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5-4(タルルナの使い4)

「嬢ちゃん、森の外に出るのは初めてか?」

「どうして判るの?」

 驚いてカイトはタガイィを見上げた。

「オレは何でもお見通しだからさ」

「そうだろうよ」

 ライが鼻で笑う。

 タガイィでなくとも判っただろう。目を輝かせて辺りをきょろきょろと見回しているカイトを見れば。

 城壁内の住居は肩を寄せ合うように建てられており、これほど建物が密集しているのを見るのは、カイトは初めてだった。

 行き交う人の数も多い。

 人々の着ている服も狂泉の森に比べれば随分と色鮮やかだ。

「……森とはぜんぜん違う」

「なにが違う?」

「まず、臭いかな。それと、音」

「ああ」

 城壁内には人の生活臭や生活音が満ちていた。ライは意識することはなかったが、カイトには気になるのだろう。

「ここで一番賑わっているのは市場だ。連れてってやりたいが、今日はもうやってないな」

「明日、行けよ。泊まっていかないのか?」

「3人になるが、いいか?」

「おう。酒はみんなで呑んだ方がうまいからな」

 少し呂律の回らない舌でタガイィが答える。当然のように夜も呑む気らしい。

「余計なお世話だとは思うけど、あまり呑みすぎると身体を壊すわよ、タガイィさん」

「心配してくれてありがとうよ、ヨリちゃん。でもな、ここじゃあ他に楽しみがなーんにもなくてな。

 呑んでなきゃあ、とても、やってられないんだよ。

 じゃあまずは、ヨリちゃんの入国の手続きをして、そうだな……ちょっと城壁に上がってみるか?狂泉様の森を外から見てみたいだろう、嬢ちゃん」

「カイト」

「ん?」

「わたしはカイト。カイトと呼んでください」

 ガハハハハとタガイィが笑う。

「そうか、カイトちゃんか。判った。そう呼ばせてもらうよ」

「あまりカイトを子ども扱いするなよ」

 ライが注意する。

「してない、してない。そんなこと」

「ソイツ、弓の腕なら酔林国で一番だ。それにな、演武会、知ってるよな。演武会の体術では、カーラやオレを下してカイトが優勝してる」

 タガイィがライを振り返る。

「それはすごいな」

 と言って前へと向き直り、ガハハハハハと笑った。

「お前も冗談が上手くなったなあ」

 ムッとカイトが黙り込む。「……カイトに出会った頃のオレを見てるみたいで、いささか恥ずかしいな」とライが呟いたが、タガイィには聞こえなかったのだろう、「おう、こっちだ、こっちだ」と一行の先頭に立ってタガイィは機嫌良く歩いていった。


「わぁ」と、カイトは声を上げた。ガヤの街を囲む城壁の上である。

 ヨリの入国手続きは、ライとタガイィ、ヨリの後ろに聳え立った巨漢二人の圧力に負けて、役人が早々に終わらせてくれた。

 カイトの横に立ったタガイィが遠くに見える緑を指で示す。

「判るか、嬢ちゃん。あれがぜんぶ、狂泉様の森だ」

 ガヤの街の外に広がる麦畑を越え、荒れ野も越えた先に、森が広がっていた。森は次第に細い線となって東西方向、左右に見渡す限り伸びている。

 右を見ても左を見ても、終わりがない。

 正面の森の向こうに青く霞んでいるのが、酔林国の背後に聳える紫廟山を含む峰々だろう。

 かなり広いはずの酔林国は森に沈んで、城壁の上からはどこにあるかまったく判らなかった。

「広ーい」

 カイトが弾んだ声を上げる。

「タガイィ様。よろしいのですか」

 タガイィの背後から若い兵士が声をかけた。

 兜の下の顔にも背筋をまっすぐ伸ばした姿勢にも、キャナの市民らしい生真面目さが表れていた。

「敵国の人間をこのようなところに連れて来られたりしては、後々問題になるのではありませんか?」

「いいに決まっているだろう。これは軍事的示威活動だ」

 若い兵士は反応を返さなかった。

 きょとんとしている。

「どうだ、嬢ちゃん。ここからだと森のどこから人が出て来ても見えるだろう。酔林国が攻めてきたとしてもすぐに判る。攻めてくればすぐに早馬を出し、狼煙を上げる。各地から援軍が送られて来るし、援軍が来るまで市民も一緒になってここで戦う。

