12-6(橋の街にて6(カザンジュニア2))
ガタンッと大きな音が食堂に響いた。カイトが立ち上がったのである。男から視線を逸らし、弓矢を拾い上げて肩にかけ、大きな足取りで食堂を後にする。
歩き去っていくカイトの足音が響く。
普段の彼女ならけっして立てない、ひどく乱れた、大きな足音が。
テーブルの上にはイクが用意してくれた夕食が残ったままだ。
「カイトッ!」
厨房に戻ろうとしていたイクが若い男を睨みつけ、迷うことなくカイトの後を追う。クロは座ったままイクの背中を見送って、酒を喉に流し込んだ。
「……怒らせちゃったかな」
カザンと名乗った若い男が呟く。
「もしアイツを怒らせたんなら、あんたは今頃死んでるよ」と言ったクロの言葉の、ここまでにウソはない。「あんたは怒らせたんじゃなくて、アイツを泣かせたんだ」
こちらはカザンの為人を探るためのウソである。
実際には、カイトが残していった臭いには悲しみより戸惑いの方が多い。
思いもよらない質問に混乱し、どうしていいか判らなくなって、狂泉の森人らしく、安全を確保するためにとりあえず姿を隠した、と言った方が正しいだろう。
「それはもっとまずかったですね」
クロが鼻を鳴らす。
カザンの示した臭いは、--残念なことに--、悪くはなかった。
「ところで、あんたこそ、”あの”、ジュニアか?」
「なるほど」
カザンが笑う。
「あの、なんて言われるのはあまり気分のいいものじゃないですね」
「やっぱりそうなんだな。王領司さんがオレたちを見聞官なんてものにしたのも、あんたの入れ知恵かい?」
「ええ」
カザンが頷く。
「助言はしました」
「じゃあ、あんたなら答えられる訳だ。
オレたちを見聞官にした狙いは何だ?オレたちに、いや、アイツに何をさせようとしている?」
「別に何も。ボクはただ、不確定要素を増やしたかっただけです」
「ああ?」
「クロさん、キャナって、いや、モルドってどう思います?」
モルド。
名前だけはクロも知っている。一ツ神の狂信者どもの頭で、いまのところ実質的にキャナを支配している男だ。
だが正直、興味はあまりなかった。
「どう思うかと訊かれてもな。名前しか知らねぇしな」
「彼は天才ですね」
「何が」
「政治家としても傑出していますが、何よりひとりの軍人としてです。
彼の戦術は素晴らしい。
いくさに勝つための基本は、多数で少数に当たることです。例外はもちろんありますが、ほとんどの場合は兵の数が多い方が勝つ。
彼はそのことをよく判っている。
判っているから、味方の兵が少ない場合でも、局面局面では必ず兵の数が多くなるよう図っている」
カザンがクロの知らない地名を口にする。おそらく百神国・ゴダの地名だ。
「--での戦いなんてその最たるものです。
敵の主力を懐深くおびき寄せ、敵軍が大きくふたつに別れたところを機動を生かして各個撃破している。
伏兵も巧みだ。--湖畔の戦いなんて芸術です。--湖沿いに敵軍が伸びきっているところを前後から挟み撃ちにして、丘陵側から一気に襲って壊滅させている。
兵站の必要性と、維持することの難しさも知っている。
彼は軍の構成を大きく三つに分けているんです。
実際に戦う部隊。兵站を担う部隊。情報を担う部隊。どの部隊も素晴らしいが、情報を担う部隊が特に素晴らしい。機動を生かして、と簡単に言いますが、そのためには情報が必要です。
敵の規模、進行方向、戦場となる場所。気象に関する情報もだ。何が必要な情報か的確に指示し、集め、判断している。
その一方で、百神国と洲国の側面を突くために酔林国に侵攻したように、常識にも捉われていない。
本当に、調べれば調べるほど感嘆しますよ」
「あんたはモルドが嫌いだと思っていたんだがな」
「嫌いですよ。もちろん」
