12-8(橋の街にて8(アリア姫))
「カザンジュニアが王のことをバカ呼ばわりした理由だけどな、オレがトワ郡に行きたくないのと同じ理由なんだ」
「どういうこと?」
湯呑のお茶をすすりながらカイトが訊く。
「アレ、誰だか知ってるか、カイト」
酔いに少し舌を縺れさせながら、クロは食堂の壁を指さした。天井に近い高さに2枚の肖像画が飾られている。
クロが指さしているのは向かって左の肖像だ。
描かれているのは若い女性の横顔だった。顎を上げ、視線はどこか遠くへ投げかけられている。
鼻が高く、気品がある。長い金色の髪が印象的だ。
「ううん。知らない」
「クスルクスル王国を旅するなら知っておくべきだな。
あれはアリア姫様。二代目の王、堅実王の王妃様だ。つまり三代様の母上ってことだ。亡くなられてズイブンになるハズだが、クスルクスル王国ではいまだに慕っている国民は多いんだ。
イクの親父もそうさ。あの親父に話を振ってみな。アリア姫様のことを教えて欲しいって。
朝まで寝かしてくれなくなるぜ」
「ふーん」
「さて、ここで問題だ。
二代目の嫁、ということはまだクスルクスル王国が建国した頃、クスルクスル王国なんて、狂泉様の森の南の国々の中では吹けば飛ぶようなちっぽけな国だった頃ってことになる。宮廷と気取ってはみても、あばら家のような、海賊のアジトとたいして変わらねぇ頃のことだ。
アリア姫様はそんなところに嫁いできた訳だが、いったいどこから嫁いできたと思う?」
「えっ?えーと」
狂泉の森のことしか知らないカイトに判るはずがない。クロも判っている。すぐに答えを告げた。
「キャナさ」
「えっ?」
「アリア姫様はな、キャナの王族の出なんだ」
「キャナ?」
カイトには意外な話だった。クスルクスル王国はキャナと敵対しているんじゃないかと漠然と思っていたからである。
「おお。それも王族の端っこの端っこの、なんとか王家に繋がっています、なんて人じゃねぇ。当時の王の2番目の姫だ。
その人が、クスルクスル王国に嫁いできたんだ。
もちろんオレは当時のことなんか知らねぇが、大騒ぎだったらしいぜ。狂泉様の森の南の国々では」
「それって、大騒ぎするようなことなの?」
「王族の結婚っていうのは政治的な側面が強いからな。
当時のキャナとクスルクスル王国じゃあ、国の規模が違いすぎる。クスルクスル側からすればキャナの姫を貰えるとなったら国に箔が着いて大儲けだが、キャナには何の得にもならねぇ。
それを実現させちまったんだから、アリア姫様を嫁に迎えたのは虚言王の最大の功績と言ってもいいかも知れねぇ。
王族同士の結婚となればいろいろメンドウな手続きがあるんだろうが、虚言王はたった一人でキャナの王宮に乗り込んで、『王家の姫を息子の嫁にいただきたい』と申し込んだらしい。
その時、虚言王が理由に上げたのが洲国だ」
「どういうこと?」
「洲国は郡州同士が互いに争うだけじゃなくて、龍翁様を国の守護神としているからか、たまに、まるで河が氾濫したかのように他国にまで攻め込むことがあるんだ。
キャナも洲国にはずっと悩まされてて、そのことを知ってた虚言王は、
『いずれ我が国はキャナ王国に負けない大国となります。そして大国となった暁には、キャナ王国のために東側から洲国を牽制いたしましょう。
その約束の証しとして、王女をひとり、息子の嫁として頂戴したい』
と言ったそうだ。
ホント、大した度胸だよ。
当時のクスルクスル王国はまだ、東も東、東の端のごくごく一部しか押さえてなくて、洲国とはちっとも国境を接していなかった。
ハッタリにもほどがあるってモンさ。
けど当時のキャナの王も大したもんで、虚言王を気に入って姫をひとり、送り出した。
