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11-1(クロとの出会い1)

「どうしてきょうせんさまは、わたしたちを守ってくださるの?」

 幼いカイトの問いに、

「あたしたちが狂泉様を信じて、祈りを捧げているからよ。誰かに信じて貰えるのはカイトだって嬉しいでしょう?」

 と、カイトの濡れた髪を拭きながら母は答えた。

「うれしいから?うれしいから、きょうせんさまは、わたしたちを守ってくださるの?」

「んー。あたしたちが森を守っているから、というのもあるかな」

「もりを?」

「この森はね、狂泉様が竜王様から何か大事なものをお預かりして、それを守るために狂泉様が治めることになったのよ」

「なに?なにをおあずかりしたの?」

「それは誰も知らないわ。だってずっと昔のことだから。でもあたしたちはその約束を守って、狂泉様を、森を守っているの。

 だから、狂泉様もあたしたちを守ってくださるのよ」

 何だろう。

 何を預かったのだろう。

 もしかすると、狂泉様が竜王様から預かったというその何かは、あの森にあるのだろうか……。



 呆れるほど広い。

 それが狂泉の森を出たカイトの率直な感想だった。

 狂泉の森を背後にいくら歩いても誰にも出会うことなく、やがて地平線に沈む太陽が大地を隅々まで赤く染めた。

 ガヤの街を訪れた時とは風景がまた違う。

 人が造った物はどこにもない。丘陵さえほとんど見当たらない。

『外は森とはずいぶん違うから気をつけてね』

 違い過ぎるよ、プリンス。プリンスの言葉を思い出しながらカイトは夕日に照らされた広大な世界を前にしばらく立ち竦み、小さく息を吐いて、夕食の獲物を獲るために--日常を取り戻すために--肩から弓を外した。


 いつも木々を、つまり身を隠せるところを意識しながら歩いた。

 だから、遠くから人の争う声が近づいて来た時にも、カイトはすぐに手近の林に潜んで気配を消すことができた。

 誰かから逃げているのだろう、緩やかな坂道を越えて、一人の男が息を切らして走ってきた。

 走ってきたのはヒトではなかった。

 首の上に犬の頭が乗っていた。

 獣人だ。

 平原王の砦でのカイトの記憶は曖昧だ。

『獣人に会うのは初めて……』

 獣人が道を逸れ、カイトの潜む林へと駆け込んで来る。その時には、カイトは獣人の風下へと音もなく移動していた。

 獣人が茂みに身を伏せる。

 獣人が息を殺して窺う坂道の向こうから、5人の男が走って来た。

 こちらは全員、ヒトである。

 獣人の姿が急に見えなくなったことを訝しみ、足を止めて辺りを見回している。森ときちんと向き合っている人たちではない。カイトに男たちはそう見えた。つまり信用できない人たちだ。

「あれは、誰?」

 カイトは声を、獣人を挟んだ反対側の林へと、風上へと飛ばした。

 獣人がぎくりっと声を振り返る。獣人の鼻と耳がピクピクと動き、彼はすぐに視線を周囲に巡らせた。

 声が響いた先に誰もいないと察したのだろう。

「誰だ」

「わたしはカイト。クル一族のカイト」

 今度は声を飛ばすことなく答える。

 獣人がカイトの潜む辺りに視線を向ける。黒にも似た群青色の瞳の奥で、狡猾さが鈍く瞬いた。

 この人は--。信用してもいいかも知れない。多分。きちんと森と向き合っている人には見えない。だけど、信頼してもいいか、と思わせる何かが、複雑に気色を変える獣人の瞳にはあった。

