7-7(消せないもの7)
朝食の支度をする音で、ハルは目を覚ました。
ベッドの隣を探る。
カイトがいない。
「おはよう、ハル」
居間に出たハルを、カイトの明るい声が出迎えてくれた。テーブルには朝、採って来たのだろう、野菜サラダが並べられている。
芋をふかす音と、鳥スープの臭いもする。
「おはよう、カイト」
「少し待って。もう出来るから」
「うん」と頷いて、「顔を洗って来るわ」とハルは応えた。
演武会を境に、カイトはあまりうなされなくなった。
母のことを思い出すのだろう、一時は台所に立つことさえできなかったが、それもできるようになった。
「後片付けはあたしがするわ」
「ありがとう、ハル」
カイトはそう言って、弓矢を手に家の外に出た。
演武会の後からカイトが始めたことがある。
朝食の後に、10本ほど矢を射るのである。的は弓技会で使った物をもらって庭に据えた。
ある時、矢を射る理由を尋ねたハルに、しばらく考えてからカイトは「どこに心があるか確認しているの」と答えた。
カイトの答えを理解できたかと言うと、ハルにはさっぱりだった。
庭に据えた的に向かって、カイトが矢を放つ。
『相変わらず上手い』
と、ハルは思う。思いながら、違和感を感じた。
『なんだろう』
と考えるが判らない。
教えてくれたのはプリンスである。
3人で森に入った際に、矢を射るカイトを見て、プリンスは「凄味があるね。今のカイトちゃん」と笑った。
ああ。ハルは納得した。
技術的に何かが変わった訳ではない。しかし何かが、カイトの中で変わったのだ。
「あたしもやらせて貰っていい?」
翌日からハルも、自分の心がどこにあるか確認するために、カイトと一緒に矢を射るようになった。
演武会が終われば、すぐにいくさになるものとハルは思っていた。
だが一ヶ月が過ぎてもいくさは始まらず、ひとりヴィトだけが平原王と交渉を続けていた。
交渉を終えて森に帰って来たヴィトは、なぜかいつも機嫌が良かった。
「交渉相手の巫女様が、ヴィトさんの好みなんだってさ」
ハルにそう教えてくれたのは、やはりプリンスである。
「プライドが高くて、態度も尊大で、いつもむすっとして笑顔を見せないって。楽しそうに話していたよ」
「変わった好み……、と言っていいのかな」
「いいんじゃないかな。本人にそう言っても、あの人なら気分を悪くすることはなさそうだしね」
「でも、何を交渉しているの?」
ハルにはそもそもそれが判らない。
「いくさを終わらせる条件と、いくさが終わった後の勝者の権利についてだね」
「どういうこと?」
「ハルちゃんは、どうすればこのいくさが終わると思ってる?」
「平原王を殺せば、終わるわ」
ハルが即答する。プリンスが軽く頷く。
「そうだね。じゃあ仮に、平原王側からすると、どうすればいくさは終わるんだろう」
「あたしたちがみんな死ねば、終わるわ」
つまり、最後の一人になるまで戦い続けるということだ。
「それじゃあちょっと不公平だよね。こちらは平原王一人を殺せばいい。でも向こうはボクたち全員を殺さなければいけない。
ヴィトさんが交渉しているのはそういったことだよ」
プリンスが指を3本立てる。
「いくさを終わらせる条件は三つ。
ひとつは、お互い、最後の一人まで殺してしまうこと。生き残った方が勝ち、ということだね。全員が逃げ去った場合も同じかな。
ふたつめが、頭となる誰か一人を殺すこと。平原王の側だと平原王ってことになる。
三つめが、神が、狂泉様と平原公主様のどちらかが、負けを認めること」
「うん」
「ひとつめはシンプルで交渉の余地はないし、三つめは神が決められることだからボクたちにどうにかできることじゃない。
ヴィトさんが交渉しているのはふたつめ。こちらの誰を殺せばいいのかってことなんだ」
「その誰かってまさか、カイトのことなの?」
声を強張らせてハルは訊いた。
プリンスが首を振る。
「候補の一人ではあるようだね。でも、カイトちゃんと決まった訳じゃないよ。向こうがカイトちゃんの他に候補としているのは、ライのおっさんか、ハルちゃんの母上のルゥさんらしいよ」
