6-3(帰郷3)
カイトは玄関の扉を勢いよく開き、「ただいま!」と弾んだ声を響かせた。父と母を驚かせるつもりだった。
しかし、返事はなく、居間は深く静まり返っていた。
「あれ」
肩にかけていた荷物を、いつも使っている自分の椅子に置く。弓を立て掛け、矢筒と山刀も外した。父と母に話したいことがいっぱいあった。「母さま!」「父さま!」と二人を探すがどこにも姿がない。いつもより室内が片付いている。カイトはそのことにすぐに気づいたが、それを不審とは思わなかった。
二人で森に入ったのかも知れない。もしそうなら、数日は帰って来なかったとしても不思議ではない。
カイトは巫女である老女の家へと向かった。
森に入るなら老女に断ってから行くはずだ。そうでなくても、彼女なら両親がどこにいるか知っているだろうと考えたのである。
老女の暮らす平屋の前に数人の人影があった。集落の女たちである。老女はその中心に、ひどく疲れた様子で座っていた。婆さまが座っているなんてめずらしい、とカイトは思った。
「婆さま!」
カイトの声に全員が振り返る。カイト、カイト、と女たちが彼女の名を呟く。しかしまだ、カイトは何も不吉を感じなかった。
「ただいま戻りました」
老女が座ったままカイトを見上げる。
「そうか。戻って来たか」
口調が重い。
「婆さま。父さまと母さまが家にいないの。どこに行ったか、知ってる?」
「死んだ」
「え?」
「カタイとサヤは、死んだ」
カイトは冗談だと、本心から思った。だから笑った。
「何を言ってるの、婆さま」
「本当なの」
カイトは声を振り返り、そこに伯母がいることにようやく気づいた。
「本当に、サヤとカタイは死んでしまったの」
涙声でそう言って、伯母は両手で顔を覆った。
カイトは口をつぐんで立ち竦んだ。
両手で顔を覆った伯母をまじまじと見返す。視線を回し、自分を見つめる女たちを順々に見る。だが彼女は、実際には何も見てはいなかった。
このとき彼女が見ていたのは、空っぽの、板のように奥行きのない、薄っぺらな闇だけだった。
「なにがあったの」
感情の消えた声でカイトは訊いた。
「カイトは平原王、を知っているか」
答えたのは老女である。
「うん」
「平原王の兵士がな、森に攻め寄せてきたのじゃ。理由は知らぬがな。許可なく森に入った者がいると森が知らせて、我らが一番近いところにいたので、弓を取った」
「うん」
「森に入った者はすべて殺した。だが、フォンが捕まった」
「フォンが」
老女は頷き、話を続けた。
「フォンは捕まって、殺されなかった。……友釣りに利用されたのじゃ」
カイトの眉がぴくりと動く。
「最初に森を出たのは、カタイじゃ」
「父さまが」
「だが、誰が、というのは問題ではない。いずれは時間の問題じゃったろう。30人ばかりが森を出て、全員が狩られるように殺された」
カイトは、ガヤの街を思い出した。
砦には500人程度の兵が常駐していると、ライは言っていた。森から出てしまえば、たったそれだけの人数で酔林国に対するには十分だと。
「……母さまは?母さまも、森を出て戦ったの?」
老女が首を振る。
「その夜にな、何人かの女が死体を森に戻そうと、森を出た。だが、戻ったのはサヤだけで、戻りはしたものの、カタイの首を抱いて死んでおったよ」
「……」
「それが今朝のことよ」
伯母が震える声で言う。
「二人はもう、狂泉様の許にお返ししたわ」
「フォンは、フォンはどうなったの?」
「ワシが殺した」
平板な声で老女が言う。
「あれの母が兵どもの注意を引いている隙に、ワシが……、この手で、な」
老女を囲んだ女たちが嗚咽を漏らす。老女の両手が腿の上で震えていた。いつもは巨木のような彼女が、小さく、弱々しく見えた。
その老女を見ながら、カイトは「良かった」と晴れやかな声で言った。
「フォンも、婆さまに楽にして貰ったのなら」
訝しく思って老女はカイトを見上げた。カイトの口元に、笑みがあった。不安が老女の胸を苦しいほどに絞めつけた。
カイトの正気を疑ったのである。
「婆さま」
「なんじゃ」
「狂泉様に誓いを」
「どんな誓いじゃ」
「一族みんなの仇を。一族一人の命に対して、仇の命、10で償わせる」
「出来るのかえ」
「出来なければ、狂泉様がわたしを殺して下さるわ」