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7-2(消せないもの2)

『カニだ』

 初めて彼に会った時、カイトはまずそう思った。

 歳は40代か。厚みのある四角い顔に厚みのある四角い体。手足は短く、立ち姿に安定感がある。

「ちょっといいかい、カイト」

 カイトに声をかけたのはルゥである。

 カイトがカニだと思った男は、戸口に立ったルゥの後ろから、あたたかい笑みを浮かべて室内のカイトを見つめていた。

「この人があんたの話を聞きたいそうだ。いいかな」

「誰?その人」

「平原王と戦うと言っても、あたしたちはいくさは素人だからね。この人はイズイィ。外から来てもらった魔術師だ。傭兵団の団長もやっててね、ま、軍事顧問、といったところだね」

 ルゥの話を聞いて、カイトは二つのことを思った。

 まずひとつは、イズイィが、カイトの知る魔術師、トロワとはぜんぜん雰囲気が違うということ。トロワと比較すると、イズイィはまったく魔術師らしくなかった。むしろ彼は、ライやマクバたち武人に近い雰囲気を纏っていた。

 それともうひとつ気になったのは、彼の名前だ。

「もしかして、イズイィさん、キャナの人?」

「おう。その通りだ」

 明るく笑ってイズイィが頷く。

「今はこうして傭兵稼業だが、元は雷神様の神官さ。よく判ったな、嬢ちゃん」

「ガヤの街に行った時に、よく似た名前の人に会ったから。それと、わたしはカイト。カイトと呼んで下さい」

「ああ、すまん。判った。そう呼ばさせてもらうよ」

「それじゃあ、イズイィさん。あたしはもう行くけど、いいかい?」

「おお、助かりました、ルゥ殿」

 イズイィが片手を上げる。

「もし事が起こったら手伝って欲しいって、母さまがイズイィさんに声をかけたのは2ヶ月ぐらい前よ」

 後でカイトは、ハルにそう教えてもらった。

 2ヶ月前。

 平原王の兵士が攻め寄せて来る、ずっと前だ。

「できるだけの準備はしておく。母さまってそんな人なの」

 ハルはそう言って肩を竦めた。

「それでガヤに行った時に会ったのって、大酒飲みの大将か?」

 改めてカイトと居間で向き合って、イズイィが尋ねる。

「うん」

「オレは会ったことはないが、名前は聞いたことがあるよ。そうか、ガヤの街に行ったことがあるのか」

「うん」

 イズイィが顎髭をガリガリと掻く。しばらく考えた後、カイトの栗色の瞳の奥にあるものを探るように、イズイィは慎重に尋ねた。

「……砦を落とした時のことを話すのは、辛いか?カイト」

 カイトが返事をする前に、イズイィはすぐに両手を振った。

「判った。悪かった。それはいい。

 それじゃあ、酔林国のことなら、話せるか?」

 カイトが目を閉じて顔を上げる。

 短く息を吐く。

「うん」

「ありがとうよ。平原王と戦うのに少しでも情報が欲しいんだ。相手も状況も違うが、酔林国は外から攻めて来た敵を撃退しているからな。

 知っていることだけでいい。

 悪いが頼む」

「うん」

 元神官だからだろうか、外見とは異なり、イズイィの質問は細やかだった。両親のことには触れることなく、彼は酔林国での出来事を詳しく聞き出していった。

 出産の巫女役のことから始まって、弓技会、演武会、それに、ライやエトーたち酔林国の軍のことまで。

 話があっちこっちと行き来し、酔林国への道中に戻ったところで、

「キャナとの戦争のことなら、プリンスに聞いた方がいいわ」

 とカイトは言った。

「プリンスは実際に参加したって。ハルが言ってた」

「そうか。参加したことのあるヤツがいるのか」

 イズイィが深く頷く。

「判った。後で聞いてみるよ」

 カイトの話を聞くだけでなく、イズイィは自分のことも話した。

「傭兵稼業がこんなに性に合うなんて、一番驚いたのはオレ自身さ。神殿を出る前は、人に殴られたこともなければ人を殴ったこともなかったからな」

「それなのにどうして傭兵になったの?」

「そうだなあ」

 とイズイィは言葉を探した。

「金を稼ぐにはそれが一番手っ取り早かったというのはあるが、百神国や洲国とのいくさを経験したのが大きかったな。

 ヤツラが攻めて来た時、オレはまだキャナにいたんだ。キャナにいて、神官としてではなく一市民としてヤツラと戦ったんだよ。

 最初はただ、棒っきれで百神国の兵士を殴りつけるだけだったけど、運よく生き残って、次は前よりもうまくやれるようになった。そのうち棒っきれが剣になり、槍になり、魔術はずっと研究していたから魔術を取り入れた戦術を考案して、元の神官仲間を集めて自警団らしきものを組織して、『武装魔術団』と名乗って団長に納まった。

