4-10(酔林国10(演武会3))
カーラとカイトが演武場に上がると、少女たちの黄色い歓声が空に響き渡った。ほとんどはカーラを応援する声だ。しかし、ニーナとロロの二人だけは、他の声援に負けまいと喉を限りにカイトの名を叫んでいた。
「いい友達ね」
「うん。だから負けられないの」
カーラの赤い唇が満足そうに笑う。
「その意気や良し、よ。お嬢ちゃん」
試合開始を告げる木琴の音がカーンと響き、「行きます」と言って、カイトはカーラに無造作に歩み寄った。
「ちょっと解説してくれないか、エトー」
「何をだ、トロワさん」
「あの二人が何をしているか。速すぎてさっぱりだ」
「ああ」
カイトとカーラは近づいては離れ、腕を取り合っては飛び退きと、激しく動いている。それがあまりに速すぎるのである。
「カーラと嬢が、それぞれ護身術を使ってるっていうのは判るか?」
「いや。でも、そうなんだな」
「ああ」とエトーが頷く。
「嬢が使っているのは北の方の護身術だ。カーラはこの辺りのだな。どちらも自分から攻める技じゃないから、攻め手に苦労している。
ホントは、カーラなら護身術以外も使えるだろうが、嬢に付き合ってるようだな」
「北とこの辺りの護身術って何が違うんだ?」
「嬢の使っているのは、関節を決めることに主眼を置いてるな。カーラの方は、相手の力を使って投げることを主にしている。
ほら」
二人が近づき、カーラが右腕を伸ばす。カイトがカーラの腕を取ろうとする。弾かれたようにカーラが後ろへ飛んだ。
「今、嬢が関節を取ろうとしたのをカーラが外して、嬢が重心を右に傾けたからそれをカーラが利用しようとしたものの、嬢の誘いだって気づいて後ろに逃げた。
判るか?」
「……速すぎる」
「まぁ、そうだろうな」
「そもそも、なんでカイトは1回戦や2回戦の時みたいにすぐに終わらせられなかったんだ?」
試合が始まってすぐにカイトはカーラに歩み寄り、カーラも同じように歩み寄って、すり抜ける直前に、二人は互いに後ろへと飛んだのである。
「ここから見てたんじゃあ判らないだろうが、嬢は相手に歩み寄るときにフェイントをかけまくってる。ちょっとした視線、筋肉の動き、足取りなんかでな。
嬢はそうやってフェイントをかけながら相手の呼吸を読んで、ほんの少し、相手の意識が自分から逸れた時を狙って、相手が思うのとは別の方向へ体を躱しているんだ。
それが1回戦と2回戦。
体を躱すときに使っているのが、オレの歩法だ。
でもま、カーラはオレの歩法を知っているからな。それに相手の呼吸を読むことにかけてはカーラもかなりうまい。だから引っかからないんだ。
お?」
エトーが身体を少し乗り出す。
「嬢が工夫したな」
カイトがトロワにも判るほど、大きく右へ、左へとフェイントを入れる。ダンッと前へ、カーラの懐にいきなり入った。
「おおっ」
審査員席からもどよめきが起こった。
カイトは下からカーラの腰のあたりに向かって飛び掛かったが、カイトの肩に手を当てて、カイトの力を利用してカーラは後ろへと大きく飛んだ。
エトーが低く楽し気に笑う。
「フェイントに強弱をつけるのが上手くなってる。歩法の使い方も良くなってきてる。それだけじゃない。相手の力を使うやり方も、カーラから盗もうとしている。
ホント、とんでもないな、嬢は。
だが、今のが最後の力だったかな」
エトーが椅子の背もたれに体を預ける。
「経験の差が出たな。カーラはまだ余力を残しているが、嬢が疲れ切ってる」
エトーの言う通り、カイトの息が上がっていた。視界がふらりと歪み、吐きそう、と思う。そもそもカイトは、こんな風に人と戦った経験がない。護身術を習った際に手合せをしたことはあるものの、勝敗は目的ではなかった。狩りは基本的に持久戦で、これほど長く激しく動き続けるのも初めてだ。
「カイト!頑張れ!」
ふと、ニーナの声が聞こえた。視界の端で、身体を投げ出すようにしてロロと二人で声を張り上げているニーナの姿が見えた。
自然と笑みが零れた。
大きく息を吐いて、身体を起こす。
カーラの口元には笑みがあり、まだ余裕がある。待ってくれている。カイトはそう思った。
「行きます」
改めてそう言って、カイトは無造作にカーラに歩み寄った。
「仕掛けが甘い」
淡々とエトーが言う。
「終わりだ」
幾つかフェイントを入れて、カイトがカーラの右手に回る。カーラは左へと釣られそうになったものの、素早い足捌きでカイトに向き直った。そのまま流れるように足を踏み出し、カイトの肩の辺りをつかむ。
ぐっとカーラがカイトを押す。
反射的にカイトが押し負けまいと重心を前に移し、「あ?」と、エトーが不審そうに声を上げた。
カーラが一瞬、動きを止めたのである。
すかさずカイトが、肩をつかんだカーラの手首の関節を極めながら、投げを打った。カーラの視界が回り、気がついた時には、カーラは地面に倒れて空を見上げていた。
「あら?」
