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7-4(消せないもの4)

「どうやって来てもらったの?この人たち」

 クル一族の狂泉の祠の前の広場は人でごった返していた。広場に収まりきらない人々が森の中にまで溢れている。

 弓の腕比べのために集まった他の一族の森人たちである。

 二日前に打ち合わせをと声をかけた時にはほとんど誰も来なかったのが嘘のようだ。

 ただどこか、みんな殺気立っている。

「普通にお願いしただけさ」

 カイトの問いに答えたのはプリンスである。

「酒はこちらで用意しますってね。それと、ボクに勝てる自信がない人は来ていただかなくて結構ですって言ったら、ま、この通り」

「生きて戻れたのが不思議だわ」とハル。

「大丈夫だよ、ハルちゃん。腕試しが終わるまでは彼らも手は出さないよ。

 みんな弓の腕には、プライドがあるからね」

「腕試しが終わったら?」

 挑発するようにハルが訊く。

「彼らのボクを見る目が変わるから、心配ないさ」

 と、涼やかにプリンスは答えた。


 腕試しは酔林国に倣って「弓技会」と呼ばれることになった。酔林国と同じく、予選を午前と午後に一回ずつ行い、同じ日の午後に決勝を行うことも決まった。

 だが、問題がひとつあった。

 弓技会を行う場所である。

 酔林国で行われる弓技会では、午前の予選は100m離れた的に5回試技を行って一矢でも命中すれば通過である。しかし、森の中に沈んだようなクル一族の集落で100mもの直線を探すことが、そもそも至難だった。

 他の一族の森人の全員が参加を望んだことも問題を大きくした。

 なんとか100mの直線を数ヶ所--畑の上を通ったり、木々の間をすり抜けたりする必要があったが--確保したものの、参加者が多すぎて、そのままではとても午前中に予選が終わりそうになかったのである。

「じゃあこうしようよ」

 解決策を提示したのはプリンスである。

「試技は一回。射場に立って5秒以内に矢を放つ。それで的に当てられたら合格ってことで。

 こんな風に」

 射場に立ってプリンスが矢を放つ。ひと呼吸も置かない。射場に立ってから矢を放つまで、5秒どころか1秒もかかっていない。

 木々の隙間をすり抜けた矢が、正確に的を打ち抜く。

「簡単でしょ?」

 返事は怒号となった。

 挑発された森人たちが、否と言う筈がなかった。


 午前の予選通過者は200人を越えた。

 予想よりも多く、50mの直線を10ヶ所確保し、決勝進出者を10人に増やすことにして午後の予選を行った。

 こちらの試技は5回である。

 ハルは午後の予選には残ったものの、そこで落ちた。

 プリンスと同じ組になったのである。

 かなり食い下がったが、及ばなかった。ハルは悔し涙を流しながら、プリンスに「優勝してね、プリンスさん」と言ったが、プリンスは「カイトちゃんさえいなければ、約束できるんだけどね」と苦笑して答えた。


