど、もしいくさ場でテオと向かい合ったとしたら、なぜこんな人がここにいるんだろうと不思議に思うだろう。
こんな小柄で、弱そうな人がなぜこんなところに、と。
「戦えない、と思う」
「だからだよ。テオにとってはこれが一番、独立のために役立つ方法だったんだと思う。ヤツは独立のために戦って死にたかったんだ。
自分がいくさ場では戦えないからこそ、戦って死ぬことに憧れたんだ。
そして、サッシャを追い込んだ」
「……よく判らない」
「テオには北部トワ郡の大人たちの意識を独立に向かわせるのとは別に、もうひとつ目的があったんだと思う。
それがサッシャを追い込むことだ」
「……」
「テオはサッシャに自分を殺させることで、サッシャの逃げ場を失くしたんだ。
オレを殺したんだ。途中で投げ出したら許さない。迷っているヒマなんかお前にはない、とっとと前へ進めってな。
ヒデェ話さ。
とても友だちに背負わせる荷物じゃねぇよ」
怒ったようにクロが言う。
カイトの脳裏にテオの目が浮かぶ。何かを期待するような、不安のこもった目でカイトを縋るように見つめる目が。
『わたしを見るように、自警団のお兄さんも見てたのかな。テオさんは』
そして自分では背負うことのできない荷物を、友だちにそっくり預けて死んだのかな。
だとしたらそれは確かにクロの言う通り、友だちのすることじゃない、とカイトは思った。
……だけど、とカイトが胸のうちで呟いたところでクロが口を開いた。
「けど、オレはテオを責める気にもなれねえんだよ。
どうしてだろうな」
それは多分、とカイトは思い、テオの、まるで死の瀬戸際にいるかのように切迫した瞳を、書類と無心に向き合う姿を、再び思い浮かべた。