 人を殺すのはあまり性に合わなかったが、よく見えるんだ。

 なんと言うか、戦場の動きが。どういう理由で軍が動いているか、後詰はいるか、補給はどうなっているか。

 戦略的にどこを押さえるべきか、といったことが。

 そうなると面白くなってね。今こうして、こにいるって訳だ」

「そうなんだ」

「信じてもらえないかも知れないが、こう見えても、神官だったころには同期の中では出世頭だったんだぜ。

 何せ雷神様が神殿の扉を閉じられたときには、遠雷庭にいたんだからな」

「エンライテイってなに?」

「雷神様のいらっしゃる禁忌の島さ。雷神様の主神殿があって、キャナの神官なら誰でも遠雷庭に奉ずることを夢見てた。

 特別に許された者しか足を踏み入れることができないところで、雷神様の信徒は、対岸の”石段”って街で祈りを捧げるんだ」

「変わった名前の街だね」

「段数は少ないが、雷神様に祈りを捧げるための広場に続く、幅の広い石段があるんだ。それが街の名前の由来だって言われてる。

 雷神様にお仕えするために”石段”から船で遠雷庭に渡った時には胸が震えたよ。

 それだけに、姫巫女様だけを残して島から出るように言われた時には辛かった。

 ……姫巫女様も、お元気ならいいんだが」

「ヒメ巫女様って、誰?」

「雷神様の神殿組織で一番エライ御方さ。雷神様が神殿の扉を閉じられた時に、姫巫女様だけは遠雷庭に残ることが許されたんだ。

 優しいお方で、島を出るオレたちのこともずっと気にかけられてた」

 イズイィが声を途切らせる。

 ふと、視線を遠くへと向ける。

「あれは、どういう意味だったんだろう」

 独り言のようにイズイィが呟く。

「あれって?」

「島を出る前に姫巫女様がオレに言われたんだ。『いずれ主が扉を開かれる時が参りましょう』とな。『あの御方がもう一度訪ねて来られれば』ってな。

 オレが、あの御方というのはどなたのことでしょう、それはいつのことでしょう、と尋ねると姫巫女様は『わたくしにも判りません』とおっしゃった。『でも、きっと訪ねて来られる気が致します』と。『根拠は何もないのですが』と」

「……」

 イズイィはハッと我に返った。なぜこんな話をしてしまったのかと不思議に思いながらカイトに視線を戻す。

 カイトの栗色の瞳が彼を静かに見つめていた。少し青みを帯びた、泉のように静かな瞳が。

 いかついイズイィの顔に、あたたかな笑みを浮かぶ。

「少し、余計なことを話し過ぎたかな。すまんな」

 カイトは首を振った。

「ううん」

「ありがとう、カイト。助かった。

 それでな、悪いがひとつ断っておくことがあるんだ。お前が平原王の砦を落とした件だが、使わせてもらうことになると思う」

「どういうこと?」

 イズイィが背筋を伸ばし、僅かに体を乗り出す。

 まっすぐ自分見つめるイズイィの瞳を見返して、この人はきちんと森と向き合っている人だ、とカイトは思った。だから、カイトはイズイィを信じた。イズイィの告げたことの意味はよく判らなかったが、それはカイトにとって大したことではなかった。

「大義をこちらに取り戻すんだ」

 と、拳を固めてイズイィは力強く言った。



 それから一ヶ月ほど後のことである。

 カイトは珍しい光景を見た。

 集落で飼っている犬たちが、激しく尻尾を振って見知らぬ男に--余所者に--じゃれついていたのである。どこか見覚えがある人だなと思い、不意に気がついて、カイトは「おじさん!」と驚きの声を上げた。

 男が顔を上げる。

「よお。久しぶりだな、嬢ちゃん」

 男が口の端だけを歪めて応じる。

 一度見たら忘れられない悪人顔に、奇妙な優しさの混じった悪人声。

 酔林国に向かう道中で出会った、ヴィトである。

「どうしてここにいるの?」

 自分にじゃれついて来た犬を構ってやりながらカイトは訊いた。ヴィトの集落は遠い。流石に森は、彼に平原王の襲来を教えていないはずだ。

「呼ばれたのさ。イズイィって野郎にな」

「え」

 ヴィトを呼んだ理由を、後でイズイィは、「悪人顔だとカイトが言ってただろう。それで来ていただいた」と説明した。

「ヒデェ理由だな」

 理由を聞いてもヴィトは、さして気分を害した様子もなく嗤った。

「今回のいくさは、神々の承認を得た戦いとなる。とすると、平原公主様の神官か巫女様といくさの内容について交渉する必要がある。クル一族の巫女様は、交渉役になっていただくには少し上品すぎるからな」