 だからガヤを攻めるなどという、無駄なことはするなよ。

 ……と、いったことを、この野蛮人どもに知らしめるためにやっているんだ。

 判るか?新兵」

「は、はぁ……」

「今夜はオレの家でこの野蛮人どもを取り調べることにしている。膝詰めで厳しくな。お前も来るか?」

 戸惑う若い兵士を、彼の隣に立った古参兵が肘でつつく。「やめとけ」と小声で言って、古参兵は作り物の笑顔をタガイィに向けた。

「そのような大任は我々の手に余ります。大将に、お任せいたします」

「ふむ。酒は大勢で呑む方が楽しいんだがな。残念だ。そうだ。あれをこいつらに見せてやろう」

「あれって何だ?」とライが訊く。

「連弩だよ。新式のな」


 若い兵士が連弩を構える。

 彼が狙っているのは30mほど先の的である。

 一矢が放たれ、矢が放たれるや否や、ほとんど構えを崩すことなく若い兵士は右手で連弩のレバーを引いた。

 レバーの動きに合わせて弦が引かれ、同時に弾倉から次の矢が装填され、若い兵士は続けざまに矢を放った。

 10本の矢が放たれるのに、15秒程度しかかかっていない。

「すごいな」

 ライが感嘆の声を漏らす。

 放たれた10本の矢はすべて的に当たっている。

「コイツの改良点はまず、軽くなったこと。それと次の矢を装填する機構を見直して矢が詰まりにくくなっている。あとは、照準をつけたことだな。狙う距離によって二つの照準の高さを調整するんだ。

 軽くなったことで照準から目を離すことなく、正確に矢を放てる。

 矢の追加も簡単だ。弾倉ごと交換できるからな。弾倉には矢が10本、収められている。打ち尽くせば次の弾倉と交換すればいい。

 どうだ、ライ?」

「こいつを実戦で使えるようになるのに、どの程度かかる?」

「ほとんど必要ねぇよ。こいつさえあれば新兵でもすぐに実戦に出せる。数にモノを言わせてな」

「流石はキャナだな」

 キャナは人口が多く、物資も豊富である。数にモノを言わせてとは、その両方を差しているのだろう。連弩を持った新兵が10人並んだだけでも、相対する側としては脅威になるのは疑いがなかった。

「恐れ入ったか、ライ」

「ああ」

「ねぇ、ライ」

 ずっと黙っていたカイトが、不意にライに話しかけた。

「なんだ?」

「見せてもらってばかりだと悪いから、わたしたちも、グンジテキシイカツドウ……だったかな、やった方がいいと思わない?」

 ライが口の端を上げて笑う。悪戯小僧の顔である。

「そう言うと思っていたぜ」

 笑いを消してライはタガイィを振り返った。

「ちょっとこっちの新兵器、いや、違うな。現行兵器の威力も見せといてやるよ、タガイィ」

 カイトは弓を手に的に向かった。カイトが行った軍事的示威活動に、タガイィは顎を落とし、古参兵たちは言葉を失くして、若い兵士は連弩を手にしたまま顔を青ざめさせて、ごくりと喉を鳴らした。


