表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/233

幕間(フォン)

 長剣が男の腹を貫くのを見て、フォンは叫ぶのを止めた。後ろ手に縛られた手首の皮が裂けるほど暴れていたが、それも止めた。

 堅く縛められたフォンの手に指はない。

 すべて切り落とされ、撒き餌として森に撒かれた。

 長剣で腹を貫かれたのは、指が撒かれるのと同時に真っ先に森を飛び出した森人だ。

 倒れた男の背中を、さらに何本もの長剣が貫く。

「どうした」

 彼の傍らに立った平原王の兵士が訊く。

 フォンは身体を起こした。低い笑い声が洩れる。空が青いな。と思う。こんなに広い空を見るのは初めてだ。

 カイトは見たことがあるだろうか。森の外の空を。

「狂ったか?」

 尋ねた兵士にフォンは首を捩じって顔を向けた。

「森で死ねないのは残念だけど--」

 叫び過ぎて潰れた喉から声を絞り出す。

「ここで見届けてやるよ」

「何を?」

「カイトが、お前たち全員を殺すのを、な」

 血走った眼で兵士を睨み据えて、フォンはそう言った。


 カイト。と、フォンは胸のうちで幼馴染の少女に話しかけた。

 父上を死なせちまったよ。

 お前の父上を。

 オレのせいで。

 オレが捕まったせいで。

 ゴメンな、カイト。

 オレも死ぬ。

 だから許してくれ、とは言わないけど、オレも死ぬ。

 だけど。

 どうせなら言えばよかった。

 お前に。好きだって。

 もし言ってたら、お前は何て答えたかな。

 ひとり、胸のうちで笑う。ぶん殴られるか、投げ飛ばされてたかも知れないな、と思って。

 いつからだろう。

 お前から目が離せなくなったのは。

 気がついたら、いつもお前の姿ばかり追ってた。

 お前が革ノ月からなかなか戻らなくて、心配で心配で、戻ったら好きだって言おうと決めてたのに。無事に戻ったって聞いて、慌てて会いに行ったのに。

 まさか酔林国へ行っちまうなんて。

 馬鹿カイト。

 カイト。

 お前はいつでもかっこ良かった。

 憧れてた。

 ずっと。好きになる前から。

 なのに、なのに--。


「フォン!」

 良く知っている女の声が、フォンを現実に引き戻した。母が、無防備に立ち上がって彼の名を叫んでいた。

 凍ったはずの心臓がせり上がって喉を詰まらせる。

 フォンは苦し気に顔を歪め、あえぎ、視線だけを周囲に巡らせた。森人としての知識と経験が、彼に教えた。母上は囮だ。本命はどこかに--いた。

 姿は見えない。

 だがいる。

 そこに、クル一族の巫女である老女が。姿は見えないが、そこにいるはずだとフォンは信じた。

 フォンは安堵した。

 婆さまなら間違いない。きっちり殺してくれる。

 視界の隅で母が槍に貫かれる。

 己の胸を貫かれたような痛みと絶望に打ちのめされながら、フォンは草むらから矢が放たれるのを見た。

 あれ。と、思う。

 狙いが逸れてる。

 これじゃあ死ねない。

 婆さま、どうしたんだよ。

 まさか涙で手元が狂ったか?

 飛んでくる矢がはっきりと見える。まるで誰かが手で持って走っているかのように。

 ほら、ダメだ。

 これじゃあ、左の脇腹に突き刺さって終わりだ。

 痛いだけだよ、婆さま。

 ほらな、と思った時、フォンは別の矢が自分の胸に滑り込むのを感じた。どこからか、地を這うように飛んで来た矢が、彼の心臓を正確に射抜いたのである。

 フォンは視線を回し、自分を誰が殺したか、知った。

 さっき長剣でめった突きにされた森人。倒れているのは同じだが、さっきと違って両手が前にある。

 前に突き出された左手が、強い意志を持って弓を握り絞めている。

 もう息絶えているのだろう、ぴくりともしない。

 笑みがフォンの口元に浮かぶ。

『……さすが、カイトの親父さん……』

 満足な想いが黒い帳となって降りてきて、フォンの視界を暗く覆い尽くした。


    ***


 ひとつの言葉が頭の中でぐるぐると回って、彼は眠れなかった。聞いたのは昨日の昼間のことだ。

「カイトがお前たちを殺す」

 人質にした森人の少年が言ったのである。

 人の名か?と思う。

 彼がいるのは狂泉の森の近くに築いた砦の中だ。カイトというのが何者だろうと、ここにいる限り安全だ。絶対に安全だ、と思いながら、しかし不安は消えなかった。

 カイト、カイトと思いながら、いつの間にか眠っていたのだろう、「火事だ!」という声で彼は目を覚ました。

「なんだ、これは」

 兵舎から転がり出た彼は呆然と呟いた。砦の中はすでに火の海だった。しかもよく見ると燃える兵舎の間に人が倒れていた。幾人も。折り重なるように。

 平原王の軍に入って8年が経つ。

 幾度となく従軍し、死体は見慣れている。

「……火事じゃない。これは」

 少年の声が脳裡で閃く。

『カイトがお前たちを殺す』『カイトがお前たちを』『カイトが』

「て、てき……!」

 矢がどこから飛んで来たか、彼には判らなかった。自分がいつ倒れたのかも判らなかった。気がついた時には喉を射抜かれて倒れていた。

 ごろりと首が横を向く。

 瞬きもできずに向けた視線の先に、彼は少年の姿を見た。燃え盛る炎の中に立ち、哄笑する森人の少年の姿を。

 少年の手に指はない。

 笑い続ける少年の、大きく見開いた瞳に笑いはない。

 誰かがガッと彼の体を踏む。喉に刺さった矢が乱暴に引き抜かれる。姿は見えず、走り去っていく足音すら聞こえない。

『カイトがお前たちを殺す』『カイトがお前たちを』『カイトが』

 生気を失った兵士の瞳に、炎の中に立つ少年が映る。

 少年はもう嗤っていなかった。

 どこか遠くを、走り去っていく誰かをただじっと見守っていた。少年の身体に炎が纏いついていた。龍だ。と彼は思った。炎が幾匹もの小さな龍となって、少年の身体の上で踊っているかのようだ、と。

 燃え上がっていた兵舎が崩れる。そこへ物見櫓が倒れ掛かり、兵士を飲み込み、少年をも飲み込んで、一層高く炎を巻き上げた。

 矢が飛び続ける。

 平原王の兵士を殺す矢が。

 どこにも届かない矢が。迷いもなく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