4-12(酔林国12(演武会5))
翌日、演武会場に現れたカイトを見て、「それで戦う気なの、カイト?!」と、ニーナは声を上げた。
ルールでは、木剣の長さは1.2m以内と決められている。ほとんどの参加者は、その長さの木剣を手にしていた。
しかしカイトが手にした木剣は、長さが40cmほどしかなかったのである。
「そうきたか」
と言ったのはライだ。
「いい判断かもな」
「どうすれば勝てるか考えて、熱が出そうになった」
真面目な顔でカイトが言う。
「ならいいんじゃないか」
「どういうこと、カイト」
ライが立ち去った後、ニーナはカイトに訊いた。
「勝てる気がしないの」
ニーナは驚いた。負けん気の強いカイトが、そんなことを言うとは夢にも思わなかった。ちょっと不安になる。
「昨日、木剣を持ってみたけど、持ち方も判らない、どう振ったらいいかも判らない。こんなのでライやエトーさんに勝てる訳がないって思ったの」
「ああ」
『それはそうか』とニーナは思った。カイトは猟師である。長剣を使ったことはないはずだ。とするとこれは、とニーナにも理解できた。
「それって、あんたの山刀の長さなんだ」
「うん」
「慣れた山刀の方が、まだ可能性があるってことね」
「うん」
「やっぱり勝つ気満々なのね」
「ちょっと違うかな。勝ちたいんじゃない。負けたくないの」
それでこそカイトだ、とニーナは安心した。
最終日の剣術もトーナメント方式だった。
演武場も、体術と同じく、剥き出しの地面に土を削って一辺が7mほどの正方形を描いただけの簡単なものである。
1回戦、カイトは試合開始の合図とともに、体術のときと同じように無造作に対戦相手に歩み寄っていった。いくつかのフェイントを織り交ぜ、対戦相手が前へ構えた剣先をスルリと躱す。懐に入って、相手の手首に自分の剣を当てた。
それで勝負あり、となった。
「おめでとう、カイト」
ニーナとロロが声をかけてきたが、カイトの表情は暗かった。
「思ったより難しい」
「何が?」
「木剣の長さの分、懐に入りにくい」間合いが取り難い、ということだろう。
カイトはそのままニーナとロロと一緒に、ライの初戦を見守った。
試合開始の合図とともに、ライは激しく打ちかかっていった。
剣速が尋常でなく、速い。
体格差を生かして上からただひたすら打ち込んで、不意に下から打ち上げて対戦相手の木剣を跳ね飛ばした。
それで終わりである。
「勝てる?あの人に。カイト」
不安げに訊いたロロに、カイトは「やれるだけのことはやるよ」と答えた。
その後、軍団長、カーラに続けて、エトーの試合を見た。エトーの対戦相手は、マクバである。
「エトー。今日こそお前のその取りすました顔を……、えーと。何だったかな」
「挑発するセリフぐらいちゃんと覚えて来いよ、マクバ」
マクバの大声と比べると、エトーの声は小さすぎてほとんど聞こえなかった。観客席から見ていると、マクバの一人芝居である。
「ええい。とにかくぶっ飛ばしてやる!」
マクバが木剣を構えるのと同時に、試合開始を告げる木琴がカーンと鳴った。
エトーは構えない。空気が淀むようにエトーの翳が濃くなっていく。木剣を左手にだらりと持ったまま、ゆらりっとその身体が揺れた。
右へ、左へとゆらりゆらりと。
マクバの手にした木剣の剣先が、エトーの動きに合わせて左右に動く。
「ぬっ、ぬ」
マクバが呻き、「チィエエエエッ!」と気合を放ってエトーに突きを入れた。
翳が塊となって走った。
鈍い音がして、マクバが低く呻いて膝をつく。
マクバの脇に、低く腰を落とし、木剣を両手で持って前へと突き出したエトーの姿があった。
観客席からわっと歓声が上がった。
立ち上がったエトーが、まるで血を払うかのように右手で木剣を振って、左手に収める。
「すごい」
カイトは感嘆の声を上げた。
「何?何があったの?」
「マクバさんの突きを躱して、エトーさんが木剣でマクバさんのお腹を薙いだの。薙いだときに少し木剣を引いて、手加減はしたみたいだけど」
「見えたの?今の?」
カイトは頷いた。
「あれが本来の歩法なんだ。わたしが使っているのとは、ぜんぜん違う」
演武場の上では、マクバが苦し気にエトーを見上げていた。「今日のところは……げほっ……勝ちを譲ってやる……」
「根性だけは大したものだと、褒めてやるよ、マクバ」
いつも通りの冷笑を浮かべてエトーが答え、試合終了を告げる木琴がカーンと鳴った。
「流石だな、エトー」
審査員席に戻って来たエトーに、トロワは声をかけた。
「マクバごときに遅れをとっていたんじゃ、やってられねぇよ。それより、少し組み合わせが不公平なんじゃないか、トロワさん」
「何がだ?」
「オレの方にマクバだけじゃなく、軍団長もカーラもいる。嬢を優勝させようとして細工したんじゃねぇか?」
「そんなことはしていない。もし細工するなら、ライもそっちの組に入れてるさ」
「ま、そりゃそうか」
「カイトの次の相手がライだからな。いざという時には、悪いが頼む」
昨日の体術と同じく、ライがキレそうになったら合図を、ということである。が、エトーは首を振った。
