13-3(反乱の影3)
おいおい、そりゃあ、カザンジュニアのでっち上げ--。
危うくそう言いそうになるのをぐっとこらえて、クロは「そんな神託があるのか」と、とぼけた。
カイトが聞くのは初めてのはずで、上手い具合に、驚いたように食事の手を手を止めてくれていた。
「ご存知ないんですね」
「出所不明ってどういうことだ?」
サッシャが首を振る。
「そのままの意味です。いずれの神が下されたかも判らない。けれど、割と広く、北部トワ郡全体に広まっています」
クロは、あまり瞬きをしないカザンジュニアの大きな瞳を思い出した。『優秀な野郎だぜ……』と苦々しく思う。
ああヤダヤダ、関わりたくねぇなぁと心の中で愚痴りながら、クロはサッシャに話しかけた。
「『森から訪れし者が、南の国々に秩序をもたらす』、ねぇ。
あんちゃん、もしかして、その森から訪れし者ってコイツのことだと思ってんのか?」
「判りません。正直。でも、カイトさんが現れたことが何かの兆しではないかとは思っています」
「兆しって、何の」
サッシャが机の上でぐっと手を握る。
「クロさん。このままでは良くない。そう思いませんか?」
クロはため息をついた。コイツもか、と思う。コイツもジュニアと同じで、カイトに無責任な期待を寄せているのか、と。
「良くないって言うのは、キャナのことか?それともザカラのことか?」
「両方です。それと、このトワ郡自体も、です」
「やっぱりあんちゃん、あんた」
「ええ。トワ郡は、クスルクスル王国から独立するべきだと、オレは思っています」
クロが止めた言葉の先を、サッシャはためらうことなく口にした。
ざわざわと居酒屋の喧騒が止まることはなかった。サッシャの低く抑えた声は他の客には届かなかったのだろう。
『それとも』
あまり楽しくない別の可能性を、クロは疑った。
『コイツの考えはとっくの昔に知られていて、みんな聞こえないフリをしているだけか……?』
「今の王になってから税の負担がどんどん重くなっています。あなた方旅人にも通行税や滞在税が課せられているように、ここ数年で新税が幾つも増えている。
冗談みたいな話ですが、初夜税が課せられるという噂もある」
クロは声を上げて笑った。
「ホントかよ」
「なに?ショヤ税って?」
カイトが横から訊く。
「判らないのなら、お前は知らなくていいことかな。
今は言葉だけ覚えときな。
でもよ、冗談かもしれねぇけど、あのザカラならありそうだって思えるな」
「問題はそこです。噂が本当かどうかじゃない。突飛な話なのにザカラならありそうだって人々が信じてしまうことが問題なんです。
民の間に不満が相当溜まっている証拠です」
「そうだな」
サッシャがカイトに顔を向ける。
「カイトさんはご存知ないかと思いますが、オレたち北部トワ郡の民は、狂泉様の森から出てきた森人の末裔だって言われているんですよ」
「ホントに?」
肩の力を抜き、にこやかにサッシャが笑う。
「ええ。大災厄の後、この辺りは無人の地となってしまいました。そこへオレたちの祖先が狂泉様の森から移り住んだっていうんです。
あくまでも伝承レベルで、証拠は何もありませんけど。
ですからこのジブも弓の腕には相当自信があるんですよ。
狂泉様の民人にも負けないって」
カイトが食事の手を止める。カイトの気配がぐっと濃くなる。ジブは黙ったまま何も言わない。サッシャの言葉を否定もしない。
クロがヤベェなと思って「そりゃ、大したもんだ」と話を先に進めようとする。そこへ「挑戦ならいつでも受けるわ」とカイトが言った。すかさずジブが「子供に勝ってもな」と低い声を響かせる。
こりゃ黙って見てた方が面白そうだ、とクロが薄く笑ったところへ、
「ジブ。お前がカイトさんに敵う訳ないだろう」
とサッシャがジブを振り返って割り込んだ。
カイトが食事に戻る。そんなこと当然でしょ、とでも言うように。
ジブはジブで、若の仰ることでも、今の発言は到底受け入れられませんなと、への字に結んだ唇が無言のまま語ってた。
「止めるなよ、あんちゃん。いいとこで」
「すみません、オレが余計なことを言ったばかりに。