 カイトが弓矢を手に射場に立つ。

 50m先の的まで、3mほどの幅でまっすぐな道ができている。溢れるほど集まった人が壁となっているのである。

 決勝の舞台となった狂泉の祠前の広場だ。

 最初は人の多さに戸惑ったカイトだったが、射場に立つと戸惑いは忘れた。人の壁も忘れた。

 的を見る。

 矢を弓に番える。

 弦を引く。

 広場のざわめきが、静まっていく。

 集まった人々は弓に関しては誰もが腕に覚えがある。だからカイトの構えを見ただけですぐに気がついた。

 自分たちとは遠く離れたところに、カイトが立っていることに。

「とんでもない子ね」

「うん」

 嫉妬と誇りを胸に、ハルは母の隣で頷いた。


 カイトは50m先の的の真ん中に5射すべてを命中させた。カイト以外ではプリンスとライが、同じように5射すべてを的の真ん中に命中させている。

「じゃあ、ちょっと的を置く場所を変えようよ。このまま3人で優勝っていうのは、カイトちゃんもライのおっさんも納得できないだろうから」

 決勝進出者全員の試技が終わるのを待ってから、プリンスは軽い口調でライに話しかけた。

「どこに変えるんだ」

「あの」

 と、プリンスが森の木を指さす。

「後ろ」

「……なに?」

 審査員であるヴィトとイズイィの了承を得て、的を木の後ろへと移した。新たに設けた射場からは、的はまったく見えない。

「じゃあ、ボクから」

 射場に立ったプリンスが、弓を手に軽く息を吸う。午前の予選から決勝まで、彼がすぐに矢を放たなかったのはこれが初めてだった。

 弦を引いて狙いを定める。

 決勝の会場となった狂泉の祠前の広場に静寂が落ちる。

 プリンスが放った矢は、大きく曲がって木を躱し、的を貫いた音が小気味よく響いた。

 湧き上がった森人の歓声を背に、短く息を吐いてプリンスがライを振り返る。

「次はライのおっさんの番だよ」

「ぬ、ぬ、ぬ」

 ライが低く唸る。

「わたしも的を動かしていいかな」

 悪戯っぽく笑ったプリンスが口を開く前に、カイトが割り込んだ。

「どう動かすの?カイトちゃん」

「いいぜ」

 低い良く通る声で答えたのは、ヴィトである。

「やってみな、嬢ちゃん」

「ありがとう、おじさん。ライ、プリンス、ちょっと手伝って」

「手伝うって何を?カイトちゃん」

「的を置くのよ。木の後ろに。でも、五つね、それぞれ違う木の後ろに」

 的を据え終え、矢を5本持ってカイトが射場に立つ。弓に矢を番え、弦を引く。カイトが射場に上がって静まっていた人々の間にざわめきが拡がっていく。カイトが何をしようとしているか、察したのである。

 まさか。そんなことが。できるワケが……、と。

 周囲のざわめきを余所にカイトが同時に放った5本の矢は、それぞれ大きく曲がって、木の向こうへと消えた。


 叫び声のような歓声が湧き起こる中、審査員席に座ったイズイィは立ち上がって隣に座った3人の男に声をかけた。

 セノーこと平原王が、視察にと寄越した武官たちである。

「やれやれ。ようやく終わりましたなぁ。さて、遅くなってはいけない。森の外までお送りしましょう」

 言葉を失くした武官は3人とも顔を青ざめさせたまま動かなかった。

「どうかしましたか?」

「早くしねぇと帰れなくなるぜ」

 審査員席の後ろに立ったエトーが嘲笑するように言う。

「どうした。腰でも抜かしたか?」

「あ、ああ」とようやく3人は腰を浮かした。「い、いや、素晴らしいものを……」動揺の余り、挨拶の言葉が続かない。

 イズイィは朗らかな笑顔を浮かべた。

「お疲れのようですな。無理もない。随分と長丁場でしたから。

 本日はありがとうございました。森の中は危険だ。こちらの方が森の外までご案内しますのでご安心下さい。

 それでは、エトーさん。お願いします」

「おう」

 エトーが先頭に立ち、覚束ない足取りで武官たちが後ろに続く。

「どうだった」

 イズイィに尋ねたのはルゥである。

「種は蒔きました」

 去っていく武官たちを見送りながらイズイィが答える。

「芽を出すかどうかは--」と言いかけ、イズイィは射場のカイトたちを振り返った。ハルが射場に上がり、プリンスと3人で何かを話している。悔しさを抑えきれないのだろう、ライは彼らに背中を向けて歯軋りしていた。

