13-1(反乱の影1)
死体に残った臭いを嗅ぎ、傷口を確かめ、建物から出て周囲に誰もいなくなった辺りで、クロは囁き声で「殺ったのはアイツだろうな」と、カイトに告げた。
マララ領からトワ郡へは、山道を選んだ。
「トワ郡は、大きく3つに分かれてる。
北部トワ郡、それと中部、南部だ。郡主の住む郡都は南部トワ郡にある。ただし南部トワ郡にある港町は海軍の管轄だ。海軍の管轄する街をひとつと数えれば、トワ郡は4つに分かれていることになるな」
クロはそう教えてくれた。
「詳しいね」
「洲国からクスルクスル王国に流れて来て、ずっとトワ郡をふらふらしてたからな。
この道は北部トワ郡で一番大きな街、ボード市に続いてる。フウって子が狂泉様の森から出てトワ郡に入ったんなら、何か手掛かりがあるだろうよ」
「簡単に見つかればいいけど」
「心配しなくても大丈夫さ」
クロの口調は軽い。
「どうして?」
「さっきから行き交うヤツラがみんな、オレたちのことをちらちら見てるの、気づいてるだろ?」
「うん」
「珍しいんだよ」
「何が?」
「まず、オレ。獣人。そして何より、お前。オレも初めてだからな。お前みてぇな森人らしい森人に会うのは。
みんなお前が珍しいんだ。
フウって子も相当、目立ったハズだ。
だから簡単に手掛かりが見つかるさ」
「だといいけど」
クロを疑う訳ではない。ただ、外はあまりに広い。というのがカイトの実感である。
「ここを抜ければトワ郡だ」
クロがそう言って指さしたのは、巨人が両手を合わせたかのような、急峻な崖に挟まれた狭い道である。
空は頭上に遠く、まるで細い糸だ。
崖を抜けると視界が開けた。
緑に覆われた山が幾つも連なっている。
少し行くと、谷間を選んで築かれた石造りの検問所があった。だが人はおらず、扉もない。廃墟だ。
かつてトワ郡が独立国だった頃の名残さ、とクロはカイトに教えた。
「トワ郡がクスルクスル王国に取り込まれて使われなくなった砦が、けっこうあっちこっちにあるんだ」
そうした砦に野盗が住み着くこともある、という。
検問所の廃墟から遠くないところに、縁台を並べた一軒の家があった。
「ちょっと休んで行こうぜ」
とクロに言われて、カイトは縁台に彼と並んで座った。
旅人にちょっとした軽食や飲み物を提供する店だと、カイトも既に知っている。
「おいしい」
出された湯呑に口をつけて、カイトは思わず呟いた。入っていたのはただのあたたかいお茶である。だが、渋味はあるがまろやかで、舌の奥には微かな甘みさえ残った。青葉を思わせる瑞々しい香りが心地いい。
「確かにこれはウメェな」
クロも同意する。
「狂泉様の森人に美味いって言って貰ったって聞いたら、婆っちゃんも喜びますよ」
店主だろう、前掛けをかけた若い男が、他の客が使い終わった湯呑を片付けながらにこやかに話しかけてきた。
「幾つぐらいなんだ、婆っちゃんって」と、お茶をすすりながらクロ。
「90は越えましたね」
「90かよ。すげえな、それは」
「でも、さすがに随分足腰が弱っちゃって。茶畑にも一人では行けなくなったんで、オレの子供たち、婆っちゃんからすればひ孫ですね、ひ孫たちに手を引かれながらなんとか通ってますよ」
ありがとうございました、と男の声に見送られて茶屋を後にし、しばらくしてから、「ねぇ、クロ。森の外では、人ってどんな風に死ぬの?」とカイトは尋ねた。
「唐突だな」
と言いながらクロは足を緩めない。
驚きも見せない。
「狂泉様の森では、自分で狩りができなくなったら、森に帰るわ」
ああ、とクロは思った。
「自分で、歩けるうちに、ってことか?」
「うん」
「それゃまたメンドウのないことだな」
と茶化すように言って、
「どんな風に死ぬかなんて、誰にも判らねぇさ」
とクロは言葉を続けた。
「90を越えたっていうさっきの婆さまにしたって、いつお迎えが来てもいいような歳だけどよ、どんな風に死ぬかなんて判らねぇさ。
茶畑に行く途中に崖から落ちて死ぬかも知れねぇ。オオカミに襲われて食われるかも知れねぇ。もしかすると、何か揉め事が起こって、さっきの男やひ孫に殺されっちまうかも知れねぇ。
朝起きて来ねぇでそのまま穏やかに逝くかも知れねぇし、ある日コトンと倒れて終わりかも知れねぇ。
いずれにしても、人がどんな風に死ぬかなんて神様が決めることさ。
お前らは、それを自分で決めるんだな」
「そうなる……かな」
「神様の仕事を奪うなんて、ゴウマンだねぇ。
いや、神様の手間を省くんだから、信仰心が篤いと言った方がいいのか?