ハルは息を呑んだ
「母さまを?」
「うん」
プリンスがハルを安心させるように笑う。
「大丈夫。多分そうはならないから。
ヴィトさんが主張しているのは、ボクたちは誰か一人が代表じゃないってことなんだ。ボクらは一人一人独立しているから、全員を殺すまで終わらないってね。
つまりひとつめとふたつめの条件は、ボクらにとって同じことだってね。
だけどこれじゃあ、不公平なままだよね。
議論は平行線だ」
「うん」
「ヴィトさんの、と言うか、ボクたちの目的はね、交渉を引き延ばすことなんだよ」
「ごめんなさい。よく判らないわ」
「イズイィさんはね、交渉が長引くほど、状況はボクたちに有利になる、と考えてる。
ボクもそう思う。彼らはボクたちとは違う。ヴィトさんの主張は正しい。ボクたちは一人一人が独立している。だから、もし最後の一人になってもボクたちは戦いを止めたりしない。
そうだよね」
「うん」
「でも、彼らは違うんだ。
もし平原王が討たれればそこで彼らはいくさを止める。彼らは組織だから。平原王をトップとした、ね。
すべての命令は、平原王ひとりから下される。
そのトップが、ずっと王都を、自在宮を空けている。たったそれだけのことで、彼らの組織は揺らぐんだよ」
「……」
「ヴィトさんが交渉している、いくさが終わった後の勝者の権利の方は、平原王が勝った場合の権利でモメてる。
こちらもわざと長引かせているんだけどね。
こちらが勝った場合は単純で、とっとと軍を引いて、2度と狂泉様の森に近づかないこと。これだけ。
一方、向こうが勝った場合の勝者の権利は、予想通りと言うべきかな、狂泉様の森へ軍を入れる許可を与えること。
こちらも単純と言えば単純だけど、モメているのは、その許可の内容でね、向こうは何度でも無制限に森に入れるようにして欲しいと主張しているけど、こちらは回数を制限しようとしている。
それと、森に入った場合には森のルールに従うよう求めている。
狂泉様がお決めになった、『濫りに森のものを持ち出さない』というルールに従うことはもちろんだけど、獲物を狩る場合にはそこを縄張りにしている一族の許可を得ること、といったルールにもね。許可を得ずに狩りをしてもいいけど、その場合は殺し合いになることは覚悟してくれってね。
つまり、森に入るのはいいけれど、森に入る以上の特別な権利は与えないぞってことだね」
「あたしたちからすれば、当然だわ」
「そう。当然だよね。
でもそれじゃあ平原王には制約が多すぎる。いくさに勝ってもあまり意味がない。だから認められない。
こちらも議論は平行線だ」
「狙い通りに?」
「そういうことだね」
「いつになったらまとまるの?こっちだっていつまでも交渉を長引かせられないでしょう?集まっている他の一族の人たちがしびれを切らしちゃうわ」
「それは大丈夫じゃないかなぁ」
「どうして?」
「弓技会と演武会が効いてるから。
カイトちゃんはもちろんだけど、ライのおっさん、エトーさんに、他の一族の人たちがみんな一目置いている。あの人たちがイズイィさんに従っているから、他の人たちも逆らう気はない。
それに、ルゥさんって人を従わせる雰囲気があるよね。あの人についていけば間違いないっていう気になるよ。
ヴィトさんもそう。あんな悪人顔なのにね。
だからこちらは大丈夫。まだ引き延ばそうと思えば交渉を引き延ばせると思う。
だけど、そろそろ決まるよ」
「どうして?」
「平原王と交渉しながら、イズイィさんが大平原で噂を広めてる。ボクたちを相手に平原王が苦戦してて、それで王都を何ヶ月も空けているって。
ホントは、まだまともに戦ってさえいないんだけどね。
でもその噂のおかげで、平原王の支配地がひどく動揺している。平原王としては、もう決着を着けないとヤバイって状況になりつつある。
機は熟してきてる。ボクたちの準備はとっくにできてる。もう交渉を引き延ばす必要はない。
だからこちらの望む通りの条件で、交渉は近々カタが着く、と思うよ」




