4-6(酔林国6)
カイトにとって戦争とは、森の外で行われるものだった。狂泉の森で例えるなら、一族同士の殺し合いだろう。
だが、酔林国に、国と国が殺し合っているような血なまぐさい気配はなかった。
それにキャナの商人であるタルルナが、何事もなかったように酔林国を通り抜けて行ったではないか。
「戦争をしているなんて信じられない」
「そうね。戦争をしていると言っても、休戦状態が10年ぐらい続いてて、戦ってる訳じゃないしね」
『王は与えられた権力を使って戦争を起こし、領土を広げるんだ。なるべく多くの土地を支配して、自分を支持する人々に与える為にね』
プリンスはカイトにそう説明してくれた。
だとしたら。
「キャナが、酔林国を獲ろうとしているの?」
神である狂泉様の支配する森を?
それこそ信じられない。
「判らないよ、わたしには。トロワさんやライさんの方がよく知っているはずよ。10年前って、わたしたちはまだ5歳だったもの」
ロロもこくりと頷く。
「でも、怖かった」
「そうね。父さまも母さまも殺気立ってて、ううん、一族の大人たちみんなが殺気立ってて怖かったことはよく覚えてる。
ライさんたち軍の人たちはね、みんなその時に森に戻って来た人たちなの」
「森の外から?」
「そうよ。森人でも森の外に出る人って多いでしょう?そのまま外に住み続ける人も。キャナが酔林国に攻めて来た時に、ライさんたちは戻って来たって聞いてる。ライさんたちが中心になって酔林国のみんなをまとめて、キャナを撃退したって」
「……」
何と言えばいいか、カイトには判らなかった。ただ、だから、ライは山刀ではなく長剣を腰に下げているのか、と腑に落ちるのを感じていた。
「話を戻すとね、そういった人たちが参加するの、演武会には。だからわたしはあんたには参加して欲しくないの。
だって友達が死ぬところなんか見たくないもの。
ライさんなんか、森の外では傭兵だったのよ」
「ヨウヘイって、何?」
「お金で雇われて軍隊に入った人たち。人を殺す専門家よ」
カイトの前では、ライは能天気なオジサンに過ぎない。だからカイトは思ったままのことを口にした。
「信じられない」
「でも本当よ。そんな人たちと、あんた素手で戦える?他にも……」
カイトは自分の弓矢をつかんで背後を振り返った。
「それ以上近づかないで!」
矢を番え、鋭く叫ぶ。
いつ現れたのか、3mほど先に、見知らぬ男が立っていた。
歳は30代か。
頬がこけ、青白い顔をした、酷く顔色の悪い男だった。だが、細い目の奥には、妖気と言ってもいいような錆びた光が重く漂っていた。背が高い。手足も、妙に長い。弓矢は持っておらず、森人ではないとカイトは判断した。
ライと同じように長剣を腰に下げていたが、男がぶら下げた長剣は、ライのそれよりも随分と長かった。
『間合いに入られている』
カイトはそう思った。
男の間合いだ。弓には一矢しか番えていない。距離が近すぎる。もし矢を放っても避けられる可能性が高い。次の矢を放つ余裕は、与えてくれないだろう。山刀を抜く--無理だ。
つまり、切り掛かられれば、死ぬ。
男の存在に気づいていなかった訳ではない。
遠くに人の気配があることは知っていた。
しかし、殺気を感じることはなく、森人だと思っていた。
だからと言って注意を怠っていたかというとそうでもない。ニーナの話に気を取られていたというのも違う。
遠くで足取りが変わった。
あれっと思って、気がつくと--まるで魔法のように--足音は近くまで迫っていた。しかも走るように近づいて来ている、と悟ってカイトは慄然とした。
すぐに弓矢を取ったが、遅すぎた。
軽くカイトは息を吸った。
カイトを見詰めたまま、男は何も言わない。
もう、生きる道はない。この距離で矢を放っても避けられると考えた方がいい。だったら、避けられないところまで引き付ければいい。
男が剣を抜き、カイトに切り掛かる瞬間、その瞬間なら、男に避けられることはない。カイトは切られるだろうが、男を殺すことはできる。
ニーナとロロを守ることは、できる。
カイトが男と対峙している間、ニーナとロロは、カイトの背後でただ呆然としていた訳ではない。
彼女らも森の娘である。
カイトが己の弓矢をつかむのに少し遅れて、二人も自分たちの弓矢をつかんだ。カイトが振り返ったのを横目で見て、カイトと反対側、カイトの背中を守るように森に矢を向けた。だから彼女らは、「それ以上近づかないで!」というカイトの声を背中で聞いた。
二人で森を探り、探り、誰もいないことを確認して目を合わせ、振り返る。矢をカイトと対峙した人物に向ける。
「あ」
振り返ってすぐに、ニーナは小さく声を漏らした。カイトと対峙した男を、彼女もロロも知っていたのである。
だが、男を知ってはいたものの、安心するよりもむしろ二人は不安の色を深めた。
「エトーさん……」
弓を下してニーナが呟く。ロロも同じように弓を下したが、半歩、意識することなく後ろに下がった。
「カイト」
エトーを見詰めたまま、声を強張らせてニーナは囁いた。
「矢を下して。大丈夫。その人はエトーさん。酔林国の軍の人よ」
カイトは答えない。矢も、対峙した男--エトーに向けたままである。
「カイト」
不安を滲ませてニーナが再度、声をかける。
エトーの細い唇が、まるで傷口が開くように歪む。嗤ったのだ。
「……成程。ライが気に入るのも良く判る……」
エトーが下がる。彼の間合いから、カイトが外れる。しかし、カイトは矢をエトーに向けたまま外さなかった。
エトーが背中を向け、気配が遠くまで去ってようやく、カイトは弓を下した。
どっと噴き出した汗が、彼女の上衣を冷たく濡らした。
「エトーに会ったのか、カイト。暗いヤツだっただろう?」
カイトが獲ってきた鳥をむさぼり食いながら、ライは明るく言った。例によってトロワ宅の夕食の席である。
「とっつきにくいけど、いいヤツだぜ、あいつ」
「そうは思えない」
カイトがライを睨む。
「あんなに怖かったの、初めて」
ライが笑う。
「ま、あんな外見だからな」
「酔林国がキャナと戦争をしているってニーナに聞いたわ。だから、酔林国に軍があるって。ライもエトーさんも軍の人間だって。
本当なの?」
「まあな。もっともカッコつけて軍と名乗ってはいるが、実際は、自警団とも言えないようなちゃちぃ組織だけどな。所属しているのもオレとエトーと、他に3人、全部で5人しかいないしな」
「もう少し多かったんだよ。10年前、キャナが攻めてきた時には……」
「止めようぜ」
酒の入ったコップを口に運びながら、ライがトロワの話を遮る。
「キャナとの戦争のことは、機会があれば話してやるよ、カイト。けど今はカンベンしてくれ。
せっかくの酒が不味くなっちまう」
トロワも口を閉じ、「そうだな」と呟くように言った。
沈黙が食卓に落ちる。
カイトもそれ以上問うことはできず、「判った」と呟いて、ひとり物思いに沈み込んだ。