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1-2(狂泉の森の少女2)

 二人で狼を解体した。予想外の獲物ではあったが、そのまま一切れも食べずに捨てるという選択肢は彼女らにはなかった。放血し、内臓を取り、皮を剥ぐ。二人とも解体作業は慣れたもので、手順にまったく無駄がない。まるで何度も二人で解体作業をしてきたかのようにお互いがして欲しいことを相手がしてくれて、それをハルもカイトも驚きながら心地よく感じていた。

「ねぇ。あんたの名前、いい名前だけど、ちょっと変わってるよね。まるで男の子みたい。何か由来があるの?」

「ないよ」

 解体作業を続けながらカイトが答える。

「母さまの父さま、つまり、わたしの爺さまが、生まれるのは男に違いないって決めて、他に名前を考えていなかったって」

「それだけ?」

「うん」

 狼のあばらを処理しながらハルは首を振った。

「ひどい爺さまね」

 カイトが顔を上げる。あまり表情を変えない彼女にしては珍しいことに、口元に笑みが浮かんでいた。

「そうでもないよ。けっこう気に入ってるもの、わたし」

「ほんと?」

「うん」

 それだけでは足りないと思ったのか、カイトが言葉を続ける。

「父さまはいい名前だって言ってくれるし」

「ふーん」

 と、ハルが目を細めてカイトを見る。

「さてはあんた、父さまが好きで好きで、しょうがないのね?」

 カイトが黙る。彼女の頬に、僅かに赤みが差した。

「いいんじゃない?あたしも父さまは大好きだし。あたしの友達はみんな、もう子供じゃないんだよ、とか言ってるけど。

 ま、あたしは父さまより母さまの方が好きだけどね」

 解体作業の手を止めることなく、何でもないことのようにハルが言う。カイトは驚きの表情を浮かべてハルを見た。同世代の相手にそんな風に言われたのは初めてだった。一族の大人たちは彼女を高く評価していたが、やっかみもあるのだろう、不愛想な彼女自身にも問題はあるのだろう、一族の同世代の中ではカイトは浮いた存在だった。

 何か暖かいものが全身に広がっていくのを感じながら、「うん」と頷いて、カイトは解体作業に戻った。


 獲物を得られたことを狂泉に感謝し、二人で食事にかかる。

「あんたの父さまと母さまってどんなひとなの?」

「どんなって?」

「ああ、聞き方が悪かったかな。あたしの父さまはね、とても賑やかなヒトで、父さまがいるとすごく場が明るくなるの。反対に母さまはとても落ち着いてるわ、娘のあたしでも笑い声を聞いたことがないぐらいね。

 あたしの母さまはね、オルガ一族の”水”なの」

 ハルの言葉に、少し得意げな響きが混じる。

「あたし、母さまのようになりたいの。なれる、とも思ってる。狩りの腕にも自信があった。だからこんな森の奥まで入ったんだけど、どうも自信過剰だったみたいね。

 あんたを見てるとそう思うわ。

 だから、あんたを育てたご両親ってどんなひとなのかなって思ったんだけど」

「うちは母さまの方が賑やかよ。賑やか過ぎるぐらい」

 ハルの説明に納得して、カイトは話し始めた。

「それに、ちょっと変かな」

「どんな風に?」

「母さまはね、気配を消すのがとても上手いの。母さまが本気で隠れると家の中でも見つけれらなくなっちゃうぐらい。でね、あたしと父さまが一緒に出掛けて帰ると、必ず隠れてるの、母さま」

「お家の中で?」

「うん」

「……それは、確かに変わった人ね」

「でしょ。それを父さまと二人で探すの。わたしは途中であきらめちゃうけど、父さまは最後まで律儀に探してる」

「あんたを放っといて?」

「うん」

 ハルがくっくっくっと笑う。

「娘としてはいい加減にして、ってとこね」

 カイトも笑った。

「ホント、やってられないって感じ。

 でもね、ハルはさっき、あんたの母さまのようになりたいって言ったけど、わたしは父さまのような猟師になりたいの。ちょっと気取り屋なところがあるけど、森に関する知識も豊富で、どんなときでも落ち着いていて、勇気のある猟師にね」

「カイトはもう立派な猟師だと思うけどな。

 あんたの気配、あんたに声をかけられるまで全然気づかなかったし、あんなに正確に3本も同時に矢を射れる人なんて、うちの一族にもいないもの」

 カイトが首を振る。

「父さまの知識にはいつまで経ってもとても追いつけないし、気配を消すのなら、さっきも言ったけど母さまには全然敵わない。

 それにね、わたしの矢は空には届かない」

「どういう意味?」

 カイトが少し言い淀む。

「……父さまに訊かれたことがあるの。カイトは自分がクル一族で一番弓が上手いと思うかいって。

 確かにね、わたし、弓矢に関しては一族の誰にも負けないと思う」

 カイトの言葉に自信が覗く。

「だから、うんって答えようとしたんだけど、なぜかそう答えてたの。ううん、まだわたしの矢は空には届かないものって。

 自分の答えに自分でびっくりした」

「それ、あんたが何歳ぐらいの時の話なの」

「10歳かな」

「10歳の子供の言うセリフじゃないね、それ」

 呆れたように言ったハルに、カイトも低く笑った。

「そうだね。生意気な子だと、わたしも思うよ」


 食べられる分だけ食べて、火を消し、残った肉や骨は森に撒いた。オルガの集落へ向けて歩き出して、しばらくしてからカイトは前を歩くハルに尋ねた。

「オルガの一族は、みんなそうなの?」

「なにが?」

 道を切り開きながら、ハルは後ろに続くカイトに応じた。

「わたしの一族で、そんなに髪を伸ばしている人を見たことがない。だから、オルガの一族の人はみんなそうなのかと思ったんだけど」

 ハルは藍色の長い髪を彼女独自の縛り方でひとつに編んで背中に落としていた。彼女の自慢の髪である。そして、狩りの邪魔になるという理由で、母親からは何度も切る様に言われている髪でもあった。