それが当時の王の2番目の姫。アリア姫様。
ホンモノの王女さまって訳だ。
アリア姫様もアリア姫様で、海賊のアジトのような王宮に嫁いで来てしょげ返るかと思ったら、
『大国に相応しい王宮にわたくしが変えて見せます』
ってんで、王宮での礼儀作法から何から群臣以下、徹底的に仕込んだらしい。
いや、群臣以下じゃねぇな。
舅の虚言王と夫である堅実王にも、アリア姫様は容赦しなかったそうだから。
クスルクスル王国が国としての体裁を整えたのは、アリア姫様の功績が大きいって言われてるぜ。
このアリア姫様と堅実王の間に生まれたのが三代様。
つまり、三代様以降のクスルクスルの王には、キャナ王家の血が流れてるって訳だ。
虚言王がキャナのために東側から洲国を牽制する、って言ったのはハッタリだったかも知れねぇ。
けど、三代様はそれをホントのことにしたんだ。当時はまだ独立国だったトワ郡をクスルクスル王国に取り込んでな」
「トワ郡も国だったの?」
「洲国の一部だったこともあるらしいな。でも、クスルクスル王国に取り込まれた頃はそうだったらしいぜ」
「そうなんだ」
「つまりだ、何が言いてえかっていうと、クスルクスル王国とキャナはずっと友好関係にあったってことだ。
虚言王の頃、クスルクスル王国建国当初から、ずっと」
クロが言葉を切る。
「……キャナが、狂泉様の森に攻め込むまでは、な」
「キャナが狂泉様の森に攻め込んだ当時のクスルクスルの王は、三代様だ。
三代様は最初、キャナを支持してた。
キャナが実質的に一ツ神の支配する国になっても。
そりゃそうだ。元々攻め込んだのは百神国と洲国の方で、むしろ母の国の危機ってんで、三代様は財政的にも軍事的にも積極的にキャナを支援されてた。
けど、キャナが狂泉様の森に攻め込んだことで、180度方針を転換された。
狂泉様の森に攻め込んだキャナを、いや、一ツ神の信徒どもを、ヤツラは『全ての神々の背信者だ』って批判してな」
「全ての神々の背信者……」
クロの言葉を噛みしめるように、カイトが繰り返す。
「知ってるか、カイト。
一ツ神の連中が、龍翁様や海神様、狂泉様を偽物の神様だって主張していることを。一ツ神だけがホントの神だってよ」
「うん。聞いたことある」
「バカなこと言うなって思わなかったか?」
「思ったわ。狂泉様は偽物なんかじゃないって」
「オレもそうさ。
龍翁様や海神様を偽物の神だなんて、そんなことホントに信じてるのかよ。冗談じゃねぇのかよ、ってずっと思ってた。
多分、三代様もオレらと同じだったんだろうと思う。
けど、狂泉様の森に攻め込んだことで、ヤツラはホントにそう信じているんだと宣言したも同じだった。
それで三代様はキャナを支援するのを止めた。
三代様はそれからすぐに亡くなられたが、三代様の跡を継いだ薫風王も三代様の方針を引き継いで、今度は洲国の方を積極的に支援し始めた。
それを変えたのが、今の王」
「えーと。エイマイ王、だっけ」
「そう。だが気をつけな。下手に今の王のことを英邁王って呼んだら誰かに殴られるかも知れねぇ。
特にトワ郡では。
今の王を英邁王って呼ぶのは、英邁王に取り入ろうとする連中だけさ」
「トリイロウとするってなに?」
「自分がいい目を見るために権力者に媚を売ることさ」
「ふーん」
媚を売るというのがどういうことかよく判らず、曖昧にカイトが頷く。
「兄の跡を継いで王になって、まず自分の諡号を決めた英邁王が次にやったのが、キャナとの関係を見直すことだったんだ。
誰に吹き込まれたかは判らねぇ。でも、誰かが吹き込んだんだろうな、英邁王に。キャナはクスルクスル王国に攻め込むつもりはありません、洲国を屈服させれば軍を止めますって。