どっちにしろ、オレには理解できねぇな」
「クロは?」
「ん?」
「クロはどんな風に死にたいの?」
「オレは一生、死にたくねえよ」
クロは軽く肩を竦めて、そう答えた。
「狂泉様の森の気配がする」
山道を後にして、しばらく平地を歩き、深い雑木林に挟まれた道で、ふとカイトは呟いた。
顔を北に向けている。
「よく判るな、お前。確かにここらはパロットの街よりも狂泉様の森に近いぜ。狂泉様の森が南に大きく張り出しているからな。
けど近いと言っても、そうだな、20キロぐらいは離れているハズなんだがな」
「そうなんだ」
「狂泉様の森が恋しくなったか?」
からかうように言ったクロに、カイトは首を振った。
「そうでもない。みんな親切にしてくれるし。
あんたもいるから」
「そりゃよかった」
と笑ってクロは言葉を続けた。
「ここを抜けてもう少し行くと、ルスって街がある。今日はそこで泊まることにしようぜ」
「うん」
「マララ領に移ってからこっちに来るのは初めてだ。4、5年振りってことになるが、さて、どう変わっているかねえ」
ふとカイトが足を止めた。
肩から弓を外し、矢を番えて周囲を見回す。
クロも同時に足を止めて、くんくんと臭いを嗅ぎ、まず左手側、続いて右手側の木々の奥へと視線を向けた。
「見られてたな、今」
「うん」
「どっちかな」
「どっちって?」
クロが軽く道の前方へと顎をしゃくる。
「先に進もうぜ。その方が早そうだ」
二人が歩いて行った先にいたのは、3人の若い男である。遠くからは、農夫のように見えた。
「やっぱり自警団の連中か」
「ジケイダン?」
「自分たちの土地は自分たちで守ろうとしているトワ郡の住民さ。
おっと。お前はあまりしゃべるなよ。話がややこしくなるかもしれねぇからな」
「判った」
「こんにちは」
カイトとクロが声の届くところまで近づくと、三人のうちのひとりがにこやかな笑みを浮かべて声をかけてきた。
品のある優しい顔立ちをした男だった。軽くウェーブがかかった金髪が印象的だ。農夫にしては良く鍛えられた、均整のとれた体つきをしている。
腰に長剣を下げていない。
むしろそれを不思議と思わせる体つきだった。
歳は20代前半といったところだろう。
「なんだい、あんちゃん」
ぞんざいな口調でクロが応じる。
若い男の背後で、手にした長い棒を地面に突き立てた男の一人の眉がびくりと動く。けれど男は黙したまま、彫像のように直立して動かなかった。
「わざわざ足を止めていただいて申し訳ない。オレたちはこの近くの村の者なんだけど、最近トワ郡は治安が良くなくてね。
何か身分を証明する物を持ってたら見せて貰いたいんだけど、いいかな」
「ああ、いいぜ。でもよ、予め言っとくよ。これを見たら余計に聞きたいことが増えると思うぜ」
クロが懐から封書を取り出し、若い男に渡す。
「マララ王領司の見聞官の証し--」
渡された封書から紙片を取り出し、若い男は軽い驚きを含んで呟いた。
「知ってたか。学がありそうだもんな、あんた」
「なるほど。聞きたいことが増えましたよ」
「だろ?」
「今日はどちらに泊まられます?」
「ルスの街まで行こうと思ってる」
「そうですか」
若い男がにこやかに笑って見聞官の証しをクロに差し出す。
「了解しました。なんでも見ていってください。いろいろ見ていただいた方がいいものもありますし。
少しだけ、ご一緒しても?」
「いいけどよ、なぜだい、あんちゃん」
「この先に野盗がいるからですよ」
野盗と若い男が言ったのは、すぐ先にあった検問所だった。ただし検問所とは言っても道の両側に馬車を据えただけの簡単なものだ。
そこから出てきたのは目つきの悪い4、5人の男たちである。
しかし、カイトたちに同行した若い男が「やあ」と手を上げると、彼らはすぐに相好を崩した。