オレが言いたかったのは、北部トワ郡には北部トワ郡の歴史と文化があるってことです。クスルクスル王国の一地方ってだけじゃなく」
「そりゃそうだ」
「ここはオレたちが治めるべきだって思うんです。他人に任せるんじゃなく」
「わざわざそれをオレたちに言いに来るってことはよ」
クロが椅子に身体を預け、サッシャの顔を探るように見る。
「何か問題でもあるのか?」
「……」
「オレは余所者だからよく判らねぇけどよ、ここの、北部トワ郡の歴史からすると、若い連中はいきり立ってる。
けど、大人たちがついて来ねぇ。
そんなところかい?」
「はい」
「前にこの辺りをぶらついていた頃も、アリア姫様とペル様は人気があったからなぁ」
「特にペル様には、ザワ州に攻められた際に救って貰った恩義がある、と考えている大人たちが大多数です」
クロが視線を上げる。居酒屋の壁、一番目立つところに、イクの宿で見たのと同じペルの肖像画が掲げられている。
「オレも何度も聞いたぜ。馬に乗り、剣を高く掲げてクスルクスルの軍隊を率いて現れたペル様は、それこそ勝利の女神さまのようだったってよ」
「乗ってたのは飛竜じゃないの?」とカイト。
「ありゃ、芝居の話だ」とクロ。
「いまの状況をなんとかしなければとは思うものの、どうするべきか判らない。傲慢に聞こえるかも知れませんが、どうすればみんなを幸せにできるのか判らないんです」
「で、妙な神託の噂を聞いて、藁にもすがる思いでオレたちのところに話を聞きに来たって訳か」
サッシャが笑う。
「可能性がどこに転がっているか判らないですからね。どんな話でもとりあえずは足を運んで、少しでも多くの人の話を聞くというのがオレのやり方なんです」
「よく他人のためにそこまでやれるな、あんた。
感心するぜ。
けど悪いな。オレたちはその妙な神託のことはぜんぜん知らねぇよ。あんたの力にもなれねえ。
オレはただの賞金稼ぎだし、コイツはただの、ちょっとばっかり弓の腕がいいだけの、森人の小娘だ」
「……そうですね」
「ねえ」
不意にカイトが声を上げた。
「本当に何をすればいいか、判ってないの?」
と、彼女はサッシャに尋ねた。
「えっ?」
サッシャが首を回し、訝しげにカイトを見つめる。
カイトはそのサッシャを、青味を帯びた栗色の瞳で不思議そうに見返していた。
「それとも本当はもう判っていて、ただ決断ができていないだけ?
どっちなの?
自警団のお兄さん」
まるで身体中の汗がいきなり凍ったかのようだ。
カイトの問いを聞いたサッシャの臭いの動きを、クロはそう感じた。平静を装ってはいたが鼓動が早くなり、逆に呼吸は静まった。
「なぜあんなことを訊いたんだ、お前」
手間を取らせましたねと言ってサッシャがジブを伴って立ち去った後、クロはカイトに尋ねた。
「あんなことって、何?」
「サッシャにさ。ホントは決断ができてないだけじゃないかって、訊いただろう?」
「……なんと言えばいいかな」
カイトが考え込む。
「自警団のお兄さん、獲物の正面に立って、弓を構えてあとは撃つだけなのに、なぜか矢を放てないでいる、そんな風に見えたわ。
何か判らないけど迷ってる。
だから訊いたの」
「獲物のの前に立って、か」
クロの胸がざわめく。
「ねえ、クロ。あの人、狂泉様の信徒なのかな?」
「違うだろ。なんでそう思う?」
手にしたジョッキが空なのに気づいて、「おーい、酒を頼むわ、マララ酒を」とクロが店員に声をかける。
支払いはサッシャが多めに払って済ませている。
遠慮するつもりはクロにはない。
「あの人の祖先が狂泉様の森から出てきたって言ってたから。もしかしてそうなのかなって思ったんだけど」
「ああ。ありゃあただの伝承で、ホントかどうかも判らねぇ話さ」
運ばれてきた酒を呑み、「やっぱりウメェー」と、クロがしみじみと笑いを零す。
「クスルクスル王国のよ、国としての守護神が海神様なのはお前ももう知ってるよな」
「うん」
パロットの街でイクが教えてくれた。
クスルクスル王国の守護神は海神で、マララ領の守護神も海神。けれど王領府のあるパロットの街の守護神は海神ではなく、河神、龍翁だ。