オレらにはとても信じられねぇ話だ。
けど、英邁なる王は何故かそれを信じた。
そして、洲国に対する支援を止めた。
洲国に対する支援を止めただけじゃねぇ。いまクスルクスル王国は、キャナと国交を回復して、友好国になっているんだ」
「ジュニアが王のことをバカ呼ばわりしたのは、王がキャナと国交を回復し、友好関係を築き直すと王宮で宣言した時だ。
群臣が静まり返る中、ジュニアがひとり発言を求めて、
『王は本当にキャナが軍を止めると信じられているのですか?』
と訊いて、すぐに続けて、
『失礼ですが、あなたはバカなのですか?』
と言ったそうだ。
しばらくは酒場で流行ったもんさ。何かおかしなことを言うヤツがいたら『失礼ですが、あなたはバカなのですか?』って返すのが。
で、みんなでケタケタ笑うんだ。あれはみんなで王を笑ってたんだ」
「……」
カイトにはよく判らない。
王を笑う。一族の”水”を笑うようなものか、と思う。彼女の一族の”水”である婆さまやオルガ一族の”水”であるルゥを。
カイトにとっては、あり得ないことだ。
「トワ郡は揉めてるんだ、酷く」
「聞いたことある」
トロワが同じことを言っていた筈だ。確か……と、カイトは記憶を探った。
「郡主、だったかな。その人がロクな人じゃないって」
「狂泉様の森にまで噂が届いているとはねぇ。それはそれで大したもんだ。ザカラの野郎も」
「ザカラ?」
「ああ。5年前に今の王になって王都から新たにトワ郡に派遣された郡主の名だ」
「どんな人なの?その人」
「現王のことを英邁王さまと呼ぶ男さ」
「エイマイ王にトリイロウとしている人ってこと?」
クロが嗤う。
「ま、そういうことだ。
キャナと国交を回復することにトワ郡の前の郡主は反対した。そりゃそうだ。洲国がキャナに下れば次はトワ郡だ。民が犠牲になる。前の郡主は王都まで乗り込んで滔々と反対意見を王に述べた。
で、王はしびれを切らして郡主を変えた。
自分の言うことを聞く男に。
それがザカラ。
王都だけを見て、民を見ない男だ。
さっきも言ったが、元々トワ郡は独立国だった。
三代様が王になられて、トワ郡の手前、ここ、マララ王領まで含めた12郡をクスルクスル王国に取り込むのにかかった時間は10年。けどトワ郡1郡を取り込むのに、それからさらに10年かかってる。
歴代の郡主はそうした事情をきちんと把握して上手くやってたが、ザカラはそんなことまったく考えねぇ。
トワ郡の民の意向なんか無視だ。
トワ郡の連中は精悍な連中が多い。国が守ってくれねぇなら自分たちの土地は自分たちで守るって、あんまり中央の言うことを聞かなくなった。
すると治安が緩んで、タチの良くない連中が集まるようになった。
オレがトワ郡に行きたくないのは、そういう理由さ」
「ねぇ、クロ。もし間違っていたら教えて欲しいんだけど」
「何をだ?」
「わたし、森の外には身分ってものがあるって聞いたことがあるの。まだ森にいた頃に。でも、身分ってなんなのかずっと判らなかった。だけど、クロの話を聞いて少し判った気がする」
クロが湯呑を持ち上げる。
「言ってみな」
「エイマイ王は、ただ、アリア姫様や三代様の血を引いているから王になれたってことだよね。
能力があるから、じゃなくて」
ハルはオルガ一族の”水”になりたいと望んでいた。
オルガ一族の”水”である母のルゥに憧れて。
けれど、ハルがルゥの娘だからといって一族の”水”になれるわけではない。
ハルも判っている。
だから努力を続けている。
しかし、森の外は違うということだ。
「つまりそれが、身分ってことだよね」
「判ってもらえて何よりだ」
と、クロは薄く笑って、湯呑を口に運んだ。