「違うわ」

 少しもムカつかない自分に驚きながら、ハルは答えた。切るように言われる度に、母さまとはケンカばかりしてたのに、と、そのことがハルはおかしかった。

「あたしの趣味。でも、集落に帰ったら切ろうかな。やっぱり狩りに出るには邪魔になるし、あんたみたいに短くしようかな」

「綺麗な髪なのに、もったいない」

 あははははと、声を上げてハルが笑う。

「カイトに綺麗な髪って言われたら、ドキドキしちゃうよ。あんたは女なのにね。

 でも、南に行けば髪を伸ばした女なんていっぱいいるわよ。酔林国にね」

 狂泉の森は、東西におよそ3千キロに渡って続いている。東西方向に比べて南北は最も厚いところで数百キロ程度の広がりしかない。東西方向に細長く伸びていると言って間違いなかったが、狂泉の森は少しだけ東側が北に上がり、西側が南に下がっていた。それ故か狂泉の森の民人は、なぜか東側を北と呼び、西側を南と呼び慣わしていた。

 東側に住む民は北の民であり、西側に住む民は南の民である。

 南に行けばとハルは言ったが、狂泉の森人であるカイトは、酔林国が狂泉の森の西にあるのだと当然に理解していた。

「スイリンコク?」

「知らない?狂泉様の森の中の唯一の国よ」

「クニ?クニってなに?」

「集落よりもっと大きい集落よ。人口は、えーと5万人、だったかな」

「凄い」

 さして驚いた様子もなくカイトが言う。

「ホントに凄いって思ってる?自分で言っておいてあれだけど、あたしなんか未だに信じられないよ、5万人なんてさ」

「思ってるよ。ハルは行ったことあるの?その、スイリンコクに」

「ないわ。だって、狂泉様の森の南の端にあるんだもの」

「そう」

 短くカイトが応じる。酔林国への興味がカイトの胸の奥深くに湧き、彼女の瞳が明るく輝いたことに、前を行くハルは気づかなかった。

「どんなところなの、そこ」

「うーん、あたしも話に聞いただけだからよく知らないけど、職人が多いらしいよ。猟師もいるらしいけど、数は少ないって。もっとも本業じゃないってだけで、みんな狩りはするみたいだけど。

 あたしの」

 と、ハルはベルトに差した山刀を示した。

「これも酔林国で打ち上げたものなの。革ノ月のためにって、父さまが誂えてくれたのよ。

 でも、カイトのもそうじゃないの?革ノ月に出る際に誂える山刀は、ほとんど酔林国で打ち上げたものだって、父さまが言ってたわ」

「そうなの?」

 カイトは自分の山刀に目をやった。それもまた、革ノ月のために父が新しく用意してくれたものである。

「知らなかった」

「ま、酔林国で一番の産業は酒造りらしいけど。だって、国の名前が酔林国だよ。人を木に例えて、酔った人々の国って意味なんだって。

 他にいい名前はなかったのかって思うよ。ま、狂泉様の国らしいと言えば、らしいけどね」

「酒……」

 カイトの一族はあまり酒を呑まない。それは、狂泉の信徒としては珍しいことだった。なぜなら、狩猟と復讐の神である狂泉は、同時に酒神でもあったからだ。

「父さまは水がいいんだろうって言ってたわ。あたしはよく判らないけど、酔林国の酒は他のどこの酒よりも旨いって。

 森の外にある国からもよく買いに来るらしいわよ」

 カイトはピンと来ていない。

「ふーん」

 と、そのことについてはカイトはあまり興味が湧かなかった。


 翌早朝、火を消し、身支度を整えて「ありがとう、カイト。もうここらは集落まで遠くないから、あたしはこの辺りで過ごすことにするわ」と、ハルはカイトに告げた。

 同じように身支度を整えたカイトが頷く。

「うん。判った」

「それでね、サヨナラする前にあんたにお願いがあるんだけど、いいかな」

「なに?」

「あたしと山刀を交換してくれないかな」

 驚いてカイトがハルを見返す。

「いいの?だってハル、その山刀、父さまが……」

「うん。あんたがいやじゃなければ」

「いやじゃないよ。でも、そんなこと言われたの初めてだから……」

 戸惑うカイトに、何故だかハルは顎を上げて笑った。持ち物を交換することは狂泉の森ではよく行われることだった。お互いの友情の証しとして。

「あたしも初めてよ、こんなこと言うの」

 どこか尊大な態度のハルにカイトは笑い、自分の山刀を腰から抜いた。

「ありがとう。大事にする」

 山刀を受け取ったハルが言う。

「わたしも。楽しかったよ、ハル」

「あたしもよ。カイト」

 軽く手を上げてカイトが森の中へと歩み去って行く。やがてハルもまた、交換したカイトの山刀を腰に差して森の木々の間へと紛れていった。

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