国の守護神が必ずしもそのまま郡や街の守護神になる訳ではないということも、森を出てから知ったことだ。
狂泉の森の守護神は当然狂泉で、他の神を祀り、他の神に祈ることはあるものの、狂泉を守護神としない民は狂泉の森にはいない。土地もない。
だからひとつの国の中に様々な神の信徒がいることは、カイトにとってはちょっとした驚きだった。
「まだトワ郡が独立国だった頃にはトワ郡の守護神は龍翁様だったそうだ。多分、洲国の影響が強かったからだろうな。
クスルクスル王国にトワ郡が組み込まれるとトワ郡全体の守護神は海神様になった。けど、ここ、北部トワ郡は未だに龍翁様を守護神としている街が多いんだ。住民もな。だからあいつも多分、オレと同じ龍翁様の信徒じゃねえかと思うぜ」
「そうなんだ」
「これが中部と南部では事情がまた違っててな、南部トワ郡は、郡自体が海に面しているからかトワ郡が独立国だった頃から守護神は海神様だったそうだ。
中部トワ郡は龍翁様の信徒だったが、えーと、どれぐらい前って聞いたかな。確か30年ぐらい前に、海神様の信徒に改宗したハズだ」
「複雑だね」
「だからトワ郡の郡主はタイヘンなのさ。
マララ領は、塩ノ守が、つまりクスルクスル王国の役人が直接、民を支配している。
けどトワ郡は違う。
郡主と民の間に土豪がいる」
「ドゴウってなに?」
「元々この土地に根を張って生きてて、ここの民を支配している連中だ。サッシャみたいな連中さ。
土豪連中からすればクスルクスル王国は侵略者ってことになる。
どんないきさつがあったか、オレは詳しく知らねぇけど、クスルクスル王国は土豪連中の生活を保障した。クスルクスル王国の貴族として遇する約束をして、洲国から守るとも約束した。
だからクスルクスル王国の言うことを聞いて大人しく税金を払えってな。
もしいくさになれば、土豪連中は束になってもクスルクスル王国には敵わねぇ。だから膝を屈した。
だが、いまのクスルクスルは、土豪との約束をなかったことにしようとしている。ザカラの野郎は税金を課すことにだけ熱心だ」
「でも、どうしてクスルクスル王国はトワ郡を侵略したの?虚言王さんがアリア姫様を迎える時にキャナと交わした約束を守るため?」
「もっと現実的な話さ。クスルクスル王国は海運国だ。船を使った貿易で国が成り立ってる。クスルクスルが欲しかったのは今も海軍が支配している港街、これだけさ。嵐の際の避難所、貿易の拠点としてな。
けれど、港だけ守っていれば港を維持していけるってもんじゃねぇ。船に積み込む食い物だって要る。
クスルクスル王国は、港を維持するための後背地としてトワ郡を取り込んだのさ」
「コウハイチ……」
「いくさっていうのは消耗戦だ。例え勝っても兵士が死ぬ。国民が減る。国力が弱る。それを補うだけの実入りがなけりゃあ、いくさをする意味がない。
トワ郡を取り込む際に、クスルクスル王国とトワ郡の間でいくさがあったかどうかは知らねぇ。あんまり興味ねぇからな。どうやら小競り合い程度の戦いはあったようだが、クスルクスル王国が軍を進めてトワ郡を取り込んだのは、そういう理由さ。
だが、ヤツは違う」
「ヤツって?」
「モルドさ。知ってるか?」
聞き覚えがある。
イズイィが教えてくれた。
「キャナの、一ツ神の”水”……ううん、えーと、"常世への水先人”……だったっけ」
「そうだ。
カザンジュニアが言ってたぜ、ヤツのいくさには目的がない、美しくないってな。オレにもなぜ、ヤツがいくさを止めねぇのか判らねえ。
多分、サッシャにも判らないんだろうな。
判らないっていうのは怖いモンさ。サッシャはザカラだけを見ているんじゃねぇ。ザカラの向こうにクスルクスル王国の宮廷を、なぜかキャナが軍を止めると信じている王を、王の向こうにちらつくキャナの影を見ているんだ。
サッシャをはじめとするここの若い連中を追い詰めているのはザカラじゃねぇ。
--キャナさ」
「これからどうなるのかな」
クロが酒を口に運ぶ。
せっかくのマララ酒を苦く感じて、顔をしかめる。
「知らねぇよ。それこそ、神のみぞ知る、さ」




