6-1(帰郷1)
カイトの腕に縋るようにしてぐすぐすと泣いているロロを見て、ニーナはカイトが訪ねて来た理由を察した。ロロが一緒なのは、ロロの家の方が、カイトが世話になっているトロワさんのところに近いからで……。
「ニーナ」
強張ったカイトの声を聞いて、ニーナは二人にくるりと背中を向けた。
「ちょっと待って」
明るく言う。しかし、声が震えた。
「あんたが北に帰るときは、笑って送り出してあげると決めてたの。だから、少しだけ待ってもらえる?」
「にぃなぁ」
ロロが涙の混じった声で話しかける。
「こういうときは泣いた方が楽だよぉ」
空を振り仰いでも止められない涙がぽろぽろと零れて、両手で口を覆ったニーナの視界が歪んだ。
ひとしきり泣くだけ泣くと、ロロの言う通り、少し楽になった。
「どうして帰ることにしたの?」
自宅近くの木陰に場所を移して、ニーナはカイトに尋ねた。
「ニーナはタルルナさんって知ってる?」
「ううん」
「紫廟山の向こうから酔林国に来るときにね、わたしが護衛をしたキャナの商人なの。その人にね、護衛の報酬として、人を探して欲しいってお願いしてたの」
「その人が見つかったの?」
まだ涙声でロロが問う。
「うん。昨日、タルルナさんの使いの人が来て、教えてくれた」
「どんな人なの。あんたが探してた人って」
「わたしが殺した人の娘」
「え?」
「5年ぐらい前にね、うちの一族と別の一族が揉めたことがあるの。相手の一族は全部で20人ぐらいの小さな一族で、結局、全員死んだわ」
カイトが淡々と言う。
ニーナもロロも驚いた様子は見せなかった。
酔林国ではあまり聞かないが、狂泉の森では決して珍しい話ではない。
「その時に、わたしも女の人をひとり、殺したの。深手を負ってて、もう助からないのは間違いなかったけど、うちの姉さま方に嬲り殺しにされそうだったので、その前にわたしがとどめを刺したの」
「うん」
ニーナが頷く。カイトなら、たとえ5年前でも他の女に先んじることなど容易いことだったろう。
「すぐ近くの茂みに、娘が隠れていたわ。すぐに気がついたけれど、きっと母親の後を追うだろうと思って、そのまま見逃したの。
でも、どうやら森を出たらしいの」
「……一人で?」
悲しみをはるかに上回る驚きに、涙の跡を残したまま、信じられないといった口調でロロが訊く。
「うそ」
ニーナも同じだ。さっきまで泣いていたことを、彼女も忘れた。
「他の一族の人が、一人で森を出る子供を見たって。一人で南に下って、森を出たって。とても信じられなくて、母親を殺したところに戻ってみたけど、その時には母親の死体もとっくに狂泉様の御許に返されてて、娘が死んだのかどうかも確かめられなかった。
でも、どうやらホントらしいの」
「いくつぐらいなの、その子」
「わたしたちと同じ」
「つまり、9歳か10歳で、森を出たってこと?たった一人で?」
「うん」
「……信じられない」
「酔林国に来るまでに、森の外には身分というものがあるって教えてもらったわ。それに、人がお金で売られることもあるって。
もし、彼女が外で辛い目にあっているなら、楽にしてあげたい」
「そう……だね」
ニーナが同意する。ロロもこくりと頷いた。
昨夜、同じ話を聞いたライもまた、
「ま、そうだな」
と、頷き、
「それが見逃しちまった、お前の責任だな」
と言った。
一方のトロワは、
「酔林国に来てもう20年になるが、それが狂泉様の民の考え方か」
と、首を振った。
そういったところが、狂泉の森で育った者と、森の外から移り住んだトロワの違いだろう。
「つまり、ただ北に帰るんじゃなくて、そのあと森の外に出るのね?」
「うん」
ニーナがふぅと息を吐く。自然と笑みがこぼれた。仕方ないなぁ、と思った。
「危ないから止めて、って言ってもムダよね」
「ごめん」
「……カイトらしい」
「ホントね。イヤになるぐらいあんたらしいわ。それで、いつごろ帰るつもりなの?」
「あと一ヶ月ぐらいでトロワさんのお酒造りが一区切りつくらしいの。それまではお世話になろうと思ってる」
「判った。一ヶ月ね。また森に行こう、カイト」
「うん」
「明日にでも」
「うん」
と力強く頷いて、カイトはまずニーナと、続いてロロと別れた。
トロワ宅に戻りながら、カイトは昨夜のトロワの言葉を思い出していた。
「……しかし、トワ郡か」
ひとり呟いたトロワの口調には、何か苦いものが含まれていた。
「トワ郡がどうかしたの?」
暗い表情でトロワが頷く。
「ちょっと揉めているって聞いてる。王都から派遣された郡主がロクなヤツじゃないってね。
それと、トワ郡はクスルクスル王国の西の外れにある。
キャナが洲国を突破すれば、真っ先に攻め込まれる地方のひとつだよ」