「いや。必ず芽を出すでしょう。これならば」

 と、確信に満ちた声でイズイィはルゥに笑顔を向けた。


「まいったよ、カイトちゃん。カイトちゃんに負けないよう、ボクにしては珍しく、かなり練習したんだけどね」

 射場でプリンスがカイトに話しかける。

「弓では誰にも負けたくないもの」

「あたしもいつかはあんたに追いつきたいと思ってたけど」

 ハルがため息をつく。

「ムリだわ。あんなの」

「ねぇ。ライのおっさん」

「なんだ?」

 不機嫌さを剥き出してライが振り返る。

「どうせだから演武会もやらない?」

「ああ?」

「ボクに負けたままじゃあ、平原王とのいくさに支障が出るんじゃないかと思ってね。どうかな」

「テメエ」

 ライがキレなかったのは奇跡と言えた。

「オレに勝つ気か」

「もちろん」

 軽薄な笑みを浮かべてプリンスがライを挑発する。ライの口から低い笑い声が洩れた。『おやっ?』とプリンスは思った。ライの反応がプリンスの予想と違う。

「いいだろう。受けてやるよ」

 ライに妙な余裕がある。

 プリンスがライに会うのは7ヶ月か8ヶ月ぶりだ。たった数ヶ月である。しかし、前に会った時よりもライの雰囲気が随分と柔らかい。

 プリンスの頬に、知らず知らず笑みが浮かんだ。

「それじゃあ決まりだね」

 平坦な声に期待を隠して、まだ観客席に残っていた森人たちに、プリンスは顔を向けた。



 演武会の開催が本決まりになると、誰もが参加を希望した。弓技会での負けを取り返そうと言うのだろう。

 だが、希望者全員に参加を許すといくら時間があっても足りなくなるのは明らかで、演武会への参加は、酔林国と同じく、弓技会の予選上位通過者の中から審査員の認めた者に限ると決められた。

 弓技会の優勝者であるカイトには当然、参加資格があり、カイト本人もやる気満々で出るつもりだった。

 しかし、まずカイトの伯母が彼女を止めた。

「あなたは女の子なのよ。もしものことがあったらどうするの!」

「前はライに勝てたけど、ちょっとズルをしたし、今は判らない。だから出たいの。伯母さま」

「前は……?」

 カイトが頷く。

「酔林国で」

 言わない方がいいのかな、と思いながらカイトは言葉を続けた。

「優勝したの。わたし」

 眩暈がして、伯母は天を仰いだ。

 次にカイトを説得しに来たのはハルの母、ルゥである。

「出るのは良いことだと思うよ」

 ルゥはまずそう言った。

「でもね、あんたが出ると、ハルも出るって言い出しかねない。あたしはハルに怪我をさせたくないんだ」

 これは説得力があった。

 迷ったカイトは、ライを相談相手に選んだ。

「出たいのなら出ればいいさ」

 カイトと並んで座ったライはそう答えた。

「だが、演武会も、弓技会と同じさ。

 集まってる連中はみんな人の指示に大人しく従わねえ連中ばかりだ。こっちの言うことを聞かせるためには、こっちの方が強いってことを教えた方が早い。

 いくさならオレの方が本職だ。

 連中にオレの指示に従って貰うために、オレの方がプリンスより強いってことを示すことが目的なんだ。

 だからお前は、今回は大人しく見るだけにしときな」

「判った」

 しぶしぶとカイトは頷いた。

 イズイィが遠くからライを呼ぶ。これから平原王とのいくさについて打ち合わせをするのだと、カイトは聞いていた。

「断っておくがな」

「何?」

「お前に負けるのが嫌で言ってるんじゃないぞ。あくまでも、平原王に勝つことが目的だから言ってるんだ」

 ライが立ち上がる。

「いいな。勘違いするなよ!」

 振り返って念押しをする。

 そのまま歩き去っていくライを、カイトはポカンと見ていた。ライとイズイィが短く会話を交わす。

 カイトの口から笑い声が零れる。カイトは立ち上がった。ハルを探す。ハルを探して歩く彼女の瞳から、涙がポロポロと落ちた。

 ハルはルゥと楽しそうに何事か話していた。ルゥがカイトに気づいて、ハルに声をかける。

「カイト!」

 ハルはすぐに駆け寄って来てくれた。

「何かあったの?」

「ううん」

 カイトは首を振った。

 自分の気持ちが判らなかった。悲しい?悔しい?それとも嬉しい?破裂しそうなほど胸が痛み、苦しい。それだけは判る。『こういうときは泣いた方が楽だよぉ』ロロがニーナに言った言葉が耳に蘇える。

「少し泣かせて。ハル」

 ハルは黙ってカイトを抱きしめ、彼女の頭に手を回した。カイトはハルの肩に頭を預けて、幼い子供のように声を上げて、泣いた。

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