「多分必要ないと思うぜ」
「え。何が」
「あのバカがキレるようなことには、多分ならないってことさ」
木琴がカンカンと鳴って、カイトとライの名が呼ばれた。
「頑張って、カイト」
「うん」
「勝ってね」
力強く「うん」と頷いて、カイトは演武場に上がった。既に演武場に上がっていたライを見上げて長い息を吐き、ゆっくり顔を伏せる。
ライが木剣を構え、木琴がカーンと鳴った。
「カイトは何をしているんだ?」
審査員席でトロワがエトーに訊く。試合開始の合図が鳴っても、木剣を胸の前に持ち、少し体を縮めて、まるで石にでもなったかのようにカイトは動かなかったのである。
「ふむ」
彼にも判らないのだろう、エトーが顎に手を当てる。
ライが誘うように剣先を左右に動かす。それでもカイトは動かない。ライが顎を引く。少し、彼が笑った。
勝負がつくのは早かった。
ダンッとライが前へと踏み出す。それより僅かに早く、カイトは動いた。左へと流れた彼女を掠めてライの木剣が走る。一息にライの懐へと飛び込み、木剣と木剣の打ち合う音が甲高く響いて、カイトは動きを止めた。ライの拳圧で靡いていた彼女の髪が音もなく落ちて、ライの大きな手でカイトは頭をポンポンと叩かれた。
「終わりだ、カイト」
おおっと観客が声を上げた。
「あ」
懸命にカイトの名を叫んでいたロロの腕が力なく落ちた。
「……負けちゃった」
ニーナは演武場を見詰めたまま、胸の前でぎゅっと両手を握り締めた。
木琴が鳴る。カーンと、どこか寂しく。
演武場を降りてカイトが戻って来る。
顔を伏せ、足元だけを見つめて、ニーナとロロの脇を通り過ぎる。そのまま演武会場を後にしたカイトを、ニーナはためらうことなく追った。
演武会場の喧騒が遠くなった辺りで、ニーナはカイトの前に回り込んで立ち塞がり、彼女を強く抱き締めた。
「……悔しい」
ニーナの肩に頭を預けてカイトが声を絞り出す。木剣を握った右手だけでなく左手も固く握ったままで、身体中が怒りと悔しさに強張っていた。
「うん」
「悔しいよ、ニーナ」
「わたしも」
一番悔しいのはカイトだと判っている。けれどやはり、ニーナも悔しかった。
カイトの後ろから誰かが抱きつき、ぐすっと鼻を鳴らす。ロロだ。ニーナは体勢を変えて、左手をカイトの頭に残したまま右手をロロの腰に回した。
次の対戦者を呼び出す木琴がカンカンと鳴る。
観客が歓声を上げ、試合開始を告げる木琴の音が響いてもまだ、3人は固く抱き合ったまま動かなかった。強張ったカイトの身体から力が抜けるまで。彼女が顔を上げ、微かに笑って「ありがとう」と呟くまで。
「嬢が負けたからって、そんなにあからさまに残念そうな顔をしちゃあ、立場上マズいんじゃないか」
エトーに揶揄されるように言われて、トロワはハッと我に返った。どうやらしばらく呆けていたらしい。
「ああ、すまない、エトー」
軽く咳払いをして座り直す。
「良ければさっきの対戦を解説してくれないか」
「そうだな」
エトーはしばらく考えてから口を開いた。
「嬢はまず、ライには勝てない、と判断したんだな。何をどうしても剣術では。でも負けたくはないので勝てる可能性を考えて、剣術は出来ないが、狩りは出来る、と判断したんだろうと思う」
「狩り、か?」
「最初、嬢がまったく動かなかっただろう。あれ、ライのバカがどう動くか見切ろうとしてたんじゃないかな。
前に森で嬢に会った時、嬢は一矢で鳥を3羽、落としてた。推測ばかりで悪いが、多分嬢は、狩りの時にさほど意識することなく獲物がどう動くか、考えてる。そうでないと、3羽も一矢で落とせる訳がない。獲物がどう動くか考えて、言い換えれば先読みして、狩ってる訳だ」
「つまりカイトは、ライを狩ろうとしていたってことか?」
「多分な」
「暴君ライを?」
「そう」
「そんな無茶な」
「無茶でもその方が勝つ可能性が高いと考えたんだろう。それに、あながち悪い考えでもない。実際、いいところまでいった。
先の先は嬢が取った。
ただ、幾らバカでも、ライの方が嬢の狩ってる獲物より少しは頭が使えるからな。こういう場合の駆け引きはアイツの方が上だ。
まず前へと仕掛けておいて、嬢が懐に飛び込むのを待ってから、アイツは身体を少しだけ引いた。
そうやって、自分が自由に動けるスペースを作ったんだ。
で、作ったスペースを使って嬢の木剣を受け止めて、もちろんフリだけだが、嬢の顔面に拳を入れて、嬢に負けを認めさせたっていう訳だ」
「カイトが読み負けた、ということか」
「むしろ、ライの方が嬢をハメたと言った方がいいかもな」
「エトーの言った通りだったな」
「ん?何がだ、トロワさん」
「試合の前に、ライがキレるようなことにはならないって言っただろう?それぐらい差があったってことだ」
「……それはどうかな」
「えっ?」
「嬢はオレが思った以上に頑張ったぜ、トロワさん。そもそも嬢は猟師だ。猟師としての腕なら、オレやライとは比較にならないだろう。トロワさん、オレたちはあんたのように旨い酒を造ることもできねぇ。
それと同じことさ。
剣を握れば、軍の仲間以外にヤラれたりしねぇよ。オレたちは」




