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4-11(酔林国11(演武会4))

 カンカンと木琴が鳴って、カイトとライの名が呼ばれた。横になっていたカイトは目を開いて身体を起こした。

「頑張ってね」

 無理をしないで、とはニーナはもう言わない。

「うん」

 カイトは立ち上がった。まだ身体が重い。どれぐらいやれるか、自分ても判らない。しかし、止めるつもりはもちろんない。

「必ず勝つよ」

「信じてる」

「頑張れ」

 ニーナとロロに背中を押されて、カイトは演武場へ向かった。


「カイトに勝って欲しいと思うのは、欲、だよなぁ」

 審査員席に戻って来たエトーに、トロワはそう尋ねた。

「いいんじゃないか」

 トロワの傍らに立って、エトーが答える。

「ここまで来たら欲が出るのは当然だろう。

 ただ、他にやらないといけないことがある。欲に惑わされないようにしないとタイミングを逃すぜ、トロワさん」

「ああ。判ってる」

「ま、それはオレも同じだ。こんな役を引き受けるんじゃなかったぜ。単純に、嬢を応援したかったよ、あの子らみたいにな」

 エトーが視線を向けた先、観客席の最前列で、他の少女たちに混じって、ニーナとロロが懸命に声を張り上げていた。


 観客席から響く声は、カイトを応援する声一色である。

「ホント、あんたって人気ないわね」

 ライに声をかけたのはカーラだ。

「オレ自身、カイトを応援しているからな」

 軽く身体を動かしながらライが答える。

「何それ」

「あいつがどこまでやれるのか見てみたい。そう思うぜ」

「判らないでもないわ」

「だろ?」

 カーラが微笑む。

「可哀想だから、わたしだけはあんたを応援してあげる。せいぜい、お嬢ちゃんのいい引き立て役になってね」

「ぜんぜん、応援じゃねぇじゃねえか」

 苦笑して、「後で酒でも呑もうぜ」と軽く手を振ってライは演武場へと向かった。「爺っさまや、マクバ、みんなでな」

 軍に所属する5人で酒を呑んだことはない。正確には、5人だけになってからは。

「悪くないわね」

 カーラはライの背中を見送りながら、心からそう思った。


「待たせたな」

 演武場に上がってきたライと対峙して、改めてカイトは『大きい』と思った。普段よりもなお、大きく見える。

「大丈夫よ!」

 カイトに声をかけたのはカーラである。

「幾らデカい相手でも、重心さえ崩せば倒せるわ!」

「オレを応援してくれんじゃなかったのかよ、カーラ!」

 明るい声で叫び返したライに、カーラは「気が変ったわ」と言って笑った。

「ヒデェ女」

 ライが肩を竦める。

「どうだ、カイト。可哀想なオレに同情して、勝ちを譲ってくれねぇか?」

「ムリ」

 カイトがライの申し出を即座に却下する。

「ニーナとロロに勝つって約束したもの」

「そうか。そりゃ、仕方ねぇな」

 カーンと、試合の開始を告げる木琴が鳴った。


 試合開始の合図とともに、それまでと同じようにカイトはライに無造作に歩み寄った。

『スゲエ』

 ライは思わず心の中で感嘆の声を上げた。ちょっとした体重の移動、視線。近づいてくるカイトの何気ない仕草のひとつひとつがフェイントになっている。

 演武会の参加者は誰もが腕に覚えがある連中だ。

 だからこそ、カイトのフェイントに知らず知らずのうちに反応したのだろう。もし、これがまったく武術の経験のない素人だったら、逆に騙されることはないんじゃないか、とライは思った。