「カイトちゃん。わたしたちはもう休ませてもらいましょう」

 ヨリに軽く肩を揺すられて、カイトは瞼を上げた。

 タガイィの自宅での夕食の席である。

 カイトの顔が赤い。酔っているのだ。あまり酒を呑めないカイトだが、タガイィに「弓の腕は一流だが、酒は弱いんだなあ」と挑発されて、つい呑みすぎたのである。

 とは言え、酷く呑んだ訳ではない。

 初めて森の外に出て、いつもより緊張感もあったのだろう、疲れてもいたのだろう、そこに慣れない酒を呑んで、寝落ちしたと言った方がより正確だった。

「うん」

 半分眠ったまま頷き、ヨリに連れられて部屋を出て行く。

「見た目は、普通の嬢なんだがなあ」

 カイトを見送り、しみじみとタガイィは言った。

「体術でお前に勝ったって、アレ、ホントなんだよな?」

「ああ」

 確認するように訊いたタガイィに、ライは頷いた。

「流石に剣術では勝ったがな。しかし、今度やったら負けるかもな」

「おいおいって、ありそうだから怖いな。嬢ちゃんの弓の腕を見せられた後だと」

「演武会が終わってから、エトーがカイトに足捌きを教えてるんだ。オレに負けたままじゃあ悔しいだろうってな。オレが木剣を持ってて、素手のあいつがオレの背中を取ったらあいつの勝ち、というゲームをやってるんだが、最近じゃあ、5回やって2、3回は背中を取られっちまう。

 コツをつかんできたんだろうな、もう一ヶ月もすりゃあ、5回やって5回とも背中を取られるようになりそうだ」

「槍ならどうだ。お前、槍が一番得意じゃねぇか。それなら背中を取られたりしないだろう」

 ライが笑う。

「それを言うとな、カイトは本来、猟師だ。オレだけが本来の得物を持つのは不公平だろう?オレが槍を持つなら、あいつにも弓を持たせないと。

 弓を持ったあいつには敵わないさ。仮に一矢を躱しても、躱した先にも矢が飛んできていそうだ」

「ああ。確かにな」

「それにしても、昼間見せてもらった連弩。すげぇな、アレは」

「だろ?」

 得意げに、髭だらけの顔でニヤリとタガイィが笑う。

「カイトなら、連弩を持った兵士が10人いても対処できるだろうが、お前らは連弩を持った兵士を千人、苦も無く揃えちまうからな。

 こちらはカイトと同じ技量を持ったヤツなんか、一人も揃えられねえ」

「ああいう武器の、それが強みだからな」

「まぁな。で、そちらの状況はどうなってる?」

「順調だぜ」

 タガイィがジョッキを一気に呷る。酔眼が憂いに曇った。

「百神国の……」と、ひとつの街の名をタガイィは口にした。「……は落とした」

 百神国の主要都市のひとつだ。ライも知っている。

「つまり、百神国の三分の一はキャナの手に落ちたってことだな」

「そういうことだ。まだしばらくはかかるだろうが、百神国は問題ねぇ。海戦で手痛い敗戦を喫したが、いい教訓になった。制海権はもうウチのものだ。で、西での経験を生かして、東でも洲国の海はほとんどオレたちのものになってる。

 洲国の郡州も二郡は直轄地だ。一郡は洲国のヤツに治めさせてる。別の二郡はこっちについた。残りは二郡だが、そちらも時間の問題だろう」

「本気でクスルクスル王国と戦る気か?」

「だろうな。止める理由がねえ」

「これまでのようにはいかないぜ、クスルクスルは」

「今は勝利に浮かれてるんだ。国中がな。止めたくても止められないというのが上の連中の正直なところだろうが、どうにも大将の腹の内が読めねえ」

「……モルドか」

「ああ」

 タガイィが黙る。しばらく沈黙が続いた。

「ヤツが何を望んでいるのか、さっぱり判らねえ」

「……混乱、じゃないのか」

「……」

 タガイィは否定しない。

「”古都”。……だったら、そうだろう?」

 狂気と混乱を司る神。それが”古都”の守護神である。もし”古都”に関わる者であれば、ただ混乱を求めたとしても不思議ではない。

「それにしてもだ。まるで怒りにかられた子供だ、ヤツは。

 ヤツの演説を聞いたことないだろう、ライ。ヤツの言葉には不思議な力がある。聞いている者の感情にまっすぐ訴えてくる。

 後で冷静になれば、ヤツの演説には具体性も内容もないって気がつくんだが、聞いた直後は、ヤツの言う通り、狂泉様の森のこちら側はすべてキャナのものだと思っちまう。本来我々のものだったものを、取り返さなければと血が騒ぐんだ。

