11-2(クロとの出会い2)
「ホントにいいのかよ。オレが全部もらっちまって」
クロがねぐらにしている宿の一階の居酒屋で、クロはカイトに尋ねた。男たちを捕らえた賞金の分配についてである。
「うん」
と頷いて、カイトは湯呑の酒を口にした。呑めないと断ったが、仲間になった祝いにとクロが置いたのだ。
ひとくち酒を含んで、カイトはすぐに眉をしかめた。
「……おいしくない」
「おいおい」
呆れたようにクロが言う。
「マララの酒っていったら旨いことで有名なんだぜ?マララ領が王領になった理由のひとつだ。
それを不味いって言うか?」
「トロワさんのお酒の方が、ううん、酔林国のお酒の方がずっとおいしい」
「ああ」
クロが声を上げる。
「酔林国の酒を呑んだことがあるのか。それはしょうがねえな。あそこと比べられると」
「行ったことあるの?酔林国」
軽くクロが手を振る。
「ねぇよ。狂泉様の森に入ったこともねぇ。
一度だけ飲んだことがあるんだ。酔林国の酒を。確かに絶品だったぜ、ありゃあ」
酔林国のことを褒められると、何故かカイトは嬉しかった。
「ここ、マララリョウっていうの?」
「知らずに出て来たのか、お前」
肉を噛み千切りながらクロが問う。
「うん」
「誰を探してる。どこに行くんだ」
「トワ郡。フウって子を探してる」
「トワ郡か。あまり行きたいとこじゃねぇな。それで、どんな子なんだ、そのフウって子は。お前の親戚か何かか?」
「わたしが殺した女の人の娘」
聞く者によってはぎょっと目を剥くだろうことを、カイトは何でもないことのように答えた。
「なんだそりゃ」
クロは食べるのを止めない。
「お前が殺した女の娘を探して、仇でも取らせてやろうってか?」
「仇を?」
「ああ」
カイトが首を振る。
「もし彼女がそう望むなら、相手はする」
「返り討ちにするってか?」
「返り討ち--」
カイトにはよく判らない。
フウにとってカイトが母の仇なのは確かだ。だが、だからと言って彼女に仇を取らせてやるということにはならない。
もし矢を向けられればこちらも矢を向ける。
理由は関係ない。
狂泉の森人ならば当たり前のことだ。
返り討ちというのもよく判らない。
同じ死すべき者同士だ。矢を向け合えばどちらかが死ぬ。
ただそれだけだ。
クロの問いには何か自分には判らない、森の外の理屈があるのだろうと少し考えたが、結局カイトは諦めて首を振った。
「ごめん。あんたが何を訊きたいかよく判らないわ」
「そうかい」
クロが軽く頷く。
「じゃあ何のために、その子を探してるんだ?」
「5年ぐらい前にわたしの一族と彼女の一族が揉めたことがあるの。その時、わたし、彼女の母親を殺したわ。彼女もすぐ近くの茂みに隠れていたけど、きっと母親の後を追うと思って見逃したの。
でも彼女、一人で森を出たらしくて、もし、彼女が森の外で辛い想いをしているのなら楽にしてやりたい。
そのために探してる」
「楽にって、殺すってことか?」
「うん」
クロが鼻を鳴らす。
「メンドくせえこと考えるな、森人は。
見逃したんだろう?命を助けたんだろう?だったら後は放っときゃあいいじゃねぇかよ。
生きようが死のうが、ソイツ次第だろ」
「彼女を殺さなかった責任が、わたしにはあるわ」
「なんだそりゃ」
興味なさそうにクロが酒を呷る。
「ウメェー」
しみじみと言ってヒヒヒと笑う。
「ひと仕事した後の酒はカクベツだぜ」
「ねぇ、クロ」
「ああ?なんだ?」
「クロって本名じゃないの?」
がくりとクロが肩を落とす。
「いま訊く?それ」
「だってあんたは平気でウソをつくもの」
「オレが信じられねぇってか」
カイトをからかうようにクロは軽い口調で訊いた。彼はカイトが「うん」と頷くと思っていた。
しかしカイトは、
「ううん。信じてる」
と迷うことなく答えた。
「でも、何かを隠してる気がする。クロって名前に、何か。違う?」
クロは口を開き、カイトを茶化そうとして、止めた。
「ヘンなヤツだな、お前」
むっとカイトが顎を引く。
「そんなこと、言われたことない」
これにはクロは噴き出さずにはいられなかった。クロは居酒屋中に響くような声を上げて笑った。
酒をつぎ足し、喉に流し込む。
「誰にも話したことないんだけどな」
独り言のように、軽い口調で言う。
「本名かどうかはオレも知らねえ。けど、クロって名以外、他に名はねぇよ」
「どういう意味?」
「オレは洲国の生まれでな。いや、そうじゃねぇな。どこで生まれたかも知らねぇ。物心ついた時には洲国にいて、ひとりだった。
野良犬みてぇにな。
みんなオレのことをクロって呼んだ。もしかすると、親がつけてくれた名かも知れねぇ。そうじゃないかも知れねぇ。
正直、判らねぇんだ。
でもま、悪くねぇ名だと思ってる。女の子から笑いも取れるしな。
だからオレの名は、クロ、さ」
「そう」
カイトが頷く。
「判った」
「ところで、カイト」
「なに?」