 カイトが右に踏み込む、とライには見えた。

 咄嗟に反応し、いや、反応させられたライの視線の先に、カイトの姿はなかった。ライからすれば、まさしくカイトは消えたのである。

 ライは勘に任せて左手方向に蹴りを入れようとして、いや、実際にはそう見せかけて、くるりと身体を回した。

 しかし、誰もおらず、右手側に微かに風を感じた。

『こっちか……!』

 視線だけを動かし、カイトの影を捉える。右手首をつかまれる感覚があった。関節を取られまいと左に咄嗟に重心を移す。と、足払いを掛けられた。

「うおっ」

 思わず声を上げ、マズイ、とその場から転びそうになりながら離れる。演武場の端まで逃げて振り返り、ようやくカイトの姿を再び視界に捉えた。

「いやいや」

 カイトは演武場の中央に、まるでずっとそこにいたかのように、立っていた。

「いろいろ上手くなってるな、お前」

「そうでもない。今ので決められなかった」

 淡々と言ったが、すでにカイトの息が乱れていた。カーラとの戦いの疲れが残っているのだろう。

「よし。じゃあ、もう一回、やってみな」

「うん」

 ライが前へと出て、カイトもまた無造作に彼に歩み寄った。

 幾つものフェイントに引っ掛かりそうになるのをこらえて、こっちだ!とライが顔を向けた先に、カイトはいなかった。

『嘘だろ……!』

 ライの背後で音がする。

 素早く身体を回し、左拳を放ったのは、カイトをけん制するためだ。ライの拳が流れる。流される。

 えっとライは思った。

 トンッと後ろへ跳ねてカイトと距離を取る。カイトも追って来ない。

「おいおい」

 呆れたようにライは呟いた。

 エトーもまた、トロワの横で呆れたように苦笑していた。

「……それをやるか?」

「えっ?え?何かあったのか?」

「見てれば判るさ、トロワさん」

 トロワが演武場に視線を戻すと、ライが構えていた。軍団長と対峙した時のように軽く握った右拳を前に出し、半身になっている。

「そりゃ、試したくなるよな」と、エトーが呟く。

 トロワは不安になった。

 エトーも熱くなっているんじゃないか、と疑う。

「大丈夫か、エトー」

 トロワの問いに、「目を離すなよ、トロワさん」とエトーは答えた。

 ライはライで、「行くぞ、カイト」と声をかけてから、「うん」と頷いたカイトへ躍りかかった。


 暴風雨のようなライの拳がカイトを襲う。

 ニーナは鋭く息を呑んだが、演武場から目を逸らさなかった。身体を寄せてきたロロと手を取り合って、「頑張れ!カイト!」と祈るように叫んだ。

 円を描くようにカイトが後ろに下がる。下がりながらライの拳を受け流し、逸らし、悉く躱して見せる。

「なんてこった」

 観客席にいた軍団長が呻く。

 軍団長の隣では、マクバがぽかんと口を開けていた。

「ありゃ、ワシのワザじゃないか」

 ライがカイトを猛然と追う。だがむしろ、勢いがついて止められない、カイトに前へと引き摺られている、とライは感じた。

『ちくしょう』 

 ライは胸の内で悪態をついた。

『なんじゃ、こりゃあ』

 いくら拳を繰り出しても手応えがない。

 軍団長とやった時は、拳を受け止められ、流されている感覚があった。

 しかしカイトの場合は、まるで柳の枝でも殴りつけているかのように、まったく手応えがない。カイトはいる。確かに目の前にいる。雨音が聞こえた。聞こえるはずのない雨音が。

 カイトを追いながら、コイツは”雨”か”かすみ”だ、とライは思った。

「……ここまでとは、な」

 誰にともなくエトーが呟く。

「カーラとやった経験が生きてる--」

 カーラも判っている。相手の力の使い方。理想的、と言っていいほど上手い。嫉妬すら覚える。しかしそれを上回る驚きに胸が踊り、演武場を見守るカーラの口元に、自然と笑みが浮かんだ。