 ぞっとするぜ」

「何者なんだろうな」

 答えを求めるのではなく、独り言のようにライが呟く。

「いくら調べても判らねぇ。天から降りてきたか、地から湧いたか。仲良くなった一ツ神の信徒にも聞いてみたことがある。最初は薄汚れた服を着た普通の信徒だったのが、いつの間にか一ツ神の信徒の代表--”常世への水先人”になってたそうだ」

「いつの間にか……、か」

「いくさってものは止め時をいつにするかが大事だ。キャナとしては十分な成果を得た。ここらで止めるべきなんだ。国としては。

 今更止められねえっていうのも判る。下手に止めるなんて言ったら、国民の支持を失っちまいそうだからな。

 だが、そもそもいくさを止めようとする気配がヤツにはまるで見えねえ。

 戦うために、ただ死人を増やすためだけに、いくさを続けているような気がしてしょうがねえんだよ」

「タルルナも言ってたよ。ヤツは死にたがってるんじゃないか、ってな」

「死にたがってる。確かにその通りだと思うよ。司令官が前線で弩を持って戦うんだからな。ヤツがまだ生きているのが不思議なぐらいだ。

 けどそれが、若いヤツラの士気を高めているのは確かだ。司令官があそこまでやるならオレたちもってな。

 一ツ神の信徒が権力を握ってから、新しい人材が発掘されたのも大きい。能力さえあれば奴隷だろうが平民だろうが、貴族、王族、身分に関係なく登用しているからな。奴隷の司令官の下に王族の副指令なんて部隊もある。

 そうなると組織内でモメ事が起きそうだが、それもない。身分の違いがモルドの熱さにかき消されっちまってるんだ。

 恐ろしいヤツだよ。

 しかし、国が疲弊しているのは確かだ」

 タガイィが視線を遠くに向ける。

「農作物の出来は悪くないが、米や麦の備蓄が減ってきてる。いくさに男を取られて荒れた田畑も増えてる。国庫の蓄えが減るばかりで借財はバカみてぇに増えてる。

 何より、人死にが止まらねぇ。

 いくさが順調すぎる。それが、国民の目を眩ませているんだ」


「北でも気になる話がある。知ってるか、ライ?」

 ライには心当たりがなかった。

「いや。どんな話だ?」

「平原王の軍が敗れた。とは言っても局地戦だ。大勢に影響はない。問題は敗れた部隊の一部が狂泉様の森に逃げ込んだってことだ」

 ライの眉がぴくりっと上がる。

「逃げ込んだ兵士は、猟師に殺されたそうだ。全員な」

「当然だな」

「……平原王が、黙っているかな」

「どういう意味だ?」

「一ツ神の信徒どもは、酔林国を攻めるのに狂泉様の存在を気にもしなかった。オレらには信じられないがな。

 流石に平原王はそんなことはしねぇだろう。ヤツは平原公主様の信徒だからな。

 だが平原王は、どこか発想がモルドに近いところがある。常識に捉われないところがモルドと平原王はよく似ている。

 ヤツなら、狂泉様の森を抜けようとするかも知れねえ」

「ムリだろう、そんなこと」

「実際に抜けなくてもいいんだ。狂泉様の森のどこから部隊が出てくるか判らない、そう敵に思わせるだけで十分だ。

 狂泉様の森、すべてを見張るなんてこと、できねえからな。

 口実はできた。

 後は、狂泉様と平原公主様にお許しをいただければいい。いくさのな」

「お許しにならないだろう、お二方とも」

「本当にそう思うか?」

 ライは答えない。暗い予感を胸に、苦いだけのジョッキを口に運ぶ。

「お二方とも血を好まれる。そのことを忘れない方がいい。オレはそう思うぜ」

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