「……その言い方。森人か?」

 腰に下げた剣の柄に手を添わせて獣人が囁く。

 カイトの山刀よりは長いが、長剣と言うには短い剣だ。その剣を獣人は左右の腰に一本ずつぶら下げていた。

「うん」

「こんなところで何をしてる」

「人を探して森を出た。あなたは?なぜ逃げているの?」

 カイトに自分を害する気はないと悟ったのだろう、強張っていた獣人の身体から力が抜けた。

「ちょっとしくじっちまったのさ」

 獣人の声に軽さが混じる。

「しくじった?何を?」

 獣人は答えなかった。獣人が林の中にいると見当をつけたか、男たちがこちらを指さしていた。

「お前、弓は使えるか?」

「うん」

「だったらちょっと助けてくれねぇか。あいつらを矢で射てもらいたいんだ。殺す必要はねぇ。あいつらの足でも射抜いてくれればいい」

「なぜ?」

「悪い奴らだからさ、あいつらが」

「わたしには関係ないわ」

 カイトの答えは素っ気ない。

「人を探してんだろ。手伝ってやる。森から出て来たばかりで、どうせ右も左も判らねぇんだろ、嬢ちゃん」

 男たちがこちらに歩いてくる。けれどカイトは彼らを気に留めることなく、「嬢ちゃんじゃないわ。カイト。カイトと呼んで」と言った。

 獣人が喉の奥で笑う。

「そんなこと、いま言うか」

「あの人たちが悪い人なら、あんたはいい人なの?」

 獣人が肩を竦める。

「オレはどっちでもないさ」

 カイトは弓に矢を番えた。右も左も判らない。獣人の言う通りだ。それに、どっちでもないという獣人の答えは、なかなか悪くなかった。


「悪かったな」

 林を出ながら獣人はカイトにまずそう謝った。

「何が?」

「弓が使えるか、って訊いたことさ。すげぇな。カイト」

 彼らが歩く先で、男たちが呻いていた。カイトはたった一度、弓を引いただけで彼ら全員の腿を射抜いたのである。

 カイトにとっては褒められるほどのことではない。

「そんなことより、まず名前を教えて」

「ああ、すまねぇ。まだ名乗ってなかったな。オレはクロだ。クロと呼んでくれ」

「判った」

 獣人がガクリと肩を落とす。

「突っ込まねえのかよ。それ、本名?とかよ。女の子はみんな突っ込むぜ、オレが名前を教えてやると。楽しそうにケタケタ笑ってな」

 獣人の全身を覆った毛は、名前の通りまっ黒である。

 けれどカイトは、

「本名じゃないの?」

 と、きょとんとして訊き返した。

 獣人が--クロが笑う。

「オモシレェ奴だな、お前」

 そう言いながらクロは、苦し気に呻く男たちの前で足を止めた。

「さてと。まんまとハマってくれたな。オメェら」

 男たちの一人が脂汗を流しながら、食いしばった歯の間から声を絞り出す。

「……逃げるフリして、オレたちを誘ってやがったのか」

「名演技だったろ?」

 カイトは何も言わない。クロはカイトと会ったばかりだ。流石に今度は、クロが堂々と嘘をついているのだと判った。

「舐めやがって」

 男たちの中でも一番体格のいい男が長剣を杖代わりによろめきながら立ち上がる。

「げっ」

 とクロは声を上げて後ずさった。

「ちょ、悪いことは言わねぇ。やめとけ。やめなって」

 立ち上がった男は片足立ちとなり、長剣を抜いた。

「テメエらなんざ、片足だけで……」

 ヒュッと短い音がクロの顔を掠めた。

 カイトは猟師だ。

 立ち上がりさえしなければ、自分に危害を加えようとさえしなければ、食べることのない命を奪うことはしない。

 自分や、仲間に危害を加えようとさえしなければ。

 カイトはすでにクロを仲間とみなしている。クロもまた、カイトが自分を仲間とみなしているだろうと、目算を立てていた。

「だから言ったのに」

 カイトの矢に喉を貫かれて倒れた男を見下ろし、クロは嘆息した。腰に手を当て、残りの男たちに顔を向ける。

「オレは人が死ぬのはなるべく見たくないんだよ。あんたらは大人しくオレに従ってくれるか?」

 男たちの喉がごくりと動く。彼らはクロではなく、弓を下ろしたカイトを、恐怖に頬を引き攣らせて凝視していた。

 クロが悪い奴らと言った通り、男たちの素性はかなり悪い。彼らにとって殺しはむしろ日常だ。仲間が殺された程度で怯むことはない。

 だが、彼らはカイトが恐ろしかった。

 カイトはクロから5mほど距離を取って彼らを見つめていた。手にした弓に4本の矢を軽く添わせている。

 たったいま人を殺したにも関わらず、カイトは顔色一つ変えていない。

 高揚はない。

 冷酷さもない。

 カイトの青みを帯びた栗色の瞳には、森の泉に似た、静けさだけがあった。

 かすれた声で男の一人がクロに問う。

「そいつは……、なんだ?」

 牙を剥き出してクロは笑った。ここが落としどころと、意識して凄惨さを口元に漂わせる。

「見りゃ判るだろ。こいつは、狂泉様の森人さ」


「いやあ、お前のおかげで楽な仕事になったぜ。ありがとうよ、カイト」

 クロが満面の笑顔でカイトにそう言ったのは、男たちを街まで連れて行き、一軒の家から出て来た後のことである。

「よく判らない。あんたの仕事って、なに?」

「森から出て来たばかりのお前には言っても判らないと思うぜ。狂泉様の森では、まずいない仕事だからな」

 小さな袋を握った手を、クロが持ち上げて見せる。

「オレは賞金稼ぎさ」

 と、ニヤリッと笑ってクロは告げた。

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