『くそったれ!』

 半ばやけくそ気味にライは右拳を放った。大振りになる。体勢が僅かに崩れる。ヤベェ!と思った時には、繰り出した右拳ではなく、引いた左手の関節を取られる感覚があった。

「くっ!」

 左手を振り払い、思い切って一度前へと重心を移し、ライは大きく後方へと飛んだ。

 カイトの気配が離れない。

 まるで彼自身の影のようについてくる。

 足払い。耐える。

 右へ引かれる。耐える。

 腰の辺りを掴まれて、振り回されそうになるのも耐えて、蹴りを放ったところで、ようやくカイトの気配が離れた。

「おお」

 と観客がどよめく。

 蹴りを放った勢いのままライがくるりと身体を回し、軽やかなステップで距離を取ったカイトは、演武場の真ん中で大きな息を吐いた。


『強い』と思う。

 息を整えるため、気持ちを鎮めるため、浅く呼吸する。何をしても倒れない。信じられないほど足腰が強い。

『どうすれば倒れてくれるんだろう』

 重心さえ崩せば倒れるわ、と言ったカーラの声が耳に蘇る。

 結局それしかない。

 と、思う。

 ライを殴って倒すなんてわたしには出来ない。だから。わたしは、わたしにやれることをやるしかない。

 演武場には観客の上げる歓声が溢れていたが、集中しているからだろう、カイトにはむしろ、随分と静かに感じられた。

 ただ、ニーナとロロの声援だけが、まるですぐそばに二人が寄り添ってくれているかのように、はっきりと聞こえた。

 大きく息を吸い、顎を引く。

 やってみよう。

 エトーさんの歩法。まだ少し、工夫の余地がある。


「行きます」

 カイトがライに歩み寄る。

 猛々しく、楽しげに笑って、ライも前へと出る。

 カイトは前後の動きに緩急をつけて、ライの足を僅かに止めさせた。カイトの身体が右へ、左へ小刻みに、不規則に動く。

 ライはカイトを見ていた。

 見ていたはずだった。

 だが、左へと動いたと見えたカイトに釣られ、気がつくとカイトはいなかった。

『マジか……!』

 カイトがどこにいるかまったく判らない。気配がどこにもない。このままではマズイと、ライは、薙ぎ払うように裏拳を背後へと放った。

 人の気配が脇腹近くにいきなり現れる。

 ライの背筋に戦慄が走る。

 観客が、おお、と歓声を上げた。

 観客が見たのは、ライの左側を通過して背後に回ったカイトに、ライが体勢を崩しながらも裏拳を放ち、その拳をするりと躱したカイトがライの懐に滑り込む姿だった。

 懐に潜り込んだカイトがライの身体を引いて重心を崩し、足を払う。

 ライは完全に虚を突かれた。

 足を払われたのだと、身体が僅かに浮いてから気づいた。

 並みの者であればそれで倒せただろう。しかし、ダンッとライの足音が大きく響いた。バランスを崩しながらライは、驚異的な足腰の粘りで踏み留まったのである。

 ライがカイトを睨む。ようやく捉えた。カイトがいる。懐に。捕まえさえすれば。捕まえれば。終わりだ。ライが手を伸ばす。素早く。カイトの襟首をつかもうと手を伸ばす。そして、「こっちよ」というカイトの声が、ライの耳元で響いた。