「お前、何か身分を証明する物、持ってるか?」
「身分?」
カイトが考え込む。身分を証明する。言葉としては判る。だが、意味が判らなった。そもそも身分というものがカイトにはよく判らない。よく判らないものを証明する物と言われても、それを持っているかと問われても、混乱するしかなかった。
「持ってない……、と思う」
自信なげに答える。
「ま、そうだろうな」
「持ってないといけないの?森の外だと」
「マララなら必要ねぇだろうが、治安があまり良くねぇからな、トワ郡は。お前みたいなヤツがウロウロしてたらすぐに役人が飛んできて、身分証なり通行許可証がなければそのまま牢屋に放り込んじまうだろうよ」
「どうすればいいの?」
「ちょっとどうしようもねぇよ。お前は森人だから--っていうのが普通の答えだ。だが、普通じゃない方法は幾らでもある」
「どんな方法?」
湯呑を片手に酔眼をカイトに向けて、口の端だけでクロが笑う。
「お前、賞金は要らねぇって言ったよな。お前には判らないかもしれねぇが、便利なもんだぜ、カネってやつは。カネさえあれば大概のことは叶っちまう。
長いつき合いになりそうだからな、お前とは。
まずはそれを教えてやるよ」
翌早朝のことである。
カイトが出立の支度を整えて宿から出ると、宿の前にはすでにクロがいて、誰かを待つように視線を道の向こうへと送っていた。
「何をしてるの?」と訊く。
「ちょっと……ああ、来たな」
カイトがクロの視線を追うと、近づいてくる一台の馬車があった。
2頭立てで、小さな黒い箱型の馬車だ。カイトとクロの前で馬車が止まり、「待たせたわね、クロ」と御者台に座った女がクロに声をかけた。
「おお。待ってたぜ」
嬉しそうにクロが答える。
「何、これ」
不審そうにカイトが訊く。
「馬車だよ。知らないのか?」
「ううん、知ってる。そうじゃなくて」
「昨日、言ったろ?カネさえあれば大概のことは叶っちまうって。それをお前に教えてやるってよ」
「それとこの馬車がどう関係するの?」
「この馬車はな、御者台に座ってる姉さんが、海都クスルで王族が乗ってるのを見て気に入って、見よう見真似でイチから作ったモノなんだ。
カネにあかせてな。
見てみろよ、この細工。ぴかぴかで顔まで映ってるぜ。
カネの使い方としては最高だろ?」
「……そうなのかな」
「とにかく乗ろうぜ、カイト。オレも乗せて貰うのは初めてなんだ」
クロが馬車の扉を開ける。蝶つがいが軋み、微かに音をたてる。
「いい音だねぇ。革の匂いも最高だぜ」
カイトが馬車に乗るのは初めてだ。クロに続いて乗り込み、
「狭くて落ち着かない」
と文句を言った。
「わたしは歩いた方がいい」
「森人にはそうかもねー」
御者台に座った女が機嫌良く応じる。
「だけど、どうせ隣街までだ。我慢して付き合っておくれ。こうして乗ってもらうのもあたしの趣味のうちなんでね」
「いいぜ、やってくれ。姉御」
「あいよー」
鞭の音が響き、馬車が動き出すと、クロはすぐに荷物から竹筒を取り出した。
「一杯やらせて貰うぜ、姉御!」
「座席にこぼしたら弁償してもらうからね、クロ!」
「おお。判ってるよ!」
車輪の音に負けないよう大声で答えて、クロが竹筒を口にする。入っているのはマララ酒だ。
ひと口含んで舌の上で転がしてから喉に落とし、ふぅと満足げに息を吐く。
「どうだ、カイト。カネさえあればこんなことだってできる。いいモンだろ、カネってよ」
「いいかどうかよく判らないけど」
落ち着きなくちらりちらりと窓の外を伺いながらカイトは答えた。
「わたし、前に乗ってみたい。いいかな」
「前って、御者台にか?」
「うん」
「あんなとこケツはイテェし、いいことなんか何もないぜ?」
「なんだか面白そうだもの」
「そんなモンかねぇ」
クロが御者台の女に声をかけ、馬車が止まる。「いいよ。こっちにおいで」と御者台の女は嬉しそうに言った。
「うん」
カイトも声を弾ませる。
「それじゃあ、少し飛ばすよ」
鞭の音が鳴る。カイトが「わぁ」と声を上げる。
車輪の音に紛れて、カイトと女の話し声が聞こえた。何を話しているかクロには判らない。ただ、二人とも随分と楽しそうだった。
「何が面白いのかねぇ」
小さく呟き、クロは竹筒の酒を喉に流し込んだ。
「あー、ウメェ……!まるで王様になった気分だぜ」
御者台に座ったカイトは、風に髪をなびかせ、流れ去る風景を瞳を輝かせて見つめていた。馬車が跳ねる。身体がふわりと浮いて、落ちる。それを面白く感じて、森を出てからずっと固く結ばれていたカイトの口元が、知らず知らず緩んでいた。
「なんだか歌ってるみたいだね」
不意に隣の女が言った。
「え?」
「あんたの矢筒さ。矢がさ、まるで歌ってるみたいだよ」
言われてみれば、小気味よく矢が鳴っている。ニーナの矢が。ロロの矢が。そしてフォンの矢が。
カイトの矢と声を合わせるように。
「うん」
と深く頷いて、カイトは笑った。