「よお、アンタか」
「君らだけかい?」
若い男が訊く。平静を装ってはいたが、声に警戒の響きがあった。
「ああ、大丈夫だ。あほうどもは誰もいねぇよ」
「それは良かった。クロさん、申し訳ないですが、彼らに少しばかり、カネを払ってやって貰えませんか?」
クロを振り返り、にこやかな笑顔を浮かべたまま、若い男はそう言った。
クロが若い男を嘲笑するように口元を歪める。
「あんたも野盗の一味だったのかよ」
クロの嫌味に若い男は苦笑で応じた。
「一味ではないんですけどね。数年前から通行税を徴収するよう、郡都から通達があったんですよ。彼らは--」
と、検問所から出て来た男たちを、若い男が肩越しに示す。
「郡支所に勤めている地元の者でしてね。通行税を頂かないと、彼らは彼らでいささか困ったことになってしまうんです。
でも、まだ郡都から派遣されたあほうどもがいなくて良かった。
あいつらは郡主の言うことに忠実だし、もっと悪いことに通行税を多めに取って懐に入れていますからね。
もしあいつらがいたらひと悶着あるところでした」
「運が良かったとは思いたくねぇが、いくら払えばいいんだ?」
検問所から出て来た男が告げた金額に「高ぇな」と文句を言いながら、クロが通行税を払うと、代わりに紙片を2枚渡された。
「通行税を払ったって証明書です。検問所はあっちこっちにあるんで、それを見せれば通してもらえます。
失くすともう一度、通行税を取られるので気をつけて下さい」
「なぜオレらにこんなに良くしてくれるんだい、あんちゃん」
証明書を懐に仕舞いながらクロが訊く。
「これからもマララ領とは仲良くやっていきたいからですよ。
それでは良い旅を。クロさん、森人のお嬢さん」
「……これからもマララ領とは仲良くやっていきたいから、か」
検問所が背後に遠くなってから、クロは若い男の言葉を確認するように呟いた。
「どうかした?クロ」
「いや。大したことじゃねぇよ。ま、トワ郡がどういう状況かっていうのは、さっきのでよく判っただろう?カイト」
「えっ、えーと」
「王は国の中で唯一、人を殺すことが出来るヤツだって、お前、言ったよな」
「うん」
「それって、民に指示し、命令できるのは王だけだって意味でもある。王に任された者だけが民に命令できるってことだ。
トワ郡なら郡主のザカラってことになる。
けど、さっきの若いあんちゃんは王の命令で自警団なんてものをやってるんじゃねぇ。むしろ逆だ。王の命令から外れて治安維持のためにやってるんだ。
王に逆らっている、と言ってもいいだろう。
もし、郡都から派遣されたあほうどもがいたらひと悶着あるところでしたって言ってたけどよ、あれ多分、もし郡都から派遣された連中がいたら、そいつらに逆らってでも適正な、って言うのも癪だが、通行税しかオレたちが払わなくて済むよう、役人と一戦交えるつもりだったんじゃねぇかな」
「そうなんだ」
「何者だろうな」
「さっきの人?」
「ああ。恰好は農夫らしくしてたが、ヤツからはちっとも土の臭いがしなかった。少なくとも農夫じゃねぇことは確かだ」
「もうひとりいたね」
「なに?」
「ずっとわたしたちと一緒に歩いてた。林の中を。かなり気配を消すのが上手い人だったわ。
多分、弓を持ってたんじゃないかな」
「おいおい」
クロが改めてカイトを見直すと、カイトは矢こそ番えてはいないものの、弓は手にしたままだった。
つまり彼女は、ずっと臨戦態勢だったということだ。
クロは大げさなほど身体をぶるりっと震わせて見せた。
「ああ、やだやだ。早くフウって子を見つけて、こんな物騒なところさっさとオサラバしようぜ。
背中がぞわぞわするぜ。
なんだか今にも、大きな反乱が起こりそうでよ」