 驚愕とともにライは声を振り返ろうとして、『しまった……!』と思った時には、彼は膝から崩されて後ろ向きに倒れ始めていた。

 青い空が回った。

 体ごと体重をかけてきたカイトを抱きかかえるように、ライは仰向けに倒れた。

 自分の背中が地面を打つ音をライは聞き、一瞬の静けさを吹き飛ばして、歓声が演武場の二人を包み込んだ。


「はっ」

 と、ライは倒れたまま短く笑った。

「なんだ、今のは。カイト」

「奥の手」

 立ち上がりながらカイトは答えた。息が荒い。手足にも力が入らない。そのままライの脇にしゃがみ込む。

「カーラがやられたのもこれか」

 身体を起こしてライが訊く。

「うん」

「秘密にするはずだな」

 ライが立ち上がり、カイトに手を差し出す。

 カイトは大きな息を吐いた。息を整え、ライを見上げる。

「勝ちたかったもの。……ゴメン」

「謝ることはねぇ」

 カイトを引き起こし、ライが肩を竦める。

「負けは負けだ。負けたって認めてやるよ」

「次にやる時は、奥の手なしで勝つわ」

 カイトの声にためらいはない。

 ライが笑う。

「冗談じゃないってとこが、お前の怖いところだな」

 ライがそう言ったところでニーナとロロがカイトに飛びつき、試合終了を告げる木琴がカーンと鳴った。


 審査員席で、トロワはホゥと息を吐いた。

「やれやれ。なんとか無事に終わったか」

 途中まで結んでいた印を解き、口の中で精霊への感謝を歌う。

「それじゃあ、オレはこれで帰らせてもらうぜ」

「ありがとう、エトー。どうだい、今夜、うちに夕食でも食べに来ないか?」

 立ち去ろうとしたエトーに、トロワは声をかけた。エトーは演武場に目をやり、首を振る代わりに小さく笑った。

「やめとこう。今日はゆっくり、嬢を休ませてやりな」

 演武場では、カイトとライが何かを話していた。カイトが何かをライに説明しているように見えた。

 カイトの周りにはニーナとロロだけでなく他の少女たちも一緒にいて、そこだけが陽に照らされたかのように華やかだった。

「そうだな。まだ明日もあるしな。じゃあ今度、また別の日に……」

 そう言いながらトロワが振り返ると、すでにエトーの姿はどこにもなかった。「エトー?」と声をかけるが返事はない。

「トロワ。それじゃあ、優勝賞品でも渡しに行こうや」

 他の審査員たちがガタガタと立ち上がる。

「あ。ああ、そうだな」

 と曖昧に頷いて、もう一度辺りを見回してから、トロワは他の審査員たちの後に続いた。


「特に名前はないかな」

 演武場でカイトが説明していたのは、最後に使った奥の手についてである。

「声を飛ばすの」

 と言ってカイトは口を閉じた。

「こんな風に」ライの耳元で、カイトの声が響く。

 ライはカイトの口元をじっと見ていたが、彼女の唇が動いたようには見えなかった。

「腹話術か?」

「多分そんなところかな。森の中や建物の中なら、もっと遠くまで飛ばせる。反響を利用して。でも、ここだと何もないから、かなり近づかないとムリ」

「もしかして、本来は狩りのときに使う技か?」

「うん」

 ライの問いにカイトが頷く。

「獲物を追い込むときに使うの」

「まんまと追い込まれちまったって訳か、オレもカーラも」

「言い方は悪いけど、そうかな」

 ライが不敵に笑う。

「だけど、もうそれは効かないぜ」

「判ってる。でも、負けない」

「いいね、その負けん気。でもよ、予め言っておいてやるよ。お前は本来、何だ?

 明日はそのことを忘れるなよ」

「わたしが本来、何か……?」

「カイト」

 カイトが振り返ると、優勝賞品を手にしたトロワが立っていた。

「おめでとう。楽しませてもらったよ」

「ありがとう、トロワさん」

 トロワ謹製の特撰酒を受け取ったカイトの脇腹を、少女の一人がつつく。

「ねぇねぇ、今日もみんなで乾杯する?」

「もちろん。あ、そうだ」

 カイトは演武会場を見回し、「ニーナ、ちょっとこれ持っててくれる?」と優勝賞品をニーナに渡して駆けていった。

 彼女が駆けていった先にいたのは、カーラである。

「カーラさん!」

「あら、お嬢ちゃん。何か用?」

「これからニーナたちと乾杯するの。よかったらカーラさんも一緒にどうかな、と思ったんだけど」

 カーラが演武場を見ると、少女たちが瞳をきらめかせてこちらを見ていた。カーラの口元が暖かく綻ぶ。

「いいわよ。喜んで」

 少女たちが囁くようにきゃーと声を上げるのが聞こえた。

「それから、わたしはカイト。お嬢ちゃんじゃなくて、カイト、と呼んでください」

「ごめんなさい。そうね。そう呼ばせてもらうわ、カイト。それで、他にも誰か誘うつもりなの?」

 きょろきょろと周囲を見回すカイトにカーラが尋ねる。

「エトーさん。お世話になったから」

 カーラと並んで演武場に戻りながらカイトが答える。カーラはちらりと演武場の少女たちの顔色を窺った。カイトの声は、彼女らにも聞こえたはずだ。

「それは今度にしましょう。あの人は華やかな雰囲気が苦手だから、今日はわたしたち、女だけで乾杯して明日に備えた方がいいわ」

「そう……かな」

「もうちょっと、カイトはお勉強をする必要があるわね」

「え?なにを?」

「いろいろ」と言って笑い、「さあ、行きましょう、お嬢ちゃんたち」とカーラは少女たちに声をかけた。

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