カザンが切り分けた鳥肉を口に運ぶ。育ちの良さが判る。リラックスして食器の音は立てない。
「彼のいくさには目的がない。
かつてのキャナの領土を取り戻すという大義名分を掲げてはいるものの、ボクには偽りだとしか思えない。
彼がやっているのは、ただ混乱をまき散らしているだけです。
戦術面でも戦略面でも、部分部分ではあんなに美しいのに、全体を大局的に見渡すとちっとも美しくない。
だからボクは彼が嫌いなんです。
何よりボクは、クスルクスル王国を愛していますから」
クロが嗤う。
「よく言うぜ。王をバカ呼ばわりしておいて」
「国を危機に陥れようとしている。それを王に申し上げただけですよ」
「言い方ってモンがあるだろう?」
「このままではクスルクスル王国はキャナに飲み込まれてしまう。それが判っているのに何もしないなんてことは、ボクにはできないんですよ」
カザンの声に、苦く、真実の響きが混じる。
「ザワ州はよく頑張っている。
あそこは地形が複雑ですからね。もしかすると地の利を生かして、このままキャナを食い止めるかも知れない。
だが、ボクなら内部に手を回す。問題のない家はないですからね。実際、騒動のネタもある。
もしザワ州がキャナに下れば、次はトワ郡です」
ザワ州。
トワ郡と国境を接する洲国の郡州だ。
「このままでは良くない。状況を変える必要がある。
もちろんあの子にそれができると思っている訳ではありません。でも、あの子が一人で平原王の砦を落としたことは確かなんです。
だとしたら今の閉塞した状況に変化を与えられるかも知れない。
狂泉様の落し子とまで称された、あの子なら」
狂泉様の落し子。そんな風に呼ばれているのか、アイツは。と思ったものの、クロは驚かなかった。
まあ、そう呼ばれてても不思議じゃねぇなと、むしろ納得した。
「まる投げかよ、アイツに」
クロがせせら笑う。
「森から訪れし者が、南の国々に秩序をもたらす」
「あ?」
「出所不明の神託です。数日前から密かに広まっています」
「そんな神託があるのか」
「ボクが考えました」
クロはひっくり返りそうになった。
「塩ノ守を大悪党だと思ったが、あんたはそれ以上だな……」
「なんとか国を守りたい。そのためには出来ることは何でもする。ボクはそう思っているだけですよ」
カザンがクロから視線を逸らす。
怒りに満ちた足音が食堂に荒々しく踏み込んで来たからである。
イクだ。
イクはカザンの座るテーブルに両手をダンッと叩きつけると、カザンに向かってぐっと身体を乗り出した。
「出てって」
眉を吊り上げたまま、低く抑えた声で言う。
「あたしの友だちを泣かせるような人はお客じゃない。いますぐ。ここから。出てけ」
「あ、でもまだ」
食べている途中、と言いかけ、瞬きすらしないイクの刺すような視線に、そんなことを言っていられる状況じゃないとカザンは悟った。
「判りました。もし良ければ、ボクが謝っていたって、あなたからあの子に伝えてもらえますか?」
「ぜったいに、お断りよ」
「オレが伝えといてやるよ。だからあんたはとっとと帰りな。クスルクスル王国より、まずはこの食堂の平和のためにな」
カザンが苦笑する。
「お願いします、クロさん」
「2度と来るな!」
と、カザンの背中にイクが言葉を投げつける。
「よお。落ち着いたか?」
カザンと入れ代わるように食堂に戻って来たのはカイトである。
「あの人は?」
「イクが追い出した」
「そう」
「大丈夫?カイト」
「うん。ちょっとびっくりしただけだから。ありがとう、イク」
「温かいの、持ってこようか?」
テーブルに並んだカイトの夕食のことだ。椅子に座り、カイトは首を振った。
「もちろん食べるよ。ありがとう」
「礼を言われることじゃないわ」
と、カザンの食べ残した食器を手に、イクは厨房に戻っていった。