はぁはぁと肩で息をしながら、カイトが彼女を覗き込む。
「何をしたの?」
「ごめんなさい」
カーラの問いに、カイトはまず謝った。
「使うつもりなんかなかったのに、負けたくないって思ったら、咄嗟に使ってた」
「何を?」
カーラを引き起こしながら、カイトが手短に説明する。「ごめんなさい」と言ったカイトに、カーラは微笑んで見せた。
「問題ないわ。それもあなたの立派な技よ」
少し顔を伏せ、改めて顔を上げて、「ありがとう」とカイトは言った。足がふらつき、「あれ」っと声を上げる。
カーラがすぐに彼女を支え、「ニーナ、ロロ!」と観客席に向かって叫ぶ。二人はすぐに転びそうな勢いで駆け寄ってきて、両側からカイトを支えた。
二人を見て、カイトは笑みを浮かべた。
「ニーナとロロの声、聞こえたよ」
涙に潤んだ目でニーナが「うん」と頷いて、三人は演武場から降りた。
「何があった」
演武場を降りたカーラに尋ねたのはライである。
ふふふと、カーラが笑う。
「秘密。あんたには話さないって約束したもの、あの子と」
「そうか」
それ以上問うことなく、ライは頷いた。まだ自分に勝ちたいとカイトが思っている、それが判っただけで充分だった。
「カイト、お水」
ニーナが差し出したコップをカイトが受け取ったところへ「慌てて飲むな。ゆっくり、少しずつ飲め」と、声がかかった。
エトーである。
「うん」
言われた通り、少し口に含んでから喉に落とす。
「まだあのバカの試合がある。決勝はその30分後だ。なるべく身体を休めときな。それで、何をした?」
「秘密」
と、カイトが答える。
「まだライとやらないといけないから」
「ならいい」
と、エトーも深く尋ねることはしなかった。
演武場の喧騒が少し遠い。
彼らがいるのは演武会場から少しだけ離れた木陰である。
木琴がカンカンと打ち鳴らされ、ライと、カイトの知らない名がひとつ、呼ばれた。
「ライの試合、見なくちゃ」
立ち上がろうとしたカイトを、ニーナとロロが支えてくれた。
「見える?カイト」
ロロの問いにこくりと頷いて、カイトは演武場に上がったライの対戦相手を見た。
60は越えていると思われる白髪の男だ。
服の下の筋肉の付き方になんとなく見覚えがあった。猟師とは別の鍛え方をした筋肉の付き方である。
「遅いぞ、ライ!」
ライの対戦相手が腰に手を当てて演武場で怒鳴る。声が大きい。いや、態度もどこかデカい。
既視感を感じて、カイトはエトーに尋ねた。
「もしかしてあの人も、軍の人?」
「残念ながらな」
マクバの時と同じように、心底イヤそうにエトーが答える。
「あの人がオレらのボス。軍団長だ」
「やっぱり」
「体術ではあの人に敵うヤツはいない。--ただし、30年前ならな」
ライがのっそりと演武場に上がる。
「爺っさま。あまり怒鳴ると頭に血が上って、死んじまいますよ」
「だったらさっさと来んか!年寄りは気が短いんだ。あまり待たせるな!」
「年寄りだと自覚してるんなら、こんなところに出て来ないで、おとなしく茶でも飲んでてくださいよ」
「ワシを年寄り扱いする気か!」
いや、あなたがそう言いました。と、演武会場の全員が心の中で突っ込んだところで、試合開始を告げる木琴がカーンと鳴った。
軍団長が腰を落とし、両手を天地に開く。
『大きな構え』
と、カイトは思った。体術であの人に敵うヤツはいない、とエトーが言ったのも判る。
ライも半身になって握った右拳を前に出した。彼がちゃんとした構えを取るのを、カイトは初めて見た。
そのまましばらく両者とも様子を伺っていたが、ダンッとライが前へ出た。軍団長が円を描くように後ろに下がる。ライの突きはまるで暴風雨だ。それを、軍団長は苦も無く両手で捌いて受け流していた。
と、軍団長の身体が左右に小刻みに動き、あっと思った時には、彼はライの懐に潜り込んでいた。
「セイッ!」
軍団長の拳がライの腹に叩き込まれる。渾身の一撃だろう。二人が動きを止める。突きを繰り出した姿勢のまま、ちらりと、軍団長がライを見上げる。
ライは軍団長を見下ろし、ニッと笑った。
まったく効いていない。
「チィッ!」と舌打ちして、軍団長が後ろに逃げる。それを素早くライが追う。軍団長の足がもつれた。
「わったった」
転びそうになった軍団長が、何とか体勢を立て直し、顔を上げる。そこへ、ライの拳が突き込まれた。
軍団長の白髪が激しく靡く。
ライの拳は、軍団長に当たる寸前で止まった。
「オレの勝ち、でいいですかね」
拳を止めたまま、ライは尋ねた。
「ワシはまだやれるぞ!」
「引くべき時には引く。爺っさまが教えてくれたことですよ」
ぐうっと軍団長は唸った。忌々しげに後ろに下がってライと距離を取り、彼に向かって人差し指を突き出す。
「今日のところは勝ちを譲ってやるわ!」
「同じ光景」
「いささか恥ずかしいな」
カイトの呟きにエトーが応じたところで、試合の終了を告げる木琴がカーンと鳴った。