 婆さまのどこが?とカイトは思った。

 しかし、改めてヴィトの悪人顔を見ると、ま、この人なら外見で後れを取ることはないかと、カイトは納得した。



 次々と集まってくる他の一族の民人は、クル一族の巫女に断りを入れると、森の中へと潜んで来るべき時を待った。

「事が起こる前に打ち合わせを」と、イズイィは彼らに声をかけたが、打ち合わせ場所として指定した狂泉の祠前の広場に、約束の時間に現れたのはクル一族とオルガ一族、それに普段から両一族と交流のある一族だけだった。

「やっぱりこうなったか」

 諦め口調で言ったのはルゥだ。

「無理もないけどね」

「まぁな」

 と、ルゥの夫、バダが頷く。

「しかしこれではどうにもなりません。それぞれの一族が勝手に戦って勝てる相手でもないでしょうし、いずれかの一族の負けが狂泉様の森、全体の負けということにもなりかねない」

「そんなこと言ってもな、魔術師さん。これがオレらだぜ?」とバダ。

「うーん」

 イズイィが唸って腕を組む。

 クル一族の民人に混じってカイトも座の一角に座っていた。そこへ、

「困ってるようだな」

 と、耳元でいきなり声が響いて、カイトの総身の毛が逆立った。

 誰かが近づいて来る気配はまったくなかった。カイトは弾かれたようにその場から飛び離れ、

「エトーさん!」

 と、声を上げた。

 広場の人々の視線が集まった先に、黒いシミのように、冷笑を浮かべたエトーが立っていた。エトーの後ろからよろめきながら歩いてくるのはライだ。

「……急に、走りやがって……」

 ぜえぜえと肩で息をしている。

「やあ、エトーさん、ライのおっさん。久しぶりだねぇ」

 二人に明るく声をかけたのは、ハルと並んで座ったプリンスである。

「お前も来ていたのか、ゴート」

 口の端だけを上げてエトーが応じる。

「おっさんと呼ぶんじゃねえ」

 ライはチッと舌を鳴らしてから、文句を言った。ふーと長い息を吐き、体を起こす。集まった面々を見回し、

「で、何が問題なんだ?」

 と訊く。

「打ち合わせをするはずだったんだけど、他の一族の人が来てくれなかったの」

 眉根に疑問を浮かべたまま、カイトが答える。

「そんなとこだろうと思ったぜ」

「どうしてライがここにいるの?」

 半月前にヴィトに尋ねたのと同じことを、カイトは訊いた。そしてライの答えもまた、ヴィトと同じだった。

「手紙をもらったのさ。イズイィって人から」

「え」

 イズイィが立ち上がる。

「挨拶が遅れました。わたしがイズイィです。遠いところ、よくおいで下さいました。ご助力の程、よろしくお願いします」

「あんたがそうか。数が少なくて申し訳ない。あっちはあっちで人が要るからな。

 オレはライ。コイツはエトーだ。

 よろしく頼む」

「でも、どうやってこんなに早く来れたの?」

 カイトが戻ってからまだ一ヶ月と半月ほどしか経っていない。イズイィが出した手紙が着いてから酔林国を出発したとすると、もっと時間はなかったはずだ。

「一度大平原に出たのさ。遠回りにはなるがな。大平原に出て、いろいろ使ってここまで来たんだ」簡単に言ったそのいろいろが、どれほど無茶だったか、ライもエトーもカイトに話すつもりはない。

「カーラも来たがったんだが、あいつを連れて来るとニーナたちまでついて来そうだったからな。抑えのために残してきた。

 ここに来るついでに、トークスの街も覗いて来たぜ」

「トークス?」

「ここから一番近い大平原の街だ。

 --平原王が来てる」

 イズイィがルゥを振り返る。ルゥがこくりと頷く。二人とも驚きはない。

「待ってた、って顔だな」

「来てくれればありがたい、とは思っていました。どんな様子でした?」

「この森を城に見立てて攻めるつもりのようだな。街の郊外で攻城用の櫓を作ってた。大型の投石器もあったぜ。

 兵の数は、ざっと見だが、5万、といったところかな。

 こっちは幾らぐらいいる?」

「おおよそですが、1500といったところでしょう」

「それでもよく集まった方……、か」

「ええ。ですが、たった1500でも協力していただくのは難しそうです」

「そんなこと、簡単さ」

 軽い口調でライが言う。「えっ」と、イズイィは訝し気にライを見返した。

「カイトがいるからな」

「え」とカイト。

「どういう意味ですか?」

「あんたには判らないだろう。この森では弓の腕のあるヤツは一目置かれる。弓の腕比べをすればいいんだ。

 そうすればみんな、カイトの言葉に従うだろうよ」

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